どうでもいい日記(不定期)

12.1.14 30年ぶりに小説を読んだ 「センセイの鞄」川上弘美


 
私が小説を読むことは非常に希だ。 何故なら、私は事実を知る為いいろいろ本を読むが、小説はある人間の妄想であるからだ。 従って、私が小説を読むときはよほどの動機付けがあってのことだ。 前回、小説を読んだのは確か30年前の学生時代・・・好きだった女性が小脇に抱えていた「しろばんば 井上ひさしだったかなあ・・」である。
 今回、この本を読んだ動機は、あるきのこブログに紹介されていたからだ「市で茸売りの場面・・・子供が、このキヌガサタケ美味しそうだから買ってと母親にねだるシーンがあるとか、恋愛小説なのに茸狩りのシーンが出てくるとか」何か、くすぐるものがあったからだ。
 谷崎潤一郎賞受賞というだけあって、アラフォ-の女性と70才くらいの昔の国語教師男性との恋愛ものである。。 話は結局、ふわふわと浮遊感があるようなものが恋愛になっていき、小説のほぼ最後のページでやっと合体しておしまい・・・という、本当にどうでもいいような筋であった。
 茸のシーンが最初に出てくるのは、市でさくら役の子供と母親が居て、その子供が「この美味しそうなキヌガサタケを買って」と母親にねだるシーンだ。。市でキヌガサタケのような珍しい茸が売っているのか??しかも子供がキヌガサタケを買ってと言うか??と、つっこみどころ満載である。
 次の茸シーンは、主人公の女性と男性が行きつけの飲み屋の主人に茸狩りに連れられるところである。 目的の茸は「モダシ(ナラタケか?)」であり、茸を採ってその場で茸鍋にするのだが、そこで2つの神経毒のきのこの話が出てくる。 一つは主人公の男(奔放な妻が50才の時家を飛び出して一人暮らししている)の回想シーンを皆に話すところである。 男は昔、妻の主導で息子と3人で毎週ハイキングに出かけていたが、ある時妻はワライタケを採取してそれを食べると言い出した。妻は常時茸図鑑を携帯しており、採取したワライタケを男と息子が止めるのも聞かずに山で食べてしまった。男と息子はあわてて妻を下山させて直ぐに病院に連れて行ったが、妻は意志とは関係なく笑い続け男と息子に多大な迷惑をかけた。 そして、自由奔放な妻は50才になって家を飛び出した。。妻が週末には男と息子を連れ出してハイキングに出かけて、ワライタケを食べてしまうと言う話は、現象としての幸せを追い求める妻の行動として理解できなくもない。。だが、その奔放な妻は出て行って戻らないという悲しい現実が、きのこ狩りの山に暗い影を落とし始めた。
 最後の茸シーンは、暗くなる雰囲気をかき消すかのように、茸狩りに誘った飲食店の主人がリュックから乾燥茸を取りだして、それを食べながら酒を飲み始めた。そして男と女にその乾燥茸を食べるように勧めたのだ。 男が主人にそれは何かと聞くと「ベニテングタケだよ」(おーーー!ベニテングタケが出てきたか!これは美味いぞーー)と言った。男はぎょっとしてベニテングタケは猛毒であるとうんちくを述べ始めた(猛毒じゃないよ。。。)が、相変わらず主人が食べ続けているのを見て男も食べ始めた、そして女も食べ始めた。そして楽しい雰囲気になった。。意味深である。

 ということで、どうってことない話であった。 

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11.12.26 欲しいと思う車が久々に日本車から出てくるのかな? 
日本のメーカーは、メーカーに都合のいい車造りからユーザーが好きな車造りへ舵取りするのか?



 
かつて、日本車メーカーはあらゆる車種で3ドアで使い勝手のいいスポーティモデルをラインナップに入れたり、魅力的なライトウエイトスポーツカーを次々と安価に発売し、日本のユーザーは世界から垂涎の的であった。 KP61やAE86前後から15年間くらいの間であろうか・・・現在からは想像も出来ないくらい魅力的で個性的な車であふれかえっていたのである。
 メーカーが巨大化して、主力は海外販売になり、仮装競争相手のドイツ車が次々と肥大化していくの合わせたり、アングロサクソンの体型に合わせて日本の車道の幅を無視したような、ひたすら主力車の大型化が行われた。その車は競争相手より安くてまあまあ品質という相変わらず商法で・・・そのおこぼれが日本で売られる為、日本の道路には車幅にはでかすぎて使い勝手があまりにも悪い。このようにメーカーの都合のいい車造りにユーザーを無理矢理合わせてきた歴史がある。そして、その歴史は今も変わらない。 そして、日本ユーザー専用には、5ナンバーの5ドア(この方が、安価に安全性をクリアできるから)のみの同じような車ばかりになった。そして家族用には5ナンバーのワンボックスカーでさらにデザインを動かしようのない退屈な車であふれかえった。 その証拠に、2ドアあるいは3ドアの5ナンバー車で現在販売している車は?・・・とコペンのみ? こんな特殊な車しか無くいのだ。 無理矢理車内空間を広くして4枚ドアを付けるから、運転席の全長は短くなり卑屈なスタイルでパーソナル性は失われた。 かつては、車を運転する喜びに満ちたパーソナル3ドアで、しかもしっかり荷物も載せることができる5ナンバー幅のスポーティな車がわんさかとあったのにそれが全く無くなって久しい。
 これも、メーカーが押しつけた車であるから、車好きな人間が育たなくなるのも当然である。メーカー自ら車嫌いのユーザーを作り出しているようなものだ。
 しかし、時代は円高だ。。 日本のメーカーが安かろう適当に良かろうの車ばかり作り続けているあいだに、ヨーロッパからは日本のメーカーが自分で首を切っていった、魅力的な小型車がどんどん発売されている。 3ドアのキビキビ走るホットハッチ・・・私はフランスのDS3に注目していたら、なんと徳大寺さんはすでにDS3を買っていた。VWからはupも安く入って来るであろう。 今、この円高にあわせてヨーロッパの魅力的な小型車が日本に攻勢をかけてきたら、今まであぐらをかいていた日本のメーカーはあわてることだろう。 もうお尻に火が付いているのである。  あんまりユーザーを無視した適当な車ばかり造れなくなるのではないだろうか? 安くて適当に4ドアな肥大した車ばかり造っているわけにはいかなくなるのではなかろうか?

 さて、いよいよFT86の販売が近くなってきた。コンセプトはFR3ドアハッチバックのライトウエイトスポーツで250万円である! ひたすた楽しく使い勝手よく・・・と言いたいが、車幅が不満である。1775mm・・・ここはなんとしても1700mmを切って欲しかった。まだ大きいのである。 
 もう一つの、ライトウエイトスポーツの頂点ユーノスロードスターは登場したばかりの時、実車(ハードトップのブルーだった)が当時私が乗っていたCR-Xの横に駐車してあったのを見て衝撃をうけた! 小さくてなんてかっこいいんだ!これがハッチバッククーペなら即買っただろうが、これがクーペは出ないは3ナンバーにでかくなるは・・肥大化していったのが実におしい。。。。 今の自動車の大きな方向性はエコであるが、その方向とは反対にどの車もでかいサイズ(重く)なっている。  しかし、マツダのえらいところは反省することを知っているところである。マツダはデミオのモデルチェンジで日本車のアホな流れである肥大化とは反対に、あっと驚く大幅に減量化をして大ヒットした。 そして、今度のユーノスロードスターもダウンサイジングするらしい。。それは、全く正しい判断である。。 日本車はマツダを見習って、一斉に肥大化ばかりしてないで、ダウンサイジングして真剣に魅力的な車造りをするべきである。 
 私は、FT86の登場や、ユーノスロードスターのダウンサイジングが契機になって、日本の車造りが根本から変わっていき、かつての海外から垂涎のまなざしで見られた時代になってくれることを切に望んでいる。。。
 私が望んでいるのは、日本の道路幅にあった5ナンバー幅で、パーソナル性のある背の高くない3ドアハッチバックの安価なスポーツモデルである。馬力は150psくらいで、車重は1tくらいであれば言うこと無しだ。  またそんな時代がやってくる・・・FT86はその起爆剤になる気がする。

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11.12.19 いろいろ言われてますが予想屋 副島 本はやめられない


 
次々と大胆予想の本を出し続けている、副島先生だが・・・やれ中国よりだとか、やれ活字が大きいとか、やれ根拠に乏しいとか、いろいろ言われるが何故か買ってしまう。。。文体が激しいく、思いっきり喧嘩をふきかけるので敵も多いと思うが、よくこれだけ次々と激しく書けるもんだ。
 私のような、経済ドシロウトにも解りやすく説明してくれる。 激しい口調と大胆予測がすっきりする。 そして、予測を外すこともあるが、当たることが多い。。
 そう、予想屋は当たってなんぼの世界なのだ。 大胆に予想して、ほぼ当ててしまう。これが、副島 本の人気の全てだろう。
 何というか、あっと言う間に読んでしまうのは、おもしろいからと解りやすいからと活字が大きいからであろうか。。
 副島先生、ますます元気でいてほすい。

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11.09.05 マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている  THINKER 著 (中二の娘もさらさら読んだ現在最良の教科書かも・・・)


 
徳間書店から800円で出ているこの文庫本は、基本的なことを網羅し、一般的な前知識の無い読者にもマンガも交えて実に読みやすく出来ている、現在最良の書物かも知れない。 
 通販で買って、食台の上に置いておいたら中二の娘がぱらぱらとめくって「これ読んでいい?」と言って、私より先に読まれてしまった。 これで、彼女はただのB層から脱出だ。 嫁もマンガの部分を見て読み始めたそうだが、読むのがめんどくさくなったそうで、嫁は痴呆化番組ですっかり本が読めない人間になっているようだ・・あらら
 800円にして、この解りやすさと、この中身の充実はすばらしく、まだ読んでいない人には、是非お勧めの本である。

 内容は、お金の成り立ちから懇切丁寧に記述されており、多岐にわたり一通りカバーされているので、何がどう書いてあるかは読んでいただくのが一番である。
 本の一部を引用するが、その前に説明しておきたい。 マスコミの成り立ちは、そもそも「中立にニュースを報道する(することもあるが・・・)」こととはほど遠く、19世紀に公正な金融情報を提供する会社として通信社(通信社はニュースの源を作る会社で、これが新聞やTV等に流れていく)が出来たことになっている。しかし、その通信社を作ったのは国際銀行家・・・つまり、情報を流す前に有利な取り引きをして情報を流して世論誘導し、国際銀行家が莫大な利益を得る目的で作られていったものがマスコミの正体である。その成り立ちからして現在まで、マスコミは情報操作によって人心の誘導(つまり洗脳)を一貫して行ってきた。この事実が解らないのは、洗脳されている証拠である。 以上のことを念頭に置いて本から一部を引用すると↓
 <引用開始>P329〜
「参考までにニュースを世論誘導のよくあるパターンを三つ取り上げてみたい。「叩き・そらし・宣伝」である。ニュースのほとんどが、このパターンに当てはまり、多くの場合、これらの手法が組み合わせて用いられる。  「叩き」 マスコミの所有者である国際銀行家の戦略やビジネス展開に都合に悪い人物、企業、商品を事故やスキャンダル報道などでイメージを傷つけて社会的信用を失墜させる手法である。 このパターンには「ミラーマン」の汚名を着せられた経済学者の植草一秀教授の例などが当てはまる。2004年、手鏡を持って女子高生のスカートを覗き見したとして国策逮捕された植草氏は、テレビでお笑い芸人の格好の餌食になった。彼が国策逮捕されたのは、郵政民営化の裏側を伝える本を出版する直前である。当時の郵便局は国営であったため、海外での資産運用が出来ない。そこで、日本の貯金を奪い取るためのア○○カ側は○泉○相と○中○○大臣に働きかけ、日本国民を騙して郵便局を民営化することを画策した。株式会社にしてしまえば、海外での資産運用という形で資産が奪い取れるからだ。300兆円を超える国民の預金は、民営化後にア○○カ国債や○−ロッ○の外債の購入に充てられる予定である。・・・・・」これ以上引用すると、変な検索ロボット来そうなのでここまでにする。
<引用終わり>

 私は、朝出勤途中に車内でラジオを聞いているが、8時頃CBCの男のベテランアナウンサーのニュース報道と解説はひどい。2回に1回くらいは露骨な世論誘導をするので、吐き気がするほどである。彼はご主人様に自分があなたのポチですよ、ちゃんと裏切らずに売国奴してますよ言いたいんだろう。 嫌な気持ちになってNHKに替えたりすると、そこでも世論誘導していたりするが、CBCのベテランアナウンサーほど露骨ではない。 マスコミは基本的にこういうものだが、まともなことも言うときがあるので困ったものだ。 インターネットが全て正しいとは言わないが、通信社に報道統制されていないので、本当の情報が転がっている。 要は、自分でそれらの情報を自己責任で取捨選択することである。一番、どうしようもないのは、何も考えずに降ってきた情報を鵜呑みにすることである。

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10.09.18 映画評論(世界侵略:ロサンゼルス決戦の巻)

 ひどい映画だった。ハリウッド映画と言えば最近は、やつらの広報映画しか作らなくなったので、多分収入はがた落ちだろうが、広報映画なので金は幾らでも降ってくるからイケイケで作ってしまうんだろう。
 その中でも、この題名はひどい。ETが攻めてくる・・・・ブルービームの準備かい?

 映画の最初の一言目が、最初に東京に流星群が落ちてきたことがはじまりだった・・・え?いきなりまた日本かい?2012もそんなシーンなかったかい?
 広報映画にしても、少しはおもしろいストーリー展開とかあるだろうから楽しませてくれるだろうと思ったから見に行ったが・・・最初から最後まで戦闘シーンばかりではないか!ストーリーもへったくれもない。ETが世界中の主要都市の沿岸部に攻めてきて、軍隊(アメリカ海兵隊?)と対決するのだが、海兵隊の通常兵器でETとがっぷり四つで戦闘しているのに、すごい違和感を感じる。そして、ETの司令船を小さなミサイル1発でやっつけてしまうところでが、話が終わってしまう。 
 
 この映画が作られた目的は何の広報であろう?と考えてしまう。 ETという恐怖が攻めてくる、それはひょっとして空のスクリーンに将来映されるかもしれない。 しかし、ETで即この世は終わってしまっては困る。ここは世界が一つになって戦わねば・・・そう世界は一つになるべきだ・・・という、方向に思考を向かせる為??

 とりあえず、また日本に何か仕掛けるのは止めてもらいたい。

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11.09.05 日本の正体・・・  高橋五郎・小池壮彦 著


 
この本はtat○u○inさんのブログで引用されていた(明仁皇太子の家庭教師を務めた女性はクェーカー教徒であり、宮内庁長官や学習院院長などクェーカー人脈で・・・)ことから、興味を持った。著者が天皇の金塊の著者であることからも読んでみたかった本だ
 ところが、著者はいきなり北海道美幌の巨大地下壕での零戦発掘作業をやっていたと思うと、次にはロマノフ王朝の財宝、天皇の金塊と、どんどん眉唾的な話に進んでいき、これはとんだ食わせ物の本だと思った。。しかし、である。本をどんどん読んでいくうちに、この人はとんでもない情報網を持っているし、「戦争は国際金融資本のビジネスであり国は駒であり・・・」とその背後で誰がどのように動いたかも含めて、裏の本質を自身の経験からしっかりと説明しているのに驚いた。。 今、人気のブロガー達はこのような実際に調査して探求した人の情報を積み重ねて理論を展開しているのだと言うことが実感できた。
 一部P160-161を抜粋して内容を書いてしまうと、「<小池>長州のアメリカべったりは菅直人まで続いています。騙されてナンボというのがまだ続いている。しかし、明治時代の政治家は確信犯だった。欧米列強と肩を並べる為に、今は騙されることが国益だという自覚があった。それが時代が経つにつれて軍人も政治家も無意識になり、ただ単に騙されている痴呆状態になった。奴隷は自分を奴隷と自覚するうちは人間ですが、無意識になればただの歯車です。」「<高橋>歯車として外国の為に働く。広島に原爆が落とされたとき、放射線の線量を量る為に、日本の医師達が現地に入って取ったデータをみんなアメリカに持って行かれて、書類は帰ってきていないという話。そんなことまで日本はやらされたが、今度は福島の原発事故もそうです。また実験台をやらされている。国民は騙され続ける。このありさまの原点が明治維新にある。」「<小池>原発周辺住民に対して、放射線影響研究機関協議会が数十年に渡って放射線被曝のモニターをすることが決まっていますが、これは広島・長崎で行った長期モニターに連続する位置ずけになっています。健康の為に必要だからやるのではなくて、軍事データの為であることを日本人は知らされていない。」

 その他、第二次大戦中の日独米3国の原爆開発競争、日本開発2系統のうちF計画に関与した京大系の湯川秀樹らに敗戦国にもかかわらずノーベール賞が与えられた背景。天皇システム等々ブログでは得られない情報が得られた。
 ブログばかり見てないで本もちゃんと読まなきゃ。。。と思い知らされた一冊であった。

 例えば、山口県田布施の大室寅之祐と明治天皇のすり替えは、だいたいのブログで画一的にさらりとしか書かれないが、いろいろな角度から書かれている。国際金融ブローカーと田布施とかソニーとかも出てきておもしろい。
 ブログは手っ取り早く情報を収集できるけれど、一つの表現がどのブログでも堂々巡りをしてしまい、繰りかえして引用されてしまうことが欠点である。 そんな性質からベン○ミン○ルフォール○が、200万人世界最大デモの記事を書いて、検索するとそればっかり繰り返し出てきて、世の中を騒がせることができてしまうのだ。

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11.06.18 本の名前と著者名を書いただけで・・・  RK 著


 
変な検索ロボットに引っ掛かってしまうかも知れない・・・所謂世間の人が知ってはイケナイ事実が書いてある。闇にうごめくいろんな利権が読むのをじゃまするそんな本です。
 自費出版・・・出版業界に圧力がかかって印刷できないから。。 手で本屋に納品・・・本流通業界に圧力がかかって読者の手に届かないから。 それでいて、東京持ち込んだ紀伊国屋ではベストセラーになってしまう。そんな本です。 今なら、なんとアマゾンでも買えます。しかし、近所の本屋には絶対売っていない。

 内容を書いてしまうと、その全てが利権がらみの妨害を受けそうなのでかけなけど、本の画像は載せておくので参考にどうぞ!

