書評日記(不定期)

2016.01.3

心の持ち方 ジェリー・ミンチントン著

前著「うまくいっている人の考え方」は「自尊心をどう高めるか」「いかにエゴイストになるか」がうまく行くキーと書かれていて、私に大きなカウンセリング効果がありました。

今回の本も はじめに を読んだ瞬間 大きなカウンセリング効果あって、夢中で読み進み1日で読んでしまいました。

今回も「自尊心をどう高めるか」を中心に書かれていますが、前著とはまた違う観点から沢山述べられていて、人生の指針にしたいと思います。内容を見直すと、嫁が私に話してくれることやおつきあいがあった社長さんが言っていたことと重なる内容があり、私はいい人に巡りあっているんだとしみじみ思いました。

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<はじめに>より

「多くの人は、自分の人生にポジティブな変化をもたらしてくれるものを絶えず探し求めている」

ガツン!ときました。

人は慣れ親しんだ平安よりもポジティブな変化を探しているのだな〜 。

なるほど・・・仕事であれ、趣味であれ、ポジティブな変化が必要なのか。

仕事は異動してポジティブな人間関係や内容に変化することで自分がリフレッシュされるしやる気も起こりますし、趣味もどんどん新しいことを開拓するときは夢中に没頭することで幸福感が得られます。

と言うことは、趣味でも仕事でも同じ尺度になってきます。 ある会社の社長が「人生とは広い意味で遊びである」と言っていましたが、こういうことだったんですね。

 

<おわりに>より

「私達は自分を過小評価する傾向がある。他の人たちの評価を信じてしまいやすいからだ。しかし、実際には自分では気づいていない能力を持っている」「自分の才能を見つけるには冒険をすればいい。今までと違うことに挑戦しよう。新しい趣味に取り組もう。以前なら想像もしなかったことをしてみよう。心を開いて前向きになろう。新しい考え方を積極的に取り入れ、自分の周りの興味深いことに目を向けよう。人生を冒険と考えよう。

私達の冒険をくさして自分が気持ちよくなった気分になりたい人間は山といますが、その人の言うことを真に受けては自分の能力を開花させないばかりか、私達の大切な自尊心を傷つけてしまいます。決して他人の評価を聞いてはいけません。

人生は広い意味で冒険なのです。

 


以下、本より抜粋です。

自尊心とは傲慢になることではなく、自分の価値を信じることだ。自分の価値を信じて自分のことが好きになればなるほど、ますます幸せを感じるようになる。

多くの人に好かれたり認められたりしても健全な自尊心は育たない。健全な自尊心を育てる唯一の方法は、読書や聴講などを通じて人間についての真理を学び、自分自身について考察することだ。

自尊心は自分で育てる。

どれだけ大きいミスでも自分のミスは全て許す。どんなことがあっても自分を責めない。堂々と自分のできることをアピールする。自分が世界で最も重要な人物であることを心に刻み、自分のニーズにもっと目を向ける。

今これから活用できる自分の能力を話すことは自慢とは違う。隠さず社会に役立てる為にありのままを人に伝えるべき。

人として基本的な権利(正直且つ公平に扱ってもらう権利、敬意を持って接してもらう権利)が侵害されたら、黙っていてはいけない。

明らかに自分に向けて批判されたからといって、受け入れる必要はない。人々はその時の気分次第で好き勝手なことを言うものである。あなたがいちいちそれに同意する必要は全くない。

不幸な人生を送っている人は、みじめな気持ちをあなたに味わわせることによって、自分の気分をよくしようとする。 彼らはあなたの特徴をとらえて気分を悪くさせようと躍起になる。あざけりの対象をいくらでも見つける。一番良いのはなるべく無視することだ。

ノーと言ったら相手を怒らせてしまうというのは思いこみにすぎない。ノーと言う練習をして人生をシンプルにしよう。

心配は人間の本能ではなく、一種の自己暗示であり、全く無駄な努力であり、何の役に立たないばかりか、心身に害を及ぼす。 心配を止める為に、将来ではなく現在に意識を集中する、心配している自分に気がついたらポジティブな思考に切り替える。

書くと言う行為は得るものが多く精神衛生上も大変良い。 自分の本音を話せる友人がいないなら不満や不安について書くことがストレス解消に役立つ。 書く行為は、心の中に溜まっているネガティブな感情を吐き出すのに役立つ。 書くだけで問題が解決できるとは限らないが、理解しやすくなることは間違いない。自分の思いを書くことで思考がより鮮明になる。

人生は苦しいものだと思うならあなたはその事実を受け入れてしまい人生は予想通り苦しいものとなる。あなたは自分の人生観を選ぶことができる。人生は楽しいものだと考え、楽しくする努力をしよう。

悲しい記憶を心の中で反復すると痛みが繰り返され記憶が消えない。

自分は不誠実で価値のない人間だと思っているならば、気の滅入るような映像が心の中で上映される。 楽しい映画をいつも上映したいなら、自尊心を高める努力をして、ネガティブな映画をポジティブ映画に切り替える。自分が不幸な映画を見ていることに気づいたら幸せな映画の在庫に切り替える。

自分の心の中には、過去と失敗にこだわり自分をけなして新しい行動を止めようとする批判者がいる。そのことに気づき、批判者に反論し「現在」と成功に意識を向けて生きるべきだ。

好きなことについて考えて、その感情を増加していく。

自分にとって成功とは何かを問い直し明確にする。地位、財産、権力のような外的なものだけではなく、精神的な満足、幸せ、楽しさなど内的な成功もある。 

自分が目標を実現した映像を心の中に描く。そうすれば、実現できる可能性が高くなる。 

したくないことのリストを作って不必要な活動をしないようにする。例えば、以前は楽しかったが今は興味がない活動、他人から一方的に押しつけられた仕事、嫌な気分になる課題・・・

