◆◆ 数楽倶樂部 ◆◆


本題に入る前に,ひとこと。
私,た〜け@うちの本職は数学教師でありまして,中学と高校で教えています。
世の中には数学嫌いの人が多くて,しかも数学なんてそんなに役には立たないけど,
本当はおもしろいんですよー。
で今,数学で悩んでいる人,昔,苦しめられた人,のために何か書いてみようと思います。
普通の教科書には書いてないけれど,実は大切なこととか,いろいろね。
じゃ,ま,気楽にね。


★★ 第3回・文字には色がある ★★ 2002.07.26

今回お話しすることは,教師になって10年ほどたったころ,
授業をしている時にふと思いついたことです。

小学校の算数から中学校の数学に変わる時にいちばんなじむのに時間がかかるのは,
変数とか未知数の概念ですね。aとか bとか xとかのね。
2aa=2 ってやってしまったり,3 (ab)=3a+3b を覚えると 3 (5+4)=3×5+3×4=15+12=27
なんて無駄なことやってしまったり。

教室で苦労して教えながら,フッと,
数学が得意じゃない人たちは,ひょっとすると方程式とかを見ても,
アルファベットや数字や演算記号が,英語の文章のように並んでいるとしか見えないのかもなぁ,
と思ったのです。
そして,axも同じアルファベットだから同じようなものと思ってるのじゃないか。
例えば一次方程式 axb=0 を xab=0 と書いても平気だったりします。

数学で使うアルファベットは数字の代わりに用いられるものですが,いろいろな用途があります。
そして,文字によってだいたい使い道が固定化されています。
例えば代表的なのがxです。
これは方程式や不等式の中で未知数として使われますね。
未知数というのは,文字通り未だ知らない数です。

それに対してaは,定数を表すのに使われますね。
定数というのは,ある決まった数なのだけれども,
いろんな可能性を残すために文字で表しているものです。

そういったそれぞれの用途に特化した文字使いによって,
数学で使われる文字にはそれぞれ個性が生まれます。
個性を端的に表すものは何だろうか,と高校1年生の授業をしながら考えていた時,
「色だ!」というアイデアがひらめきました。
文字にどんな色を感じるか?
その授業では,思いつくまま直感でそれぞれのアルファベットのイメージを色に置き換えてみました。
ちょっとそのときの授業を再現してみましょう。
 

私)「今思いついたんだけど,文字には色がありますねぇ。たとえば,aは明るい色だなぁ。
   んー,わずかに黄色いかも。」

生徒)「えー?なんでaが黄色っぽいの〜?」

私)「(生徒の反応は無視して) それからbもcもdも淡い黄色だねっ。」

生徒)「どーしてー?」

私)「a,b,c,dはよく,定数に使われますよねぇ。三角形の底辺の長さをaとする,とかさ。
   それであとで,そのaを5とすると,面積は・・・なんていうように,
   aはどんな数字かということがはっきりと与えられたり決まったりすることが多いですよね。
   だから隠されていない明るいイメージがこれらの文字にはあります。」

生徒)「ふーん。じゃ,xは?」

私)「xは・・・・,銀色だね。しかもいぶし銀。」

生徒)「なんだそれー?はははは」

私)「xとかyとかzって,未知数に使われるでしょう。だから,なんか神秘的っていうか,
   冷たくて硬質で密度の高い金属的なイメージがあります。真っ黒じゃないけど,
   黒光りしている感じ。xという文字は,ちょっと渋めの銀の針金で出来ているねっ。」

生徒)「他の文字の色はどうなんですか?」

私)「あ,今ので思いついたけど,文字には重さもありますねぇ。
   さっきのaとかは,軽いなぁ。淡い黄色のアクリル板でできてる感じだ。
   cは違うけど,a,b,dには丸く閉じた部分があるし,ちょっと厚めのアクリル板製。」

生徒)「またわけのわからないことを・・・・」

私)「で,次にm,nには緑を感じる。これらは整数を表すことが多いでしょ。だからね。」

生徒)「なんで整数が緑?」

私)「この学校のイメージカラーは緑でしょ。緑って,整然と整っているっていう感じですよ。」

生徒)「先生!私たちが他の学校の生徒からなんて言われているか知ってる?
    ミドリムシだよ〜。こんなのやだよー。ぶーぶー」

私)「ミ,ミドリムシですか・・・その制服の深緑は落ち着いていて私はいいと思うよ。
   けど傘まで緑にすることはないよねぇ。(当時,傘は学校指定の緑一色でした。)
   えー,それはさておき,次。
   f,g,hは関数に使われてるのでなんか洗練されている都会的イメージで,スカイブルー。」
   
