◆ 谷中漫遊記 ◆ 


2008年9月4日から21日まで、東京は谷中のギャラリー猫町で「ますむらひろしの世界」展が
開催されました。このページはその展覧会の印象と、20日に行われたアコースティックライブと
そのあとの「ごろにゃん的宴会〜ますむら先生を包囲する会〜」などのことを書き留めたものです。



2008.9.20

リュックサックに何冊かのアタゴオル書籍と録音用MDを入れ、重いカメラをウエストバッグに入れ、
近鉄特急と新幹線のぞみを乗り継ぎ東京へ。台風一過、静岡あたりでは真っ白い夏雲が眩しい。
東京駅で山手線に乗り換えて西日暮里へ。続いて東京メトロ千代田線で千駄木へ。
団子坂下口から地上に出て東南東に歩き、谷中小学校の手前で右に折れて少し行って左折して右折して
左側にギャラリー猫町を発見。さっそく写真を1枚。



けど予定よりも少し早い目に着いたので、すぐには石段を上らず、
その高い石垣に沿って少し歩いてみることにした。
しっかりした石垣は江戸時代からのものらしい。石垣を反時計回りに1周する。



途中で目にする住宅には植木や鉢植えが多くて
雰囲気的には江戸からの精神を受け継いだ町という感じがする。
ぐるりとひとまわりしてきて、いよいよ急な石段を上って行き、ギャラリー猫町へ到着。

蚊取り線香が焚かれた玄関のドアを開けると正面の部屋にアタゴオルの絵があった。
スリッパを履くのも忘れて展示室に入り、リュックサックも背負ったままカラー原画に見入る。
原画を見るのはこれで三度目だ。あぁ、カラーはいいなぁ。
今回は「風呂猫」が毎年作っているアタゴオルカレンダーの来年版の原画が展示してあるのだ。
12枚、それぞれが美しい!
彩色されることを想定した描き込み過ぎないペン画に、奥様が色を塗られた、お二人の合作だ。
1枚1枚を至近距離で見ていく。
背景を塗るためにはまず前景をマスキングしなければならないはず。
その際には、ペンで描かれた線を背景の色で塗りつぶしてはいけないし、
かといって線のギリギリのところまで塗らないと白い隙間ができてしまう。
マスキングの技術とていねいさにはいつも驚嘆する。
色使いも素晴らしいし、繊細な描き込みにも引き込まれる。
火山から吹き出る噴煙の、水蒸気だけの雲にはない陰影の色や立体感にうなる。
森の緑はなんて深くて美しいんだ。

もちろん元の絵を描かれたますむらさんも言うまでもなく素晴らしい。
夢の中で不思議な光景を見たり、現実にはない世界を漠然と空想することなら誰にでもできるが、
それを絵にして紙の上に出現させることはすごいことだ。
タコの鍋とか、雲でできたひとつ眼の猫バスとか、花のギターアンプとか、みんな素敵だ。

ひととおり見て満足してからグッズコーナーに目をやる。
新作のCat Artてぬぐいが3種類、Tシャツが何種類か、以前からあるてぬぐい、
2009カレンダー、アタゴオル浴衣地、絵葉書セット3種類、
そしてお目当ての初期モノクロ作品複製ポスター5枚セット。
初期の作品の複製については、以前から「ほしいよぅ、ほしいよぅ、作ってほしいよぅ」
と思っていたのでそれが実現して嬉しい。
気合いを入れて作られたのか、オリジナルサイズよりも大きいので迫力がある。
青猫島コスモス紀から4枚とアタゴオル・スケッチから1枚だ。
青猫島コスモス紀のものは1976年に描かれたもの。
アタゴオル・スケッチからのものは、ガロに掲載された「春街スケッチ」が初出だ。1974年の作品。

ポスターを買うのはまぁ後回しにしてもいいや、と2階に上がる。
フロアには名前を存じ上げぬ人が作られたアタゴオル風オブジェがある。
壁にかけてあるものは初期のモノクロ作品をカメラで複写してプリントして額装したような感じ。
原画には確かにそれがペンで描かれたという痕跡が残っているが、残念ながら複製にはそれがない。
昨年の八王子や8年前の米沢で見た原画に思いを馳せる。

