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戦争遺跡を探して X(紀州鉱山跡) (熊野市紀和町 2010.5.2) 書籍「三重の戦争遺跡」(増補改訂版)に気になる場所があって、ずっと行ってみたかったんですが、場所が三重県の端で瀞峡の直ぐそば・・自宅から片道3時間以上ありますから今まで行かずにいたのですが、GWなので子供のお守りがてら行ってきました。 <引用要約> 書籍によると、「8世紀初頭から文献に登場し、あの石原産業(高度成長期に硫酸の廃液を垂れ流して四日市を死の海にしたり、最近はフェロシルトなる産業廃棄物をばらまいて世間を騒がしたダーティー企業)が、買収し昭和9年以降から昭和53年まで硫化精鋼(銅と硫酸を精製)を算出するようになり、ここはその選鉱場跡です。 何故、ここが戦争遺跡かというと戦時中に活動が盛んであったのは勿論、マレー戦線で捕虜になったイギリス兵が連れてこられて働かされたり、強制連行された朝鮮人が1225人働かされたり、戦争の暗部が存在するからです。 そして、私が最も惹かれた部分は書籍に学徒勤労動員させられた大石進氏の手記の中で、石原広一会長の講演部分です。「1945年6月頃、石原産業創始者であり当時会長であった石原広一が視察の為、紀州鉱山にやってきて1000人以上の労働者の前で講演した。「今、日本各地の都市はボーイングB29の空爆をうけ、家々は焼き尽くされようとしている。・・・・これこそ天佑なのである。何故かというと、家々が焼かれることによって今まで隠匿されてきた金属類が一斉に表に出てきた。これを集めて武器弾薬を製造すれば日本はまだまだ戦えるのだ。だから、これらの金属類を出させてくれた空襲は天の助けなのだ。」 手記を書いた大石氏、当時軍国少年だった大石にも、あまりに酷い話として記憶に残ったとのこと。国民が焼け出され、路頭に迷い、焼死させられ、餓死しなければならなかった人も多数出ているときに、これを天佑と言い放つ石原の精神構造は一体何だったのでしょうか。・・・・・」 <引用終わり> 戦争のもたらす異常な行動は勿論のこと、これに加え、石原産業は創業当時から根本思想はダーティー企業であったと想像されます。 そのような、人々の苦痛の跡を辿りに行ってきました。 |
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選鉱場跡は、周りの木々に覆われていき、だんだん自然と同化しつつあるようですが、目の当たりにしたこのスケルトンは異様な様相です。 |
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選鉱場の左下に登れそうな場所がありました。 |
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直ぐに柵で覆われるのですが、綺麗に倒されており、難なくクリアー。。多分ここに来る人は全員ここを登るのではないでしょうか。。たおされなにか、傷跡などを探しましたが、あまりそのような感じはありませんでした。コンクリート |
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木々に覆われた中、階段やトロッコ路線が上に上に続いていました。 |
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柵に沿って登っていくと、選鉱場の格段ごとの柵が倒されており、難なく格段に降り立つことができました。 |
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トロッコの路線は縦横無尽・・ |
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路線幅は60cmくらいでしょうか。。 |
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とりあえず、一番下の段に到達しました。 |
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コンクリート塀がいくつもいくつも・・・一体どう使われていたのでしょうか? |
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コンクリートの柱が出てくる段まで上ってきました。 |
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この段には、昔の建造物の崩れた跡らしき木材が多量に転がっていました。 |
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ホーガン投げの玉のような鉄球が2個ころがっていました。。砲弾?? 今日は、子供連れできたので、これ以上ブッシュの中を上に登りませんでした。 |
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選鉱場を後にして、次は朝鮮労働者の共同墓地跡とイギリス人墓地の差を実感しようと、板屋共同墓地を探しましたが見つからず、仕方ないので立派なイギリス人共同墓地だけ取材することにしました。 |
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マレー方面で運悪く捕虜になったイギリス軍人が終戦1年前のはるか紀州山奥に300人連れてこられ、うち16人が死亡したとあります。 |
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個人名も、しっかりと記録されており、終戦のごたごたの中でしっかりと管理されており、このような碑が建てられるのは、イギリスは支配する側の人種だからでしょうか。。。 |
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形は日英友好・・・ |
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別に、深いことは書いてありませんでした。あっさりと・・・ |
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さて、子供たちには選鉱場直ぐ近くの熊野市紀和鉱山資料館でご機嫌取りです。。が、これがなかなかウイットに富んだ、侮りがたい、GWというのにしかも空いている、当たりスポットでした。 |
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湯の口温泉系の掛け流し無料足湯がただです。 入ったら、足が羽のように軽くなりました。 |
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外には3種類のトロッコ電車があり、この時点で選鉱場の藪で戦意喪失の子供たちが活性化しました。 |
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館に入るとしゃべりまくるおもしろい職員がおり、いきなり笑わせてくれました。これが、選鉱場の模型です。 |
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これは2階から1階に下りるエスカレーターですが。。。これから坑道に下りる雰囲気を演出しており、おもろいです。 |
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エスカレーターの「地底」スイッチを押すと、「これより400m地下の坑道に下ります」とアナウンスされます。。。そして超スロースピードで1階(坑道)に・・・ |
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エレベータを下りるといきなり、受付です。雰囲気満点。。小さいけど、小粋な資料館でした。 |