生徒)「ふーん」

私)「さて,ドンドンいくよ〜。eは特別の定数なのでルビーみたいな宝石のイメージ。
   oは数字のゼロと区別がつかないので文字としては使用禁止。
   i,jは数列などの添字に使われることが多いので,雰囲気としては灰色かな。
   あんまり個性が無いね。
   k,lはいろんな用途があるけど,私の印象ではエメラルドグリーンってとこだなぁ。
   k,lはクールな感じがするけど,p,qは情熱的な感じがするので原色の赤ね。
   rは円の半径を表しますね。あんまり根拠は無いけど,p,qに続いているので
   赤系統の濃い色,赤茶色かな。
   s,tは水色ですねぇ。媒介変数なんかによく使われるんだけど,
   軽やかで明るい感じがする。プラスチック系ですね。
   u,v,wは濃紺。これも変数系の文字ですね。金属光沢を感じるな。」

生徒)「・・・・先生って変わってるねぇ。いつもそんなこと考えてるんですか?」

私)「そーぉなんですよぉ。ヒトから,変人だと言われるのはうれしいね。
   変人というのは,最大の賛辞ですよ。うん。
   それはさておき,この,文字に色があるというのは,どこでも聞いたことがないから
   たぶん日本初だなー。ひょっとしたら世界初かも。」
 

ってことで,私の感じる「文字の色」を最後にまとめてお見せいたしましょう。
あなたは文字に色を感じますか?
もしも感じるとしても私とは違った色に感じることでしょうね。
どのような色にせよ文字に固有の色 (つまり個性) を感じることができれば,
方程式や関数の式もカラフルに見えてきて,楽しくなるし,式の個性まで
感じられるようになります。こーゆーのを「数学的センス」というのでっす。



★★ 第2回・あなたは雑巾を何回すすぎますか? ★★ 2002.05.26

   「私は雑巾 (ぞうきん) になりたいんですよ。」

もう20年以上前,私が教師になりたての頃,
修養会 (静かに自分自身を生き方を見つめ直す学校行事) の講話でカトリックの神父さまが
生徒たちに向ってそう切り出しました。

   「雑巾というのは,普段は部屋の片隅に掛けてあって,
    誰にも気に留められない存在です。
    けれどもジュースやお茶をこぼしたら,サッと持ってこられて汚れを拭き取り,
    また洗われてしぼられて元の場所に掛けられます。
    使われて汚れた雑巾は,しっかり洗ってもまったく完全にきれいには戻りません。
    以前より少しだけ汚れて,さりげなくぶらさがっている。
    私は世の中で,そういう役割りを持った人になりたいんですよ。」

このお話は今でも5月の修養会の季節になると,
私の心の中でリフレインを繰り返しています。
 
 

◆さて本題です。
床や家具などを拭いて真っ黒になった雑巾。
あなたは何回すすいでしぼりますか?
バケツに水を用意して雑巾を手揉み洗いして,汚れた水を捨て,
また新しい水を入れ,2度目に雑巾を洗いますね。
でもまだまだ水には汚れが目立ちますから,もう1回ぐらいは水を換えないと
きれいになりませんね。
潔癖性の人などは何度やっても濁る水が気になってしょうがないかもしれません。
流水で洗うという人もいるでしょうが,それでは水は常にきれいなものが
流れてきて気持ちよくても,雑巾自体がどれだけきれいになったのかは
よくわかりません。

では,雑巾を洗ってしぼり終えた水で顔を洗えるぐらいにまで水がきれいになるには,
何回ぐらいすすぎをしたらよいでしょうか?

もちろん,汚れにも軽いものやひどいものがありますので,
たとえば油汚れなどは水でいくらすすいでも取れません。
そこで汚れは石鹸などの界面活性剤で雑巾の繊維から浮かせてやることにします。
それから,大腸菌などの細菌はわずか数個だけ残っていてもまた増えて危険ですので
そういう汚れや,ごく微量でもあってはならない水銀やカドミウムといった重金属の
汚れは考えないことにしましょう。おぉ,こわ。
顔が洗える,というのはですから,ま,比喩だと考えてくださいね。
今回の話を読んだあとで,実際に雑巾をしぼった水で顔を洗ったりはしないでねー。
まっ,注意を言わなくてもしないよねっ,普通。
さてそういこうとで,みなさんは何回のすすぎでよしとするでしょうか?
3回?4回?5回?6回?もっと?