テーブルに置いてあったノートを開いてみる。
1ページ目には鉄人28号風ヒデヨシの絵が。
そして「初期の作品は貧乏が描かせたのです」というような、ますむらさんの言葉があった。
今回私がアタゴオリアンたちに見せるために持ってきた本の1冊が「やんろーど」という雑誌。
この1976年の本には「小石川のころ」というエッセイがある。
「イラスト・エッセイ・・・19歳の地獄」と題したオムニバスで、ますむらさん以外には
林 静一氏と安部慎一氏がエッセイを寄せている。
ますむらさんが19歳だったのは、1971年から1972年の頃。
米沢から上京してきて小石川に住み、牛乳配達をしながらデザイン専門学校に行っておられた。
1973年に「霧にむせぶ夜」(少年ジャンプ)でデビューしたあと、ガロに作品が載るようになり、
1975年の「微熱少年」(松本 隆・著 ブロンズ社)に「春街スケッチ」が掲載された。
青猫島コスモス紀の発行は翌1976年だから、その頃まではいろいろな意味で苦しい時代だったのだろう。
それだからこそ、若さとエネルギーのるつぼから生み出された作品たちは、
30年以上を経た今でも私のような古い読者だけでなく、
若い世代の読者をも感動させる力をみなぎらせて静かにギラギラと輝いている。

その他、ノートには多くの来場者からの熱いメッセージが書き込まれていた。
私ももちろん書く。「てぬぐいで書き下ろしのコミック一話があったらすごい」などと書く。
書いている途中、テーブルの左手奥の部屋からますむらさんが今宵のライブに向けて
練習をされているのが聞こえてきた。ギターを弾きながらいろいろな曲を唄っておられる。
一部、懐かしの歌謡曲などもあり、これもやるんかいなと期待する。
そうこうするうち、ゆっきんさんが2階にやってきた。
ゆっきんさんが「ヒゲはどうしたんですか?髪もいつもより長い」と問う。
実は10日ほど前から私は人生ではじめて1週間を越えてヒゲを剃らずにいたのだ。
これまで、伸びたものは剃るものと、あまり深く考えもせずいたけれど、
どうして自然に伸びてくるものを毎日親の仇のように剃らねばならないのか、ふと疑問に思ったから。
近年頭のてっぺんのあたりが寂しくなってきたので、それを補完するためにもヒゲはありかも。
そんなわけで、ゆっきんさんには「心境の変化でね」と答えた。
すると続いて空さんが2階に登場。世界のナベアツよりスケールの大きい、宇宙人の空さん。
空さんは開口一番「そのヒゲは、心境の変化?」
ぁぁぁ、なんてことだ、私は空さんと同じ思考回路を持っていたのか?同じレベルなのか?ぁぁぁ

三人でモノクロ作品を見ているとますむらさんの音出しが終わったようで、
2階の展示室に顔を出された。1年ぶりにお会いして、「来ましたー」とあいさつ。
ゆっきんさんがポスターにサインをしてもらうのを見て、あ、やっぱし私も、と思い立ち、
急遽1階に下りていき、ポスターを買い求め、2階に戻りサインをお願いする。
5枚全部に書いていただく。1枚はヒデヨシの横顔付きサインで他は名前のみ。
名前の途中に音符が入っているのはニューバージョンのサインなのだろうか。

アコースティックライブの準備のためギャラリーは一旦閉まる。
そこでゆっきんさんと空さんと私の三人で外に出て、
ゆっきんさんがハンコの店に行くというのでついていく。
道を渡って入った店は喫茶もできる店。ここで私が持ってきたアタゴオル書籍を披露する。
先に紹介した「やんろーど」の他に持ってきたのは、
私家版「ますむらひろし名作集 ファンタジーゾーン」6冊セット。
これは月刊誌の「マンガ少年」をバラしてファンタジーゾーンだけを取り出して、
それを改めて再製本したもの。私が製本したものではなく、
たまたまオークションで見つけて落札したのだ。
製作者はきっとますむらさんの古くからのファンなのだろう。この私家版「名作集」には
ファンタジーゾーンの作品のうちの25話が6冊にわけて収録されている。
とてもていねいに製本されていて表紙もシンプルながらもいいセンスで作られている。

