こころの日記


10.7.17  神経性胃炎
 相変わらず、毎日訳のわからない人から訳のわからない電話がかかってきて、その処理に振り回されているが、不思議なことにまだ標準量の薬でやっていけている。 やはり、今の職場は通勤距離が短くて、残業も今のところ少なく、家族とふれあう時間ががたっぷりとれるので、癒されているのだろう。
 3日前、訳のわからない金融業者からの要求で訳のわからない会議をひらく羽目になったのだがこれは罠だった、この人間がとんでもない人間で、さらに訳のわからない会議を開かされる羽目になった。 「それは、あんためちゃくちゃ違うだろう!」と心の中でさけび続けたが、相手は確信犯なのでなんとも後味が悪い。
 次の日は、朝起きてなかなか車に乗って仕事場に行く気力が湧いてこない。 多分しばらく時間が経過したら、出社できるだろうと朝、TVの前で嫁と話していたら、やっと車に乗れる状態になって、2時間時間休をとるだけで済んだ。しかし、その晩である・・・晩ご飯を食べてくつろいでいると、徐々に胃が痛くなり、先ずは正露丸を飲んだが効かず、パンシロンを飲んで寝たが、2時頃胃の痛みで目が覚めて、これはいかん!と思いガスター10を呑み約1時間じっとしていたら、何とか痛みが薄らぎ朝までうとうとすることができた。 そのまま、朝出勤したが、胃の痛みに加えて腰が痛み(胃の痛みに伴腰痛だろう)、何とか夕方まで机の間に座っていたが、身体はふらふらで体調悪く、時間休をもらって帰った。
 私はこれほど胃の痛みに苦しむことは少なくて、食べ物にも心当たりがないのだが・・・考え直すと、まんまと策略にはめられた金融業者との一件であろう。。まだこれからいろいろ続きそうで、これがそれだったのか・・・・
 精神的に緊張していたようだ。これが原因の神経性胃炎だと確信した。 私は神経性胃炎というのになったことがないので、全然原因がわからずおたおたしていた。 今日は、休みなので心が解放されたのか、嫁も起こさず、起きたらお昼だった。気がつくと胃の痛みと腰の痛みが無くなっていた。 ゆっくり心身が休んだので心と体がリフレッシュしたようだ。 
 今日は、天気も良いがジギングに行かず、完全休養日として、好きな庭仕事を一心不乱にやって完全に神経性胃炎から解放された。

 私は、ストレスがあるとひたすら沈むか不安になるほうだが、これが世間でよく企業マンがなる神経性胃炎なんだ・・ノルマの連続の職場にいる人はこんなものと、戦っているんだなあ。。
10.4.28  夜中に何度も目が覚めて、起きれば仕事のことが頭から離れないので気分はあまりよろしくないが、4月中標準量の薬で乗り切ることが出来た。従って、車の運転もばっちりである。
 しかし、今度の仕事はきつい・・・ほとんど残業していないのに家に帰ると心身ともぼろぼろだ。毎日、いろんなところから電話がかかってきて、自分が何をやっているのかさっぱり解らない。。 今までは、自分の習得した技術を単純に活かす仕事だったので楽だったが、今は毎日やっていることが違うし理解できない。。いろんな人間と話していろんなよこやりが入ってきて、結局何をやっているかよくわからないので、非常に疲れるし、心が安まることがない。 
 仕事の内容がかわり、量も徐々に増えてきて、自分なりの最大馬力で訳のわからないことをこなしている気がするが、薬が標準量でやっていけているのは、自分でも不思議な感じだ。 これからも、標準量でやっていきたいものだ。

 ある人に言われた「決まった技術で仕事できれば楽だよなあ〜。。でも毎日訳のわからないことをこなしていく仕事の方が一般的なんだよ。」・・・なるほど。。研究や技術指導は本当に楽なしごとだよなあ・・・とそれから離れてつくずく思う。
10.3.19  不確定要素が増えると、抗不安剤の量が増える。。せっかく減薬してきたが、また2倍量を飲まなければならない。いつまで2倍量が続くやら・・・はあ〜
 眠くて反応が鈍くなるので、車の運転に最大限注意を払わなければ。。通常量になるように早く心を順応させるしかない。事故しないように自分の身は自分で守る。自分の為に家族の為に・・・切り替え切り替え。。
10.2.17 妻に感謝