ここからが「数楽」の出番です。
数字で計算するには具体的な数値が必要ですので,次のように設定します。

   (1) 洗う前の雑巾に含まれている汚れは20グラム
   (2) バケツの水は4リットル
   (3) しぼった雑巾に含まれている水の重さは80グラム
   (4) すすいだ後の水の汚れの目標は1ppm以下

えー,(1)は適当に設定しました。20グラムの汚れ物質ってどれぐらいかなー。
泥とか絵の具とかで20グラムっていうとけっこうな汚れだと思いますが,
これはいかようにでも設定することはできますね。
(2)は普通のバケツかな?
(3)は,私が実際に,はかってみました。タオル1枚に水を含ませてしっかりしぼると
だいたい80グラムぐらいの水がタオルに残りました。
(4)にある1ppmというのは百万分の一のことですから,
バケツの水4リットル (重さでは4キログラム) の中の汚れの物質の重さでいうと,
4キログラム×0.000001 = 4ミリグラム,ですね。
普通の水質汚濁なら1ppmぐらいで許せるかも?

さぁて,汚れた雑巾をチャプンとバケツに沈めまして,
手でモミモミモミっと,ゴシゴシゴシっと,やると,
雑巾にくっついていた汚れが水に溶け出します。
汚れは均等に水に拡散しました。
そしたら雑巾をギュギュギュッと,しぼりましょー。
しぼった後の雑巾に含まれている水には,もちろんまだ汚れが含まれています。
雑巾に残った水の重さは80グラムで,バケツの水は4000グラムだから,
雑巾に残った汚れの重さは,もとの汚れの重さ20グラムに
4000分の80 (約分すると50分の1) をかければいいですね。
50分の1をかける,というのは50で割るということなので,

   20 ÷ 50 = 0.4 グラム

です。1回目のしぼり作業をすると汚れは0.4グラムだけ雑巾に残って,
あとの19.6グラムはバケツの水に溶けています。

次に,バケツの水を捨てて,新しい水を4リットル注ぎましょー。
その中に雑巾を入れて,またモミモミモミっと。
0.4グラムの汚れはまた4リットルの水に拡散して薄まります。
そしてギュギュギュッとしぼると,
また先ほどと同じように汚れの50分の1だけが雑巾に残ります。
その重さは,0.4グラムを50で割って,

   0.4 ÷ 50 = 0.008 グラム

となりました。小数点が出てきたので,単位を変えて,ミリグラムにしますね。
1グラムは1000ミリグラムなので,0.008グラムは 8ミリグラムです。
2回目のしぼり汁(?)には,
0.4 − 0.008 = 0.392グラム (392ミリグラム) の汚れが溶けています。
目標の4ミリグラムまではまだまだですねー。

じゃ,さらに,続けましょー。
バケツの水を捨てて,新しい水を入れて,モミモミモミのギュギュギュッ。
この3回目のしぼり作業を終えた雑巾に残っている汚れ物質の重さは

   8 ミリグラム ÷ 50 = 0.16 ミリグラム

です。ってことは,バケツの水には 8 − 0.16 = 7.84 ミリグラムの汚れが
残っているってことね。目標までもうちょっとだ−。
4回目のしぼり作業をすると,汚れは雑巾にはわずか

   0.16 ミリグラム ÷ 50 = 0.0032 ミリグラム

が残り,
またそのときのバケツの水にも 0.16 − 0.0032 = 0.1568 ミリグラムの汚れ
だけが残りまぁぁっす。これは少ないよ−っ。
4ミリグラム以下という目標値を見事に大きくクリア〜っ!
これってppmで言えば,0.0392ppmですよ!!
もー,これなら顔を洗うどころか,飲めちゃうレベルですよ。ほんとに。
 

◆さ,結果を表にしてまとめてみましょー。
 
すすぎの回数       1       2       3       4
雑巾の汚れ   0.4g     8mg 0.16mg 0.0032mg
バケツの水の汚れ 19.6g 392mg 7.84mg 0.1568mg

モミモミモミのギュギュギュッ,を1回繰り返すたびに,
雑巾の汚れもバケツの水の汚れも50分の1になります。
わずか4回の繰り返しで,(50分の1)の4乗 = 625万分の1に激減しました。
すごいですよねー,たった4回ですよ。
4回すすげば,申し分ないんですねー。
「いくらきれいになったからってったって,飲む気はないっ」という向きには
3回のすすぎをお薦めします。
3回でも雑巾の汚れは12万5千分の1になってますから,充分でしょう。

