ロックの市民権に対するアンチテーゼ(対象、正反対)
最近というか以前からもそうでしたが、職場(私は学校の先生をしています)で私がバンド活動をやっていることを知るとすぐに「子どもたちのまえでも・・。」という人が多いんです。わりに先生たちってバンドやってる方多いらしく、イベントに出るとご同業の方が多くて、教え子たちにも宣伝されているようです。
私はこれが信じられないんです。平成元年あたりのホコ天・イカ天ブーム以降バンドに変な市民権が生まれてバンドってものが身近なものになってしまってよく言われた「バンドマン=不良」というイメージは払拭されてきているような気がします。
でもねよく考えてみてください。ロックスターってのは日常から逸脱したイメージの中の存在なんじゃないでしょうか。結果や過程を問わずどこか反社会的だったり、反道徳的だったり、衝動的だったり、破滅的だったりそれらの行動は心のどこかに願望としてあるけど、日常という枠の中では実現することができない。それをやってのけるところがヒーローとしてのあこがれをくすぐるわけで、そういう要素はロックの場合大きな位置を占めているんじゃないでしょうか。
先生が子どもの前で「やりてーっ!」「反抗だーっ!たちあがれ!」なんてできるわけないでしょ!。ましてそんな活動にかわいい教え子を誘うなんって言語道断。更衣室の盗み撮りよりタチがわるいとおもうんですけどねぇ。
確かにエアロにしてもモトリーにしても今はクリーンになってかっこいいけど、基本的なかっこよさってやはりあのめっちゃくちゃな時代の上にあるわけで、はじめからクリーンだったらあの魅力はどうなんでしょう。
やっぱりロックなんて(よくはわからないがロックにかぎらず芸術ってのはどれも同じかも)いうのは不真面目で自分勝手で、社会に順応できないハンパもんが唯一すがって自己表現をするからかっこいいんであって、社会に順応できている人が余裕でみせる不良っぽさってのはかえってダサいとおもいます。わたしは社会に対する順応性は持っているつもりですし、アナーキーな人生を歩むつもりもありません。しかしロックは好きだし、バンドもそのステイタス(不良っぽさ)とともに愛しています。そこでわたしは日常の私とロックなわたしと棲み分けをするようにしています。できるだけの共存をさけ、ロックの持つ異常性に美学を求めているのです。
昔に比べバンドって表舞台に出やすくなってきて、イベントになるととりあえずバンド(最近はYOSAKOIか?)みたいになってきていますが、ロックの持つかっこよさが、万人に受け入れられる市民権と引き替えに失われていくものは何だろうと考えたとき、やはりロックの市民権にはアンチテーゼを感じますな。
だめだよやっぱり、ハンパもんじゃなきゃ!