人は安定しようと努力するほど不安を感じる。最善な解決策は人生には不安定さがつきものだと理解すること。そうすれば、突然の出来事は楽しい驚きとなり、人生の喜びとなる。

成長を遂げる為には多くの失敗を体験する必要がある。失敗しても自分を非難してはいけない、失敗しないのは何も学ばないことと同じだ。

朝目覚めたときから好奇心をもち、周囲のものに目を向けよう。

他人の言いなりになっていると、人生は楽しくなくなる。自分自身の決定により自分らしい生き方をしよう。

どんなに忙しくても相手の顔を見て言っていることに集中しよう。これを習慣にすると良い関係を築くことができる。

15.08.23

モモ ミヒャエルエンデ

 世界を代表するドイツ児童文学作家ミヒャエルエンデの代表作です。 映画化された作品にはネバーエンディングストーリーがあります。
 モモは児童図書でありながら現代の金融システムに支配されている世界を鋭く風刺していますから、大人の読み物でもあります。エンデの死後極最近に「ミヒャエルエンデの遺言(根源からお金を問う)」という本が出版され、現代人がいかに金融に支配されて膨大な時間を搾取されているのかを書いた書物も出版されています。
 
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 浮浪児モモは悩んでいる人の話を聞いては、自分で悩みの回答を見つけさせることができる力を持っており、皆モモに悩みができたら相談にきます。
 大人達は楽しみながら余裕をもって仕事をし、子供達は遊んで楽しく暮らしています。身をけずってお金を無理に稼ぐ必要はありません。
 しかし、
 物語の中では、時間貯蓄銀行の灰色の男たちがやってきて、効率的に仕事を惜しみなく行うよう洗脳にやってきます。その洗脳によって、人間の時間がどんどん奪われていいきます。何が効率的か、何が役に立つか、そんな考え方が過度に心を支配し、人々はいつもセカセカ動き回り、怒りっぽくなっていき、やがて大人は仕事に追われて楽しむ時間が無くなり、子供達は大人が遊んでくれず悲しい思いをしています。本のなかでは、灰色の男達は自分たちが仕掛ける洗脳を気づかれることを極端に恐れていますが、気がつかれれば仕事ができなくなる(人心を支配することが難しくなる)からに他なりません。
 モモは時間貯蓄銀行の灰色の男たちと戦っていきます。

 日本人の労働時間は世界一多いと聞きました。その時間は一番労働時間が短いフランスの約2倍・・・。。 こんな数字が出たとき必ずTVは「日本人は勤勉な民族です」と解説してきたのを思い出しました。 労働時間は極力短くして、自分や家族の幸せに使うのが人間本来の姿ですが、私達は生まれたときからその洗脳の中に生活しています。 縄文時代は1日に2〜3時間働けば暮らして行けたとどこかで読みました。 時間を搾取されて仕事に追われる生活を余儀なくされこれによって、自分の不調や家庭の不和が生じます。
 
 モモに登場する時間貯蓄銀行のおとこ達は、現代の金融システムそのものを鋭く風刺していると思われます。 そして、この本が言いたいことは人間を覆いこんでいる深い洗脳に気がついて解くことによって、時間貯蓄銀行のいいなりにさせられることを止めることができますよ・・・ということではないでしょうか?

 

15.07.19

うまくいっている人の考え方 ジェリー・ミンチントン

この本には「自尊心をどう高めるか」「いかにエゴイストになるか」がうまく行くキーと書かれています。カウンセリングより効きます。


 この本に「長期的目標をたてて人生設計をする」「幸せとは何かに没頭している状態」とあります。
 私の一番最初の長期目標は小学校の時に「広い芝生の庭がある家で暮らしたい」でしたが、10年以上前にその目標は達成し没頭しました。
 次の目標は大学時代にたてました。「人間は唯一感動をする生物であり、私の生きる目標はどれだけ多く感動するかである。」としました。感動は新しい体験をするときに得られやすいので、新しい体験をするための時間をとれる職業になり実行し没頭してきました。
 次の目標を今考えては、妻に時々話しています。目標を考えるときは楽しいです。

↓以下、本より抜粋です。
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 自分の責任ではないことを引き受ける義務はない。「私はそれをしたくありません」と言い切る。

相手を気分良くさせるために自分が不愉快な思いをする必要はない。相手を不愉快な気分にさせるためにわざと嫌なことを言う人はできる限り避け、適当に相づちを打って受け流す。

 地位や業績はその人が自分より価値のある人間だという根拠にならない。

 自分はだめな人間だ、この程度しかできない、と考えたり口に言ったりするのは絶対に止めるべきだ。自分の短所を強調し、自分の長所を不当に無視することになる。

 あなたに責任がなくてもあなた責めてくる人はいくらでもいる。あなたまで一緒にあなたを責める必要はない。

 あなたが仕事を愛すれば周囲のためになる。自分の仕事が楽しいと幸せな気分だし一緒にいても楽しい。

 自分が相手に与える印象を気にしないほうがいい印象を与えられる。

 自尊心の乏しい人は居心地の悪い不快な状況にしばしば巻き込まれる。自分は最高の人生を送る資格のある人間だ。

 自分のことを他人がどう思っているかを不当に重視すると、自分を他人よりも人間的に劣っていると思いこんでしまう。他人の意見を優先すればするほど、自分の生き方を選ぶ自由を失う。

