戦争遺跡を探して W
(伊勢市〜明和町 2006.8.13)

 書籍「三重の戦争遺跡」(1998年初版 編集 三重県歴史教育者協議会、つむぎ出版)をたよりに、私はある時戦争遺跡を探しあるきましたが、その増補改訂版が2006年8月パワーアップして出版されました。
 言うまでもなく幸せは相対で感じるものです。戦争状態でないことはすべてに優先する幸せであると思います。
 戦争遺跡をたどり、その地域の人を訪ねあるくことで戦争状態でない今の幸せを実感するため、私は新しく増補改訂されたこのマニュアルを持って再び歩くことにしました。

 今日は明野陸軍飛行学校周辺の遺跡を回ることにしました。
 東大淀町の海岸堤防沿いにある監的所(横10m×高さ6m×幅3m)。 自衛隊官舎に向かう道沿いに、それは忽然ありました。
 横から見たところです。 コンクリートの二重構造になっており、前側が盾のような感じで、後ろ側は薄いお椀型になっていました。
 なにか、傷跡などを探しましたが、あまりそのような感じはありませんでした。コンクリート面には銃で撃ったようなくぼみが左右対称にありました。。いったいこれが何を意味するものなのか・・・
 二重壁の間に兵士が入っていたのでしょう。。

 中にはなぜかテレビが・・・こんなもの捨てちゃだめです。
 小俣町元町、周りすべてを田圃に囲まれて、それはまたまた忽然と姿を現しました。軍の通信所だった建物のようです。
 7m四方くらいで高さが4mくらい。屋根には1m以上の土盛りがあります。
 直ぐ近くまで住宅地が来ていますが、田んぼの中にいきなりあるのでかなり遠くからでも目立っていました。 
 外壁には特徴的な形の造形が並んでいました。 空襲の傷跡かはたまた戦後の傷跡かありましたが、鉄筋の露出部を見ていると、この建物は相当厚い鉄筋コンクリートで頑丈そうでした。
 入り口にはゴミのようなものが置いてありましたが、水をはった水田なので残念ながら手で触れるところまで見ることができませんでした。
 明和町斎宮にて、保存状態が非常に良いと掲載されているコンクリート製防空壕を訪ねました。 このマニュアル本に示されている場所と少しだけ位置が違いましたが、庭木の剪定をしていた地元の方に聞いたところ、丁寧に案内してくれました。
 この周辺は陸軍通信隊の関連施設とのことですが、案内していただいた60歳くらいの男性によると、
 この壕の中には天皇陛下の写真が飾ってあった立派な造りの壕である。。多分身分の高い軍人が使用したのではないかとのことでした。 壕は土盛りされた本体とそこに両側から入るスロープがあったとのことですが、画像では右側に宅地ができて右側のスロープが無くなり、左側(畑側)のスロープと本体だけが残されています。 案内してくれた男性によると、もし畑の部分も宅地になったら取り壊されていただろう。畑の持ち主はあまりにも丈夫にできているので壊せないのだろう。。。などと感想を述べていました。 それからすぐ付近には沢山の便所跡コンクリートがあったが、これも宅地化で最近無くなってしまったとのことです。
 戦争遺跡を訪ねて、そこに住んで来た地元の人の話を伺うことができると、何倍もの情報や当時の雰囲気が伝わってきます。
 入り口側から見ると土盛りはT字型で、入り口を中心に左右に地下室があります。
 中に入って入り口を見たところ。。ゆるやかなスロープです。
 中に入って正面にコンクリートブロック積みにぶつかりますが、これは民家の塀です。
 壕の内部はコンクリートとは思えないなめらかで美しい造りです。まるで漆喰で仕上げたような白い壁、美しいアーチ、、、これが戦争当時のものとは信じられないくらいの良い保存状態です。
 内部は左右に部屋がありました。
 右側に部屋は何故かわらが保管されていました。畑の持ち主のものでしょうか。。
 左側の部屋は仕切の壁で区切られていて、奥の部屋には棚を取り付けていたらしき痕跡がありました。 ひょっとして、ここに天皇陛下の写真が飾られていたのかもしれません。