店では茶色い毛のノーブルな顔つきの猫が飼われていた。名前はラムセス。
空さんが間違って「ラムセス2号〜」と呼ぶ。2世ならわかるけど、2号って・・・・
ラムセスと言えばラムセス2世。アブ・シンベル神殿を作った人だよー。
ゆっきんさんが携帯のカメラで猫ちゃんをバシバシ撮る。
でも猫は超然と佇み動じない。猫パンチをしてこないからカメラの類にはさほど興味はないようだ。
空さんもカメラを低く構えて猫を撮る。にわか撮影会。
じゃ、私もというわけでカンボワイドを取り出して床に置いて見上げるようにして撮る。
外は曇っていて店内はかなり暗いのでスローシャッターになるから
あまり動かない猫でもたぶんブレて写っているだろう。
と思ったが、現像してみたら1秒の露光にもかかわらず微動だにしていない。
2カット撮ったが、その2枚とも動いていない。
江戸時代のダゲレオタイプの写真でもちゃんと写るのではないだろうかというぐらい。



お店の方のお薦め、ミントソーダを飲みながらくつろぐ。
アコースティックライブの開演時間が迫ってきたのでハンコ屋さんを出てギャラリー猫町に向かう。
途中の道でゆっきんさんと空さんが突然ダッシュで走り出す。
どうしたどうした?と見ると前を歩くさんちょうさんとのえあさんを発見したらしい。
私も追い付いて5人で猫町へ。

荷物を預けてもたもたしていると、1階の展示室にはすでに座ぶとんが敷かれて
多くのアタゴオリアンがそこに陣取っている。
控え目な私は後ろの方に座る場所を探すがもう最前列しか空いていない。
私のヒゲを見た後方の人たちが「チョイワルを通り越してワル」とかなんとか言っている。
ヒゲがあっても中味は変わんないんだけどね。外見も大事だね。
ますむらさんは原画複製ポスターを背にして椅子に座ってギターを手にしてスタンバイされている。
しかたなく一番前のドアの横に座り、カメラの用意などしていると誰かが録音用のICレコーダーを
前に置いた。おぉそうだ、私も今回はMDレコーダーを持ってきたんだった。あれ?どこだどこだ?
あ、さっき預けたカバンの中だ。こりゃいかん。あわてて取りに行き、戻って大急ぎで録音の用意。
開会のあいさつが終わり、1曲目のギターが鳴りはじめる直前にようやく録音開始。
あーー、なんとか間に合ったー、ふー、と安堵しながら缶ビールを飲む。

演奏曲目は、
  「月を抱きしめよう」(1995頃)
  「旅するレモン」(1999)
  「アビーロードは雨」(1995)
  「河を渡ろう」(1993)
  「微笑みだけが」(2001)
  「ハサミの唄」(1996)
  「タナトット」(2002)
  「月の下で」(1999)

演奏に使われたアコースティックギターは弦を張り替えたばかりのギブソン。いい音です。
私はそんなにギターの音がわかる人間ではないが、ギブソンは確かに中低音がしっかりしている。
ちなみにかの吉田拓郎氏はギブソンを手にしてEのコードの響きが気に入り
「ガラスの言葉」という曲を作ったという。それぐらいにいい音なのだ。弦が新しければ、だけど。
余談はさておき、ますむらさんがハープを吹き、ギターを弾き、唄う。
それを3mほどの至近距離で聴くと、メロディーや言葉が直接にしみ込んでくる。
膝を締めて足をそろえてちょっとかかとを上げてギターを弾く姿がかわいい。
8曲で60分ちょっと。野田の七夕で聴くのとは雰囲気が違い、歌詞の世界に浸りきったひとときだった。

カメラではライブ中に2枚だけ撮影する。
あとでMDを聴いてみたらシャッターの音がすごく大きな音で録音されていた。
やはりこういう場ではデジカメのほうがいいようだ。



フィルムを現像してみたら1枚目はラムセス2号と二重撮りになってしまっていた。
ますむらさんの足と猫の足が重なっていたりして、心霊写真みたいになっている。
次のコマはちゃんと写っていた。



ライブが終わってしばらく休憩。
その間に新作の「Cat Art てぬぐい」を購入。3種類あったけど、「影切森」と「雪見酒」を1枚ずつ。
タチバナ君はそれぞれ5枚ずつ買ったとか。あ、それから2009年のカレンダーも1部だけ買う。