 自分のしたいことを犠牲にしてまで他人を喜ばせる必要はない。

 他人は私をどれくらい正確に評価しているかは極めて疑問だ、人は自分を基準に他人を判断しているので、私に対す評価は間違っていることの方が多い。他人があなたをどう評価しようと気に掛ける必要はない。

 他人がなんと言おうと人間の価値を決定する絶対的な基準はない。

 人に好かれる為に無理に自分を変える必要はない。だれからも好かれることは不可能だし、その必要もないことを理解することだ。

 愚かな間違いをしてもあなたの人間としての価値とは関係がない。

 他人から高く評価される必要はない。自分を高く評価するのは自分だけで十分だ。

 批判は余裕をもって受け入れた方が自分の得になる。相手に協力して自分を批判する必要はない。

 あなたの人生を他人の決断にゆだねてはいけない。

 ほめてくれた人に向かって「いえいえそんなことはありません」というのは判断が間違っている。心からお礼の言葉を述べよう。

 相手が期待していることではなく、自分が本当に思っていることを言おう。

 競争は無視するのがいちばん得策。競争が大多数の人に与える影響は自信を失わせることでしかない。

 他人をむやみに持ち上げない。偉い人だと持ち上げる一方で自分を見下している自己矛盾に陥る。

 私達はミスに対して自分を責める癖をもっている。自分がなぜミスを起こしたか理解できれば自分を責める必要はない。

 悪い感情は自分に一番多くの害を与える。自分に不利益を与えた相手を許さない態度から生まれるすさまじいマイナスエネルギーは、心と体に悪い影響を与える。悪い感情はさらりと忘れる。

 思い通りに生きるという他人の権利を侵さない限り、自分も同じ権利がある。

 自分が抱いている考えで自分を責めてはいけない。自分の重要な一部分として受け入れる。

 他人から期待される人生ではなく、自分の望む人生を歩むことが大切。自分のやりたことをやる。

 ポジティブな人とつきあい、ガティブな人を避ける。自尊心を高め自分がもっと幸せになっていいと認識する。人生のネガティブな側面について考えない。

 自分は毎日ポジティブなことをしている。自分の長所に目を向ける。

 相手にどう思われるかより自分が相手をどう思うかを自問しよう。自分のことばかり考えなければ愉快な人と楽しいひとときを過ごすことができる。

 友人は慎重に選ぶ。正直で誠実で信頼できる人、あなたの価値を認めてくれる人。いい友人を作れば、成功を分かち合ってさらに楽しむことができる。

 心をポジティブにプログラムし直せば人生の多くの面を改善できる。

 現状に悪い面があっても、いい面を探す。

 人が他人をバカにするのは、自分の情緒的な問題を覆い隠すためだ(自分の基準をもとに違っている相手をバカにして優越感に浸ろうとするが、そもそも自分の基準なので間違っている事が多い。相手に精神的苦痛を与えると自分の苦痛が減るような気がする。自分がバカにされると深く傷つくが、相手は自分ほど精神的苦痛を感じないと勝手に思っている。)ということを理解しよう。

相手をバカにする人に対しては、言い返さず微笑めばいい。

 異文化を学ぶことほど知的好奇心を刺激する楽しい経験はない。

 長期的な目標を持ち、それを達成することで人間的に成長できる。長期的な目標をもとに人生設計する。

 どうにもならないことに怒っても仕方ない。

 自分を哀れむ気持ちに根拠があっても。ますます弱く感じるだけだ。自分の問題を人のせいにするのではなく、自分には何ができるかを考える。

 幸せとは、我を忘れて何かに没頭している時の感情だ。

 すべての人に好かれる必要はない。

14.04.06

小麦は食べるな!  ウイリアム・デイビス 著
  
 1985年アメリカ国立心肺血液研究所による全米コレステロール教育プログラムが発表されました。「脂肪を減らしコレステロールの摂取量を減らしその分を炭水化物のカロリーにしましょう」という提言です。体重統計によるとこの年を境に肥満と糖尿病が爆発的に増加したことが記録されているとのことです。
 小麦の何が悪いか・・・一つには小麦のアミロペクチンAは砂糖並の血糖値上昇とをれによる肥満を引き起こすこと、もう一つは品種改良により変化してきた小麦グルテンが引き起こす様々な症状とのことです。 アミロペクチンなら米やその他の炭水化物を含む穀物も共通しているので、炭水化物を取らずこれに替えて、タンパク質や脂質によるカロリー摂取に置き換えることをこの本は薦めています。 
 小麦グルテンに対するアレルギー反応は人口の1%に見られ小腸の内壁破壊などによる腹痛と激しい下痢と体重の継続的な減少の他、皮膚疾患、肝臓疾患、自己免疫疾患(関節リューマチ、ぜんそく、全身エリマトーデスなど)、インスリン依存性糖尿病、神経障害、栄養失調など実に多様な症状が発生する為、原因不明とされセリアック病と診断されるまでにかなりの年数を要されることがおおいとのことです。それが小麦摂取を絶つことで見事に改善するとのことです。 多くの人が発症する過敏性腸症候群(人口の5〜20%)や逆流性食道炎ともセリアック病の軽度の症状であり、小麦抜きの食生活で改善されるとのこことです。 ホンマカイナ・・・