 昨日、仕事でこころに引っ掛かることがあって、今日は朝3時に目覚めて眠れなくなってしまった。 5時ころ、今日は休暇をとろう決めてからは、ぐっすりと眠ることが出来た。 昨日の夕方、上の娘が急性中耳炎になりその休養の為、今日は娘と妻と私が家にいる。家族とゆっくり過ごす幸せを満喫する為に、今日は一度も外に出ずに3人でTVを見ながらまったりとしていたのだ。何という幸福感・・・。 
、私は通常量の半量に減薬を今まで続けていたが、今日それを通常量に戻し、心の圧迫感が徐々に少なくなってきて、いい感じだ。我慢して減薬を続けることはない。 また、心が安定したら減薬にチャレンジしたらいいのだ。

 私は夢を見た。 自分の部屋から外を見ると、私が安らぎを得る為に創っている芝庭が広がっているのだが、窓から外をふと見ると、何故かそこは中古車で埋め尽くされておりその先に行き止まりの海が見える。私は驚いて、妻を呼びに行って一緒に外を見るともとの芝庭になっていた。ここで目が覚めた。
 朝、妻に昨日感じたいやなことや、夢の話をしたら、うんうんとうなずいて、「仕事をやめてもいいんだよ。何とか私が働くから・・」、妻が働いても今の生活を維持できるわけはないが、嬉しくもありありがたくもあり。。 こんな時、私は妻に心から感謝するのである。
 30年以上前から私の頭の中には、いつも兄の存在があった。結婚しない人が沢山いるが、皆何らかの理由があるから結婚しないのである。私の場合、兄の存在であった。全く結婚する気がなった私だが、35才になって何かに動かされるように急に結婚する気力が起こり、5年間ほったらかしにしていた今の妻に連絡をとったら、まだ私を待ってくれていたのだ。 直ぐに結婚して、妻が私に言った「あなたの兄のことまで面倒を見るつもりで結婚したんだよ・・・」、これで私の兄の重りの半分くらいは吹っ飛んだ。私は救われたのだ。言葉にできないくらい妻に感謝している、、、それで私は妻を大切にすることを最優先にしようと決めたのだ。

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  さて、どこかのブログで感想が書いてあった、この本を本屋に買いに行ったら、なんとベストセラーの本であった。 題名からして、中高年がいかにも読みたくなる本だ。 妻が気ににいってしまい先に読まれてしまった。 今日、読んだら、考える部分もなくポイントも大きく3時間くらいでするり読めてしまった。。題名ほど深みは無いような・・日常を泥臭くなくさらりと書いてあるので、題名ほど重くない本だった。本の中で私をとらえた部分はP77−78(25話のうちのひとつ:感情に振り回された一生を過ごしたこと より)は、

<引用開始>
患者のことば「つまり、私がこれまでぶつかってきた障害なんて、実はたいしたものではなかったということです」
「そうです。死ぬことからすれば、そんなことなど、泣いたり怒ったりするほどのものではない」
「あれこれ心を惑わせすぎたような気がします。今のこの心境をもってすれば、もっと冷静にいられたものを」
「だって誰もが天に帰るのだから。誰もが土になるのだから。皆同じ。それを知っていれば、私はもっと穏やかに生きられたと思うの」
感情に振り回され、特に否定的感情にとらわれたまま生涯を過ごせば、残るのは後悔ばかりである。冷静な心の先に、笑いを見いだすことが出来れば、後悔は少ないに違いない。
<引用終わり>
 この引用を見直すと、私の書いていることは所謂鎮静剤の部分ではないか。。。
 これと同じように、あるブログから時々読み返す部分がある。チャップリンの生涯より・・

<引用開始>
チャーリー・チャップリンはここで父と母ルーシーと義兄のシドニーと一緒に生まれ育った。父はボードビリアン 母はもと舞台歌手 歌手といっても後ろのほうで歌う歌手であった。客はチップをはずむかわり父は毎日浴びるように飲むのが芸人としてのしきたりであった。父はアル中となり働くことが困難になった。母は最期の財産である中古のミシンでかろうじて裁縫によって生計を立てていた。

