言わずと知れた、増村
博デビュー作品「霧にむせぶ夜」が、第5回手塚賞準入選作として
掲載されたのが、この1973年の少年ジャンプ第33号でした。
昭和で言うと48年。表紙には7月30日発行となっています。
実際の発売日は7月10日(火)、定価100円でした。
1952年10月生まれのますむらさんはこのときまだ20歳。
欄外&差異情報に行く前に、ちょっと昔話をさせてください。
1973年の夏、1957年5月生まれの私は16歳の高校1年生。私の住んでいたところはド田舎で、
本屋さんまでは5km離れていました。その本屋さんに少年ジャンプを定期購読していた私と弟は
毎週スーパーカブの荷台に大きな四角い箱を乗せてやってくる本屋さんの配達を
心待ちにしていたのでした。
まず、少年ジャンプ1973年33号に掲載されている作品を紹介しましょう。
「プレイボール」ちばあきお
「ど根性ガエル」吉沢やすみ
「包丁人味平」牛次郎・ビッグ錠
「荒野の少年イサム」山川惣治・川崎のぼる
「漫画ドリフターズ」榎本有也
「ヤングおー!
おー!」宮のぶなお
「霧にむせぶ夜」増村博
「ぼくの動物園日記」西山登志雄・飯森広一
「トイレット博士」とりいかずよし
「マジンガ−Z」永井豪
「鬼っ子」池沢さとし
「ドリーム仮面」中本繁
「はだしのゲン」中沢啓治
「クライム・スイーバー」武論尊・逆井五郎
「アストロ球団」遠藤史朗・中島徳博
私のお気に入りは「プレイボール」と「包丁人味平」。これを読みたくてジャンプを買っていました。
当時の私は今と違って、収集癖はなく、読み終わった雑誌は惜し気もなく
古紙回収に出していましたが、3歳下の弟は捨てずに倉にしまっていました。
後年、私が熱烈なますむらファンになった時、この倉を覗いてみて、たまげました。
弟は、月刊COM、少年マガジン、少年ジャンプ、マンガ少年、などを保存していたのです。
少年ジャンプはしかし、全部は残っておらず、「霧にむせぶ夜」の掲載された号もありませんでした。
でも、1973年の他の号がいくつか残っているのだから、
確かにこの年に、この作品を読んだことは間違いありません。
ただ、当時の私には「霧にむせぶ夜」を理解する力がなく、あまり印象には残りませんでした。
2ページ目の
「われわれは みんな 他人の不幸を 平気で みられるほどに 強い」----ラ・ロシュフコオ
という言葉にドキリとするには、16歳の私は若すぎたのです。
私がこの作品を「再発見」したのは、
6年後の1979年2月に発行されたまんが専門誌「ぱふ」においてでした。
そして、ラ・ロシュフコオ (La Rochefoucauld) が1613年9月15日にパリで生まれ、1680年3月17日に没した
こと、彼の著作である「格言集」(Maximes) にこの格言が載っていることを知ったのはさらに下って
私が41歳を過ぎてからのことでした。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、少年ジャンプにあった欄外情報と、
それ以後の原稿の変遷について、書いてみることにいたしましょう。
★1ページ上、
「◆◆公害に悩む日本の病根を、鋭くえぐった異色力作!!◆◆」。
同ページ左、
「◆必殺劇薬 "リロコトヒ" 発見! 東北の原野で、猫たちがたくらむ、人間みな殺し作戦とは、なにか!?」。
それから、これは欄外じゃなくタイトルの下に、「第5回手塚賞準入選作」。
霧に浮かんだ目の絵の左に縦書きで「●公害日本を直撃!
新鋭の怒りの声に、耳をかたむけよう!!」。
その絵の右下に「増村
博」。
★2ページ右、
「増村 博くんは20歳!アルバイトをしながら、真剣に漫画と取り組む新鋭です。応援しよう!!」
★3ページ上、
「◆風刺◆ 白土 三平先生 → 自分もふくめ、怠惰な大人たちを切りつける、風刺力がある。」
★5ページ上、
「◆迫力◆ 馬場のぼる先生 → 説明にたよりすぎるが、猫の表情には、ドキリとさせる迫力がある。」
★7ページ上、
「◆表現力◆ 岡本 喜八先生 → 発想、展開の仕方がユニーク。表現法がおもしろいと思う。」
★9ページ上、
「◆構成力◆ わたなべまさこ先生 → 最後まで、ぐいぐい読ませる力は、ものすごい。」
★26ページ右、
「★新しい漫画をめざす増村 博くんに、感想のお便りをだそう! あて先→少年ジャンプ編集部」
★28ページ右、
「◆猫たちの怒りはキミの怒りでもある!この恐るべき未来をふせげるのは、公害をにくむキミの心だ!!」
★欄外ではありませんが、少年ジャンプの最後のページの目次には、ますむらさんの言葉があります。
「生まれて初めてかいた作品で受賞!感想の手紙かならずください!!〈博〉」
まず、最も初期の「少年ジャンプ」の写植の漢字には、すべてルビが振ってありました。
そして、文字の字体は少し古臭い感じの明朝体でした。
それが、次の「ぱふ」では新しい字体に全部貼り変えられています。ただし、ぱふの写植には2ページ目の格言
を除いてはルビがありません。
「永遠なる瞳の群」になると、写植文字が部分的に新しくされ、ルビがつきました。
最後の「作品集」では大半の写植は「永遠なる瞳の群」版と変わりありませんが、ところどころ、ぱふと同じ
になっています。しかし、よーく見てみると、やはり写植文字が貼り直されている箇所があります。
なお、『霧にむせぶ夜』は「少年ジャンプ」では紫インク■■■で印刷されていましたが、他では黒インクです。
写植以外での違いは3箇所だけです。それをまず書いてから、写植の対照表を書くことにします。
★20ページ
1コマ目、「少年ジャンプ」では「だから・・・」は活字ですが、「ぱふ」以降は手書き文字です。
★24ページ
1コマ目、「少年ジャンプ」では左肩の上に、「カバにみえる人はバカです」という言葉があります。
それ以後には、この言葉はありません。
1973年7月 1979年2月 1979年5月 1988年7月
少年ジャンプ ぱふ 永遠なる瞳の群 作品集