 それでは、小麦抜きの食事とはどういうものでしょう? これは現在の加工食品のほとんどに小麦が使用されていることから、工夫が必要です。野菜・ナッツ・肉・卵・魚・オリーブ・チーズといった感じで、小麦を抜くと痩せていき、お腹はペタンコ、中性脂肪は減り、善玉コレステロールは多く、血糖値と血圧が正常になり、元気でよく眠れ、腸の機能が正常になるとのことです。 そして、小麦を絶つと、満腹と空腹が交互にやってくるブドウ糖ーインスリンの上下に悩まされることなく、長時間の断食を苦もなく続けられるとのことです。それは、昔は狩が失敗したり自然現象によって何日も空腹に耐えなければならないことがあり、人間が断食に耐える力があることが自然であり、数時間何も食べないだけでカロリーを欲するほうが不自然とのことです。 実際に炭水化物をゼロに続けるのは難しいので、グルテンを含まない米や果物も制限しながら摂取しながらの食事法が示されていました。

 試しに、本日の昼食を近所のコンビニに買いに行きましたが、これが恐ろしく小麦使用食品のオンパレードで買うものが本当に限られていました。買ったのは、水分としてジャスミン茶、チーズ、アーモンドのみ・・・これは結構むずかしい・・・
 

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14.01.28

銀河鉄道の夜  宮沢賢治 著
 

 銀河鉄道の夜は嫁も子どもの頃読んだという超有名童話ですが、私は初めて読みました。。 
 読んでみて、これは義務教育くらいの子どもが読んで理解できるのだろうか? これは、大人じゃないと理解できないんじゃないかと思います。妻にこれ読んでどう思った?と聞いても「覚えていない」といいますから、大人の雑学がないと頭に入ってこない気がします。

 ジョバンニとカンパネラが銀河鉄道に乗っていろいろ体験して到達した結論「・・・僕はもうあのさそり(さそり座のアンタレス)のようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」に集約されることは明確です。
 銀河鉄道に乗ったカンパネラが実は友達を助ける為に水死していたこと、タイタニック号の沈没時に子どもを押しのけるのを躊躇して救命ボートに乗らずに水死した人たちが乗車してきたり、乗車した女の子がしたさそりの話「・・・他のモノの命を奪って生きてきたサソリがイタチに追いかけられ、逃げて逃げて井戸に落ちて溺れかけているときに「どうして私は私の身体をだまってイタチにくれてやらなかったろう。そしたらイタチも一日生き延びたろうに。・・」」と、ひとの幸いを考える部分が随所に書かれていました。
 キリスト教的な記述が随所に見られますが、様々な書評にあるよう銀河鉄道の夜の本質は仏教的あるいは日本人の宗教観に根ざしたものであると思われます。日本人だから読んだ後に感銘を受ける気がします。 
 キリスト教的な記述はこの結論へ導く為の装飾あるいはツールと感じられました。

 また、「星巡りのうた」がどこに登場するか期待していましたが、星巡りの口笛が時々吹かれる程度で少しがっかり。。

PS 私がこの本を読もうと思ったきっかけは、映画「あたたへ」の中で歌手田中裕子が高倉健の前で何度か「星巡りのうた」を歌い、その歌が頭の中にずっと残ったからです。
 映画「あたたへ」の中で佐藤浩市は、漁師をしており多額の借金をかかえてしまい妻子のために借金を返済する為に荒れた海に漁に出て戻らなくなって行方をくらませて死んだことにしてしまう南原という男を演じていました。 妻はその保険金で借金を完済することができましたが、南原は死んだことになっており2度とふるさとの妻の元に戻れない・・・この映画には、随所に自己犠牲について考えさせるところがあり、「銀河鉄道の夜」に相通ずる部分があるように思います。 そのイメージが「星巡りの歌」により何度も思い出されるようになっている気がします。


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13.08.27 海の魚大図鑑  隔週刊つり情報編集部 編集   石川著  


 
この本は2〜3年前から書店に並んでいましたが、釣り人が第一に使用する週刊釣りサンデー編集「さかな大図鑑」と重なる部分が多いので、今まで購入せずに居ました。 週刊釣りサンデー編集「さかな大図鑑」を買った人は、多分次のステップとして、最終的に魚関係の人が最後に行き着く「東海大学編集の図鑑」に落ち着くのではないでしょうか。
 図鑑に書評とはこれいかに?と思われますが購入して一通り読んでみて、隔週刊つり情報編集部編集「海の魚大図鑑」と週刊釣りサンデー編集「さかな大図鑑」とでは、大きな違いがあったのでここにメモしておきます。
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 両方の本を並べてみると、「さかな大図鑑」はA4版で447ページ727種の魚が掲載され居ますが、「海の魚大図鑑」は一回り大きくて本の厚さは厚いですが399ページ約600種です。「海の魚大図鑑」の方が明らかに良い紙を使っていますが、価格はほぼ同じでした。
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 さて、肝心の中身ですが、これが比べるとかなり違いました。 「さかな大図鑑」は発刊当時センセーショナルで、当時かなりの力を注いで作られた本であり、これを上回る本は出るのだろうか?と当時思いました。約25年間これを上回る図鑑は出版されませんでしたが、あえて「海の魚大図鑑」が出版された意味をウッカリサガゴを例に見てみます。