しかし家賃の支払いにも事欠きついに,ミシンが無常にも大家によって没収された日,チャップリンが学校から帰ると門の前で,女の子がさけんでいる。Your mother's gone insane.あんたんちのお母さん気が狂った.......気が狂った。

それが嘘ではないことはすぐに確認できた。 その後チャップリンは米国で成功し母も引き取り看護人付きの邸宅をあたえたが,元の母に戻ることは二度となかった。一度チャップリンは生まれ育った故郷のKennington Roadにある3Pownall Terraceの古びたアパートを訪れ外から感慨深げにニ階の287号室を眺めながら,回想する。母が病院で自分に言ったことをーーーもしあの時午後の暖かいティーとクッキイがあったら,今でも元気だったのに。チャップリンの目に涙があふれた。

あの頃起こったことは夢で,今の生活が現実なんだ。チャップリンは街の灯など無声映画を最後にトーキーへの転換を模索していた。そして最高傑作の「Limelight」が完成した。

アパートの設定は昔懐かしい故郷の家だ。ガス自殺を図った一階の女性を救い出し自分の部屋で介抱する。自分はもう売れない過去のコメディアン「カバレロ」。彼女は一流劇場のバレリーナ しかしショックで歩くことが出来なかった。偶然自殺未遂を救ったテレーズにチャップリンはいいます。

「人生に必要なものは勇気と想像力と少々のお金だ。生き,苦しみ,楽しむんだ。生きてゆくことは美しく素晴らしい。 死と同じく生も避けられない。宇宙にある力が,地球を動かし木を育てる。君の中にあるのと同じ力だ。その力を使う勇気と意思を持つんだ。 おやすみ テレーズ  ................

<引用終わり>
10.1.12 元気をもらった メモメモ

 今日は仕事がらみでNLPの河内優一先生のカウンセリングに同席することができた。楽しくなった。 
、うつむいて悲観的な状況なぜ?なぜ?と答えのでない自問自答を続けていると、誰でも鬱になってくる。 上を向いて拳を振り上げピンチをチャンスだと言い続けていれば、やがて楽しかった時の精神状態が心によみがえってくる。(上を向いて歩こう・・・の歌詞は言い得て妙である)、そこにいる自分が見えるくらいの目標(夢)(問いかけ)をいつも頭で考えよう。目標を考えずに何もしないことが一番いけない。
  答えは必ず自分の中にある。既成概念がじゃまをしていて目標や行動を阻んでいるだけだ。一つの物だけを見てそれに束縛されていないか? 自分の答えは自分が一番よく知っている。他人から答えを与えられることばかり考えていると、何故?が頭をもたげる。答えは必ず自分の中にある。
 与えられている状態が当然と思ってはいけない。当然と思うと、違う状態になったとき悲観から答えのでない自問自答を繰り返してしまう。今の状態に「ありがとう」と言おう。 朝起きたら死んでしまっている人もいるのだ。朝起きる事が出来たことに感謝! 仕事が出来る健康状態に感謝! 
 30分歩くと(有酸素運動をすると)ドーパミンがでて、60分続けるとセロトニンがでる。歩くことは、身体の為であるが心の為の方が大きい。歩ける身体に感謝! そういえば、膝が丈夫だった頃、山歩きを30分もしているとすがすがしい気持ちになるのを思い出した。 極寒の冬山でラッセルしながら心はハイだったことを思い出した。