 いつまでも、テレビの島○伸介の痴呆化番組やN○Kのいかにも画像を見て騙されているだけのB層で居たい人にはあえて勧めない。 ネットのブログをサーフィンしながら情報を選択して入手していく人で、まだこの本を読んでいない人にお勧め。

 しかし、私は疑い深い・・・この本の内容が疑い深いのではない。これほどの本やいろんなブログ活動等しながら、未だに生きていられる著者はひょっとして高度なバランサーの一人かも知れない。根拠はないが、何故、著者は生きていられるのか?

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10.08.24 「生」と「死」の取り扱い説明書  苫米地英人 著


 本屋に並んでいたこの本は、文章量が少ない割に、なんて高い本だろうと思ったが、この作者に非常に関心があったのでの本を買うことにした。
 題名で買ったのではないのだが、この題名にしては驚くほど読みやすい本であった。本質を実にわかりやすい文章で簡潔に書いてあり、著者はよほど頭の良い人なのだろう。 複雑な理論をそのままロジスティックに書いていくのは簡単だろうが、この重い命題に対して気持ちよいほど無駄なくわかりやすく書かれていることに、読み終わった時点で驚いた。
 生と死について書かれているのだが、この本の本質は、同じくらいの重さで書かれている「恐怖」による人心支配の項目であろう。

 本は、最初の方でのらりくらりと仏教のことから始まる。作者は日本に仏教が伝わる以前の釈迦の教えから今の日本仏教の矛盾をさくさくと綴っていく。仏教というと輪廻転生、地獄極楽、般若心経、葬式にお坊さんのイメージを連想させるが、それはことごとく間違いであることを指摘している。釈迦はバラモン教のカースト根拠である生まれ変わり倫理を完全否定している。釈迦は僧侶の世襲を禁止し、そのために妻帯禁止し、葬式に僧侶が行ってはいけないと言ったとのこと。これは、僧侶が権力から最も遠いところにいなければいけないと言う意味である。葬式というと坊主の図式がある日本の風習を強烈に風刺している。般若心境の最後にはマントラ(呪文)が書いてあり、これはマントラを禁じた釈迦の教えとまたしても正反対である。

 なぜ、マントラがあるのか?なぜ地獄があるのか? これはこの本の最後の方に出てくる「恐怖」を利用した人の支配につながっていく。「恐怖」は人心を支配する最も強力なツールであり、もし「あなたが何かに恐怖を感じているならば、それは誰かがあなたの心を誘導しようとしている可能性を考えてみる必要がある。」とのことでる。霊感商法は、「この壺を買わなければあなたに不幸が訪れる」といういわれのない恐怖を植え付けることで、人身を支配している単純な例である。
 地獄と天国は、地獄による「恐怖」と「天国」のあめを組み合わせて人心を支配する方法で、洋の東西を問わず使われるツールである。呪文も恐怖感じさせるツールである。
 人は恐怖を植え付けられると、他人に支配されやすい状態になってしまい、これがストックホルムで起こった銀行強盗事件に例えて「ストックホルム症候群」と呼ばれる。

 この本はきっぱりと「宗教はすべて妄想である」と言う。宗教が語る死後の世界や考え方が妄想であるのは、生きている人で死後の世界を見た人は誰もいないからとのこと、、臨死体験をして死後の世界を見た人も妄想であり、本当に死後の世界を見たのなら、生きて戻ることはない、との理論だ。 だが、妄想だとわかっていて受け入れるのは「死」への恐怖が和らぎ心の整理がつくのであれば有益とことだ。さらに理論は「死」そのものも妄想であると飛躍していく。 

 この本にはもちろん「生きる」についても少しだけ書いてある。何故人間は生きるのか?その本質は「生きるために生きる」わけだが、作者が言う機能という視点が加わると「何のために生きるのか」という命題に新たな視点が加わるとのこと。「自分で何をすべきかの機能を決めなければ、自我が存在しないのと同じであり生きていないのと同じである。親やTVが自動的に機能を植え付けてくれれば、自分は何もしなくても自動的に生き、時が来れば自動的に死んでいく。それでもよいのなら何も言うこと無いが、自分の果たした機能の航路が後世の人に影響を与え自分が生き続ける。いま、生きている瞬間だけが、自分の宇宙(自我)を消さない為のチャンスの瞬間なんです。」と結んでいる。 

 話は戻って、この本の本質と思われる「恐怖」についてである。 「恐怖」は猿が蛇を怖がるようにDNAに組み込まれたものもあるが、「いわれのない恐怖(なになにできなければどうしよう・・・とか)」はそもそも恐怖することが無駄で、「いわれのある恐怖(明らかに危険が迫っている)」はその恐怖の理由を取り除く努力をすればよい、と簡単に書いてある。
 しかし、あらゆる恐怖についてそんなことはまやかしであるとし、完全な無神論になったとし、その状態で強烈な恐怖を仕掛けられたらどうであろう?かえって、何かの宗教を信じていた方が、新たな強烈な恐怖に対して心がブレイクしないのではなかろうか? 

 この本は、題名が示すとおり生と死についても勿論簡潔にまとめてある。この少ない文章量にして、いろいろ考えさせてくれる本だと思う。嫁に読ませたいが、仏教の否定の部分で拒否反応が出るかもしれない。

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10.08.18 おそろしい本を読んでしまった

 この本の題名を書くと、変な検索ロボットに引っ掛かってしまうかも知れない・・・その手の本である。
 この本が数年前に本屋に並んでいたのを記憶している。 それは太田龍が訳した本だからだ。 しかし、気にもとめなかったしその題名の意味さえ知らなかった。 太田龍亡き後、この本の関連文章をブログで見て題名の意味が解り読んでみようと思った。 おそらくこの本の題名を見てピンと来る人は、よほどディープなビートルズファンかその手の関連の人であろう。
 この研究所の位置付けは、世界を操作する為のやつらの実働部隊のほぼ頂点というか頭脳ということになろう。

 この本を私は4時間ほどで読んでしまった。多分ある程度の前知識がある人間が読むとよく解るのだが、全然前知識がない人が読むと大筋が理解できない部分があるかもしれない。 さらに表現が実にくどくてセクションごとの時代背景がばらばらなので、読みにくい。一般人には不必要とも思える固有名詞が多すぎて読み飛ばす部分が多い。
 欠点ばかり書いたが、この本を読むと世界の有名大学・企業・報道・政治・文化・etcがこの研究所に牛耳られていることがよくわかる。例えば、ロックやヒップポップなどはこの研究所がある目的で広めたものであることなどが書いてある。

 この本を読んでみて、イギリスが何故抜群に世界操作に優れているのか・・・何故今まで覇権国であり続けているのかが、よく解った。

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10.07.17 あまりにもややこしすぎて・・・

 陰謀論を暴露するプログを見て、情報をできるだけ得ておくのはいかがなものかと・・・あるプログが問題提起している。
 やつらは、とてつもなく巧妙な心理戦を非常に広範囲に仕掛けている。 例えば映画「天使と悪魔」のような暴露映画をわざと作って暴露する。 なぜ自らを暴露するような映画を作るのかというと、ある陰謀にの暴露によってなんら、攻撃をうけずなんら反対運動が起きなかったとしたら、それはそれを見た人間をコントロールできているということである。 
 一生懸命、陰謀を暴露していくブロガー達が存在し、多くのブログからその陰謀を一生懸命収集して安心しようとするネットユーザーがいる。 だが、実は陰謀が暴露されるころには、全く別の陰謀をが進行している繰り返し。。この時点で先端情報を得ようとしている人間もすでにコントロールされている。一生懸命昔の陰謀を情報拡散させては、後ろでは全く別の陰謀を仕組んでまんまと人身をコントロールしていく。

 もう1年以上前のブログではフレデリックとファーマネイが潰れて国営化状態になっており、その紙くず債権をバブル前に6兆円も買ってしまった全農中や、3兆円近く買ってしまった(買わされた?)UFJは確実に潰れるとネットの世界では、1年前言われており直ぐにも潰れそうな勢いでいろんなブログに書いてあった。しかし、未だに潰れていない。。。しかも、未だに農協やUFJが取り付け騒ぎになっていないのは何故だろう? この事実はネットを遣う人間なら知っているはずなのに、日本人は何もせずに受け入れている。ということは、コントロールされているということではなかろうか?み○○の党しかり、あれほどの売国奴制作をかかげたにもかかわらず、あんなに議席をあげてしまった日本人はコントロールされている。

 かように、巧妙なので、よほどの人間でない限り何をどうすればよいか実は解らないというのが、真実らしい。

 あまりにも、ややこしすぎて常人では、予測不可能である。

 今、私がやるべきことは何か?を自問してみた。 それは、今の状態が安定している限り、家族と幸せを享受し、母親の孝行をやっておきたい・・・そういう時間を後悔しないほどにできるだけ取りたいという、実にシンプルで人間的な結論になった。 
10.07.06 初めての映画評論(ザ・ウォーカーの巻)

 最近、志摩沖で30kgクラスのキハダマグロがばんばん釣れているが、マグロロッドをもっていな私はじっと我慢である。 私は映画をほとんど見ないのだが、今日は昼から仕事が空きそうなので、休みをとって気晴らしに映画でも見に行くことにした。
 だが、今やっている映画ですかっとしそうなやつがない・・・「セックスアンドシティ??」こんなこんな一発で人間痴呆化誘導映画と解るノー天気な映画を見る人もいるのかなあ。。と横目で眺めつつ、何か意味深な題名の「ザ・ウォーカー」という映画を見ることにした。
 この映画はアメリカ映画で、いかにも謎に満ちた題名からして、多分やつらの広報映画だろうか?と予想していたが、見終わって見事にやつらの広報映画であった。。まあ、アメリカ映画は本当にやつらの広報担当だなあ。。。

 原題は「The Book of Eli  」・・・直訳すれば主人公の名前イーライの本なのだが、この時点でキリスト教社会の人間はこの本が何であるか、ある程度予測が付く。 というのも、マタイ伝でキリストが「主よ我を見捨てたか・・」の出だしが「Eli eli ・・・」で始まるからだ。話の筋は、30年前に核戦争が起こって廃墟となったアメリカ大陸をこの世にたった一つ残った聖書を持った主人公のイーライが何かに誘導されるように、西に西にいろんな悪党と戦いながら歩き続けて、最後にシスコのアルカトラズ島で昔の文明を再生しようとしている組織に、聖書の内容を口伝して亡くなっていくという内容であった。
 だから、キリスト教社会の人間への広報が元になっているようだが、日本人でもその本が聖書であることは途中からバレバレの展開で、全く筋が単純でしかも読めてしまうので、非常に退屈な映画であった。
 
 しかし、この映画がどのような広報をやっているのかの意味を考える方が、ずっと興味深い。 よくあるパターンだが、核戦争で一旦世界は滅びる・・・これはやつらが計画していることをやるぞやるぞと脅す、よくあるパターンだ。 そして、その戦いの後には聖書がことごとく焚書されて無くなってしまうことを考えると、キリスト教(を含んだ)社会と別の組織との戦いであり、負ける方はキリスト教側であるという脅しである。 そして、この映画の中で私が一番注目した言葉は、「戦争によって、空に穴が空き、多量の紫外線が地上に降り注ぎ地上の人間は死に絶えるが、地下に潜って生き延びた人間だけが、約1年後に地上に出てきて、世界戦争後の荒廃した社会を生きていくことになった。」という台詞である。 これは今、ITでやつらがやるだろうと流れている計画そのものではないか。 やつらが隠れようと予想されている○ンバー国際空港地下、○リア51など全米に多く存在する地下都市など。 そして、穴を開けてしまう人工気象装置の稼働などなど。。2012もびっくりのあけすけな広報である。
 ここまで、ITで情報拡散してしまっているのだから、全く別の筋書きを用意しつつ、(例えばメキシコ湾の事件のように)、結局は一つの世界に向かって人類○減計画をやるぞ。。との、脅しと、洗脳を目的とした広報であろう。 よくもまあ、懲りずに何度もこんな映画を作るものだ。

 だが、頭で理解しても、いつの間にか脳内にくさびを打ち込むことが、やつらの目的だろうから、どこにどんな仕掛けがあるのか、どのような社会構造に変化してしまうのか、情報収集と自分のとるべき行動をしっかり持っておかなければならないと思うこの頃。。 

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10.05.01 日月神示

 その手の人には、かなり有名な事柄である。恥ずかしながら、私は最近知った。
 岡本天明が昭和19年から、自ら自動書記によりカタカナと記号で書記された文が訳されて我々が読めるもの、それが日月神示である。  岡本天明自身が、書いた「日月神示」の本もあるが、解説本はかなり沢山出版されているようだ。今回私が読んだ本は、そんな解説本のひとつで約20年前に出版された物だが、読んでみてびっくりした。。。最新のプログに書かれている内容がびっくりするほど沢山書いてある。 
 この本の感想なりを書こうと思って読んだのだが、内容を書いてしまうと、検索にひっかかってしまいHPから個人情報が特定されやっかいなことになるかもしれないので、ひっかかりそうなことはここでは書かず、ごく簡単な断片をその手のブログを見たことのある人は解るくらいに名詞も加工して表現したいと思う。

 江戸から大正にかけて、日本には主要な新興宗教ができその派生宗教が多種現存しているが、もとは黒住・天理・大本など宗教ではなく、突然ある人間を借りて示された神示であった。 しかし、その後の人間が宗教にしてしまったて見えなくなってしまった。 大正時代、大本などかなり詳細な神示と世界的な広がりを見せたが、その影響力を恐れた当局の大弾圧により、完膚無きまでに破壊されて人間の記憶からも消されてしまった。 そこで、最後に自動書記により示されたのが、日月神示とのことである。
 この解説本には、1/3が潮の木亭主、1/3が大本の出口夫仁三郎、1/3が
日月神示を示しながら、解説してある。何故かというと、現在の状況が木亭主の通りに進んでおり、夫仁三郎も大正8年には木亭主を読んで非常な驚きをうけている。さらに岡本天明自体が、大本関係の人間であったから必然的にそのような構成になったのかもしれない。 つまり、夫仁三郎も日月神示もはっきりと現在の振り眼損による支配構造を予言(神示)しているのである。このあたり、うがった見方をすれば夫仁三郎が読んだ木亭主が大きく神示に影響を与えたと受け取れなくはないが、今後の世界についてそれ以上のことが神示されている。その内容について、興味がある方は幾つかある解説本を読んで確かめていただきたい。

 私は、これ以上は書きたくない。しかし、日月神示は言う。。世界にこれから3悪神が暴れ出す、その国はロシア・イスラエル・インド・・・最新のプログでは前2国は話題に出てくるが、インド??・・これから新たな役割で出てくるのであろうか?

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10.04.18 32万km走った愛車の廃車・・・と次の車の欠点


 H6年に新車で買ったカローラFX GTであるが、嫁から「新しい車に替えよと」の激しい攻撃をうけいたのだが、「今売っている車で欲しい車は無い!」と断り続けていた。 確かに、エアーバッグは付いてないし、エンジンがすり減ってオイルが1000kmごとに1L消費するようになったのだが、車は絶好調!・・・私はリビルドエンジンに載せ替えてずっと乗るつもりでいたのだ。 しかし、修理屋の大将に言われた「エンジン載せ替えても今後部品があるかどうか・・・シャシーも痛んでいるし、今後部品欠損も考えられるので新しい車に乗るのをお勧めします。○○さんこの車、よく乗ってあげましたよ。。」の一言で車を替えることを決意したのだ。
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 このリアビュー! BMW318コンパクトがデザインを盗んだスタイリングが好きだった(涙)。
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 走行32万km弱・・・まだまだ5万kmは軽く走れると思うのだが・・・
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 AE86のころから延々と受け継がれた4AGエンジンブロックにマニアックな5バルブトップのエンジンだった。買う前は、この仕様から恐ろしく高回転型かと思ったが、意外にフラットトルクの扱いやすいゼブラゾーンが7600rpmでレッドゾーンが8000rpmの160psエンジンだった。平道も高速も実に乗りやすい・・・空力はまずまずで、高速ではストレス無く一気にメーターを振り切ってその付近でも安心して連続走行が可能だった。いい車だったなあ〜(涙)。。。。