 「さかな大図鑑」は基本的に一つの魚に一つの写真で、その写真を見て直感的に魚を同定するものでした。写真だけで解る魚もいますが、同じ仲間の魚で細かい説明もなく写真だけで直感的にわからない魚が沢山掲載されていました。 
 ↓はウッカリカサゴのために1枚だけ「さかな大図鑑」に掲載された写真です。カサゴとウッカリカサゴの違いの説明がされている訳でなく、私はある人にBBSでカサゴとウッカリカサゴの特徴を指摘していただいて初めてその違いが解った経緯があります。
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ここからは、「海の魚大図鑑」の中身です。
先ずは、カサゴ類はひとまとめで掲載されており、その最初のページは各カサゴ類の小さい画像とともに生息する水深範囲や状況イメージが載っていました。そして、まずはカサゴが始めに来て・・・
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次のページ左はカサゴの形態変異、右のページはウッカリカサゴとその特徴・・・
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↑のページを細かく見ると、ウッカリカサゴの一番の特徴として「暗色に縁取られた白色斑点が散る(背側が明瞭)」との記述があり・・
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さらに、よりこのことがはっきり解る個体を用いて、重ねて解りやすく説明があり・・・
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さらに、胸びれの条数の数え方とともに、ウッカリカサゴでもその条数に変異があることを説明し・・・
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次の見開き2ページ分でさらに、カサゴとウッカリカサゴの違いと個体変異画像を掲載しています。見開き一番上の大きなウッカリカサゴは老成魚で斑点が解りにくくなることを説明。 その下3列に分けて、左がカサゴの形態変異、右がウッカリカサゴの形態変異、真ん中がカサゴとウッカリカサゴの判別が難しいタイプの変異・・・とこれでもかと言うほど、実に解りやすく細かく時に視覚的に時に判別が容易な特徴を専門的になりすぎず掘り下げて釣り人にウッカリカサゴを説明していました。。 
 釣り人として、ウッカリカサゴとカサゴを見分けることは、その大きさも違うし、味も違うので重要な情報です。 これら釣り人に必要と思われる判別ポイントを徹底的に解説している部分が25年前に出版された「さかなの大図鑑」との大きな違いでした。 「さかなの大図鑑」はグラビア的ですが、「海の魚大図鑑」はより図鑑的に目的の軸が設定されているようです。
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 しかし、どこに焦点をあてるかは、結構作者の意志が強く出ているようです。例えば、オハグロベラになんと、見開き2ページ分も割いています.。
 しかも、魚の食味がなんと四つ星・・・、一方「さかなの大図鑑」の評価は一つ星、私の評価は一つ星未満です。 味の特性ではなく食味の評価ですから人それぞれ嗜好性が違うので仕方がないと言えば仕方がないです。 
 しかし、前出の「さかな大図鑑」の凄いところはほぼ全ての魚の食味を評価して星をつけているところです。これはこの本が出たときに写真以上に驚いたことで、これほど多種の魚の食味を記した本は今も昔もないのではないでしょうか。。一方、「海の魚の大図鑑」は掲載されている魚のうち1/2〜1/3程度しか食味の評価がされていません。 これは、いかにも前出の図鑑に比べて弱い部分です。
 私が図鑑を買うならば、この食味部分をカバーする為に「海の魚大図鑑」と「さかなの大図鑑」をあわせて持っていたいです。
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私は、結構ハチビキが好きであり、やや異質に感じたのがこの部分・・・・私がハチビキを釣るのは、志摩沖・熊野灘ですが、秋冬春夏といろんな季節にいろんなサイズのハチビキを釣って食べてきましたが、一番脂が乗っているのは梅雨くらいで、一番脂が乗っていないので秋でした。これは多分産卵に関係していると思われます。 ネットの皆さんがよく検索に使うぼうずこんにゃくさんの魚図鑑では「産卵は夏くらい、冬から夏に脂が乗る」と出てきます。私も全く同じ感想ですが、「海の魚大図鑑」には秋の大型は美味とあり、う〜んという感じです。
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一人の名人に編集を任せすぎている気もしますが、それ故の釣り人にとってありがたい経験則も特徴です。例えば「アラ」の棘に毒があることは大半の図鑑には掲載されていないが、棘に触れると激しく痛むこととその棘の位置なども掲載されいました。さらにガシラの棘に弱い毒があることなど自分が料理していて感じた感触と共感できる部分もあり、なかなか奥深い図鑑でした。。。
13.05.29

医者に殺されない47の心得  近藤誠 著
 

 以前の書評日記にも書いた近藤氏の本である。近藤氏は「患者よがんと闘うな」など、日本医学界のタブーと正面から対峙して、患者側にたった正論を述べ続けているとても貴重な医師である。 普通ならこういう医学界や製薬メーカーにとって都合の悪い人材は、圧力をかけられて追放されたりするのだが、近藤氏は慶応大学の講師として幸いにも追放されずに居る。慶応大学の医学部はなんと奥の深い組織であろうか・・

 と言うことで、医学薬学界からは相当疎まれているであろうが、なんと今回「第60回菊池寛賞を受賞」である。文学界も粋な計らいをするものである。痛快である。これで近藤氏はめちゃくちゃ抹殺されにくい人になった。
 本屋に行くと、めちゃくちゃ目立つところにこの本が積んであった。 と言うことでこの本はめちゃ売れているようだ。めでたい、幸いにもこの本を読んだ人は人生観が変わるくらいの影響を受けるかもしれない。もし、近藤氏の本を読んだことがない人はこの本を先ずは読んでみることをお薦めしたい。47の短い区切りで中学生以上の人なら実にさらさらと読めてしまう。読んでみて、さらに疑問が湧くようなら以前の詳しい著書を読めばいいのだ。

 内容は、読んでいただくのが一番だ。 本職のがん以外の例えば一般検診で始まるメタボは勿論、高血圧治療やコレステロール治療についても書いてある。これを読むと日本人は、治療という名の売薬ビジネスにまんまとひっかかっているのがよく分かる。


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13.04.27 昆虫食古今東西  三橋淳 著 


 
この本は2010年旧株式会社工業調査会から出版されたが、同社の経営悪化で一旦廃刊になったものをオーム社が2012年に再版したとのこと。 290P 1800円にしてかなり読み応えのある本である。 著者は、文献から世界各国に昆虫食を淡々とつづっており、その国の数はさっと数えただけでなんと78カ国! よくまあ、これだけ調べたモノだと驚きモノだが、実際に著者が食べたものではなく各文献で味の感想が時々書いてあり、その味評価尺度は一定ではないように思われる。 しかし、その中でも多くの国で大変美味しいと評価を受けている虫はやはり人類共通のものであろうことが推察される。