  感謝×感謝×感謝
10.1.11 芥子色の季節

 今日、久々にカラオケに行って心の底から楽しんだ。 最近、楽しいという感情を味わったのは、クリスマスのジギングでワラサをあげているとき、年末にこころのおける友達と長時間しゃべったとき、正月のジギングでドラゴンタチウオをあげているとき、そして今日のカラオケである。 冬はだいたい心が常時重くて息苦しいことが多いのだが、今年はその息苦しさをほとんど感じないので今のところいい感じである。 しかし、楽しいという感情はなかなか味わうことが出来ない。 抗うつ剤の量を増やせば楽しいという感情は出てくるが、それでは副作用の体重増加が出てくるので、これをやれば楽しくなるだろうと思うことをやり続けるしか方法はない。
 カラオケは最も簡単に私が楽しいという感情を享受できるものである。 ここで、ふと死んでしまった兄のことを思い出した。兄は無趣味で楽しみは酒とカラオケであった。 私は多趣味であり、当時の兄の非生産的な楽しみ方を軽蔑してカラオケに行くことを拒み続けていた。しかし、私が今、いろいろな趣味(新鮮な発見と好奇心)に飽きてしまって、ふと我に返ってみるとカラオケが実に楽しいのである。
 兄は私以上にかなりきついこころの薬を飲んでいたので、今になって兄の平滑でやりきれない気持ちが少しずつ解るようになっていたのだ。精神を落ち着かせる薬を中心に行くと感情が平滑になるのだ。苦しむよりはいいが、楽しいという感情がなかなか生まれてこない。人間は楽しいから幸福なのであろうから、これは結構つらいことだ。 今思うと、兄は無趣味ながらとにかくこうすれば楽しいだろうということをやり続けていた気がする。 若い頃はバイクに突然乗りだしたりもした。大人が相手をしてくれないと、私の子供や犬を車に乗せていろいろな所に連れて行った。 
 なんと言うことだろう! やっていることの目的は私と同じではないか! 当時、私は兄のことを悪魔のように思っていたのだが、今になって兄の当時の心の中をがある程度解るようになって、当時の行動を思うと、「苦しかったんだね・・」と心の中でつぶやいている。 兄が自殺した所を車で通過すると心が圧迫される。「つらかったんだね・・・」涙が出そうになる。

 さて、カラオケに行ってふと兄のことを思い出した私は、兄がよく歌っていた曲を探したが、残念ながら見つけることはできなかった。 中村雅俊が歌っていた 芥子色の季節・・・「忘れたくない出来事、忘れたくない友達・・・芥子色の季節よ、青春の月日」 荒木一郎作のモラトリアムな歌詞、兄の楽しい季節は発病前の大学時代で終わっていたのだ。 それをずっと思い出しながら、引きずりながら生きたかったのだろう。 
09.11.25 減薬

 50才を前にして急に身体にあちこちが壊れてきた。。目が見えにくいと思ったら老眼+緑内障と診断された。血液検査をすると尿酸値が9.0とめちゃ高くなって医者から減量と有酸素運動をするよう指導をうけた。 
 しかし、私が飲んでいる抗うつ剤ドグマチールの副作用は肥満や女性化乳房などなど・・ドグマチールを飲んでいる限り減量することは非常に難しいのだ。それに最近乳首が大きくなって胸がたくましくなったと思ったらこれは女性化乳房の始まりでは無かろうか??
 ということで、9月の初めに思い切ってドグマチールを断薬してみた。抗不安剤のメイラックスはやめるとえらい目に遭うのが解っているので、通常どうり1日1mgの服用でしばらく様子をみてみた。。。丁度2週間が経過して、急激に睡眠時間が長くなった。8時間睡眠が12時間寝なければ全うに起き上がれない。その2日後には14時間睡眠となって、ふらつきで車に乗るのも不可能になったので、断薬をあきらめざるを得なくなってしまった。。ということで、また元通り1日につきドグマチール50mg1カプセルをメイラックス1mgとともに服用することになった。
 抗不安薬であるメイラックスは睡眠薬とよく似た化学構造をしているので、副作用として眠気やふらつきが出る。これを抗うつ剤のドグマチールとともに服用することでバランスがとれていたのだ。 ドグマチールだけ断薬して2週間経過し、血中からドグマチールが完全に抜けてしまって睡眠薬だけ飲んでいる状態になってしまったのだろう。

