j-shir87.jpg (53739 バイト) 伊勢の平城歩き(松阪市 松ヶ島城)
(松阪市松ヶ島町にて 2013.12.1)

 この本の中に伊勢の平城のことも掲載されており、それをぱらぱら見ていると、松阪の松ヶ島町は地理的にも城的にも変わった濃い歴史があることがわかり、興味深かったので歩いてみることにしました。

 

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 場所は松ヶ島駅前のメイン道路(古参宮街道)を東にひたすら海に向かって23号線も超えて歩いたあたりにあるビニールハウス郡の中に数メートルの小さな丘です。(左の地図でaにあたる部分)

 本によると松ヶ島城は織田信長の次男織田信雄の居城であり、信長の安土城、長男信忠の岐阜城とともに中核的な城郭としての威容を誇っていたと考えられるとのことで、現在の町並みからは想像もできません。このあたり中世に大伽藍があった松阪市天花寺城跡のような時の流れを感じます。
 天守台には伊勢湾に面した5層の天守閣を持っていたようです。

地図を見ると、現在はその天守台から東側は広大な田んぼになっています。当時はその場所が伊勢湾だったとはにわかに信じられません。大雨が降ると海のようになってしまう水田地帯ですが、もともとが海だったんですね。確かにこの地図を見ると島ですね。。松ヶ島城の築城に伴って参宮街道も伊勢湾沿いに鍵状にひきこまれているのが興味深いです。

 この地を治める城の流れとして、北畠氏が築城した松阪:大河内城が和睦により1596年織田信雄の居城となり→織田信雄が1975年玉城:田丸城に居城して大河内城は廃城→1580年放火により田丸城が焼失したら織田信雄は松阪:松ヶ島城を築城してこの地の拠点とした。→羽柴軍の蒲生氏郷に1584年松ヶ島城が攻め落とされ蒲生の居城となるも氏郷は1988年松阪城を築城して松ヶ島城下の人や町名や参宮街道とともに現松阪城に移転して、松ヶ島城は歴史の舞台から忽然と城下町から一漁村に姿を変えたようです。従って、松ヶ島町に今も残る殿町、本町、日野町はそのまま現松阪城下に移ったようです。

 

j-shir89.jpg (128502 バイト)  ナビにa地点を入れて車で左下の国道23号線から古参宮街道に入っていくと、そのまま車でa地点に行くのが難しいのがわかりました。
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海抜2.2mの四つ辻まずこの場所で車幅がグンと狭まり軽トラの幅の道になってしまいます。ここは素直にその手前に車を止めて歩くことにします。ここから城の丘まで200m弱しかありません。

 

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 何も看板が無いのかと周りを見ると、槙の木の生け垣の中3mくらいの高さの場所に車からほとんど見えない方向に看板を見つけましたが、初めて車でくるとまず見つけられません。歩いて駅から来る人はひょっとしてこの看板を見つけるかしれません。この人から見られるのを拒絶するかの看板は、いかにも地元の人には邪魔だったという感じの建て方です。

 

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 狭くなった道は松ヶ島城のために海に進路をとられた古参宮街道であり、辻から50mも進むと6地蔵があって古参宮街道はここを右に曲がっていきますが、松ヶ島城はまっすぐ進みます。

 

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 ここから50m先直ぐに道なりに左に曲がるとビニールハウスの中に小さな丘が見えます。これが松ヶ島城跡です。ビニールハウスと堆肥置き場にぎりぎり接しており、ひょっとして私有地?と思う感じの場所です。

 

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 丘に登ると松が1本と長いすと五輪塔の一部みたいな石があるのみです。長いすには宇気郷公民館寄贈とありました。

 

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j-shir98.jpg (77712 バイト)  この丘を越えて海側から陸側を見ると階段と看板がありました。
j-shir99.jpg (68347 バイト)  看板には、松ヶ島城の歴史が書いてあるようです。
j-shir100.jpg (79547 バイト)  この天守台というか丘の周りには農業廃棄物のようなものが置いてありました。 私有地っぽいです。
j-shir101.jpg (79459 バイト)  海側から丘の上に登り陸側を見ると、すぐ前がビニールハウスで・・・
j-shir102.jpg (77309 バイト)  直ぐ横は籾殻堆肥置き場でした。
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 まっすぐ東(海側)を見ると、30mほど先まで畑があり、その先は海までずっと水田ですが、本を見るとその水田部分は全て海になっていますから本当に伊勢湾に面した城だったということが感じられます。

 

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 北を見ると道を挟んで右側の水田部分が当時伊勢湾で左側は少しだけ高くて今も宅地の部分が陸地だったのがよくわかります。 左側に入り込んだ水田は堀か入り江のようです。

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 南もやはり水田は海だったといういう感じです。遠くに見える集落は昔も陸地だった部分のようです。当時の海と陸地の地形を見ながら本当に海岸ぎりぎりに形成された城下町だったことがよくわかります。

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 さて、興味はこんなところまで持ってきた古参宮街道をたどってみることに移ります。

 元来た道を戻って、6地蔵のところを曲がると・・・

 

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 そこは民家の軒先?私道?と間違えそうですがそのまま地道のクランクを曲がります。地図を見るとここが参宮街道のようですが、こんなに狭いのかと驚きます。

j-shir108.jpg (67724 バイト)  参宮街道は・・・
j-shir109.jpg (82188 バイト)  こんなに狭いです。
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 ビニールハウスを抜けながら、このあたりが海と接する踊り橋の感じです。 その跡もあぜ道のような古参宮街道が田んぼの中を続いていました。

 

j-shir111.jpg (72702 バイト)  次に百々川近くの堀あとを見に行きました。地図ではBの堀です。この看板のあたり・・・
j-shir112.jpg (62646 バイト)  ホントに1mも高さがありませんが、低い水田部分が堀です。 直ぐそこは23号線です。
 大雨が降ると、海のようになってしまうこのあたりに壮大な城があったとはとても不思議な感じです。