 この本を読むと、世界で共通に食べられている虫が沢山あることが解る。 ヤシオサゾウムシ類(これは、ヤシの木のある国ではほぼ共通に非常に美味しいモノとして食されている)、カミキリムシやタマムシの幼虫も美味なモノとされる。
 その他、最も広く食されている虫はバッタ類であり、足や羽を取ってローストして食されたり(エビの味と良く表現される)、それを粉にして保存しながら料理に使うなど利用されているが、エチオピアではバッタの足を除去せずに食する為その棘によって腸管を傷つけて、平均寿命が40才であるとのこと。 私もイナゴを食べるとき、足の一部を除去してからから煎り甘露煮にするよう教えていただいたが、それには根拠があるのがわかった。
 アリ類も広く食べられている。アリは蟻酸によると思われる酸味が共通した味であるようだが、その酸味は好まれて料理に使用されるようだ。
 シロアリも広く食べられている。脂がよく乗ってローストすると美味しいようだが、巨大な女王アリは特に美味しく食べられているとのことである。
 その他、蜂や蜂蜜、トンボ、ボクトウガ類、スズメガ類、ヘビトンボ類、蚊類、ウジ類、コガネムシカブトムシの成虫幼虫、セミ類、タガメ類、シラミ、等々実に様々であった。
 私は過去にテレビで鉄砲で撃たれたカリブを皮を剥がしている最中にその内皮に寄生しているウジを子供達が取り合って口に運んでいる光景を覚えているが、これはカナダのイヌイットの食文化で、噛むとぷつりと皮膚が破れ、とろりとした中身が口の中に広がり、臭みはなく甘みがあり、生のハチノコに似た食感だとのこと。

 さて、世界中で食べられている重要な虫にカメムシがある。その味や料理法はかなりバリエーションがあるようだ。メキシコでは各種料理の香り付けに用いたり、生で食べたりするとのこと。イウスキストゥス属各種カメムシはタコスと一緒に食べられハッカや肉桂に似た芳香があるとのこと。メスキートの木に発生するヘリカメムシは甘い味がし、料理の甘みとして使用するとのこと。さらに生きているカメムシをご飯を炊く寸前に加えて作るカメムシご飯もあるとのこと。
 カメルーンやスーダンではカメムシを煎って、圧搾して食用にしており、この脂はごま油より良質であったとのこと。
 中国ではカメムシ類は熱湯で茹でて臭みを取り、油炒めにしたり、揚げて食べることが多いとのことである。

 と言うことで、今年の課題はずばりカメムシ! あとはトンボかなあ・・

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13.03.03 虫食む人々の暮らし  野中健一 著 


 
書評と言うより解説ですが・・・私は自分の趣味の為にこの手の本を沢山買っています。 突然、こういう本をどうして取り上げるかと言いますと、久々にうきうきと好奇心が溢れて嬉しくなったためです。

 昆虫食は日本を含め、アジアやアフリカで広く普及している食文化ですが、近年 昆虫料理研究家である内山昭一氏の精力的な活動によって、日本国内に昆虫食の文化が広く知られて昆虫食を楽しむ人がどんどん増えているようです。
 虫食む人々の暮らしには世界の主要な昆虫食が紹介されており、そのかなりメジャーなものをどういう理由か内山氏がほとんど紹介していないものがあり、かつ非常に興味がそそられるものが2つありました。

 その一つが、広くアフリカに広がり流通しているスズメガの幼虫(本文ではエビガラスズメとしています)です。 スズメガの幼虫は指でしごいて内容物を出し、幼虫は干されて乾燥した状態で、国を超えて流通しているようです。ギュノーと呼ばれるモノです。ギュノーの品質は内容物のしごき方が不十分だと不味いとのことです。 私は、これを見てエビガラスズメの幼虫を探していましたが、庭にセスジスズメの大きな幼虫がいたので食しました(今月のお気軽情報・行動 参照)。 このように、この本は私の行動に大きな影響を与えています。
 もう一つは、アジアやアフリカに広く食されているカメムシ食文化です。 この本を読むと有名なタガメでは無く、ごく普通のカメムシが高級食材として流通しているようです。 しかし、日本にカメムシを食す食文化はありませんし、この本を読んだ時点でHP検索しても誰も好きこのんで日本のカメムシを食した記事はありませんでした。 私はとても興味を持ちましたが、この本の中にはカメムシの臭い取りのため、カメムシの中に熱湯を注いでかき混ぜる画像が出ていてそれが非常にハードは作業だと紹介されています。 その後、茹でてよく干されて流通するそうですが、下処理したあとのカメムシは脂っこくさくさくして臭くなくバターピーナッツのような味で嗜好品としておやつや酒のつまみにされたり、食材にされたりするとんことです。
 このカメムシ食に非常に興味があり今まで何度も食べようかと思っていましたが、あに臭いが少しでもすると私はゲロがでそうになりますので、どうしても行動に起こすハードルが越えられませんでした。  しかしです。。。先日久々にカメムシ食を検索したら、ぼろぼろとヒットするではありません!おお! どなたかが、メジャーな広報を行ったようです。 検索していく中でこのようなプログにはとても綺麗なお姉さんがニコニコしながら美味しそうにカメムシを食べて居るではありませんか!! これは尻込みしているわけにはいかない・・あのカメムシを食べるぞ!と食べたい!と思うととてもわくわくドキドキで好奇心がふつふつと湧いてきます。と言うことがきっかけになって、昔読んだこの本を紹介せずにはいられなくなった次第です。

 この夏はカメムシ食いまくるぞ〜!!!