 こういう薬は、断薬できず悩んでいる人がごまんと居ることが、mixiのコミュニティなどで解ってきた。。そこにいろいろヒントがあった。私が今飲んでいる2種類の薬は、いずれも販売されている最低単位の量である。。でもこれを断薬しようとしても、なかなかできないのである。と言うことで、減薬という考え方がある。 例えば、メイラックス1mg錠を半分に分割をしばらく続け、次に1/4に分割してしばらく続け、さらにこれを2日に1度、3日に1度、4日に1度と伸ばしていき、やっと断薬に踏み切れたという人が居た。。そこまでに至るには、相当長期間に渡る心の平穏と努力がひつようだろうが、この方法しかないだろう。 私の担当医は最低単位をのむ間隔をだんだん延ばしていく方法を示していたが、さらに錠剤を分割していくことによって、断薬がよりスムーズに進む。 先ずは最低単位の半量から・・・メイラックス錠剤は真ん中に線が付いており簡単に手で半分に分割できるが、ドグマチールはカプセルなので難しい。。薬局で粉剤を分割処方してもらう方法もあるが、こrでは自分の思うとおり増やしたり減らしたりやりにくい。 ドグマチールカプセルの最低単位は50mgでドグマチール錠剤の最低単位も50mgであり、錠剤を半分に割れれば良いわけだが、ドグマチールには線が付いておらず、半分に割るのに苦労してカッターで切っている人もいるようだ。 だが、IT検索していくと、ピルカッターで半分や1/4に簡単に分割している人が居ることが解り、ネット販売で簡単に手にはいることも解った。
 ピルカッターは、アメリカ製のビタミン剤など巨大な錠剤を分割して飲みやすくする為に、最近は盛んに使用されているようだ。 健康食品に限らず、アメリカの医薬品錠剤などは日本のように細やかに数種類の単位の錠剤をあまりつくらないようだ。 おおざっぱというか・・・ということで、自分で錠剤をカットするという文化が産まれたようだ。従ってピルカッターはほとんどアメリカで販売されている。 何種類か販売されている中で私は↓の写真のピルカッターを購入した。手で切るのがほとんど不可能な小さくて丸っこいドグマチール50mg錠がいとも簡単に切断できる優れものであった。
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 10月1日から、メイラックス1mg錠とドグマチール50mg錠をピルカッターで半量にして毎日飲用することを始めた。
 10日目くらいに息苦しさが少し増してきた。
 14日目くらいから40日目くらいまでの間、全身の筋肉痛に悩まされた。メイラックスは筋弛緩作用があり肩こりにも効果があるが、これを半量にしたことで、逆に筋肉痛が出てきたようだ。朝起きたら、いきなり筋肉痛で非常に起きずらくて仕事に行くのが億劫な日が続いたが、40日目を超すくらいからこの症状は次第に緩和され、55日目現在で少し身体が凝る程度にまで緩和されてきた。
 だが、20日目から現在に至るまで、眠りがかなり浅くなってしまった。私は朝は目覚ましがないと絶対起床できないのだが、それが目覚ましが鳴る前に起きるわ、夜中に何度か目が覚めるわもう少しぐっすりと眠りたいものである。。これも睡眠を誘うメイッラクスを半分にした影響であろう。
 と言うことで、小さな弊害があるもののだいたい2ヶ月間半分に減薬できている。少しの間飲んだ薬ではなく、10年以上飲んできた薬を減薬するのだからいろいろな現象が生じるのは当然と思う。 
 今後も減らしていけるかどうかは、自分の心身反応とと周りの環境次第であろう。以前ならなんでもないちょっとしたことで、過呼吸の恐怖が感じられることがあるので、もう少しこの減薬ペースを続けていこうと思う。
 この状態に慣れて、環境が安定しているときに、1/4錠ペースにもっていければなあというのが今のところの目標である。
 そして、理想は勿論断薬! そして、強い不安や鬱が続いた時だけ頓服に薬を飲むくらいになってくれればなあと思う。
 
