廃村 茨川を訪ねて
(東近江市 2006.9.4)

 いなべ市から石ぐれ峠を越えて下ったとことろに、茶屋川に沿った茨川林道(片道10kmのフラットダート!)の分岐点があります。
 その終点 廃村茨川(鈴鹿の谷の奥深く、400年の歴史をもち、林道開通で文明化に飲み込まれ、昭和39年に消滅)を訪ねてみることにしました。 詳しくは友達のHP「鈴鹿の山麓から」のここを参考にしてください。
 恐ろしく美しい清流「茶屋川」に沿ってフラットダート10kmを走ると、工事通行止めにぶつかりますが、廃村茨川はこの通行止め左側奥約100mの場所にあります。
 廃村の入り口にはおびただしい一升瓶の残骸があり、このような看板が・・・


 廃村なのに3棟建造物がありました。 入り口で一番目立っており新しい山小屋がこれです。 廃村の整地は登山基地としてちゃっかりと利用されいるようです。 この真新しい山小屋は滋賀県立は八幡工業のものでした。


 大きな山小屋は名古屋大学のもので茨川が廃村になって間もなく建てられた古い小屋のようです。

 入り口には、はんごうと空の一升びんが、、、山男の汗くさい酒盛りが聞こえてくるようです。
 もうひとつ、正体不明の山小屋がありました。

 さて、今は無き廃村の建物跡に目を向けると、石組みやコンクリート造りの基礎がそこかしこにありました。確かにそこにかなり大きな家があったことを主張しています。
 川の直ぐ横ですが、井戸もあり1mほど下に水がありしっかり今でも機能しそうです・・・というか、茶屋川は珪藻も生えていないほど恐ろしく綺麗なので川の水を飲めばいいんですが・・
 朽ち果てた建物跡です。
 川を挟んで廃村の向かい側に何故がよく管理された小さな神社がありました。 今でも、昔暮らしていた人が管理しているのでしょうか・・・
 埋もれた集落から、当時の生活品を探してみることにしました。 木の葉をのけると、アルマイト製らしき勺と鍋が出てきました。
 これはさらに古いものでしょう。 酒を入れる陶器製の瓶のようです。
 何に使用したか、壺の残骸です。
 これは、多分家の神棚に使用したお皿だと思います。


 廃村になって40年あまり・・・文明との出会いによってつぶれた茨川。。。
 その脇には今も変わらぬ清流茶屋川が流れ続け、朽ちた家にはシダ植物で覆われて今も自然と一体になりつつあります。