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↓エビガラスズムメの糞だしとして紹介された画像
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↓高級食材と紹介されているカメムシ・・・アオカメムシの仲間かな?
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↓私にカメムシを食べることをためらわせた画像・・・カメムシに熱湯を注いでかき混ぜる作業
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↓ガイドの若者がクモヘリカメムシ(カメムシの中でもハードな臭いらしい)を生で食べる画像
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12.1.14 30年ぶりに小説を読んだ 「センセイの鞄」川上弘美


 
私が小説を読むことは非常に希だ。 何故なら、私は事実を知る為いいろいろ本を読むが、小説はある人間の妄想であるからだ。 従って、私が小説を読むときはよほどの動機付けがあってのことだ。 前回、小説を読んだのは確か30年前の学生時代・・・好きだった女性が小脇に抱えていた「しろばんば 井上ひさしだったかなあ・・」である。
 今回、この本を読んだ動機は、あるきのこブログに紹介されていたからだ「市で茸売りの場面・・・子供が、このキヌガサタケ美味しそうだから買ってと母親にねだるシーンがあるとか、恋愛小説なのに茸狩りのシーンが出てくるとか」何か、くすぐるものがあったからだ。
 谷崎潤一郎賞受賞というだけあって、アラフォ-の女性と70才くらいの昔の国語教師男性との恋愛ものである。。 話は結局、ふわふわと浮遊感があるようなものが恋愛になっていき、小説のほぼ最後のページでやっと合体しておしまい・・・という、本当にどうでもいいような筋であった。
 茸のシーンが最初に出てくるのは、市でさくら役の子供と母親が居て、その子供が「この美味しそうなキヌガサタケを買って」と母親にねだるシーンだ。。市でキヌガサタケのような珍しい茸が売っているのか??しかも子供がキヌガサタケを買ってと言うか??と、つっこみどころ満載である。
 次の茸シーンは、主人公の女性と男性が行きつけの飲み屋の主人に茸狩りに連れられるところである。 目的の茸は「モダシ(ナラタケか?)」であり、茸を採ってその場で茸鍋にするのだが、そこで2つの神経毒のきのこの話が出てくる。 一つは主人公の男(奔放な妻が50才の時家を飛び出して一人暮らししている)の回想シーンを皆に話すところである。 男は昔、妻の主導で息子と3人で毎週ハイキングに出かけていたが、ある時妻はワライタケを採取してそれを食べると言い出した。妻は常時茸図鑑を携帯しており、採取したワライタケを男と息子が止めるのも聞かずに山で食べてしまった。男と息子はあわてて妻を下山させて直ぐに病院に連れて行ったが、妻は意志とは関係なく笑い続け男と息子に多大な迷惑をかけた。 そして、自由奔放な妻は50才になって家を飛び出した。。妻が週末には男と息子を連れ出してハイキングに出かけて、ワライタケを食べてしまうと言う話は、現象としての幸せを追い求める妻の行動として理解できなくもない。。だが、その奔放な妻は出て行って戻らないという悲しい現実が、きのこ狩りの山に暗い影を落とし始めた。
 最後の茸シーンは、暗くなる雰囲気をかき消すかのように、茸狩りに誘った飲食店の主人がリュックから乾燥茸を取りだして、それを食べながら酒を飲み始めた。そして男と女にその乾燥茸を食べるように勧めたのだ。 男が主人にそれは何かと聞くと「ベニテングタケだよ」(おーーー!ベニテングタケが出てきたか!これは美味いぞーー)と言った。男はぎょっとしてベニテングタケは猛毒であるとうんちくを述べ始めた(猛毒じゃないよ。。。)が、相変わらず主人が食べ続けているのを見て男も食べ始めた、そして女も食べ始めた。そして楽しい雰囲気になった。。意味深である。

 ということで、どうってことない話であった。 

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10.08.24 「生」と「死」の取り扱い説明書  苫米地英人 著


 本屋に並んでいたこの本は、文章量が少ない割に、なんて高い本だろうと思ったが、この作者に非常に関心があったのでの本を買うことにした。
 題名で買ったのではないのだが、この題名にしては驚くほど読みやすい本であった。本質を実にわかりやすい文章で簡潔に書いてあり、著者はよほど頭の良い人なのだろう。 複雑な理論をそのままロジスティックに書いていくのは簡単だろうが、この重い命題に対して気持ちよいほど無駄なくわかりやすく書かれていることに、読み終わった時点で驚いた。
 生と死について書かれているのだが、この本の本質は、同じくらいの重さで書かれている「恐怖」による人心支配の項目であろう。

 本は、最初の方でのらりくらりと仏教のことから始まる。作者は日本に仏教が伝わる以前の釈迦の教えから今の日本仏教の矛盾をさくさくと綴っていく。仏教というと輪廻転生、地獄極楽、般若心経、葬式にお坊さんのイメージを連想させるが、それはことごとく間違いであることを指摘している。釈迦はバラモン教のカースト根拠である生まれ変わり倫理を完全否定している。釈迦は僧侶の世襲を禁止し、そのために妻帯禁止し、葬式に僧侶が行ってはいけないと言ったとのこと。これは、僧侶が権力から最も遠いところにいなければいけないと言う意味である。葬式というと坊主の図式がある日本の風習を強烈に風刺している。般若心境の最後にはマントラ(呪文)が書いてあり、これはマントラを禁じた釈迦の教えとまたしても正反対である。