08.6.28  6月に入って中旬くらいになって仕事の忙しさが一段落した。それと同時に、今の仕事にも少し慣れ、通勤も毎日特急電車に乗ることで負担が減ってきて、心が楽になってきたので薬の量を以前の量(1日1回)に減らし、飲む時間も今まで夜だったのを朝に変更した。今服用している抗不安剤の半減期は300時間なので何時に飲んでも同じだろうが、抗うつ剤は8時間なので夜に飲んでしまうと昼間に効きが悪いと思ったからだ。
 このペースで薬を飲むようになって、すっかりペースも慣れたし、今なお心が平穏なので、また元通りの状態にうまく戻った気がする。慣れるには時間がかかるものだが、もとの状態に戻せて良かった。 薬の量を2倍に増やしていた2ヶ月間は、心は平温だったが常時眠たくてだるく、しかも異様に疲れやすかった。反応が鈍くて車を運転するときはかなり集中しなければ身の危険を感じたほどだった。意識がぼんやりしていて一度仕事中に車を運転していて、あわゆく土手に滑落しそうになった。 しかし、今は眠さも消えて快適である。この安定した状態が続いてほしいものだ。
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 今日は、嫁が珍しく地球温暖化の話をしてくるので、嘘っぱちのCO2説と対する太陽黒点周期説を説明したら、話している途中で眠たいといってきたので、話すのがあほらしくなってやめた。 嫁はITではなく、自分の目に見える範囲のものと聞こえる範囲のもの、未来ではなく今日明日くらいのことしか関心を示さないのだ。だから幸せなのかもしれない。
08.5.20  薬の量を倍に増やしてからしばらく経過して、心の重さが少なくなり楽になった。ちょっと眠いけど・・・
 私は、仕事をのことなどいやなことを忘れて心の重圧を少なくするため、HP作成・ジギング・ガーデニング・魚屋まわりなどなど色々やるが、やはり薬が効いていないとなかなか忘れることはできない。人は忘れるから幸せなのだとつくづく思う今日この頃である。
 忘れることが出来る順位は@HP作成、Aジギング、Bガーデニング、C魚屋回りと料理、Dきのこ・山菜探し味見・・・・バイクなどである。バイクは風を切って走るから爽快のように思うのだが、運転しながらいやなことが頭の中をぐりぐり回ってしまうので、この頃は娘にヘルメットを買い与えてタンデムで楽しみ始めた。

 ↓のように経済素人の私がHP検索してあれやこれや考えても、どれが本当やらいまひとつ信憑性がわからない。 だが世界恐慌やデフォルトは地震のように突然やってくるであろうから、あわてて何が何だかわからないようにだけはしておきたい。
08.5.14  4月に異動して、通勤に慣れるのに1ヶ月かかったが、それよりも仕事の量と種類が3倍に増えて目標を立てて仕事する余裕もなくなり、ひたすら時間の制約ばかりある雑用に追われる毎日が続いている。ストレスが溜まり、またしても息苦しさに耐えられなくなって薬の量が増えてしまった。早く今の職場を異動することばかり考えている。誰かと話す度、訳のわからないことに振り回される度気力が減って胸が重くなる。。うう 
 嫁には、つらい職場はいくらでもあるのに、それに比べたらこんな幸せなことはないと諭されるが、全くそ通りだ。。が、頭で解っていても心が付いてこないのだ。

 ところで、いくつかのHPでは今年の夏に以前から指摘されたように、国債の返還(真面目に国債を返そうとすると)がどう先送りしても不可能なデフォルトになるようだ。実際10年国債の価値ががくっと下がって売れないようだ(人間には・・・)。 
 国債はアメリカさんもよく似た状況でそれ以外の信用収縮と不良債権増加と景気後退と金余り、中国さんも株下落が止まらず、近々借金漬けで金余りも限界に達した資本主義世界の崩壊(ドルもユーロも)世界恐慌が起こるそうだし、お金で物が買えない悲惨な状況になるそうだ。
 公務員の給料は支給されないから、治安が心配だが、日本が最低限治安を維持する事が出来たら、戦時中のように食料を生産できる農家が一番えらい人になり、そのほかの人は餓死者となり・・・
 嫁の実家が農家で良かった。。。
 私のHP仲間で東京に住みつつ東北に農場をもっている人がいるが、先を見越しているのだろうか・・・

 私としては、薬が金で買えなくなるか解らないので、そこが心配だ。でも、もう半世紀生きて、やりたいことはほとんどやった気がするからいいけど・・
 はてさて、デフォルトは確実と言われて久しいが、これ以上の先送りする術を日本やアメリカはもっているのだろうか?

