戦争遺跡を探して V
(関町 2003.3.19)

 書籍「三重の戦争遺跡」(編集 三重県歴史教育者協議会、つむぎ出版)をたよりに、戦争遺跡を探していますが、今回は鈴鹿海軍工廠関防空工場関連施設を探しに行きました。左の図は同書籍p38から一部抜粋したものです。
 ここは関町の西、観音山公園周辺にあり、本に載っている施設がほぼそのまま今も残っていました。
 現存施設は、15本の地下壕とその近くにある汽罐場煙突址、風呂址、地下水槽址ですが、ここではメインとなる地下壕についてレポ−トを書きます。

 9〜15壕が観音山に掘られ、1〜8壕がテニスコ−ト前の小山に掘られています。
 全ての壕の入り口には金属製或いは竹木材で進入避けがしてあります。本によると12、13、7、8、壕が比較的地盤が安定しており現地見学会が行われているとのことです。

 12、13壕に入れば奥で14、15壕までつながっており、良さそうな感じです。
 15壕の入り口は土砂が崩れて危険です。14壕の入り口は竹で柵がしており入りにくいです。しかし、12、13壕の入り口は金属製の柵で共に先人がラッキ−にも入り口を開けてくれており、なんの苦労もなく入れそうです。全ての壕の入り口を見ましたが、苦労なく入れるのは12、13壕入り口だけでした。
 そこで、12壕入り口から入り、奥の横道で13壕、14壕、15壕と進み、戻って13壕から出てくることにしました。
 上の図の中心部の桜並木の登り道です。この道からすぐ両脇穴の入り口が見えます。
 12壕の入り口です。
 先人が私のために通り道を開けてくれていましたので、なんの苦労もなく中に入れました。ただし、懐中電灯くらいの明かりは持って入らなければ中は歩けません。
 12壕の中は素堀で、やはり4mくらい高さがあるので全く不自由無く歩けます。足下は所々水たまりがありますが、どろどろではなくスニ−カ−で歩けました。

 12壕と13壕の長さは50mくらい、14壕15壕は30mくらいです。
 12壕の30mくらい奥、連絡道が横に有る部分から奥はなんと鍾乳石が出来ています。長いので10cmくらい、太さ5mmくらいです。半世紀の間にこんなになるんだ・・・
 12壕には何故か温度計が置いてありました。8℃・・・外気温と同じくらい。
 12壕にて、滴が落ちている地面が白い石で覆われた部分。。手に持っているのは鍾乳石。
 12壕にて、やはり滴が落ちている地面に出来た造けい。
 12壕から13壕の連絡通路には鍾乳洞に見られるような平板状のミニチュア池がありました。
 12壕から13壕の連絡通路に落ちていた試薬瓶です。持ち上げると周りに石が付いておりかなり昔から転がっているようです。
 13壕に入ると、そこは12壕よりさらに多い鍾乳石がありました。
 近ずくとこんな感じ
 13壕にて、恐竜の背中のような造けい
 13壕奥部は少し崩壊していますが、ドッグレッグしている最奥部に、白のベ−スに血が流れたような造けいが見られました。
 13壕から14壕への連絡通路にあった○陰唇のような造けい
 13壕から14壕への連絡通路にぶら下がっていたコウモリです。完璧に眠っているようで30cm前でフラッシュたいても動きませんでした。

 コウモリは少なく、ここに1匹と14壕から15壕への連絡路に1匹いただけでした。
 道理でコウモリの糞臭くないはずだ。
 14壕を内部から入り口側を見たところです。壁面はコンクリ−ト製ですが少し崩落しています。
 地下壕で地盤が安定しているところは素堀、不安定な所はコンクリ−ト壁のような感じ・・
 14壕から15壕への連絡通路は崩落して土砂がたまって狭くなっています。迷いましたが少しかがんだら通れるくらいなので15壕へ行きました。
 15壕内部から入り口を見たところです。入り口は崩落しており水が溜まっていました。
 このような15壕ですが奥には人間活動したらしき形跡が一番有りました。
 最奥部にゴミ入れの看板が・・・何故だ?
 15壕奥には筆箱と缶ビ−ル空き缶がありさらにそれを燃やした跡がありました。
 少年の叫びが聞こえてきそうです。シンナ−も吸ったのかなあ・・
 帰りは13壕から出ました。先人が開けてくれた出口から苦労なく出ることがでいました。

 なかなかすばらしい戦争遺跡でした。ただで鍾乳洞に入った気分です。