 なぜ、マントラがあるのか?なぜ地獄があるのか? これはこの本の最後の方に出てくる「恐怖」を利用した人の支配につながっていく。「恐怖」は人心を支配する最も強力なツールであり、もし「あなたが何かに恐怖を感じているならば、それは誰かがあなたの心を誘導しようとしている可能性を考えてみる必要がある。」とのことでる。霊感商法は、「この壺を買わなければあなたに不幸が訪れる」といういわれのない恐怖を植え付けることで、人身を支配している単純な例である。
 地獄と天国は、地獄による「恐怖」と「天国」のあめを組み合わせて人心を支配する方法で、洋の東西を問わず使われるツールである。呪文も恐怖感じさせるツールである。
 人は恐怖を植え付けられると、他人に支配されやすい状態になってしまい、これがストックホルムで起こった銀行強盗事件に例えて「ストックホルム症候群」と呼ばれる。

 この本はきっぱりと「宗教はすべて妄想である」と言う。宗教が語る死後の世界や考え方が妄想であるのは、生きている人で死後の世界を見た人は誰もいないからとのこと、、臨死体験をして死後の世界を見た人も妄想であり、本当に死後の世界を見たのなら、生きて戻ることはない、との理論だ。 だが、妄想だとわかっていて受け入れるのは「死」への恐怖が和らぎ心の整理がつくのであれば有益とことだ。さらに理論は「死」そのものも妄想であると飛躍していく。 

 この本にはもちろん「生きる」についても少しだけ書いてある。何故人間は生きるのか?その本質は「生きるために生きる」わけだが、作者が言う機能という視点が加わると「何のために生きるのか」という命題に新たな視点が加わるとのこと。「自分で何をすべきかの機能を決めなければ、自我が存在しないのと同じであり生きていないのと同じである。親やTVが自動的に機能を植え付けてくれれば、自分は何もしなくても自動的に生き、時が来れば自動的に死んでいく。それでもよいのなら何も言うこと無いが、自分の果たした機能の航路が後世の人に影響を与え自分が生き続ける。いま、生きている瞬間だけが、自分の宇宙(自我)を消さない為のチャンスの瞬間なんです。」と結んでいる。 

 話は戻って、この本の本質と思われる「恐怖」についてである。 「恐怖」は猿が蛇を怖がるようにDNAに組み込まれたものもあるが、「いわれのない恐怖(なになにできなければどうしよう・・・とか)」はそもそも恐怖することが無駄で、「いわれのある恐怖(明らかに危険が迫っている)」はその恐怖の理由を取り除く努力をすればよい、と簡単に書いてある。
 しかし、あらゆる恐怖についてそんなことはまやかしであるとし、完全な無神論になったとし、その状態で強烈な恐怖を仕掛けられたらどうであろう?かえって、何かの宗教を信じていた方が、新たな強烈な恐怖に対して心がブレイクしないのではなかろうか? 

 この本は、題名が示すとおり生と死についても勿論簡潔にまとめてある。この少ない文章量にして、いろいろ考えさせてくれる本だと思う。嫁に読ませたいが、仏教の否定の部分で拒否反応が出るかもしれない。

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10.02.07 老化を受け入れるこころ

 50才を前に身体のあちこちが壊れてきた。
 目が見えにくいので眼科に行ったら、老眼と言われ、ついでに緑内障とも言われた。眼圧を低下させる点眼薬をつけてると副作用で常時充血とドライアイ・・・これは耐えても本やPCを2時間も見ていると著しく視力低下してしばらく車の運転が出来ないので不便だ。しかし、緑内障が進むと全く運転はできないので、そうなるまでの時間を引き延ばす為に点眼薬は必要なのである。車が運転できなくなると、沢山のことを捨てなければならない。
 40才くらいの時に、両膝を痛めて少し無理をすると水が溜まるようになり、少しジョギングしても膝が痛む。私はこの当時冬山に登ることが一番の楽しみだったが、山登りの趣味を捨てた。それを埋めるかのように芝にのめり込んでいった。 
 老化とは、ゆっくりと死につつある過程と思う。 その過程で、捨てなければならない状況が増え続けていく。。これを、病まずに受け止めていくことが、健全な老化と私は考える。

  がんも代表的な老化現象である。後述する書によると、昔は目視的に機器でがんを見つけられなかったので、それは老衰と言う言葉で安らかな死を迎えられたが、今はそれを見つけてしまいやらなくていい治療をやってしまい、延命効果もなく苦しみ抜いて死んでいく・・・そんな理不尽なことが・・・
 ブログ「異端医の独り言」より抜粋<癌の自然史からみたガン検診の無理>に簡単にエッセンスが書いてあるが、固形癌は機器で見つかる初期癌と言われるときは既に癌の自然史から言うと末期癌なのだ。この時、転移する能力のある癌は目に見えないだけで転移しており、転移する癌は最初から治療不能なのだ。 大部分の癌は転移しないので、不幸にも早期発見されてしまった癌はリンパ郭清までしてしまう大規模削除が行われて、手術をうけてしまった人は大変な苦痛を味わってしまう。

 そのような、医学や製薬会社の暗部を示しつつ、実際に各種のがんになったときにどのような対処をすべきかを、理論的に示した書物が(近藤誠 著、がん治療総決算)である。 この書物には固形癌治療を行う医師にとって大変都合が悪いことが書いてあるが、これに対して理論的に否定できる人はいないとのこと。。つまり、本当のことが書いてある。
 老化を意識したころ、もしこの書物を読んでいない方にはお勧めの書物と思う。 固形癌は病気でなくごく普通の老化現象なのだから。

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