バラ輝石採りました
(大山田村 山田鉱山跡にて 2005.1.30)

 「東海鉱物ガイドブック」という本には、シロウトでも鉱物採取できるよう親切な解説が掲載されており、その中から薄紅色〜暗赤紫色鉱物<バラ輝石:(Mn,Ca)5Si5O15>を採取しようと大山田村の山田鉱山に向かいました。この場所では小さな水晶や満ばん石榴石も採れるとのことで期待してました。
 ガイドブックに従って、真泥集落に到着しましたが、ここで重大な忘れ物に気がつきました。「ハンマ−忘れた・・・」げげげ・・ただでさえ堅いと書いてあったマンガン鉱石をどうやって割ろう?? 考え方を変えて、どうせ先人たちがいっぱい石を割ってるはずだから、そのおこぼれをちょうだいしよういうことにしました。さい先悪い。。。。
 で、ガイドブックには集落はずれの軽トラ坂道を登っていくと書いてありましたから、集落の端にあった寺横から出ている軽トラ道を登っていきましたが、30分ほど歩いたところで様子がおかしいと思って引き返し、寺の近くにいた人に聞いたら、寺の脇の道ではなくその50mほど集落側横にある赤い屋根の倉庫脇の道を登らなければならないそうです。この写真の道です。。。。う〜ん1時間も時間を無駄にしてしまった。結局この道を歩いて行くと10分ほどで鉱山につきました。
 コンクリ−ト道からどろどろ道に変わって10分ほどで二股に分かれてますが、左に行きます。
 100mほど行くと道は左にカ−ブしてますが、細い掘り割り道を直進して20〜30m入ると
 奥行き10mありそうな大きな作業小屋跡に到着します。ここが鉱山跡です。やれやれ
 小屋の中には大きな発電器や訳の分からない機械が置いてあり、不思議に小屋の中は木や草がほとんど生えていませんから、転がってるものを見るのはおもひろいです。
 巨大な制御板を見ると・・・積算時間計、、ナニナニ昭和30年3月製とな。。。ガイドブックによると1956〜1974年の間、マンガン鉱物を採掘していたとのこと。ということは、約30年前に廃坑になったのか・・・新しいはずだ、、
 小屋の外にはこんな訳の分からない機械の他、2軒の小さなトタン小屋跡、軽トラ(MINICAB:今と形はほとんど同じですが、サイズは相当小さかったです)などがあり、当時の様子を探索するのおもひろかったです。
 小屋の中のヘルメットの山から引きずり出したこれは??カ−バイトランプでしょうか?
 湯飲み茶碗やらコンセントやら・・・しかし、私が一番見たかった本の類がありません。。こういう男臭い職場には時代を問わずエロ本が必ずあるはずです。今回の調査では見つかりませんでした。当時のナニを見てみたかったなあ〜。う〜ん残念!
 大きな小屋の中を抜けて真っ直ぐは直ぐ崖になっていて下が深い池になってました。
 大きな小屋の右直角方向の斜面はなだらかで石がいっぱい落ちていました。斜面を降りた左にはやはり直径10mほどのそこが全く見えない藍色の深い池がありました。
 斜面右側は石がいっぱいで、こういうのをズリというのでしょうか?
 ほとんどの石の表面はこのようにやや青みがかった光沢がある黒色で比重が重そうです。二酸化マンガンのような感じで触ると手に粉が付きます。
 で、ハンマ−を忘れたので先人たちがそれを割ったものの中から、赤っぽいのを集めてきました。この赤いというか、ピンク色はいかにもマンガンぽいなあ・・・
 その中で、色が鮮やかなやつをゲットしてきました。割ったところはピンクだけど外側は黒い鉱物です。これが、バラ輝石でしょう。。HP検索すると産出する場所によって、もっと濃い赤だったり、結晶みたいだったりするようですが、ここのバラ輝石はこんな色で非常に堅い脈になっているようです。。。他にも芥子粒のような石榴石がありましたが、あまりに小さいので持って帰りませんでした。。ハンマ−が欲しかったなあ。。。
 よく色を見るために横の池で洗って見ました。結構鮮やかな紫がかったピンクできれいです。