 私の望みは、マニュアルミッションで5ナンバー幅で一気にメーター振り切るくらいの馬力があってジギングロッドやクーラーが乗るくらい荷室があって、3ドアハッチバック。。。新車では存在しません。特に3ドアハッチバックという車で5ナンバーという車がありません。条件を5ドアハッチバックに落と落とすと、スイフトスポーツが候補にあがったが、ジギングに行くときにクーラーが乗らないのが判明して×・・・
 それでは、比較的新しい中古車から探してみると・・・ありました。。5ドアハッチバックだけど、トヨタカローラランクスZツアラーもしくは兄弟車のアレックスRS180! ドアは4枚もいらないけどこれならば、それに目をつぶればまあまあかな? でも乗っていたカローラFXつまりAE101カローラは、バブルの絶頂期でお金をつぎ込んで作り込んだ意欲作だったが、今回買うカローラはその反動でお金を使わずに適当に作ったカローラがベースだ。。まあ、仕方ないか・・・
 と言うことで、スズキスイフトを見たスズキアリーナの営業マン曰く、条件を指定していただければどこの車でも探します。。とのこと。 私は中古車の評価に使われる車体状態評価書に思いっきり細かい条件をつけて、目的の車をじっくり探してもらうことにした。思わず営業マンが叫んだ!「こんなマニアックな車、ほとんど出てきませんよ! ぶつぶつ・・」まあ、探し代としてスズキアリーナにもそれなりのマージンはとられるのだが、これで車をゲットした。
 H17年式 どノーマルの5万km白のアレックスRS180。。これを車検2年付けて4輪アライメント調整してもらって125万円であった。 スチールホイールに片べりしたポテンザを履いていたので、アルミホイールとプレイズに替えて追加11万円、そしてこれからレカロVSをつけて11万円でだいたい150万円で、H6年32万kmがH17年5万kmの車に出世した。
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 一度は乗ってみたかったマニュアル6足! エンジンはセリカと共通の2ZZ 190PS、ギアボックスも共通だ!
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 なんとレッドゾーンは8200rpm! 低速トルクがあって乗りやすいが、馬力が出てくるのは高速カムに変わる6000-8000rpmなので、なかなか使い勝手が悪い。高速で追い越し加速するときや0-400mくらいしか美味しいところはないのかな? 車は100kg重くなって如実にその重さが解るがコーナーリング性能は上がっているようだ。しかし、まだ限界付近がつかめない。。。高速道路では一気にメーター振り切るのかと思ったら、意外にもたもたしている。前面が平面に近くなってFXに比較して空力が悪くなったようだ。 それに車体に伝わる振動がFXに比べて大きいのはエンジンのせいか・・・車に金をかけていないせいか・・
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(アクセルの下の瘤はなに??)
 1週間くらい乗っていると、だんだん右腰が痛くなって耐え難くなってきた。レカロに替えるからいいやと思ったが、右腰だけ痛くなるのはおかしい? アクセル付近がやけに高いなあと、今日まじまじと見てみると、かなりアクセル付近の部分が盛り上がっており、おまけにクラッチ付近が少し下がっている。 これは・・・ホイールハウスがアクセル付近をかなり干渉しているようだ。ATなら関係ないだろうが、クラッチとアクセルの床を同じくらいの高さにしてくれないと、常時腰への負担が右側に過大になる! なんてこった!これが原因か!なんて初歩的な。。何年も作り続けているのになんで改良せん!
 で、本棚にあった厚さ1.5cmくらいのカーグラをクラッチ側に入れて高さをそろえ、5分くらい運転してみた。。クラッチポイント大幅に変わったので運転しにくかったが、車から降りたら腰痛がぴたりと治り、おまけに歯のかみ合わせ(これもこの車でずれたみたい)もぴたりと直った。 こんな簡単なことを改良しないなんて、トヨタはこの車によほど金をかけたくなかったのか。。。
  
10.03.11 芝生感についてV 落ち着くところに落ち着いたあるイングリッシュガーデン


 以前「芝生感について、芝生感についてU」で取り上げた松阪市のイングリッシュガ−デンその後である。
 最近様子を見に行ったら、結局、当初予想通り高麗芝で落ち着いた。この間、担当者の苦悩は芝を真剣にやった人間ならば、想像あまりある。
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 経営者が変わり、何よりもコストが大切である。芝は金食いだ、一番低コストで芝をやろうと思ったら日本風土に最も合った高麗芝(勿論冬は枯れる)に落ち着くのだろう。 雑草が少しのうちは、除草剤も沢山の種類を使えて、省力的に芝を維持することが出来る。
 と言うことで、これほどの面積の芝生を突然任されてしまったら、私がもし経営者なら、即高麗芝に植え替えるであろう。 実際、昨年に姫高麗芝に全面張り替えしたとのことであった。 「冬や早春に緑じゃないイングリッシュガーデンなんてありか?」とか言うことは、松阪市の気候を考慮すると眼をつぶらなければならないのだ。

 このイングリッシュガーデンを企画した人や設計した人は、芝のシロウトであろう。もし、クロウトなら松阪市の気候では莫大な維持費がかかることも計算していたことになる。しかし、そうではあるまい。
 ここはバラクラのような冷涼な気候ではないのだ。無理がありすぎる。そうやって、一度寒地型西洋芝で作ってしまったイングリッシュガーデンを管理することになった人はどれほど苦しんだことだろう。。イングリッシュガーデンはこうあるべきだという期待に対するプレッシャー、有名な設計者や所謂えらいさんに対する気遣いストレス、足りない予算のなかでの苦悩、等々その苦労はいかばかりであったろうと想像される。
 ここまで至るには、経営者の交代によるコストを意識した決断と時間の経過が必要であったと想像される。
 冬は枯れていてもいいじゃないか・・・客も現実を受け入れる寛容さが必要なのだ。。なんと言っても、これだけの庭が入園料ただで見られることに感謝しよう。

  

10.02.07 老化を受け入れるこころ

 50才を前に身体のあちこちが壊れてきた。
 目が見えにくいので眼科に行ったら、老眼と言われ、ついでに緑内障とも言われた。眼圧を低下させる点眼薬をつけてると副作用で常時充血とドライアイ・・・これは耐えても本やPCを2時間も見ていると著しく視力低下してしばらく車の運転が出来ないので不便だ。しかし、緑内障が進むと全く運転はできないので、そうなるまでの時間を引き延ばす為に点眼薬は必要なのである。車が運転できなくなると、沢山のことを捨てなければならない。
 40才くらいの時に、両膝を痛めて少し無理をすると水が溜まるようになり、少しジョギングしても膝が痛む。私はこの当時冬山に登ることが一番の楽しみだったが、山登りの趣味を捨てた。それを埋めるかのように芝にのめり込んでいった。 
 老化とは、ゆっくりと死につつある過程と思う。 その過程で、捨てなければならない状況が増え続けていく。。これを、病まずに受け止めていくことが、健全な老化と私は考える。

  がんも代表的な老化現象である。後述する書によると、昔は目視的に機器でがんを見つけられなかったので、それは老衰と言う言葉で安らかな死を迎えられたが、今はそれを見つけてしまいやらなくていい治療をやってしまい、延命効果もなく苦しみ抜いて死んでいく・・・そんな理不尽なことが・・・
 ブログ「異端医の独り言」より抜粋<癌の自然史からみたガン検診の無理>に簡単にエッセンスが書いてあるが、固形癌は機器で見つかる初期癌と言われるときは既に癌の自然史から言うと末期癌なのだ。この時、転移する能力のある癌は目に見えないだけで転移しており、転移する癌は最初から治療不能なのだ。 大部分の癌は転移しないので、不幸にも早期発見されてしまった癌はリンパ郭清までしてしまう大規模削除が行われて、手術をうけてしまった人は大変な苦痛を味わってしまう。

 そのような、医学や製薬会社の暗部を示しつつ、実際に各種のがんになったときにどのような対処をすべきかを、理論的に示した書物が(近藤誠 著、がん治療総決算)である。 この書物には固形癌治療を行う医師にとって大変都合が悪いことが書いてあるが、これに対して理論的に否定できる人はいないとのこと。。つまり、本当のことが書いてある。
 老化を意識したころ、もしこの書物を読んでいない方にはお勧めの書物と思う。 固形癌は病気でなくごく普通の老化現象なのだから。

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09.07.07 30万km走ってみて・・・

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ガソリン車はいったいどの程度まで持つのだろう?(ディーゼル車の世界は全く別物らしい)という問いに対して、修理屋のあんちゃんが言うには、エンジンが死なん限りいつまでも乗れると言うが、タクシーはだいたい昔は30km、今は不況なので40kmくらいまで乗っている。これがだいたい常識的な答えであろう。
 例えばエンジンが死んできてリビルドエンジンに
40-50万円くらいかけても、タクシーも接客業だから車の乗り心地も大切だからそれに耐えらるようにするに経済的な損益分岐点がそのあたりにあるのではなかろうか。 もし、リビルドエンジンに載せ替えてその他の部品さえあれば永遠にのり続けられるのであろう。
 部品が無くなっても部品を作ってまで乗るレベルになるとクラッシックカーの世界になっていく気がする。

 それでは40km乗るにはどうすればよいか。。。タクシー専用車例えばクラウンコンフォート等は、オイルさえこまめに替えていれば最初からこれくらい走るように設計されているだろうが、その他の乗用車の中には私の浅い経験からそうでない車も沢山ある気がする。 例えば2代目CR-Xに私はほとんど高速道路ばかりイケナイスピードで走り続けたら、10kmくらいで直ぐにエンジンストップするようになった。モリブデン添加剤を入れてごまかしながらあと2km乗ったが、限界になりエンジンを乗せ替えずに今の車に乗り換えた。ホンダはよく回るけどエンジンの減りも早いねえ・・

 今の車はH6年に購入したAE-101カローラFXという超マイナーな5バルブエンジンを積んでいる。 シャシーの素性はE-100系カローラである。 カローラは安い値段で80%の満足を得るトヨタ小型車の基本を成してきた歴史があるが、型式によってコンセプトが微妙に変わっているようだ。 E-100系が開発された頃はバブルの全盛期であり、トヨタはこれにかなり力(金)を入れて高品質に作り込んだ。従って、E-100系は今でも日本中で元気に走り回っており、中古車E-100系は世界中に繁茂している。よって、基本部品は今でも安く手に入る。

 私の愛車も丈夫に基本部分は本当に壊れないのでありがたく30kmを乗ることができた。 ただ、エンジンは流石にすり減っているようで、オイルの消費や振動が大きくなってきているのが気がかりだ。走行距離30万kmのうち20kmは高速道路を4000回転以上で走り倒したので、これがもしホンダの車ならとっくの昔にエンジンがお釈迦になって居るであろう。 流石、AE86以前からずっと使い続けてきた丈夫なエンジンブロックだ。

  今までトラブルやメンテナンスは、10kmまでに何もなく第1回タイミングベルト交換。途中高速の飛び石でフロントガラスが割れ、交換したのだが純正ガラスにするか純正でないガラスにするかの選択ができた。純正でないガラスを選択して4万円で交換できた、多分純正なら倍の値段はしただろう。東南アジアにはびこっているおかげであろうか。

 20kmで第2回タイミングベルト交換とサスペンションのやれを感じてきたのでショックアブソーバーとブッシュをアッセンブリーで交換してこれに10万円近くかかった。 25kmくらいになると、クーラーが効かなくなったのでガス漏れかと思ったが冷媒経路の詰まりでこれの修理に3万円くらいかかった。そしてやっと消耗品のバルブ類が切れてきて前後交換したが、工賃含め5000円未満であった。AE86に乗っていた頃は、バルブとクラッチ板は5kmで計ったように切れたり滑って交換したが、なんと長いこと持つバルブであろうか! クラッチ板に至っては30km走った今も全く無交換である。 それと、運転席側のシートがやれて沈んできて、腰痛が起こるようになった。これは仕方がない、かねてから付けてみたかったレカロの安物(12万円)に付け替えて、長時間運転しても全く腰痛知らずになった。流石レカロ・・・もっと早く替えればよかった。 さらに、塗装である、長く露天にさらしたので屋根とボンネットの塗装が剥げて白っぽくなってきた。時々、古い車で剥げているのを見かけるが、これはめちゃくちゃかっこ悪いのだ。全塗装ではなく屋根とボンネットとボンネット両側の部分を部分塗装したのだが、他の部分と境界ができないよう全くうまく色を調合してくれて、ぴかぴかの新車の外観に変わってしまった。この部分塗装で9万円を要した。

 25kmを過ぎると徐々にエンジン音や振動が大きくなって、それに伴ってびびり音が感じるようになってきた。これは、過酷にエンジンを回しているので仕方がないだろう。30kmを前に3回目のタイミングベルト交換を行って現在に至っている。

 現在の燃費はリッター10-11kmである。新車当時の燃費が12-14kmだったのでほぼ2km燃費が落ちたことになる。 

 今後は、エンジンの様子を見ながら40kmを目指すことになる。タクシー寿命と同じ所まではいきたい。そこでリビルドエンジンに載せ替えてショックアブソーバー交換して50万円程度費用をかけるか、どうか判断をする予定である。その時までに日本に自分が乗りたい車が発売されていたら、乗り換えるかもしれない。即ち、日本車が忘れてしまった「使い勝手のいいライトウエイトスポーツ(車幅が広くない)」が発売されたら、乗り換えるであろう。 AE86が今でも絶大な人気がある事実を日本のメーカーはもっと真剣に考えて欲しいものだ。

  ここまで、FXを乗ってみてオイル・エレメント交換、車検・定期点検、タイミングベルト交換といったルーチン経費は仕方がないが、これ以外に要した費用の合計は35万円程度でありこれを固定費とすると、確か車は200万円ちょっとで買ったので30kmに要した固定費は240万円程度であり、8円/kmである。 もし、10km200万円の車を買い換えていたら固定費は20円/kmである。ここで、変動費をオイル・車検等で5円/km、ガソリンで私の場合13円/kmなので、30km乗ると26円/kmである。

 もし、
10kmで車を替えてしまうと、38円/kmとなり、10kmあたりの経費差額は380万円ー260万円=120万円となる。30kmでは360万円にもなる。

 この差額は単純に固定費の差だが、車を走らせる上で変動費の割合がかなり高いことが解った。 車を長く持たせれば持たせるだけ固定費は下がっていくが、ハイブリッド車などの革命的に省燃費の車が開発された現在にあっては、変動費の差額で直ぐに車1台分くらい買えてしまいそうな感じである。

 プリウスの実用燃費をリッター25kmでレギュラー120円と仮定すると、ガソリン5円/kmでオイル・車検等で5円/kmと仮定すると変動費は10円/kmとなり、現在の私の車の変動費の半分くらいになるであろう。

 即ちプリウスを200万円として10kmノントラブルで走れば30円/kmで、私が30kmFXで走った26円/kmに近づいてくる。これを考えるとプリウスでも12万kmくらい走らなければ私にとって経費的に意味がない。 

 友達が所有している2代目プリウスのエンジンルームを見て驚いた・・・部品を固定するネジ穴が半分カットされている・・・つまりそこまでして軽量化を徹底しているのだ。ホントに大丈夫か??
 それに、車の性格上エンジンストップと発動を頻繁に繰り返すので、多分恐ろしくエンジン摩耗が早く進む気がする。それでいて、エンジンとモーターは高度になりすぎて街の修理屋で扱えるレベルを超えてしまっている。 つまり、自分が長く乗ろうと思っても、修理屋に面倒を見てもらえず、車を売るのが目的のディーラーに持って行くしかない! なんてこった! 多分
10kmくらいで少し調子が悪くなったら、ディーラーにもう寿命ですねと言われてオシマイになるしかないのだろう。。。

 プリウスは高速ではバンバン走ってくれるのはよく見かけているのだが、この車はカーブを回って楽しいのであろうか??
 私の持論「車は楽しくなきゃ意味がない」・・・車は楽しくてある程度の実用性があるのがイチバン。。。ただの実用性だけじゃねえ。。。

 プリウスという車をよく知らないので正当な評価はできないが、全然違う評価軸で乗られる車だろうからやはり私とは無縁なのか。。

 今売っている車で欲しい新車は無いけれど、一番無難なのがスイフトスポーツくらいだろうか。。。ドアは4枚もいらないしハイオク使用でFXと同じくらいの燃費じゃなかなか食指が動かないなあ〜。。。

 やたらと肥大していない日本の車幅に合ったライトウエイトスポーツがまた販売されないかなあ。。もう30年も待って居るんですが。。。

09.01.03 不条理ランド? モクモク

 猿の仲間の食性を本で読んだことがあるが、草食が一番多く、肉食(虫食)若干・・・類人猿ではゴリラ、チンパンジーは草食だが、人は唯一雑食ということだった。
 雑食と言うことは食べられるものは食べるということである。 そこには人以外はすべて食べられるものとして平等なはずである。 私は本来雑食であるある人がベジタリアンになることを不思議に思う。動物の断末魔を感じたくないというのなら「植物だって生きているんだぞ!」と叫びたくなるが、批判はしない。
 われわれ日本人が最も不思議に思うと言うか、反発を覚える不条理は、「捕鯨反対、くじらは賢い動物だから食べるなんて野蛮人だ・・」という誠に勝手な圧力であろう。「そんな頭のいいくじらが野蛮な日本人によって絶滅しそう・・・」なんてよくもまあしゃあしゃあと言うなあと、、日本人には1000年以上前から鯨をずっと食べ続けてきた食文化があり重要な食料であったが、ソ連とアメリカが昔鯨を捕りまくって(殺しまくって)、鯨油だけ取って肉を食べもせず絶滅近くに追い込んだんじゃないか!そのアメリカ人に捕鯨反対なんて言われたくないわい! と、思うのが大方の日本人ではないだろうか。「そんなに言うなら、牛食いのアメリカ人は牛を食うな!」
 牛を食わない民族、豚を食わない民族、犬を好んで食う民族、全て人間が勝手に決めた食文化であり、本来雑食である人は食べられるものは食べられるのであって、自分はこれは食べてはいけないと思うのであなたはこれを食べてはイケナイ・・・と言う人はエゴイスト以外の何者でも無いと思う。宗教上の理由で宗教観を人に押しつけてはイケナイ、賢い動物だからだめだとかかわいいからだめだ・・なんて人に不食を強要するのは「そんなアホな食文化作る運動をしないでください」と言いたい。ただ、自分だけの食文化で留めるのなら誰も何もいわないからネ!