同様なテーマとしては,
お風呂でからだ洗いに使った,石鹸のついたタオルをきれいにして,
出る前に顔とか体を拭くためには,何回すすいだらよいか?
ということも考えられますね。
洗面器は2リットルぐらいしか水が入りませんので,
1回のすすぎでは濁りが20分の1ぐらいにしかなりません。
これでも4回すすぐと,
(20分の1)の4乗 = 16万分の1ですから,お湯の濁りは16万分の1になります。
16万分の1にもなったら充分ですよね。
「ま,8000分の1でもいいや」というかたは3回でOKです。
 

このような,毎回毎回一定倍率で減っていく減りかたのことを,
数学的日常語では,「等比数列的 (または,指数関数的) に減る」と言います。
古い人は,「幾何級数的」という言葉を御存知でしょうが,
この「級数的」というのは今回の話とはちょっと違います。
それについてはまた,題材を変えていつかお話しすることになるでしょう。
 
 

◆ところで,冒頭の神父さまのお話に戻りますが,
私は,「雑巾になりたい」という神父さまの生き方っていいなぁ,と思うのです。
ともだちに悩みごとや愚痴を打ち明けると,
問題は何も解決しなくても,それだけで心が軽くなりますよね。
心が軽くなったということは,実は実際に問題は幾分か解決したのです。
そもそも悩みというものは,その原因となった出来事の中にあるわけではなく,
自分の心の中にあるのですからね。
ですから悩みを持ったともだちの話を共感しながら聞くということは,
その人の辛さの一部を吸い取ってあげることです。

辛さを吸い取って,そっと洗い流してしぼってまた元通りになる,
という雑巾はすてきです。
その結果,雑巾も前よりは少しだけ汚れてしまう。
けれど,雑巾はまっさらな新品より何度か使われて,
少し汚れてしまったほうが汚れを吸収しやすい。
いくつもの小さな辛さを忘れずに心の中に持ちながら,
次の出番を待っている雑巾。
私もそういう雑巾になれたらいいな,と思います。
そしてその時,次のことだけは忘れずに。
「雑巾を使ったあとは,3回はすすぎましょう。」
                        ■END■



★★ 第1回・絶対値とはなんぞや ★★


唐突にしかし!いったい何ゆえに「絶対」値などと言うのか?!絶対値のどこが「絶対」なのか?
・・・それは日本の明治時代の数学者が悪いのです。
もともと絶対値という数学用語は英語では「absolute value」といいます。
このabsoluteという単語を日本語に訳す時,
最も平凡な代表的な「絶対」という訳語をあててしまったのが誤解の原因です。

absoluteという単語を英和辞書で引いてみると,

   (1) 絶対の,絶対的な (2) 無条件の (3) 専制の,独裁の
   (4) 完全無欠の,純粋の,純然たる,全くの (5) 断固たる,確かな,実際の
   (6) 独立の,遊離した,単独の

などとなっています。
absoluteという言葉が指し示す意味は,これらのどれかひとつに限定した概念ではなく,
これらすべてのイメージを含むものです。
この訳語群を眺めてみて,英語圏の人たちがabsoluteという言葉を使う時,
彼らの頭の中にボワッと浮かぶイメージが想像できるでしょうか?
これらの訳語を総合して考えてみると,absolute valueという言葉には,
「何ものにも依存せず,それ自身がしっかりと固有に所有している価値,有用性」
というようなニュアンスがあります。
まっ,とにかくabsolute valueという概念は,
日本語の「絶対」という言葉からイメージされるものとはかけ離れています。注意しましょう。
 

前置きはここまでにして,絶対値の定義についてお話ししましょう。
どの教科書にも,絶対値の説明の最初に

   x≧0のときは|x|= x
   x<0のときは|x|= - x    ・・・・・(1)

なんて書いてありますね。これ,初心者には,わかりませんね。なぜでしょう?
・・・それはたぶん(1)には図形的な視覚的なイメージがないからですね。

数学には計算的側面と図形的側面があって,
小さい頃から計算はたくさんやってできるようになるんだけど,
その計算にどんな意味があるのかとか,図形的に言って何をしているのか,
ということをあまり教えてくれないんですよ。
数学の面白くないほうの側面しか学んでいない。これはモッタイナイ。

絶対値というのは(1)が出発点ではなく,図形的なものからはじまっているのです。
結論から言えば,
|x|は図形的には,数直線上で原点からxまでの距離を表す数字です。
このことがわかれば,絶対値なんてなんでもないのさ。

しかしその前にまず,数直線とは何かということを理解せねばなりません。
実数 (real number : 整数,分数,少数,無理数をあわせたもの) には
大きい小さいがあります。
不等号を使えば,たとえば 2<3とか -4.5< -3 とかね。
実数は無限にたくさんありますが,
1個1個の実数をそれぞれ大きさのない「点」とみなして,
それを順序よく小さいほうから大きいほうに1列に並べたのが数直線です。
数直線は,ですから,べたーっとつながった線なのではなくて,
無限にたくさんの点の集合です。