 しかし、アメリカはデフォルトしても日本はデフォルトしないと言うHPも沢山ある。
 なぜなら今までデフォルトしてきたロシア・アルゼンチンなどはアメリカも含めて国債のほとんどを外国が持っていたが、日本は94%が日本人が持っているから国外売り圧力が少ないからある程度安定しているとのことと、日本政府は合法的に国債をチャラにする紙幣を印刷できるかららしい。。例えば1000兆円札を一枚日銀が印刷すればそれで済むそうだけど、どこまで印刷すればどれだけインフレになるのか誰かが計算しているのだろうか??
 私は素人だからこれ以上解らないけど、世界の食料危機は急速に広まっているし、世界恐慌になればやっぱり同じ事じゃんと思うこの頃・・・
07.7.1  骨折して、入院、自宅療養と約2ヶ月経過し、そろそろ職場復帰だ。。 
 この間、心理ストレスが全く無かったので、4月に2倍に増えた薬の量は元通りの量に少なくなった。 老眼が強くなってきて本を読むのが億劫になって毎日TVやPCを眺めていることが多いので、頭が全然回転しない・・・昨日など自宅の電話番号が思い出せなくて、嫁に教えてもらうていたらくぶりである。しかし、こころは恐ろしく平穏だ。
 毎日リハビリで自宅の周りを散歩しているが、同じみちばかり歩いているので飽きてしまう。。 数日前から車の運転リハビリも兼ねて、ちょっと車で移動してはそこで散歩リハビリをするようになった。
 平坦な道ばかりではなく、少しだけアップダウンも取り入れ、痛みと相談しながら歩いている。 今日は、初めて行くある神社を散歩することにしたのだが、ここで小さな発見があった。
 三重県で絶滅危惧種に指定されているタシロランがなんと200本以上生えているではないか!! 三重県では1カ所で50本以上生えている場所が無いという理由で絶滅危惧種に指定されているのだが、非常にラッキーである。。
 心は平温で、しかもハイな気分になった。体験したことがない楽しみを体験することは私には気力の活力になることを改めて感じた次第である。
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07.4.14  今日は、土曜日休日だ。。早起きしたら、鉄道に乗って知らない街に行きたかったが、起きたら11時半だった。。 昨日、息苦しさを覚えたので半日休んで、心を軽くしようと松露を採りに行った。それほど体は疲れているとは思えないが、精神的に溜まってきて体まで疲れるのだ、、この頃、仕事場で緊張しながら過ごしているせいだろう。。 
 起きてから1時間しても、心が重い・・・気力もわかない・・・薬を飲むにしても中途半端な時間だ・・  ここはひとつバイクに乗って山菜でも探しに行こうと思い、ハルシメジとウドの発生を期待してポイントに入ったが、残念!ワラビくらいしか収穫がなかった。。 バイクは免許取り立ての頃は、乗っていてすごい充実感があり、心が高揚したので抜群のリハビリ効果があったが、最近は慣れてしまいバイクに乗りながら仕事のことが頭の中をぐるぐる回って、体が疲れるだけで全然心のリハビリになってくれないのだ。。バイクでリハビリしようと思ったら、知らない街に一泊くらいでロングツーリングくらい行くしかないであろう。。
 と言うことで、1時間ほどたって家に帰ってきても、心がどよ〜んと重苦しい。。 競馬を見てカラジが中山グランドジャンプを3連覇したのを見届けた後、芝刈りすることにした。
 これが、全く心のリハビリにはいいのだ。 芝を刈っているときは何故か本当に無心になれる。しばらく頭がからっぽの状態で、刈り終えると芝がいい感じになって充実感があふれて、芝に寝ころんで紅茶を飲んで、、あ〜心が軽い・・・ 
 芝ばかりでなく、花の土作りや草取りしているだけでも、心がからっぽになっているのだ。 「園芸療法」という言葉があるが、私はこれを自分でやっているのだろう。
 芝をやって、いったい何年になるだろうか? 毎週末くらいに芝の作業があるが、これがそれほど苦にならないのだ。 ほんとにルーチンの芝刈りがほとんどだが、私にとっては無心になれるリハビリの時間なので、時間休暇をとってもやらなければならない大切な時間なのだ。