 最近、家族とともに伊賀のモクモクに遊びに行った。 モクモクは豚を中心に地ビールやパン作りソーセージ作りなど体験等、家族で楽しめる総合娯楽施設である。
 ここに来るほとんどの人は、かわいいミニ豚のショーを楽しみながら、美味しい豚肉のバーベキューを食べ、帰りには子供たちはかわいい豚のぬいぐるみをお土産に買って帰る。子供たちは「豚さんかわいかったねえ。。豚さんのお肉美味しかったねえ。」と満足してまた来たいと思うのである。 レストランの野外席美味しい豚肉ソーセージを食べながら、放し飼いのミニ豚の背中をなで、卒倒しそうな不条理に見える楽しいひとときを過ごすことが出来る。
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 一見、不条理に見える(かわいい豚さんをみんな美味しく食べる)ことだが、子供も大人も何も不思議に思わない。。皆、豚は食べるもの、とかわいい豚をきっちり分けて考えているからであって、そこには冷静な雑食性の人の姿が感じられた。
 これを犬に替えて想像すると、かわいいポメラニアンのショーを見ながら、煮返すほどの美味しい犬鍋を家族で楽しくいただく・・・泣き出す子供がでてくるであろう。 豚を犬に替えただけなのにこの違いは何であろう?どこにも不条理は存在しないはずである。 それはただ単に日本に犬は飼うもので食べるものという食文化が(私の子供の頃にはまだ地元に少し残っていたと聞くが)が、現在はないからだけの違いである。

 日本に食文化が存在しないというだけで、それから外れた食を軽蔑してはいけない。
08.02.01 露骨でくらくら


 初めて、物見遊山で明治神宮という場所に行った。。広くて下草が無く古い広葉樹が実に良い感じに生えており、全く美味しい森だ・・・これは季節にはキノコの宝庫だろうなあ・・・と思いながら神社の方に歩いていった。
 で、神社に着くと何か異様な雰囲気がするのである。。御手洗い場にも門にも・・・建物のありとあらゆる場所に「菊の御紋」がめまいがするくらいいっぱいいっぱいあるのである。 こっこれは、、頭をつかまれてて天皇に頭を下げるよう、強要している圧迫感をうけたのである。天皇家の氏神と言うことになっている伊勢神宮でさえこれほど露骨な圧迫感は感じない。。。一体これは何だろう・・
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 ここに及んでも物見遊山の私は、本殿横にあったおみくじをひいてリラックスしようと思った。 で、そのおみくじと思ったものが・・・実は「おおみこころ??」。。なんと明治天皇が詠んだとされる歌だった。。これに百円を払ったことを後悔した。
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 ここで、私は「明治神宮」という建物が明治天皇を奉るために造られた神社であることを初めて知ったのである。 知らなかった、こんな露骨な国威発揚・・国策の神社が日本の首都の一番人が多そうな場所にあるなんて。。平和ぼけした私の脳にはなかなかストレートに理解できない事実であった。
 明治天皇と言えば、確か誰か歴史家が書いたなんかの書物で、薩長の言うことを聞かんから岩倉具視と伊藤博文の策略で暗殺されて、長州の誰かとすり替えられたという話がそこかしこで出てくる。。政治のため、国策のためどうしても国民には「イエスマン」になってもらうために必要なもろもろの事象なのだろうが、その「明治神宮」があまりにも露骨だったので、大いにくらくらしてしまった次第である。。 そういえば露骨でなくても支配しているあの人たちも、666やらなんたらの目やらシンボルを出してしまうのも同じような意味であろうか。。。。
08.01.06 芝生感についてU あるイングリッシュガーデンのベストな選択


 以前「芝生感について」で取り上げた松阪市のイングリッシュガ−デンその後である。
 予想通り開所当初の夏は、寒地型西洋芝は見事に枯れて入場料を700円から200円に値下げしていた。
 この施設は最近経営者が変わり、イングリッシュガーデンは無料になったと聞いたので、どのような芝生管理になっているか見に行った。
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 冬には美しいグリーンのはずの寒地型西洋芝は遠くから眺めると半分枯れて半分緑に見える。近くで見ると、枯れているのは多分野芝のようだった。つまり野芝の種を撒いて、寒地型西洋芝と野芝の混合芝になっていたのである。その割合は半々だった。これをWOSと考えるなら、競馬場と同じ野芝ベースのWOSということになるが、少し違うところはベース芝(つまりこの場合、野芝)は低刈りされていないので冬に枯れたベース芝がそのまま残っていることである。 これはWOSと言うよりも寒地型西洋芝と暖地型野芝の混合栽培という感じである。 
 この状態で、暖かくなればトランジションを経由せず野芝は緑色になり、寒地型西洋芝のスプリングフラッシュとともに全体が緑に移行して行くであろう。 そしてもし梅雨明けの夏寒地型西洋芝が枯れてしまっても、野芝の緑は残るので緑はある程度確保できるであろう。。(その後、寒地型芝の種を撒くかどうか管理はしらないが・・・)
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 全体を眺めると多くの人にはこれでも緑の芝生に見えるだろう。 松阪という田舎で全て寒地型西洋芝のイングリッシュガーデンを作ろうという高い志であったと思うが、それには相当の技術とお金がいるのである。 TDLのように高度(高額)な管理された寒地型西洋芝は、当地ではいささか不似合いで無理があったと思われる。 当地の多くの人はこれで大いに満足していると思うのであり、私はこの管理が身の丈にあったベストな選択であると思う。

 今後、このイングリッシュガーデンが野芝単独になっていくのか、あるいは寒地型芝と共存を図りながら管理されていくのか、楽しみに見守っていきたい。
07.09.27 RECAROはすごい


 私が今乗っている車は既に、26.5万kmを超えているが、エンジンは新品当時から燃費が1-2km/L悪くなったくらいですこぶる好調である。 マニュアルミッションだがまだ一度もクラッチ板がいかれていないところがすごい! 86と同じエンジンブロックでギヤの入り方まで(3足がちと渋い)変わっていないが、86が5万kmでクラッチ版交換だったし、バルブもそれくらいで切れたが、今の車はバルブさえ切れないのが不思議だ。さすがにショックのへたりを感じたので、20万km走行時に交換したが、それ以外大きなトラブルは無い。このまま30万km突破して3回目のタイミングベルト交換をして、可能ならばこのまま40万km走行する予定でいるのだ。
 しかし、運転席シートはさすがにへたり、沈みが大きくなったので腰の位置がずれて、車を乗るたびに腰が痛くなるは、肩はこるはで苦痛が出てきたので、そろそろ運転席を交換することにしたのだ。 いつもの修理工場の大将に聞くと、「交換に10万円くらいいるよ」とのことだ。 私は「それならRECAROの安いのに交換できるじゃん。。あっはっは」 ・・・・・・・そうか、その手があったか!
 RECAROと言えば昔は一月分の給料が飛んでいくし、スポーツシートのイメージが強いが、今はスポーツ、一般、メデイカルと種類や価格帯も実に様々で、一般シートと同じように安いモデルからちゃんとリクライニング機能もついておりなんら不自由なく、それこそ安いのなら10万円であの純正RECAROに交換できるいい時代なのだ。

 RECAROとそれ以外のシートでは全く違うとことを知らない人が時々居るようだが、腰痛とRECAROでweb検索するとよくわかるはずだ。RECAROは徹底的に人間工学を研究してきており、人間が無理なく立った姿勢の背中を座った状態で再現しているとのことで、長時間乗っても疲れず腰痛もおこらずなので、航空機のシートはRECAROが製造している。 web検索していると「RECAROシートに乗って運転したら、長年苦しんできた腰痛が嘘のようになくなった」という類の話は山ほど出てくるし、たまに肩こりまで治ったなんて書いてある。 私は腰痛の他肩こりもあるので、早速つけることにした。
 しかし、何しろ種類が多い! 価格も6万円〜100万円近いのまであるが、検索した体験談はだいたい安いやつでも充分腰痛に効くと言っている。 そこで、一般的な乗り心地重視の安いシートで<LX-VS>ブラックに決めた。これはだいたい9.5万円くらいで、RECARO専用のシートレールが2万円弱、工賃5千円、の計12万円弱で念願の純正RECAROオーナーになることができた。 RECAROの取り扱い店はいっぱいあるが、RECAROに慣れた店が安いし、ちゃんとシート調整もやってくれるので安心だ 。私は近くのお店で津市のグランドスラムオートパルでやってもらった。
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 いざ、座ってみるとやけに膝の裏が高いので少しお腹を圧迫するよう感じで違和感を覚えたが、これがレール標準のポジションらしいので、ここから自分に合う位置を探していくことにした。
 初めて乗ってみて、腰から背中全体が均一にシートによりかかっている感じで確かに腰は痛くないが、思ったほど激変しないなあ〜が初日の感想だった。
 ところが、3日ほど通勤で乗ってみてそのすごさがだんだんわかってきたのだ!
 車に乗っているときは勿論、乗っていないときの腰痛も消えてしまったのだ! そして車から降りて歩いている自分の姿勢が実に自然で真っ直ぐ歩いていることに気がついた。 私は普段からやや前屈みで歩いていたのだが、これが消えてしまった! すごいぞRECARO「私はモーレツに感動した」・・・・でもね、肩こりまでは治らなかった・・がくっ・・・これも直る人がいるのかねえ

 

06.9.24 たらいまわし




 左太ももの脂肪腫周辺がちょっとうずくので、思い切って除去してすっきりしようと思った。 町医者では荷が重い、わ先生(前述)にとってもらうのはしゃくに障る。 
 わ先生の所属するような総合病院は市内に3カ所ある。 わ先生の病院とは別の総合病院で、私は数ヶ月前に歯根膿胞の除去手術を受けたのだが、その対応が実にすばらしかった。 その病院のHPを見ると院長のミッションが書いてあり、各診療科の職員紹介があり、HPを見る限り患者に接するための医者の教育が徹底している印象をうけた。 私の手術を担当した口腔外科の医師は、これでもかというくらい説明責任をはたし、患者の意志をこれでもかというくらい尊重し、快適に手術入院を受けられるようかつ患者の待ち時間が極力発生しないよう、細やかな対応をしてくれた。 手術後も多忙の隙間を縫って毎晩医師本人が様子を見に来て、麻酔医まで手術後には様子を見に来た。。こんなに親切な対応を受けたのは何百何千回と医者と対峙してきたが初めての経験である。 インフォームドコンセントという言葉はTVの中で聞いたことはあるが、実際に体験して痛くいたく感動した次第である。

 私は、この病院なら快適に脂肪腫の除去手術と入院が約束されると確信した。 
 朝一番、外科に行き1時間ほどで初診である。 直ぐに患部エコーをとって、医師が言うには「これは脂肪と同じ感じですからしばらく様子を見ても良いでしょう。」・・・むむむ、そうきたか。。私「引きつって気分が悪いので除去してほしいんですが・・・」。。外科医「うーーーん。皮膚科で手術してもらってください。」。。私「はい」
 30分ほど待ち、皮膚科へ、、、皮膚科医「う〜ん。脂肪腫か・・・う〜ん、う〜ん。。。ちょっと患部が深いので整形外科に行ってください。」。。私「え!またですか?」、皮膚科医「ちょっとねえ、申し訳ない」。。。これは、た・ら・い・ま・わ・し??
 30分ほど待ち、整形外科へ、整形外科医「これは脂肪と同じ感じなので、手術をせず様子を見て、急激に腫れてきたり、熱をもってきたら手術してはいかがでしょう?」。。。。
あにー!!!ガンになるまで手術はせんということか!?怒!!
 冷静に冷静に・・、「これは無くなることはないんですよね?私、今日は、外科行って、皮膚科行って、整形外科に回されたんですけど・・」、整形外科医「そ、そうですか。無くなることはありません。」。。私「それなら除去してほしいんです。」。。整形外科医「私は、こういう場合様子見してみてはと皆さんに言っているんですが、どうしても手術してほしいんなら日を改めてMRIとってから来てください。」。私「そうですか、日を改めます」
 MRIは、わ先生がいる総合病院で受けており明瞭な境界をもった腫瘍であることがわかっているが、まあこれも儀式だろう。

 数日後、MRIをとって整形外科医を受診した。
 整形外科医「ほお〜、これは意外ですねえ。私もこんな結果になるとは思っていませんでした。ほら、放射線技師のコメントが書いてあるでしょう?これじゃ綺麗に除去できませんよ」と言ってものすごく縮尺が大きな患部写真・・つまり点のようにしか腫瘍が写ってないやつを見せられて<放射線技師コメント:患部は脂肪層が厚くなっており腫瘍は確認できない>。。。なにいいいいいいいい! こんな画像じゃ境界が見えるはずないじゃん。。
テメエ図りやがったなあー!


 まんまとはめられた。ここでは癌じゃないと手術するのはしちめんどくさいらしい。なああにが、インフォームドコンセントだ。
 この病院で、院長のミッションをまともに聞いていたのは一部口腔外科の人達だけのようだ。。総合病院の体質は変わらない。

 我が県でまともに脂肪腫を除去してくれる病院はあるのだろうか?ちょっとずつ大きくなってるんですが・・・

 やはり日本の医者は忙しくて偉すぎる。。

06.06.14 日本車から欲しい新車がなくなってしまった。
いつのまに一般的な日本車は、かくも四角く大きく鈍重になってしまったのだろうか?



 あと何年すればこのくだらない四角く着座位置が高い車ブームは終わるのだろうか・・・
 あとどれだけ小型車枠いっぱいの車幅の車ばかり作り続けるのだろうか・・・
 私のような考えの人間は相当%需要が有ると思うのだが・・・

 昔・・・私が86トレノを2台乗り継いでいた時も、様相は違うが同じようなことが起こった記憶がある。。
 日本メーカーは小型車の後輪駆動を一斉に捨ててFF化してしまったのだ。。FF化はそれなりの理由がある時代の流れであったろうが、相当な需要があった最後のFR牙城86をトヨタがあっさり捨ててしまった時は相当なショックだった記憶がある。
 FRライトウエイトスポーツ・・しかもいざとなれば荷物もたっぷり積めて、車幅は日本の道にぴったりな1645mm(確かそうっだったような)、1台で何粒も美味しいこの車をトヨタは、日本は捨ててしまったのだ。 このとき貧乏人の私であったが本気で当時のBMW3シリーズの車幅が同じくらい小さくてFRスポーツを買おうと思ったくらいだ。。 結局私は、その後CR−Xを買ったのだが残念ながら楽しさは86の比では無かった。
 トヨタが手放した小型FR需要をねらって、日産シルビアが出し爆発的ヒットをしたがドロリンコとしたエンジンだった。 さらに、マツダがユーノスロードスターを出してまたしても爆発的ヒットしたがいかんせんクーペボデイでなくて使い勝手が悪かった。 結局、この両車種が小型FRスポーツの需要を食っていったが、まだまだ25年を経過した今でも満たされない潜在的需要は残っているだろう。
 トヨタが今の技術で車幅1645mmの小型FRライトウエイトクーペを出したら、かなり売れまくるだろうと思うが、儲かりまくっているトヨタが25年も前に一度捨てた需要を拾うために車作するはずがないだろうなあ・・・・(遠い目)、、今の車で外から見た雰囲気が近いのはセリカかな??でも3ナンバーでしかも狭くて使い勝手が悪いこんなでかい車をどうして売っているのだろうか?? やはり理想を考えると86再現くらいしかないのだろうか。。。

(肥大化して運転しにくくなって重くなってパワーダウンした日本の小型車=おもしろくない)
 日本の道はそれほど変わっていないと思うのだが、ゴルフやBMW3シリーズみたいに日本の車がどんどん肥大化して使い勝手が悪くなるのいかがなものだろうか?? 軽自動車と5ナンバー枠の中間体の車幅でしかもタイヤの位置が四隅すぎない車が、日本の一般道に一番マッチして乗りやすいと思うのだが、その車がなんと!ほぼ無くなってしまった。 かっとびスターレットはどこに行ったのだ? 一番小さいビッツでさえプアパワーでしかも結局小型車枠いっぱいで運転しにくいじゃないか! 一体日本車はかくも一斉に肥大化しなくともいいではないか?

(四角くて重くて車高が高い日本の小型車=おもしろくない)
 バブルの時代には多用なスタイリッシュな車が生まれ、世界に通用する高品質の車作りが行われ、パワフルなエンジンが乗せられていた。。 当時のカローラの品質は恐ろしく高かった。。シート品質は今の小型車の比ではないすばらしさだったと記憶している。。当時の高品質な車を忘れてしまったのだろうか? 今の車は便利な利器を多用し安全性も上昇していると思うが、エンジン、シート、は落ちているのではないだろうか?
 特に、走行性能が落ちている小型車が、今が全盛の四角くて着座位置が高い車だ。。車高が高いので当然恐ろしくコーナーリング性能が低いし、四角くてでかいので重い車重てプアーなでれんとまわるエンジン。。居住空間のみを追求して運転の楽しみをスポイルして、かくも嬉しいのであろうか??私はこのよな車ばかり充満しているのが不思議で仕方がないし、悲しい。 メーカーがあんちょこに車造りをしているとしか感じられない。。 もっと運転して楽しい小型車はつくれないものであろうか?

 私の家には、私の車と妻の車がある。2人とも軽自動車と大型車は大嫌いである。
 私の車は、カローラFXH6年型マニュアルでいまや中古市場に出てこない超マイナー車になってしまった。86のずっと以前から使用されていた4AG型ブロックでこれまたマイナーな4気筒5バルブNA1600ccで170PSであるが、カタログだけで決めてしまったのでエンジンはトルク重視でどろりとまわることにあとから気が付いた、、一応7800rpmがゼブラゾーンなのは86の時代から変わっていない。走行距離24万kmで新車当時から燃費の落ちもなく絶好調である。。本当に当時の車は高品質だ。
 一方、妻の車はラクテイスである。小型車なのになんてでかいんだ・・・ エンジンは1500ccで110PSくらいかな??確かレッドゾーンは6000rpm以下で2500rpmを越えるとガーガーうるさいトルク重視のプアなエンジンだ。これをCVTで回すのだが、こんなエンジンなのにどういうわけか、セミオートマチックで7足になると言う・・・しかもF1並のパドルシフトまで付いているのである。一体何を考えているのであろうか、こんなところに使っても仕方ない仕掛けを付けるくらいならもっとやることがあるだろうに・・・・しかもこの車は16インチタイヤがはまっている。 こんな、ものが今の消費者は喜ぶのだろうか??この車が今一番の売れ筋なので訳が分からない。。。かといって、他にこれを大きく凌駕するようなまともな妻用小型車がないので買わざるを得なかったのだ。


 早く、このばかげた四角、小型車枠一杯ワンパターン車の洪水ブームが終わって欲しいと切に願うのみである。
 ライトウエイトスポーツでコーナーを楽しく乗れる使い勝手いい車は、はたしてまた日本で作られるようになるのだろうか?