ここで数直線上にxという1個の実数があるとします。
数直線とか実数xって具体的にどんなものなのか,想像できますか?
私の頭の中のイメージを言葉で表現してみると,
まず茫漠とした桔梗色の「何もない」場 (非存在) があって,
その中に,目盛りが刻んである細いいぶし銀でできた数直線だけが浮かんでいます。
そしてその数直線の原点が白い光で輝き,
その白い光から少し離れた場所のある1点だけが
サソリ座のアンタレスのようにくっきりとルビー色に輝いています。
このルビー色の輝点が実数xです。
xの絶対値とは,白い光の原点からルビー色のxまでの距離のことなのです。

たとえば +3という実数の絶対値は3ですが,
それは+3っていう点が原点から右に3だけ離れたところにあるからです。
またたとえば -5の絶対値は5ですが,
-5っていう点は原点から左に5だけ離れているから絶対値が5なんです。
この当たり前のことを式計算として矛盾なく成立させるために(1)の式があります。
(1)に忠実に従って具体的に書いてみると,

  |+3|= +3

で,+3とただの 3は同一の数と考えてよいので,|+3|= 3 となります。
また,

  |-5|= - ( -5 )

ですね。あとは計算規則によって - ( -5 ) = +5 = 5 ってなぐあいです。

さてこの,原点からの距離というのは,
実数だけではなくて複素数についても考えることができます。
高校の数学Bという教科書にあるんですが,
x+yiという複素数について,その絶対値は

   |x+yi|= √x×x + y×y・・・・・(2)

ですね。ワープロではないので式がかっこよく書けませんが許してくださいね。
これは複素数平面において,
x+yiという複素数の表す点が原点からどれだけ離れているかという距離を表しています。

x+yi において y = 0 とすると,x+yi = x となって,ただの実数を表すことになります。
つまり,複素数は実数を包含していて,実数よりも1段レベルの高い数字です。
でもってy = 0のとき,(2)の式は

   |x|= √x×x・・・・・(3)

となります。ルート記号が短いので見栄えが悪いですが。
ま,このように,数学では,より1段上のレベルの定義から出発して考えると,
包括的に理解しやすいものがいくつかあります。
(1)と(3)はどちらも同じ絶対値です。どちらも大切な式です。

んでは,最後に,今回の最初の疑問に戻ります。
絶対値のどこが「absolute」なのか?その答えは・・・・
数には実数や複素数があるけれど,それらの種類にかかわらず,
そして,実数には正とか負といった符号もついているけれど,
そういった違いにもかかわらず,
その数が原点からどれだけ離れているかという「距離」は,
1つ1つの数に固有でただ1つあるわけです。
原点から遠い距離にある数は「大きい」数。
原点から近い距離にある数は「小さい」数。
この大きい小さいという属性をその数の absolute valueと名付けたというわけです。
人間の心の広さ・寛容性とか,器の大きさ,なんてものはまさにabsolute value ですね。

別の見方をすれば,現代的な数学においては
数というものはこの「absolute value」(大きさ) と「方向」という2つのものでできている
と考えるのです。

「方向」は実数の場合は正か負かという符号ですね。正が右,負が左です。
複素数については正とか負といった符号の概念が考えられません。
複素数では「方向」は文字通りの方向で,
その複素数が原点から見てどちらの方角にあるかということを示します。
それは符号ではなく,ある基準線から測った「偏角」という角度で表します。

もう一度あらためて同じことを言葉を換えて言うと,
「数は大きさと方向という2つの情報を持っている」のです。
ベクトルを知っている人は,これはベクトルではないか,と思うでしょう。
そう,ベクトルも数と考えてよいのです。
ベクトルというと矢印を思い出す人が多いでしょうが,1つのベクトルは1個の数です。
それどころか,行列も関数も数とみなしてかまわないのです。
そしてその数というものが整然とぎっしりみっしり詰まったものが「空間」です。
数直線は1次元の空間ですし,xy平面や複素数平面は2次元の空間。
全てのベクトルの集まりはベクトル空間。関数の集まりは関数空間。

さて,話が脱線していきそうなのでこのあたりで今回はおしまいにするとしましょう。
具体的な絶対値の問題については全然触れませんでしたが,
「絶対値とは原点からの距離である」ということが完全に理解できたら,
絶対値はクリアです。
難しいのは,その後に待ち構えている方程式や不等式や関数の扱いですよねー。
                                   ■END■