 芝を刈った後、心が軽くなっていると感じる時、本当に芝に巡り会えて良かったと思うのである。
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07.4.12  今思い返すとそもそも私がHPを始めたきっかけは、心のリハビリのためであった。
 自分をあからさまに表現できる人がいるし、それによってストレスを発散しているように感じるが、私のように自分を表現するというか自分のこころを解放して話すことが苦手な人は、人に自分を訴える術が最近まで全くなかった。
 しかし、世の中はHPやプログという媒体でなんの制約もなく、話術もしゃべる勇気も持たずとも自分を表現できる時代になった。 私は、ここぞとばかり自分の生きてきた世界を全世界に公開し、これによって得られる開放感が、新鮮でこころの病のリハビリになってきたのだ。 
 HPにより日本中から私と波長が近い濃い趣味の方と沢山知り合え、全く私のコミュニケーション世界が変わり、実にエキサイテイングな数年を過ごせてきたのである。ちょっとマンネリ化したとはいえ、今でも新たに波長のあった方が訪問してくれるのが嬉しい。 もし、HPが無かったら自分の中でぐるぐる自己表現が内包されて自閉症のような人になっていたかもしれない。 
 今日も、こころのリハビリのために新しい日記を立ち上げて爽快になろうとしている。 自分の心が楽になるようにこの日記では何の制約もなく自分のためだけに心の状態やあれこれ愚痴を書いておこうと思っている。 本当に重い鬱病の人は日記を書く気力すら生じないだろうから、私のように軽い鬱・神経症の人間は自己表現する気力があり、ある意味幸せであると思う。
 私は、あることがきっかけで神経症(多分)になってしまった。。。今から約8年前である。 どうしようもならない強い不安感が絶えず押し寄せて、車で走りながら頭が割れるほど大声を発し続けて不安から逃れようとしたし、夜は不安で胸が押しつぶされそうになり眠れず朝に少しだけ寝ては職場に出て行くことが、しばらく続いた。過換気症にもなった。 
 私の兄は精神分裂症が原因で今から3年ほど前に自殺して他界した。その遺伝子が私の中にあるのは感じていたので、若い頃は自主的に環境因子となることから遠ざかっていたし、こころの病になったときも、早い段階で自主的に精神科をスムーズに受診することができたのだ。もし、家族に心の病の人がいないと、心の病がどういうものなにか本当に理解できないであろう。私は、その理解できない人を知っており苦々しく思うが、ある意味当然かもしれないとも思う。
 先ずは、抗不安剤の常套手段メイラックスを処方されたが、これが劇的に効いて不安感が嘘のように無くなってしまった。心はめちゃくちゃ楽になったが、朝方特に気力が無くなり何もする気がなくなる症状が出てきた。ここで弱い抗うつ剤であるドグマチールも処方された。。これまた、嘘のようによく効き、なんのためらいもなく職場に通勤できるようになった。 薬の力はすごいものだ。。コンデションがいいときは自分で薬断ちしようと、何度も試みたが、結局10日ほどすると胸の苦しさに耐えきれず、また飲み出すの繰り返しなので、最近は薬断ちのことは全く考えていない。 8年も同じ薬を飲んでいるから、依存症になっているし効きが悪くなってきたが、比較的軽い薬なので、できる限りこの薬で過ごせたらと思っている。
 しかし、この日記を書き始めた意味は、やはり薬の効きが鈍ってきて、新たなこころのリハビリセクションが欲しいとおもったからだ。 メイラックスは半減期が300時間もあるが、ドグマチールは8時間が半減期なのでやや即効性である。 最近はちょっとつらいなと思うとドグマチールを飲む。。すると30分後にくらいに少し楽になるの繰り返しとなっている。 
 私は、このように軽い処方を続けていたいのだ。デスパのように超即効性のきついやつに行き着かないよう、心をだましだまし、発散していこうと思っている。 そろそろ、薬が切れる頃だ。。病院を予約して落ち着こう。。。最近、緊張が続いているので薬の量が増えているが、まだ許容範囲だ。先生にあって落ち着こう。。。