06.06.14 延命治療は苦しみ以外の何者でもない・・患者にとっても家族にとっても医師にとっても


 今、ニュースで富山県の病院が延命治療のための挿入していた人工呼吸装置を7名の患者から引き抜いた結果死亡したと言っている。。
 外科医は「患者の苦しみを思うと人工呼吸装置をはずさずにはおれなかった・・・」とのことで、これに対し、世間は行きすぎた同情という評価のようだが、、これは全く患者の人権を無視したもしくは人工呼吸装置を挿入された患者の状態を知らない人間の言葉であろう。。私は外科医が行った行為は全く正しいと思う。

 昨年末、父が肺気腫に肺炎を併発して救急車で大学病院に運ばれ、1週間ほど酸素吸入で頑張ったが正月に息をひきとった。。父が亡くなったのは悲しいがこれは寿命である。
 父はICUで頑張り私と母が見守ったのだが、血中酸素濃度が急激に下がったとき、担当医師があわてて聞いてきた。「今非常に危険な状態です。通常の酸素吸入で対応できなくなったとき、人工呼吸を行い延命治療しますか?あるいは自然死を選択されますか?」
 私はその意味が解らなかったが、母はきっぱりと答えた・・「延命治療を行わないでください。」。。医師は「それは、立派な勇気ある決断だと思います。人工呼吸をして延命治療を行っても、患者もそれを見る家族も苦しいですし、あくまでも延命しかできませんから。。」
 延命治療を一度選択してしまったら、患者が死亡するまでストップできないのだ。ストップさせると言うことはそこで何故か殺人になってしまうようだ。。

 丁度、ICUに人工呼吸で延命治療している患者が横にいたのだが、、人工呼吸器を挿入し呼吸しているのだが意識はある状態だった。自力で痰が排出できないから数十分ごとに苦しみだして看護婦に気管奥まで管を吸入してもらい痰を吸入してもらっていた。。勿論、そんな状態だから患者は眠ることはないし、奥さんらしき人も眠る隙がないのだ。。患者と奥さんの苦しみは想像を絶するものであろう。。。2日後その奥さんに担当医が何か言っているのを聞いてしまった。。医師は「この状態は限界になってきました。次は気管切開してそこから人工呼吸しなければならないでしょう。。」 
 延命治療は際限がないのだ。。そして快復しない苦しみは続く。。行き着く場所は死なのである。

 母が何故、延命治療を即座に拒否したかあとで解った。 父は生前、母に言い聞かせていたのだ「体にいっぱい管をつっこんだ状態で生きながらえるようなことにだけはしないでくれ。自然に死にたい。」。 父は最後まで自分の面倒を自分で見る人であった。。全く身体が動けない状態になってとうとう救急車がくるまで頑張って動いた。。「そこまで我慢しなくてもいいのに・・・」

 延命治療は、家族が少しでも長く生きて欲しいと思う迷いと、患者を少しでも長く生存させるべき医者の変な倫理観と医学の進歩があいまって行われる。そこに生死の境をさまよう患者意志は反映されない。。一番苦しいのは患者なのに・・・

 苦しみを少しでも和らげて逝かせてあげたいと願うならば、家族はこの重要な選択肢の場面で、自然死を全うさせてあげる勇気が必要ではなかろうか。
05.11.8 またしても・・手術ものが・・


 今、歯医者に通って歯の集中治療を続けている。
 それとは別に、ここ2年ほど上左犬歯の上鼻の横くらいの奥の方でなにかがずっと居座っている。2年ほど前は痛みを伴って内圧が上がり歯の間から血が出て収まったのを繰り返していたが、ここのところずっと静穏化していたのだ。。ところが、この土日に突然歯茎が膨らんできて、またしても歯の間から血が出て収まっていった。歯医者にこのことを言ったら、歯の間から造影剤を入れられてレントゲン撮影である。

歯医者「う〜ん、○○さん。これはいけませんねえ。これはうちで直すことはちょっと・・・口腔外科に紹介状書きますから、当面の治療が済んだら手術に行ってください。」
私「へ? しゅ じゅ つ ??」
歯医者「ええ、大した手術にはならないと思いますよ。。ここの歯の上の腐った骨を削って中を洗浄して・・どうたらこうらた」
私「はあ。。(たいしたことあるじゃないか!)」

 あとで、症状を家庭の医学で確かめると慢性の顎骨骨髄炎というものらいしいことが解った。歯と顎骨の間に炎症が起きて骨が腐って慢性化する病気らしい。。しまった、急性の時に医者に行っていれば抗生物質だけで治ったかもしれないのに、、あとの祭りだ。

 脂肪種といい、小さな手術がまたしても増えてしまった。年だなあ〜

 だが、今はジギングシーズンまっただ中だ。。絶対今年こそはでかい寒ぶりを釣ってみたいのだ!!
 ブリを釣るまでメス入れるな・・・である。もとい! ブリも釣ってメスにもいれたい。

05.07.13 大腸カメラ初体験


 どうも、最近便秘と軟便、腸が痛む。。だいたい、今まで便秘すると便が堅くなって、痔が破れ必ず出血していたのにそれがない。。。そういえば痔も20年間放置したままだ。。幸いなことに近所の病院に胃カメラ、大腸カメラの名手がいるとのことなので、一度大腸カメラで、大腸内に腫瘍がないか・痔はどのくらい悪化しているかを見てもらうことにした。

 
 検査は1日がかりだ。

1.
前日軽い夕食と下剤を飲む

2.
9時に病院に行って、水薬(下剤)を10分で200mlのペースで飲むように命じられる。。量はなんと2L! 少しサイダーの香りが着いていてわずかに苦みがあるくらいなので、最初の500mlはすいすい飲める。。。1L飲むのに予定より少し遅く60分を要した。。。ここからが苦しい、腹がぱんぱんになって少し飲むと吐き気がするので遅々として進まないのだ。。やばいなあ〜絶対あと1L飲めないよ〜。。12時前に看護婦がやってくるので、それまでになんとか1.5L位飲んであとは手洗い場に捨ててしまった。。

3.
検査は午後2時である。下剤の効果で2時までに12回も便所に通いおしっこのような透明便になった。

4.
午後1時30分、大腸カメラ用服に着替えである。
看護婦(にこにこしながら)「真っ裸になってこれを履いてください」
こっ!これは・・・穴あきパンツ・・しかも前じゃなくて後ろに穴が開いていて菊のご紋だけ見えるやつじゃあないか!
結局カメラが終わるまで約1時間、私のけつの穴だけ3名の看護婦に見られることになったのだ。

5.
午後1時50分、看護婦が筋肉注射を打って、カメラ用ベッドに横たわった。。
看護婦「大腸カメラは初めてですか?」
私(不安げに)「はいそうなんです」
看護婦(唐突に)「ねえ○○さん、身長はどのくらいあるのかしら?」
私(穴あきパンツなので気の利いたこと言っても説得力なしだなあ)「175cmです。(ぼそ)」

6.
医者がやってきて、弛緩剤らしきものを静脈注射。左を下にしてけつを向けるよう指示があり、看護婦3人が医者の後ろに控えて、私の菊が彼女らにあらわにされた・・・・ここにカメラが挿入されるのだからさぞかしいい眺めだろう。。何故か私もいい気分だ。

7.
カメラは細い。。長さ1mほどの番線みたいな形だ。。私は胃カメラくらいの太さを想定していたので、入れるとき痔から出血するだろうなあと思っていたが、ローションとともにするする入っていくではないか!
 痛くも何ともないく肛門・直腸・結腸の湾曲部を無事通過。。カメラの先端がどのあたりになるのかはっきり感じることができる。。老人や結腸の長い人ではこの湾曲部をなかなか通過できず、相当痛い思いをすることがあるそうだが、看護婦によると私は若いから早く入ったそうだ。(今度入れてみるかい?・・というジョークを言いそうになったがぐっとこらえた)
 左上に直角に曲がっている部分を通過するとき5分くらいかかった。ちょっと痛かったが、無事通過。。あとは大腸終点の盲腸あたりまで行き、ここでカメラをぐにゅりと曲げて小腸の一部まで入ってだいたい挿入から10分経過。。帰りは、カメラを抜きながら、腸壁の水洋便を吸い取る→空気を挿入して腸を広げる→画像撮影、の繰り返しで10枚ほど撮影して挿入から約25分で終了した。。。挿入自体は胃カメラよりはるかに楽な気がしたが、老人はしんどいらしい。

8.
注射のため体がふらつくので、1時間ベッドで寝てから医師に画像説明をうけた。
<結果>小さな潰瘍はいくつかあるが大したことはないしポリープもない。痔は数カ所あるが軽度のものであった。なお、痔についてはよく調べて欲しいと言っておいたので、肛門から上方向に撮影した画像と直腸でカメラを180°回転させて上から肛門を見た画像をとってもらっていた。画像は鮮明で、方向も自由自在、大腸カメラとは全くすごいものだ。

9.
結局診察は9時に始まりすべてが終了したのは16時30分・・・長い一日であった。


感想
・水薬を全部飲むのはつらいから適当に捨てましょう。
・菊穴パンツは衝撃的であった+まだ現役の看護婦3人に見ていただいて幸せであった。
・肛門の入り口を腸の中から見るなんてすごい画像だ!いろいろやるスケベビデオも真っ青だ。

 
 後から見ると気持ち悪くなるので、小さめに↓


05.05.26 愛知県にもの申す


 私は、愛知万博の前売りチケット(大人2枚、子供1枚)購入していた。。
 大阪万博を経験した世代であるし、万博は驚きの施設がありその期待感もあるが、一番の理由は、シュールストレミングが食べられるととの前評判からである。
 知る人ぞ知るこの食品は、魚を原料とし世界で一番臭いと言われる発酵食品で、滅菌せず発酵状態のまま缶詰になっており、爆発の危険があるので飛行輸送を禁じられている。。船便ならいいらしい。。勿論日本でネット販売しているところなど無い!!運良く手に入っても発酵しすぎて固形物が無く液体だけになっていることがあるらしい。。。  ということで、庶民の私がこいつを食うには、どうしても万博会場に行かなければならないのである。

 だが、マスコミを通して流れてくる情報は、待ち時間と行列の連続、入場するのに何時待ち!入館するのに何時間待ち!! こら愛知県!!なめたらあかんぜよ わしゃ、2分と待てない性格なんだよ。。待つと言うことほど程、時間の浪費はない!! 
 万博に行った人の感想を直接聞く機会が2度あったが、いずれも答えは同じ「あれは苦行しに行くようなものだね。。」とか「子供が耐えられる場所ではない!」とか、怒りの返答が返ってくる。

 私が想像するに、これを設計した人間は、パビリオンの目玉を考えていって行く気にさせ、これに最近の役所お得意イベントの危機管理を徹底的に想定していった結果であると思う。。。そこに大きく欠けているものがあった。。顧客満足度という観点。。
 イベントに出かける人間が満足しなければ、そのイベントはやらないほうがいい。

 家族に相談すると、あそこまで並んで行きたくないと言う。同感だ。今日は近くの金券ショップに前売り券を売りに行ったら、入場券は額面の半額以下・・大人1人2200円、、子供に至っては1/3価格500円であった。。ちょっとすっきりした。


05.03.24 結局、損得で動いている


 人の思考・行動基準は、損得勘定で動いている。
 私は、このように思うのだが、実は世界ではそうではない人が多いらしい。
 「宗教練習問題(ひろ さちや著:新潮社)」を読んでいると、、人類の多くは宗教を思考・行動基準においているということである。
 世界の宗教を例に取ると、ユダヤ教は旧約聖書とタルムード、キリスト教は旧約聖書と新約聖書、イスラム教は旧約聖書とコーラン・・・それぞれの宗教というか規範が、損得勘定を超越して人間の思考価値の基準になっているようだ。
 それじゃ、日本人も神仏の宗教があるではないかと考えたくなるが、実際は日本人の宗教観はめちゃくちゃであるらしい。その端的な現象が、神社で合格祈願など神頼みである。具体的にこれを解説すると、自分は望みの学校に合格したいので、他の実力がある人が落ちることになるかもしれないが、どうか神様私の望むように未来を変えてください、このお金で。。。ということになる。エゴイステイックであり、神を自分の都合のよいと思うように隷属させるとんでもない行為である。。これは宗教ではなく損得である。
 上記世界規模の宗教は、神が世界を作り世界を均衡し動かしており、その中で運命は神によって決められており人間はその宗教の考え方をよりどころに粛々と生きている。神は一個人の欲望を聞く耳など持っていないのである。神様、仏様は、拝んでいれば自分の望みを叶えてくれる。と、思いっきり損得で動くと考えていること自体、日本人が宗教音痴な所以である。

 先祖供養とはなんぞや?
 ちょっと考えただけで、これは奇妙なことと感じる。少し先祖を遡ったら日本人の多くが同じ人とオーバーラップしてくるはずである。もし、対象とする先祖が2代上くらいに限定するのなら、それも自分の先祖だけよろしくお願いします(供養しない人たち他はどうでもよいけど)と、これまたエゴで神仏の隷属化である。

 先日、兄の3回忌を主催したが、それについてちょっと母といざこざがあった。回忌というのは、寺から坊主を呼んで念仏やら唱えてもらうセレモニーなのだが、来てもらった坊主に普通は布施(現金)を持っていってもらう。それは、坊主の生活費や寺の事業費に必要で現実的な金である。
 母は、この頃宗教活動に非常に熱心である。人間は死に対する恐怖を感じるから宗教が存在するらしい。人間以外の動物はその恐怖が存在しないから宗教がいらないらしい。しかし、「死は生存中は存在せず、死後も存在せず、瞬間の点であるから、そもそも心配するに足りないものである」との考え方があり、これを実践できる人は宗教がいらないだろうとのことである。。だが、現実は時間的に死を身近に感じる高齢者は、その恐怖を弱めるためその苦痛を弱める(日本人が)宗教といわれるものに熱心になるのである。
 で、3回忌の場で母は、坊主が来たら早速お布施を渡せという。それは、始めに渡す方が坊主もやる気が出ると言う意味らしい。「おいおい、そりゃ思いっきり損得勘定やな」とつっこみを入れたくなったが、仕方がないので、早速お布施を渡したが、案の定受け取らなかった。。お布施は、与えたいと思った方が一方的に与えるもので、そこには何ら損得勘定は存在しないことになっている(現実的には??だが)から、坊主も理屈では困る。与えられる方は受け取る義務は無いのであるが、受け取ってくれたら与えた方は本望となる。。で、坊主が帰るとき、ありがたくお布施を受け取ってもらった次第だ。このあたりが、理屈と現実と習慣が入り交じって難しい。

 さらに、遡って兄の葬儀のことを冷静に考えてみることとした。
 葬儀は一体誰のために行うものであろう?? 当然それは死者のために行っていると多くの人は思うであろう。。しかし、私はそれは、自分も含め葬儀に参加する人のためのものと思う。しかも、それは宗教的でなく極めて損得勘定の原理が突き動かしていると考える。
 葬儀を行うことは、兄を弔うことであると、、死者への畏敬の念が強かったし、このセレモニーは兄が存在しなくなったと自分の中で消化する貴重な出来事であった。 しかし、それ以外のことについて自分を例に取ると、世間体を考えて「これくらいの予算で・・」「親戚には、、組の人にはこれくらいの接待をして・・・」「この地区の風習に従って・・・」「この寺の方針に従って・・・」、、、今から考えると本当にいろいろなことに気を配ったが、これを冷静に考えると、これら法則からはずれると結局自分に非難がふりかかるので、その損をしないために一生懸命努力していたのではないだろうか。 
 私以外に葬儀に参加した人は、「礼服でないと非難される」「香典や花輪をこれくらいにしないと非難されるのではないか・・」など、やはり死者への畏敬の念とは別に、非難をうけ自分が損をしないための行動を行っていたのだろう。

 結局は、日本人のほとんどは損得によって行動をしている。葬儀でさえ・・・

05.03.19 欲望の器



 これは、欲望の器である。私がそう名付けた。
 長さ1mほどの発砲スチロ−ル箱に保温用グラスウールの蓋を乗せている。発泡スチロールは厚さ4cmほどで重量物を入れてもかなり強度がある。蓋用保温材のグラスウールはちくちくするのでゴミ袋で包んでいる。
 私がこの器を用意した唯一目的は、10kgオーバーのブリを入れて持ち帰るためである。

 ジギングは今まで体験した中で最も楽しい釣りである。ジギングをするまで釣りはスポーツとは思わなかったが、水深100mまでのライトジギングでさえ1週間疲れが残るほどの運動量である。なかなか釣れないが、だいたい釣れれば魚はでかい。ワラサぐらいになると自分の筋肉がきしむのを感じる、魚との格闘である。1匹釣る充実感はかなり大きい。ジギングをやると餌釣りをすることがあほらしく感じてくるから不思議である。ジギングの魔力は恐ろしい・・・。最近乗合船に乗船することが多いが、だいたい一人くらいとんでもない人が乗船しているのだ。「昨日は日本海だったけど、先週は五島列島だったよ。あっはっっはー!」とか言いながら、一人で5本くらいロッドセット(たぶん1セット10万くらいのやつ)を持ち込んでいる。(あなたは一体どうやって生活してるんですか〜? てつっこみ入れたくなる)で、よく観察するとジギングしながら携帯で仕事の指図をしていたりするのである。。。

 ジギングをはじめて間もない今の目標は10kgオーバーのブリを釣ることとしている。。。これがなかなか、、釣れてくれない・・から目標なんだけどね。10kgのブリはだいたい長さが1mくらいである。ということは、内径1mのクーラーが必要で、釣り道具屋に行くと売っているのだが、値段は5万円くらいもしてしかも普通乗用車に乗らないくらい巨大なのだ。 これに比べて内径70cmのクーラーなら5000〜6000円で売っており、80cmまでのワラサなら十分なので私はいつもこれを使っている。
 だが、ブリは入らない。目標の魚が釣れても持って帰る保冷庫が無いのだ!
 それで、いろいろ考えた末、農業用に使用する発泡スチロール容器を見つけきて、建築資材に使用するグラスウールを蓋にして、ジギングに行くときは密かに車の後部座席にこれを積んでいくのである。

 そして、ジギングから帰ると車から降ろすの繰り返しになっているのだが、この容器がある限り私の気力は尽きることがない。今シーズンのブリは残念ながらもう終わりであろう。だが、この容器を見てまた来シーズンまで欲望を醸成させるのである。 欲望はエネルギーの源なのだ。

05.03.17 脂肪腫


 今日、休みをとって1月ほど前に行って4時間待った末「わからないな〜」と言われた病院に行ってきた。ようやくMRIを撮影してもらい、<「わからないな〜」先生: 以下 わ先生>に診断してもらうためだ。
  今回は、MRI撮影から診察まで実にスムーズだ。1時間ちょっとで済んでしまった。

 上の写真は腫瘍がある左太股の輪切りMRI画像だ。話には聞いていたが、実際自分の体の中が手に取るように解るのは興味深くおもしろいものだ。。
 真ん中の丸い空白が大腿骨(以外に細いなあ・・)で、その周りの黒い部分が筋肉、一番外側の外周白い部分が皮下脂肪である。皮下脂肪の中に黒い丸が数個あるが多分血管だろう。
 腫瘍は、内側上部(画像では右側上部から1/3くらいの位置にある)皮下脂肪の中に円盤状にうっすらとある。さわると直径5cmくらいに感じたが、写真を見ると直径3cm厚さ1cmくらいであった。筋肉とは明瞭に境界があり、脂肪組織と同じ色で写っている。

  わ先生「これは、脂肪と同じみたいな感じだねえ。。。患者さんが気になるようなら手術して除去します。」
 私「と言うことは、あるていど観察していて患者が除去してほしいと思ったら手術してもらうということでいいんしょうか?」
 わ先生「そうだねえ」

 じりじりしながら私「これは脂肪腫でしょうか?」
 わ先生「そうだねえ」

 「良性の腫瘍が悪性化することはあるんでしょうか?」
 わ先生「手術して組織をみるまで解らないし、良性と悪性が白黒分かれるんじゃなくて、その中間みたいにいろいろ判断されるんですよ〜」

 私(全く!もっと責任持ってちゃんと診断せんか!!こちらから聞いて、やっと教科書に書いてある程度のことしかいえやんのか!!・・・と心で思いつつ。。「手術は入院とかしなきゃいかんのですか?」
 わ先生「正常にいって、前日入院+手術+経過観察で最低3日入院です。それから、通院・・・」
 私「そ、そうですか・・・今仕事が忙しいので、また手術してもらいたいときに予約入れます」

 脂肪種の診断にこんなにフラストレーションがたまるとは思わなかった。。。しかも、結局わ先生は自ら病名を言わなかった。はあ〜

05.02.25 人体は不思議だ


 人は特に年をとってくると、人体の病気が増えてくる。私は今、肺に空洞があるし、膝が無理すると直ぐに水がたまる。この他に放置しているものが3種、ほぼすべての歯が虫歯で前歯口内には常時膿と思われる膨らみがあり1年以上放置している。20年以上痔と思われる出血が続いているが一度も診察を受けたことがない。左足太股内側1cmほどの深さに直径5cmほどの円盤状腫瘍があるが、これは去年の年末近所の町医者に診てもらい、超音波で調べ多分良性の脂肪腫であろうとのこと。「まあ・・・できやんことはないけど、切った方がええで1月以内にきてください」とのこと、、、なんていいかげんな医者なんだ!!脂肪腫なら放置してもいいはずじゃないか!しかも腕に自信がないらしい。。。え〜い、こんな医者めだやめだ。

 で、腫瘍が気になってきた。CTを見ればまず間違いなく診断できるらしい。部門は整形外科らしいというのがITからわかってきた。。今日は休みをとって大病院に外来で診てもらいに行った。
 一般的に大病院=異様に待ち時間が長いの図式がある。。今日は初診なので2時間くらいは覚悟してでかけ、受付で待ち時間を聞いたら「今日は空いてますから直ぐですよ」とのこと。。な〜んだと拍子抜けであったが、そんなに甘くなかったのだ。11時から待ちだして、1時を過ぎても音沙汰なし、2時を過ぎてもまだ客が沢山、ひょっとして何かの間違いかと思いかけた3時前にやっと名前を呼ばれた。。。4時間待ちだった。。。
 医者は、なんですか〜?てな具合で、非常に軽い、、どうも目に前にいる患者は人ではなくモノのように見ている感じがありありだ。で触診である。「確かに何かありますねえ〜。骨じゃないからレントゲンに写らないなあ〜<そんなこと言われなくてわかっとる!>」 「レントゲンに写らないからわからないな〜。MRIやりますか〜?」 「お願いします<そうそう、それをしてもらうために4時間待ったんだよ>」 「それじゃ撮影の予約入れときますね〜。う〜ん、○月○日になりますよ〜<ぬあんだとうううううう、1ヶ月先じゃねーか!!!!!!!>
 4時間待ち+診察時間5分+結局「わからないなあ〜」怒!
 医者は巨大病院のシステムの中で非常にハードに働いているのは理解できるが、4時間待って5分診察して解らないと言った患者に対して、「ちょっと待たせちゃいましたね」の一言が言えないのである。。役所だって今は、住民本位で低姿勢・たらい回し無しだぞ!!それに比べて日本の大病院の医者は偉くて賢すぎる。。患者は解剖実習で扱う死体ではなくて、生きている人間なのだ。
 現代医学の進歩は画像処理機械の進歩が大きく寄与している。この高価な機械は大病院にしかないので、皆待ち時間を覚悟してやってくるの忘れてはいけない。

 愚痴が長くなってしまったが、今日の本題に戻る。
 例えば、多分私は脂肪腫(こぶとりじいいさんのこぶもこれだ)と思うが、これはもともと体に破片があって、これが徐々に大きくなり40〜60歳くらいに人の目に付くようになるそうだ。しかも、こういうことはかなりの頻度であるとのことなので、一体なんのためにこんな現象が生じるのだろうと思ってしまう。
 人類は直立歩行したことによって、痔という病がでてきて、さらに直立歩行でにより子宮が前傾しながら曲がった構造になったため難産をする動物になったと言われる。
 「新人体の矛盾  (井尻正二・小寺春人著、築地書館)」によると、人体の矛盾や不思議がいろいろ書いてあった。その中から抜粋・・・
 ・解剖とはなんぞや、、
 提供をうけた死体を先ず防腐処理するため、大腿動脈からホルマリン溶液を浸透させタンパク質の変成を防ぎ、解剖に際してホルマリン臭を少なくするためアルコール中に半年以上保存してから解剖に供されるとのこと。
 解剖の主力はピンセットによる精緻な構造分離で、1体の解剖に1日4時間30〜60日を要し、その間に1万語に及ぶ解剖学的構造名称がでてきるそうだ。。。私は医学生が使う解剖学図鑑を見てみたが、人間の体が想像もつかないほど多数のパーツからできていることを実感できた。。医学生たちはこの解剖を通して、人体を徹底的にモノとして学習することになるのだろう。
 余談だが、人間の肛門括約筋は脂肪組織を除くと見事な富士山の形をしていることを知った。
 ・何故、泣くと鼻水が出るのだろう?、、
 涙は目尻上方にある涙腺から分泌され目頭上下にある涙小管から排出されるが、一方で涙嚢とう袋がその涙を吸引する。この吸引運動は瞬きによって行われるので少々の涙なら瞬きすると直ぐに引っ込んでしまう。しかし、涙嚢は鼻涙管で鼻孔に開口していて、涙が鼻からあふれてくるのである。
 どうして、このような構造になっているかその源は魚類の鼻孔の名残とのことである。魚類の鼻孔は口と分離しており水の匂いをかぐためにあるけど、進化の過程でその解放口が何故かが目につながってしまったため、人間は泣くと鼻水をたれなければならなくなったそうである。
 ・何故、人間は猿と違って肌が露出しているのか?、、
 これは今まで随分不思議に思っていたのだが、この本では見事に説明している。。。こうなったのは、結論から言うと人間の脳が猿に比べて大きくなりすぎたためとのことである。
 一般にほ乳類の体温は、鼻腔により冷却されているそうだが、脳が大きくなりすぎた人間は鼻腔の容積をへらさざるを得なくなり、その代償として体表から汗によって体温を低下するようになったとのことで、そのためには毛がじゃまになったのである。。汗腺には2種類あり、発汗して体温を下げるのは毛根に付随していない小汗腺で、体表面に多数存在しており。これに比べ、毛根に付随し脂や匂いを出す大汗腺が脇の下や肛門廻りに存在しているとのことで、人間の大汗腺は他のほ乳類に比べてずっと少ないそうである。。。。
 人間は匂いによるコミニケーションが少ないのではないか、、、犬は他の犬のウンチを一生懸命かごうとするが、トイレに入った人間は他人がしたウンチの匂いを極力かきたくないのである。

 解剖学図鑑を眺めていると、生物の時間に習った図も出てくるが、それ意外に知らない細かい構造がこれほど多いとは思わなかった。その中で、私が一番びっくりしたのが↓である。

 まさか、こんなに見事に2ピースに分かれているとは思わなかった。。。
 道理でナニは堅くなってもナチスの鉄兜は堅くならないはずである。
04.08.17 借りを返さなければと思うことについて
あるいは、借りを作りたくないと思うことについて



 芝 伸太郎 著「うつを生きる」によると、われわれ日本人典型はメランコリ−親和型うつ病の素因を持っており、それは我が国の風土によって長年にわたって培われてきた日本人の「生きざま」のことであるそうだ。従って、発病すれば「うつ病を生きる」であり、そうでなければ端的に「うつを生きる」となる。
 メランコリ−親和型とは次のような性格指標で特徴ずけられる。「律儀、几帳面、誠実、真面目、権威と秩序の尊重、強い責任感、仕事熱心、その場の雰囲気を壊さない細心の注意を払う、問題が生じれば直ぐに免責的態度(つまり謝る)にでる等」すなわち地味ながら模範的で人様から後ろ指さされることない立派な社会人で、これらの性格は日本人的美意識に合致するものでもある。

 職場で時々、うつ病度の自己チェックと称する紙が配られて、鉛筆であてはまる項目をチェックする。内容は上記のメランコリ−親和型を特徴付ける性格かどうかと現在だるい・不眠・無気力とか症状が現れているかを問うているようだ。 あこれもこれも当てはまるじゃないか?おれはうつ病か?と思ったことはないだろうか。なんともお粗末な自己チェックと思う。あなたは典型的な日本人的性格ですかと聞いてるような感じがする。
 私は典型的なメランコリ−親和型うつ病を繰り返しているが、私の父親は私以上にメランコリ−親和型性格であるが発病していない。発病するかどうかは、なんらかの契機が必要だが、それ以外に要素がある気がする。一言で言うと割り切れる性格かそうでないか・・・あることに対して引きずってしまってそこからとらわれて抜け出せなくなると、反復刺激をうけてより強力に心に作用し、その結果発病の契機となりうるのだろうと思う。

 さて、この性格にはもう一つ大きな特徴がある。。人から何か期待されればその期待に応えなくてはならない、人から借りを作れば直ぐに返さなければ気が済まないし苦痛に感じる、それが嫌なので人から借りを作りたくない。。こちらから貸しを作るのは、見返りを期待しないと割り切れば気持ちがいいものであるが、借りはいつかは返さなくてはならないのである。そう強く思って、そこから抜け出せなくなってしまうのである。
 親切な行為を受ければ直ぐにお礼を言わなければ気が済まない。長期に物理的な借りを作るロ−ンは組みたくないし、ロ−ンの苦痛を考えると我慢して買わない。人間関係は、そもそも心の貸し借りが基本で動いているので、どうしても必要な仕事や近所つきあいを除いて積極的に人間関係を結ばない。
 これは、有る程度一般的な法則と思うが、普段は人に話しかけるのがおっくうなのに、旅先ではいきなり雄弁に楽しく社交的な気持ちになる。なぜならば、そこには借りをどうしても返さなければならないような人間関係が存在しないためである。借りようが貸そうが後腐れがないので、心が解放されるのである。よく旅行番組で、その土地に行って人の人情に触れるのは素晴らしいとのたまうが、その人情に対してなんら返さなくても良いから素晴らしいのであって、逆に身も知らずの旅人が来ても人情を与えることがまれである気がする。

 日本社会では、このメランコリ−親和型性格を軸に回っている気がする。 権力に従い秩序が保たれるという原則はあるが、単純な貸し借りの原理が重要な気がする。
 商売や営業は物は勿論、人に何らかの小さな貸しを作り大きな見返りを得る、或いは借りを返さない人(メランコリ−親和型が弱い人)には返すように仕向け、それ以上の見返りを得ようとする行為では無かろうか。。政治家にせよ、経営者にせよ人を動かす人は、貸しが上手でないと適さないと思う。つまり、日本人のこのような性格を利用して、小さく貸して大きく返される人が社会的に成功するのだと思う。
 それでは、それができない人はどうすればいいか・・・無理に自分を変えるような行為は苦痛意外の何者でもない。明日からヒラが管理職になりなさいと言われて、真面目で責任感の強い人は昇進の期待に応えられないと飛び降りたくなるのである。

 できることなら、借りを作りたくないというのが本音であるが、好奇心がその心を上回る時に借りを受け入れてしまうのである。
04.07.20 気力について


 気力は行動エネルギーの源である。
 気力がわかないと言うことは、何かをやらなければならない時、甚大な苦痛を感じる。何かをやらなくていい時は、全く空虚に時間を過ごさざるをえず、その後時間を無駄に過ごしたという悔いが残る。
 いつもやる気満々の人がいるが、一体どうしてだろう?
 若いときは何事にも気力があふれていた気がするが、今はどうだ!
 仕事は気力を振り絞らなければ(つまり我慢しなければ)なかなか前に進まない。

 遊びは仕事に比べて、ある程度自由に選択できるから気力がわきやすいが、それもこの頃減退気味である。単発ではなくもう少し長く気力が続く新しい遊びが必要である。
 今、うきうきしていることは、ジギングでブリを釣ることである。昨年macさんの船に乗せてもらいmacさんのロッドセットでワラサを1匹釣ったがその時の感触が忘れられない。
 最近念願のジギングロッドセットを購入し、釣れてる乗合船に乗ることも可能になったので秋のジギングシーズンが待ち遠しい。


 もう一つうきうきしそうなことがある。これは昔からの夢であり、図書館で本を読んでいて思い出した。自転車にテントを積み込んで野宿旅をしたかったのだ。
 車にテントを積んで旅に出たことはあるが、それでは発見とか出合いが少ないのである。登山用にコンパクトな宿泊セットは充分揃えてある。自転車くらいとろとろ走っていると、多分かなりの体験や発見ができるはずである。しかし・・・私は膝に持病を持ってしまったので、登山と共にとろとろ野宿旅をいつの間にかあきらめてしまったのだ。だが、macさんがバイクで遊び始めたのでハタと気が付いた。その手があったか・・・私はお金がないし、免許もないので原付以外のバイクに乗るのは今のところ難しい。しかし、中古の原付を買えばとろとろゆっくり野宿旅が出来るではないか!原付といえどバイクはバイクであるからそれなりに楽しいだろうし、車で行けない林道も登っていけるから、またそれも楽しい。

 楽しみが発生するまでの過程で気力が高まっていくのである。
 こう書いてみると遊びについて、最近macさんから影響やヒントをもらっているのがわかる。さすがHP「遊びの森 趣味千山」の主人だ。
 さて、最近ジギングセットは買ったばかりなので、連続して中古原付バイクを買ってしまうと家庭不和が起こるであろう。あとはいつ嫁を陥落させるかである。家族サービスでベルマーク、誕生日には豪華景品と接待、まだまだ足りないだろう。

 気力を起こすために気力のいる作業が必要だ。
04.05.07 感動について


 感動すると言うことはどういうことだろう。感動するためには、感動するための心の状態が必要である。例えば、毎日同じ場所で夕日を見る機会があったとしよう。毎日繰り返し見ている夕日が、ある日突然美しく感じられ、感動する心の内面状態が生じ、何故今までこの美しさに気が付かなかったのだろうと思うことがある。
 感動する心理状態にあったとして、感動に至る方法は2通りの道があると思う。一つは偶然に見つける感動である。これは感動を求めようと能動的に行動しているわけでもないのに出会うものである。あくまで偶発的なものである。
 もう一つは、問題意識を持ってある目的成し遂げようと行動に移し、その結果生まれる感動である。これは能動的に感動を創出しようとする積極的な行為である。感動を増やすには受け身で偶然を待っていても仕方がない。能動的に行動を起こさなければならない。行動の源になるのが、自らの内面に産まれる問題意識・目的意識である。この意識があるからこそ行動に移すエネルギ−が生じるのである。逆に言うと、この問題意識が生じないと行動に移すエネルギ−が少なくて、行動を起こさないか流されるかのいずれかになってしまう。そうすると楽しくないのである。
 先ずは何かに興味を持つことから問題意識が産まれる。私の場合、一番手っ取り早い問題意識の産み方は、経験していないことで自分が興味を持てそうなことを探すことから始まる。行動を起こしてみて思ったよりくだらないことが多いが、ああやってよかったと感動することも多い。

 最近、二つの面から感動の限界を感じるようになってきた。
 一つは、自分で自分の思考の範囲を限定してしまうことである。例えば、私は県外に出るのが距離的なことでおっくうである。始めからここで思考にストップがかかってしまう。感動は一人で計算の上に生じるものであると言う固定観念が染みついて、多人数で行動が制約されるとこれを良しとしないという考えに、向きがちである。また、お金がもう少しあれば思考の範囲も少し広がるかも知れないが、これは小さなことである。
 もう一つが、最近思うようになってきたことである。自分の内面がおもしろくないと気づく自分が居るのである。それでは自分がおもしろく感じるようにするにはどうすればいいか・・・それは、人を幸せにすると自分もおもしろいと感じる現象である。従って、感動を大きくするには、人が幸せになり、自分が幸せになり、そこで産まれた感動は一人だけで生じる感動より非常に大きいということに気が付いてきた。だが、これは頭で考えても、なかなか実行できないのである。この二つが最近感じる感動の限界である。

 最近、プライベ−トで人間関係を築くにはどうすればいいかと言うことを考えている。
 人間関係は人に呼びかけることと、人からの呼びかけに応えることによって成立する。呼びかけることと呼びかけに応えることにおっくうになっているには理由がある。波長が合う人間が少ないのである・・と言うより、昔は「あいつはいいやつだ」くらいが人間関係を結ぶ基準であったが、今は私にどれだけの情報を与えてくれて、どれだけ心地よくしてくれるかなど、結びたいと思う波長の幅を自分でどんどん狭めてしまっているためである。
 人間関係を結ぶ上で障害になっていることが、もうひとつある。私は他人の良いところを見がちであり、自分の良いところを押さえがちである。そうすると、行き詰まってしまう。このバランスがわるいのである。これを改良するには、「自分中心の考え方」をしっかりやろうと思っているがこれがなかなか難しい・・・

 感動を多く得るには、自分を変えなければと思うこのごろである。

04.05.06 私が生きる目標について


 私は自分はどのように生きるか決めるにあたり、最も影響を受けたのが父である。
 父は少年時代、京都の呉服問屋に小僧に出され、商品を背負わされてお金は渡されずひとりぼっちで全国を回りながら商品を売り歩き、もし売れなければその日の食事にありつけないという厳しい修行をしてきた、所謂人に言えない苦しみしてきた人である。その後、会社勤め、会社を辞めて何故か魚屋になり、失敗して結局繊維問屋の小さな会社を起こして小さな成功を収めた人である。筋金入り、たたき上げ、人の心を読みながら、自分がもうけるためにいつも人にもうけてもらうことを考えていた商売一筋と言う言葉がぴったりなひとであった。仕事一筋だが息子の私には優しい父親であった。私は甘ちゃんで育ったので、いつまでたっても父親のように人の心を見通してそれを真摯に行動に移す能力は身に付かないだろう。
 父親の唯一の趣味がパチンコと晩酌であった。つまりほとんど無趣味であり、時間が有れば仕事を嬉々としてやる人であった。私は小さい頃から、父の苦労を見続け、父は何のために生きているのか理解が出来なかった。勿論、家族が生活するためにやらざるを得なかったのだろうが、商売をやめて10年以上経った今もやはり無趣味である。

 このような経験から私は大学時代、絶対商売人にならないと決意した。このころ同時に、人間は何故生きる意味があるのだろうと、若者に(今でもそうであるが・・)なら誰でもありがちな命題を考え続けていた。そのために、友人は勿論、宗教関係者と議論したりしたことが懐かしい。
 一方、私はこの頃、友人宅でクラッシック音楽を聴き始めて、たびたび背中がぞくぞくする感動を味わっていた。クラッシック音楽は何百年間に渡り、多くの人を感動させ続けている。しかし、この感動を知らないで死んでいく人もごまんといるのではないか。。。私は、この時悟った気がしたのである。人間以外の生物は子孫を繁栄させるために生きているだろう。人間も勿論そうであるが、人間は感動する生物であり、これが生きていく意味ではなかろうか。共通の感動である家族愛・仕事での満足感などあるが、人類は恐ろしいほどの種類の感動を体験してきたはずである。人類が体験してきた感動を知らずに死んでいくのは実に勿体ない。これが私の生きていく意味であると思った。出来る限り感動を体験するための手段として趣味が必要である。

 かくして、大学時代から私は趣味人間になろうと思うようになった。仕事もできるだけプライベ−トな時間がとれるような職種を選択したつもりである。趣味は一人でできるものが最も効率がいい。誰か居ないと出来ないような趣味は人に制約されてしまって嫌な思いをする。よって、私の趣味はどんどん増えたがほぼ全て一人でできる趣味に限定されていった。
 そうすると、今度は自分の時間を(自分にとって)どうでもいいことに取られるのが勿体なくなってきて、仕事では仕方ないとしても、プライベ−トでの人間関係を積極的に構築するのを敬遠するようになり、友人は極限られた人間だけになっていた。そして現在に至っている。
 こうなってくると、話が通じる人間の方が居なくなってしまう。でもITとは便利な物で、HPを立ち上げていると、趣味が合うような変人が沢山居るのである。世の中とは広いものである。

 私は、今まで自分で人間関係を狭めてきた。これはこれで非常にここちよいものである。存在を希薄に振る舞うことで、余計なことをせずともよく、随分今まで良い思いをしてきたと思う。
 しかし、このままではいけないと思うようになってきた。今から新しい人間関係を築こうとしても、築き方が解らないのである。築きかけると、煩わしさを予想して自ら身を引く癖が付いてしまっている。
 最近ようやく解った気がした。人間は所詮ひとりでは生きられないのだ。でも頭で解っていても、まだ心がそのような状態になっていないのだろう。

04.04.30 芝生感について


 今日、松阪市にオ−プンしたイングリッシュガ−デンなるものに行ってきた。
 私の第一の趣味は芝生である。当地の気候で、エバ−グリ−ンの芝生が一番ラクチンに可能と思われるWOS方式で芝庭を管理している。それで、近くにオ−プンしたこのイングリッシュガ−デンがどのような芝生品種でどの程度の管理をしているのか非常に興味があったのだ。

 ここで、日本と欧米の芝生文化の違いと芝生品種の違いを説明しておかなければならない。

 日本人に一番なじみの深いのはコウライシバだろう。ホ−ムセンタ−の店頭に並んでいるのはこの中で比較的繊細な姫コウライシバなるものだ。コウライシバはおそらく世界で最も管理が楽な芝草であろう。成長速度が遅く少し肥料を与えて1月に一・二度芝刈りすれば、そこそこ綺麗な芝生になる。冬季に枯れ色になる欠点があるが、病気に強く日本の気候風土にこれ程マッチした芝草はないだろう。
 従って、公園等では小さい頃から芝生と言えばコウライシバ(ノシバの場合もあるが・・)に触れてきているだろう。しかし、同時にその管理のずさんさにも触れているはずである。刈り込みの労力を少なくするため肥料も与えられず、雑草が進入してもそのままにされ、挙げ句の果てはほとんど無管理のまま荒れ地になっていくコウライシバ・・・。つい最近も高速道路のパ−キングエリアの広大な雑草だらけのコウライシバが全て剥がされて新しく貼り替えられた。予算がある公共工事はこのように全面張り替えが行われ、予算のない公共工事は次第に雑草とコウライシバのあいのこになっていく。
 このようにして私たち日本人の頭中には芝生と言えば、夏に低い緑の草というイメ−ジがしみつき、いったん貼ったら管理しなくていいくらいの考え方が形成されてしまう。
 これに対して、欧米では芝庭の広さ管理の高度さは勿論、公園には広大で管理が行き届いた美しい芝生が何処までも広がっている。私がオ−ストラリア旅行したとき目にしたメルボルンの公園の広大な美しい芝生、全ての家に美しく管理された芝庭がど〜んと車から見えた。日本の風景と欧米の風景がどこか違って見えるのは、これら芝生環境・芝生文化が大きく違うためではなかろうか。物心付いた頃から芝生とはかくあるべきものと思想が形成される。この文化の違いが、日本と欧米が芝生に投入する労力強度の違いになっている気がする。
 芝は、花と同じ鑑賞植物(同時に大部分の時期進入できる)であり、適切に管理されなければその美しさは保てない。
 イギリスの庭では芝生の美しさで、その家の主人のインテリジェンスが測られると聞いた。主人は我が家の芝生をいかに美しく管理するかを競い、それが子供に引き継がれていく。イングリッシュガ−デンとはそのようなもので、美しく管理された芝生なしでは語れないしろものなのである。

 芝生品種の違いを比較してみると、所謂寒地型西洋芝(ライグラス類、フェスク類、ケンタッキ−ブル−グラス類など)は冷涼な気候にマッチして一年中美しい緑が保たれる。ヨ−ロッパ向きなんだろう。これを日本の関西以南で栽培するには、殺菌剤を駆使した相当なテクニックと労力が必要であり、サラリ−マンが一週間に一度管理するくらいではたいてい梅雨から真夏にかけて裸地化してしまい、見るも無惨な庭になってしまう。北海道くらいの気候がちょうどいいのではなかろうか?北海道旅行に行ったら旧北海道庁の周りに広がる芝生が印象的だが、あれがケンタッキ−ブル−グラスで、真夏でも非常に美しい。
 芝生を日本でエバ−グリ−ンにするには、北海道ほど冷涼なら寒地型西洋芝が簡単だし、沖縄ほど温暖なら暖地型西洋芝(テイフトン芝等)でエバ−グリ−ンが保てる。それでは梅雨がやってきて夏にじめっと熱い本州・四国・九州でエバ−グリ−ンにするにはどうすればいいのだろうか?
 サッカ−スタジアムを例にすると、鹿島スタジアムのように寒地型西洋芝で高度な管理を行って夏を乗り切るか、国立競技場のようにベ−ス芝としてテイフトン芝を夏に管理して、秋に寒地型西洋芝のライグラス類の種を撒き(WOS;ウインタ−オ−バ−シ−ド)、初夏に低刈り等でライグラス類にダメ−ジを与えて徐々にベ−スのテイフトン芝を生育させていく(スプリングトランジション)方式があるが、サラリ−マンでも失敗が少ないのはテイフトン芝ベ−スのWOSであろう。

 話は、最初に戻り松阪市のイングリッシュガ−デンである。
 ここの設計は寒地型西洋芝をメインに設計されておりサッカ−場ほどの面積がありそうである。なんと、だいたんな!!・・・管理はどうするのだろう?・・・と思う間もなく大変なことに気が付いた。というか入った人はほとんど気が付くと思う。
 発芽せずに裸地部分がまだら状になっており、夏場の管理を論じる以前の問題である。土を見ると、石がゴロゴロしていたり、堆肥がそのまま混ぜられずにどかんどかんと落ちていたり、どこからか持ってきた赤色土ともともと表層にあったと思われる褐色土が飛び飛びにあったり、土壌改良材らしきものがどかんと固まっていてその上に一面に未発芽の種があったり、恐ろしく不陸であったり、、、、、そら発芽せんわなあ・・・明らかに施工業者の手抜き(均一土を作るという基本中の基本が全く無視されている)と知識不足である。しかもこれは取り返しがつかないほどひどい手抜きであった。ひょっとして、故意の手抜きかも知れないし、突貫工事を余儀なくされた悲しい手抜きかも知れない。芝生を愛する私としては恥ずかしいやら腹立たしいやら、この手抜きを施行途中で管理する立場の人間はいたのだろうか??
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 当日、広大な寒地型西洋芝(ライグラス類他混合)に灌水していたのは3人のスタッフであった。驚くことの手灌水である。固定式スプリンクラ−が常設されているでもなく、1つだけ小さなオシレ−テイング式小型スプリンクラ−があるのみであった。管理する方も、かなり甘い考えで施設を作っている気がする。しかし、本当の怖さは梅雨から真夏にかけての病害である。サマ−シ−ドを考えるか梅雨前にコウライシバに貼り替えた方がいいのではなかろうか?
 設計はともかく寒地型西洋芝を施工管理するにはプロが必要なんです。膨大な経費が必要なんです。そのことを事業主体は未だ持って理解しているか疑問である。
04.03.15 幸せについてU


(時間軸を短く考えて不安に対処する)
 先のことをあれこれ考えると、要らぬ心配をして不安が増幅する。これに対し朝起きたら今日をいかに無事に過ごすかだけを考えると不安の容量はぐっと少なくなる。一言で言うと刹那主義あるいは明日がある型人間であろうと思う。

(自分中心の考え方にして不平に対処する)
 他人は自分をどう思っているか、どうして他人は自分の思っているようなことをしないのだろう、どうしてあの人はあんなに人に迷惑をかけるのだろう、、、など考えると不平不満が溜まってしまう。
 しかし、ちょっと考えてみるとこれらのことは自分の思考パタ−ンが他人中心に凝り固まっていることが原因であることがわかる。そもそも自分の考えているとおり人が考えていると思うこと自体間違っている。他人がどう思おうと自分の考え方をしっかり持とう。
 しっかり持つと言うことは他人の行動や言動を見てから判断するのではなく、他人が考えたことに対して自分なりの代案を用意していることである。自分中心とは利己主義と同義語ではない。協調することが正しいと自分が思えば協調することである。自分中心の考え方が出来れば不平は少なくなるだろう。これがなかなか難しい・・・

(戦争遺跡を探すことから幸せを実感する)
 今日資料を片手に、近くの香良洲町(ここには三重海軍航空隊、三重予科練が戦時中にあったところだ)に戦争遺跡を探しに行った。資料に載っていた写真の巨大な建物はすでになく、わずかなレンガ製宿舎の残骸が雑草やコナラの木の中に荒れ果ててたたずんでいた。見事な装飾を施したとする貯水池を探したが、地元の人に聞いたら、今は壊されて平地にされ荒れ地が広がるのみであった。
 戦争遺跡は大切に保護されることもなく、簡単に荒れ果てていく。地元の人に遺跡の場所を聞きながら歩いているうちに、私は戦争のためなんの迷いもなく無駄死にしていった人達の姿を思い浮かべていた。そして、この町にある資料館に立っている海軍旗を見て、口ずさんだ「赤い血潮の予科練は・・・」、、私は今までなんてちっぽけな思いの中で生きてきたんだろう。
 戦争状態でないことの幸せは全てをカバ−して余りあるものである。全てに優先する幸せである。
04.02.11 不条理に不味い物について


 不味いを語る前に、香味について整理しておく必要がある。
 香味は特性と嗜好性に分けられるが、しばしばこれが混同して語られるのではっきり書いておきたい。
 例えば味噌汁の味の特性について、辛味・うま味等があり、辛味の中ににも鋭い塩味とか柔らかな塩味等があり、さらにその塩味はどの程度の強度であるかがある。味の特性はそのものを普遍的に表すものであり、例えて言えば高性能な味覚センサーの集合体で表現される値と言える。
 次に味噌汁の味の嗜好性は、その味が好きか嫌いか(美味いか不味いか)であり、人間によって左右されるものである。
 しかし、この両者は密接に関連しており、AさんもBさんも同じような特性を感じられたが、嗜好はAさんが美味いと感じBさんは不味いと感じることがある、一方、Aさんはある種の万人が不味いと思う特性を感じる閾値が低くBさんは閾値が高い場合、Aさんはある種の特性を感じてしまうので不味く思い、Bさんはある種の特性が感じられなかったので不味く感じない、いわゆる味覚センサーの感度が左右している場合がある。味覚センサ−が鈍い料理人は美味い料理を作れないことに相通じる。
 嫁の作る料理はどえらい不味い。嫁はある種の味覚センサーの性能が私より低いようで、牛肉の乳牛臭さやパック売りしているウナギ蒲焼きの酸化+かび臭さが、するしないで意見が大きく分かれ、不味い不味くないで喧嘩になることがある。これは特性を感じる閾値の差が嗜好を左右している例であり、どうしてこの味をかんじんのやと怒りたくなる。一方で、嫁の料理は恐ろしく塩味が不足している。これは塩味に対する私と嫁の嗜好性の違いである。

 前置きが長くなったが、不味いには当然人によって違いがある。しかしである!これは誰がどう食っても不条理に不味いだろうと叫びたくなるものに出会うことがある。
 今でも夢にまで出てくるものに、静岡県のあるビジネスホテルの喫茶店で食べた魚介ピラフがある。そのピラフが出た瞬間「あっはずした・・」と思った。ムラサキイガイの身を始め具がぱさぱさで、一目で昇華して水分が抜けた冷凍物だと言うことがわかった。これだけなら喫茶店で時々出会うただの不味いピラフだが、ご飯を口に入れた瞬間強烈な酸化臭と冷蔵臭が口一杯に広がりびっくらこいた。だが何とか飯なら飲み込めそうだったので、私は食べ出した。ムラサキイガイは強烈な酸化臭だったが、次に食べたイカの小片を噛んだ瞬間脳天に稲妻が走ったのだ。強烈な冷蔵臭と酸化臭はこいつから出ていたのだ。おそらく軽く百回は冷凍と解凍を繰り返したと思われるそれは異様な臭気を発しており、口の中で激しき吐き気が交錯する・・水で押し込もうと思ったが直感的に吐く!と思ったので急いで口から出して事なきを得た。この恐ろしいピラフを中年のマスタ−はしゃあしゃあと悪びれずに出したのだ。もし、怖い人がこのピラフを食べたら、マスタ−あんたは確実に撃たれてるだろう。うう〜今でもあのマスタ−の顔が目に浮かぶ・・一生恨んでやる。

 いろいろ不味い物があったなあ・・鉄味というか金属味と言うか腐敗味というかそんな牡蠣フライを旅館で食わされたときがある。この時もとても飲み込める代物ではなかった。私はこういう牡蠣フライにかなりの確率であたっているので、最近は牡蠣フライをほとんど食わなくなった。
 一番日常的に味わう嫌な味が、牛肉の乳牛臭さと言うか獣臭さというかそういうもので、近所のス−パ−で買ってくる半分くらいはこの香味を感じてしまう。安いやつほどこの嫌な香味を感じる確率が高いのだが、松阪市で2番目の老舗が経営するレストランの牛肉ハンバ−グから強烈な臭いがしたときはまいった。豚肉も時々はずれがある。なんと表現して良いか・・薬品臭いやつにあたることがありこいつも食うことができない。ス−パ−で売ってるパック入りウナギの蒲焼きもかなりの確率で酸化臭とかび臭さが混じったような香味がするので、ス−パ−のウナギは買わなくなった。
 しかし嫁は、私が食べられない嫌な香味のする牛肉・豚肉・ウナギの蒲焼きをなんの抵抗もなく食べてしまうのである。聞くとそんな嫌味は全く感じないそうだ。こういう嫁の旦那はめちゃくちゃ不幸である。不味い物食わされて、不味いと言うと怒られる。食べられないので自分用におかずを作り出すと嫌味かと非難される。
 これを不条理と言わずなんと言おう!
 
04.01.29 宝石について


 なぜ、人間(特に女性)は宝石を所持したり、高価な宝石で身を飾りたいのだろう?・・私はその心理が理解できないのである。
 換金性の高い金やめちゃくちゃでかいダイヤモンドを所持したりするのはちょっとは理解できる。

 簡単な宝石関連の本を読んでみた。
 宝石は鉱物の結晶であったり、真珠・コハク・サンゴのように生物由来であったりホントに沢山種類がある。ダイヤモンドやルビ−・サファイヤ・エメラルド等有名・高価・人気宝石とそれらのそっくりさん宝石のオンパレ−ドだ。肉眼では解らず化学構造やスペクトルでしかわからんやつもいっぱいあるし、人工的に宝石と同じ化学組成の単結晶を作ってるやつもあったり(これも見る人が見ると人工か自然か見分けられるらしい)紛らわしいことこの上なし。
 教科書で習った硬度(滑石1〜ダイヤモンド10ちゅうやつ)見ると、ダイヤモンドはすごい。1〜9まではだんだん硬くなるのだが、9と10ではめちゃくちゃ硬さに差があるのだ。つまり全鉱物の中でダイヤモンドは飛び抜けて硬いス−パ−マンなのだ。それから単屈折角も一番大きい。石川五右衛門のざんてつけんのようにすごく価値がある。ダイヤモンドカッタ−は文明に大きく寄与している。使用する価値もあり、換金性もあり、輝き(ファイア−)も強くてきらきらして、ダイヤモンドは所持する価値や存在意義は大きいと理解できる。

 私は疑問を嫁にぶつけてみた。
私「なんで、女性は宝石がほしいんや?体飾るだけやったらイミテ−ションで充分やんか?あんたエメラルド好きていうたやけどあれはもともとヒビまるけの石に油染みこませてあるような宝石やで。でっかいダイヤくらいしか換金性もめちゃくちゃ悪い。」
嫁「本物を身につけてるということが気持ちがええんやんか。だれも気がつかんでも偽物つけてると自分に気分悪いやんか。まあ、本物持ってるぞ!ちゅうのを自慢したいという気持ちもある。あんたも、人に自慢したいということあるやろ?」
私「そら人間やから自慢したい気持ちはあるけど、宝石は金があったら買えるわけやから、そんなもん自慢してもしょうないやんか。しかも実際は換金性がほとんどない宝石やでえ。自慢するなら金で買えん体験とか能力を自慢せなあかんわ。ほれ、ヴィトンのビニ−ルバッグ自慢げに持ってるアホと同じやないか。」
嫁「あんたはアホや!」
私「なんでや?」
嫁「人の気持ちを理解できんのがアホなんや。理屈ばっかこねよって。」
私「うっ・・・・(なるほど人の気持ちが理解できない私がアホなんか?)」

 何故か嫁に負けてしまった。うう

結論:宝石をつけて喜びを感じている人間を理解できない私がアホである。(納得いかん!) 
04.01.20 田舎について


 田舎の景色は、山ありあるいは海あり実に心和むものだ。
 しかし、田舎は恐ろしい。
 田舎を形成している農(漁)村社会慣例風習が恐ろしいのである。これは小さい頃からそこに住んでいる人にはあまり苦にならないが、そうでない人には想像を絶する恐ろしさである。
 寄り合い・出合いの多さは閉口を通り越して私は一体ナニ?プライベートはあるの?と自問したくなるほどである。自分が農業をやっているのならいざ知らず、全くのサラリ−マンで24時間仕事に拘束されて居る人にとっては現実離れしている風習と言わざるを得ない。

 これに出席しないとどうなるかというといわゆる村八分、別に村八分でもいいと言う人はいいがゴミ一つ出すのも苦労するし、常に周りが敵ということになり、子供も友達に不自由し、そのもろもろをなんとも思わない鉄の心臓持っていれば土地が安いのでいいかもしれないし、別荘で不定期に少し住む程度なら煩わしいつきあいも無いだろう。
 
 寄り合い・出合いその頻度、項目や強度は場所場所でいろいろだ。田舎同士でも、ちょっと地区が違うだけでもあそこへ嫁に行ったらとんでもないぞということもある。
 簡単な例では、田の水当番の決めごと寄り合いや公道から集落に通じる道の除草作業、全然関係がないと思っている集落の神社の修理清掃行事等まで多種多様に渡っている。

 そもそも、これらの農村風習は大昔から脈々と受け継がれてきた相互扶助の精神によって場所場所で出来てきたものである。そこに年功序列の影響力(例えば寄り合いに座る順番などは新参者が少しでも順位を崩せば騒動である)が加わりより複雑な慣習を呈している。

 だから、住む場所は大変重要である。
 どこに住むか選択できるならば、田舎より住宅団地で交通便利なところがいい。
 団地でも開発して20年も経てば仕事を引退したじじいが沢山自治会行事を決めてしまうので、開発10年以内の若々しい団地がいい。
 住む場所が古くなるほど寄り合い、出合いの類が多くなってきてプライベートな時間が少なくなる。
 新しい団地だからと言ってもミニ開発の団地はいけない。数百戸程度の団地でないと、団地周りの古い住人の自治会に取り込まれてしまって行事の多さにがっくりすることになる。

 だから、大規模団地の地価が高いのはすごくよく理解できるのである。

04.01.19 影響力を与えたい人について


 悔しい話だが、人間の活動は影響力を及ぼし受け合って成り立っている。
 多かれ少なかれ人間は影響力を及ぼしたいと思っているだろう。一方、誰しも自分に嫌な影響力は受けたくないものである。
 その中で、常に影響力を及ぼし続けたい人はたくさんいる。いい影響力ならまだしも、嫌な影響力を発し続けられてはたまったものではない。
 影響力を発する人のパターンについて分類してみた。

 1.自分の意図する方向に対象に影響を与えるが、対象の性質まで分析してかつ対象が本質的にここちよく感じるように計算して、影響を与える人。対象が嫌と感じるようには影響を与えず、それでいて影響力を及ぼすことが出来る人。
 2.自分の意図する方向に対象に影響を与えるが、対象の性質まで分析してかつ対象が本質的にここちよく感じるように計算するが、それはあくまで表面的なことで、目的とする影響力を行使するためには強引である。その結果、しばしば対象に嫌な想いをさせる。
 3.自分の意図する方向に対象に影響を与えるが、対象の性質まで分析して、強引に自分の目的とする影響力を対象に及ぼす。対象がどうなろうと知ったことではないと言う人。
 4.自分の意図する方向に対象に影響を与えるが、対象の性質まで分析しておらず、強引に影響力を与えたい困った人。
 5.自分の意図する方向が不明確だが、常に相手に影響力を与え続けていたい人。声がでかくて自分の思っていることを人に言い続けていて、はっきり言って万人に迷惑な人。

 1.の人はなかなか居ない。多くは2.3.4.で世の中進んでる気がする。5.の人はめちゃくちゃたくさん居る。

 生活するために、仕事するために影響力は必要とされるが、影響を必要としない人に与えられる影響力は迷惑である。ただ、必要にかられて与えなければならない影響力ならまだ理解できる。
 しかし、最も迷惑なのが、自分にとってそれほど得にはならないのに、自分がそうだからあるいは世間は当然こうあるべきだと、他人の気持ちを理解せずに与えられる影響力・・・めちゃくちゃ迷惑である。頭はいいのにこいつはアホである。

04.01.16

墓について

 
 墓て一体なんだろう?なんで日本じゃ遺骨(一部でも)を保管しなきゃならない法律があって、海にばらまけないんだろう?皆さん考えたことありませんか?私はしょっちゅう考えてますと言うより空想しています。
 最近、葬儀に絡む法律的(役所関係はかなりいろいろな種類の手続きがあったが一週間もあれればことすむ)、宗教的あれこれあれこれがあった。初七日(二七日〜六七日も)、墓の場所確保、遺骨入れの儀式、四十九日、初盆、灯籠送り、仏壇購入・位牌作成・性根入れ、百箇日、墓石選び購入・性根抜き・性根入れ、1周忌、、分骨の本山への保管儀式・・・・すべて初めてのことであったが、法律的なことは簡単だ、しかし宗教的なことは本にはおおよそだけ書いてあって全然実際のことは書いてないのだ。行事はなにか?その行事ではどのあたりまで人を集めなければならないか?それぞれの行事のお布施の相場は??全て解らないからなすがまま坊さんに聞くしかないのだ。

 どうして日本では遺骨を保管しなければならないか?私は多分、お寺の圧力団体が政治家になにがしをやって寺がつぶれないようにしているのではないかと思っている・・税金かからないのもおかしいぞ!それか、人骨が野山に一杯落ちていたら警察が捜査で困ってしまうとか考えてしまう。
 遺骨を保管するためのモニュメントがお墓で、そのお墓を管理してお坊さんも儲かるようにするには檀家に何らかの宗教行事を行わす習慣を植え付けてお布施で収入、、寺が壊れてきたら檀家の寄付で修理ということをやっていかなくてはならない。お寺にとって檀家は税金を納める大切な寺民で、その制度を維持するために墓が存在しているのではなかろうか?
 墓を維持するのは、大変である。その苦労は最近じわじわと解ってきた。そして法律か寺律か知らないが、墓を管理相続するのは多人数ではなくて一人でなくてはならないそうだ。これはもし、兄弟姉妹がそれぞれ同じように墓の管理を分割しようと決めても、押しつけあって責任の所在が不明確になることをなくすための法律では無かろうか?誰かが生け贄になって墓守をしなければならないのだ。
 今、墓守の苦労を知らない人は、法律で定められたとおり先祖の遺骨を誰かがどこかで管理してくれていることを忘れてはならない。
 この墓守の制度で結婚できずにいる人(特に女性)がいる事実も見逃せない。例えば姉妹がお墓守している本家に嫁いで一人だけ最後に残ったとしよう。特に田舎に多いと思うが、保守的な親なら墓守のことまで考えて婿が来るまで結婚させない親が居る。こういうややこしい所に婿に入る人は少ないから必然的に親思いの娘は結婚できないでじわじわ年を重ねていくのを、私は嫁から聞いたことがある。ばかげた話だが実際にそんなことがあるのだ。
   

04.01.14

図鑑と小説について


 私は図鑑が好きだ。それは物の形・性質など誰が見ても同じ普遍的なことが書いてあるからだ。図鑑を見るたびに今まで知らなかった世界が増えていくようで嬉しい。小学校時代は百科事典を繰り返し繰り返し見ては、「ピストン堀口はすごいボクサ−らしいとかウスバカゲロウはなんて儚い命だろう」など物思いに耽っていた。図鑑は見るほどに好奇心をくすぐるし、見た後の充実感が大きい。一方、私は少年時代から小説(漫画のようなSF、おばかものを除く)は本当に読まない人間であった。読むのがめんどくさい、読んだらそれなりに充実感があるが、多くは人と人がどうのこうのという話で、それはどうでも良いことに思えてならなかった。
 私は高校時代国語の偏差値で28をとったことがある。受験勉強をした人なら解るだろうが普通偏差値はこんな低い数字は出ない・・・これでも一生懸命回答した結果である。さすがにこの時は、少しは小説を読んで国語の力をつけとけばよかったと思った。

 この傾向は今でも健在のようだ。今、手元に図書館で借りた10冊の本があるが題名は下記。
1.食材図典 2.日本の味探求辞典 3.里山の昆虫たちその生活と環境 4.帰化動物のリストラ戦争 5.動物の「食」に学ぶ 6.小さな自然観察 7.昆虫の?が!になる話 8.三重県境踏破の記録 9.度会・大宮・南伊勢の山 10.精神科に行こう!
 

04.01.13

幸せについて


 私は(客観的に見られたとしたら)非常に幸せな状態にある。
 職業についていて明日の飯がないほど困窮していないし、少なくとも私より人間として持つべき思いやりが豊かな妻があり、子があり、家族はほぼ心身とも健康である。私がITして楽しむ暇もある。しかし、幸せをいまいち実感できないのは、今の状態にぼけてしまっているからだろう。例えば宝くじで大金があたったら一気に経済的に裕福な気持ちになりその時は幸せを実感するだろう。逆にかけがいのない家族が重病になったら大きな不幸せを感じるだろう。もし、私たち家族が戦時下に暮らしていたら、今日生きられただけで強く幸せを感じるだろう。客観的に誰がどう見ても不幸せという状態はあるが、幸せを感じるときは何かステップアップしたとき、つまり比較なんだろう。と書きつつ、こんなことは当たり前なことなので私は人に直接話すことはしないが、ここはナニを書いても良いのでどうどうと書いちゃう。爽快爽快
 私は少しのことでも気に掛かってしまう性格なので、ちょっと悪くなっただけでも不幸せを感じてしまう。ちょっと病気もあるが、これは損な性格だ。ああ、またこんなちっぽけなことでくよくよしていると自分を分析するのだが、そこからなかなか抜け出せないのだ。そんなときの呪文はこうだ「どうせ明日、北朝鮮から核ミサイルが飛んできてみんな死んでしまうんだ」・・・幸せボケ、平和ボケした私にぴったりだ。宝くじにあたるより確率は高い気がする。
 

04.01.12

死と心の病について


 私の兄は、心の病で昨年3月自殺した。自分の悩みの対象であった兄だが、警察に死体を引き取りに行くときは無性に悲しかった。今でも、兄に対して冷たく対応していたことが、これで良かったのだろうか?と夢に出てくる。人が死ぬことは大変なことだが、あっけなく人は死んでしまう。私ももしかして何らかの理由で明日死ぬかも知れない。死とはそんなものなのだ。

 私は数年間精神科に通院している。抗うつ剤と抗不安剤を服用しているが、患者としてはごくごく軽い方である。心の病で今でも死にそうな人はごまんといる。働く人の4人に1人は軽い重いはあってもうつ病なのだ。他の精神病も加えると恐ろしい割合になるだろう。その中で、みんな生きている。体の健康はデ−タで表しやすいが、心の健康はデ−タで表しにくいだけのことで、患者は周りにあふれていると思って間違いない。

04.01.11

HPで表現する爽快感について 


 私はフラストレ−ション発散のためHPを公開している。
 仕事場でていさいの上がらない、存在感が極めて希薄な私であり、人と話をすることや自分をアピ−ルすることが苦手でおっくうでめんどくさい私であっても、何かこう叫びたいものがむくむくと溜まってくるのである。
 初めてHPで自分の行ってきたことをさらけ出したときの爽快感はなんとも言えず気持ちいいものである。これははっきりいってやめられない。そんな、爽快感を味わいながら、また物好きな人がHPを見たり、BBSを訪問してくれるのは二重に楽しい。身の回りの人間からは、変人とか暇人とか中傷される行動も、世の中広いものでちゃんと理解してくれる人間が居る。なんたって、面と向かってしゃべらなくて良く、口べたな人間でも一方的に書きたいことを書いて主張を公開できるまことに便利な世の中になったものだ。

 なぜ、新たに「どうでもいい日記」を書き始めたかというと、今の構成のHPに収まらないけど、書いちゃったらすっきりするだろうなあ・・・なんてことを書くところが欲しかった。ただそれだけなんだ
 
 私にはポリシ−がある。世の中には過去に数知れない人が数知れない種類の感動を味わってきている。それが音楽であり、味であり、搾取でありetc・・・そのような感動をあまり体験できず知らないで死んでいくのは実に勿体ない。私は人類が味わったであろう無数の感動(人と人を介した感動ではなく、物理的な存在或いは現象として己に響く感動である。)をどん欲に求めているのだ。その感動を享受するために私の人生があり、そのための時間がほしいのだ。人生の中で大きな時間を占める仕事の時間はできることなら極小にしたい。多分大部分の人はこう思っているだろう・・・可能ならね・・
 
 去年は有意義に遊びの時間を過ごそうといくつか目標をたてた。ちなみに私は自分で採取・捕獲して自分の舌で賞味するのが基本的な趣味であり当然目標となる。
 前置きが長くなったが、去年の目標と実績である。

1(キノコ系):エノキタケ、センニンタケ、椎に出るマイタケ、キヒダタケ、コウタケ、ヤナギマツタケ、アミヒラタケ・・・・実現したのはエノキタケ、マイタケ、アミヒラタケ
2(は虫類系):シマヘビ→撃沈
3(魚系):ボウズハゼ、アカザの煮付け、タウナギ、ウツボの刺身→撃沈
4(棘皮動物):キヒトデ→撃沈
5(植物系):ケンポナシ、ギシギシの新芽、ユキザサ、冬のウバユリ、キクイモ、バアソブ、ジュンサイ・・・・実現はギシギシ、ウバユリ、ユキザサ
6(節足動物):ノコギリガザミ、カメジャコ、テッポウエビ、ザザムシ類・・・・実現はザザムシ類のみ
7(花):五カ所川の日本一ハマボウ・・・実現

 冬の間は必然的に外に出るのがおっくうなので、休日は図書館で1日中ごろごろしていることが多い。ここで、その年にナニをやろうか考えているのだ。至福の時間・・