さて次はお待ちかねの「ごろにゃん的宴会〜ますむら先生を包囲する会〜」だ。
みんなで外に出て緩い坂を上り、三々五々「猫町カフェ 29」に向かう。
猫町カフェの中はさほど広くはなく、20人ほどの参加者でぎっしり超満員になった。
ビールはハートランドの小瓶。それに赤ワイン、白ワインなど。
主催者の音頭で乾杯をして宴会開始。足元を縫うように黒猫が周遊している。
私はリュックサックからやおら手作りのヒデヨシレリーフを取り出し、みなさんに御披露。
昨年はかなり気合いを入れてヒデヨシキャップを作ってみたので、今年も何か作らにゃぁと、
別に誰から頼まれたのでもなく期待されていたわけでもないけど作ってみた。
紙粘土で形を作り、黄色いシリコンカラースプレーで彩色して、
油性の黒ペンで目鼻口耳とヒゲを書き入れてある。
立体的なヒデヨシの顔というのは作ってみるとなかなか難しかったが、
宴会の席ではみなさんにけっこう好評で記録写真など撮る人もあった。



来年も何かしたいねぇ。何作ろうかなぁ。どうせ作るなら今度はもっとデカイのがいいなぁ。

それからオークションで手に入れたファンタジーゾーンの集成版もみなさんに見てもらう。
初期のアタゴオル作品はマンガ少年で見るとまた味わい深いものがあるのだ。
欄外情報も面白いし、印刷インクの色が黒ではないものが多く、時代を感じさせる。

ビールとワインをどれぐらい飲んだのかどうにも記憶がない。そんなに飲んだかなぁ。
ますむらさんのマンガ少年の時代の話など聞いたり、近くに座った人たちと話したりしているうち、
あっという間に第一次宴会は終了。
外に出て北隣りにある建物の2階に上がってみると、そこには猫関係の書籍がいっぱいあった。
ヒデヨシ大明神も3体とも飾ってある。
それよりびっくりしたのは、昨年の八王子での原画展で展示してあった「嗚呼鼠小僧次郎吉」の
ポスターが無造作に飾ってあるではないかっ!この複製がほしぃぃ。
また下りてきて、みんなそろったようなので次の場所に向かって歩き出す。

第二次宴会は日暮里夕焼けだんだん横の「とんかつ蟻や」って所。
酔っ払っている私には進むべき方向もわからず、ただフラフラと前を行く人々を追う。
途中にお墓があったなぁ。割と細い道だった。公衆トイレがあった。ぐらいしか覚えていない。
石段の右側にとんかつ屋さん。
奥の畳の敷いてある一角で、ますむらさんの右隣でまた飲む。えーと、ビールだったっけか。
何を飲んだかあまり覚えていないけれど、日本酒にだけは手を出さなかった。
というのも昨年9月に新宿で飲んだときに冷酒を飲み過ぎてデクノボーと化したことがあったので、
今年は宿まで自力でたどり着けるだけの判断力は残さねば、という深層意識が働いていた。
判断力ってつまり目的地までの電車の切符をちゃんと買えるとかいう低いレベルね。

とんかつ屋にはフォークギターが置いてあり、
店内のブラウン管にはRCサクセションのライブ映像が映っている。
二次会でとんかつ、ということも含めて実にミスマッチ。けどとんかつサンドはうまい。
ギターはかなり放置されていたようで相当に弦が伸び切っている。
チューニングを試みるものの歌ってみて全然キーが合わないってことは、2音か3音低いのだろう。
酔っ払いでは埒があかないので、チューニングはギターが上手な参加者に頼む。
右利き用ギターを逆に持って弾きながらますむらさんが古い歌などを歌う。
のえあさんもウクレレで参戦。
私も持っていった歌のファイルを見ながら何曲か歌う。酔っているから臆面もなく歌う。
ますむらさんはメロディーさえわかればそれに合わせて空でコードが弾けるが、
私にはそんな才能はない。記憶力もないので歌詞とギターコードを見ながらでなければ歌えない。
今何時なんだか気にもしていなかったが、何人かが徐々に帰りはじめたってことは
もう11時ぐらいなのだろうか?

風呂猫団女頭領がますむらさんの隣にきたので席を移動する。
別の席でもまた歌う。やっぱ今度来るときは、ちゃんとしたギターも持って来なきゃいけないなぁ。
ますむらさんは風呂猫団といろいろ話をしている。
酒の席での話なので本気なのかどうなのか半信半疑だが、来年は私の持っている古い本などを
ギャラリーの2階で展示したらどうか、などという話も出る。
谷中でアタゴオル図書館、なんて実現できたらおもしろいよね。
常々三重県の田舎で死蔵しているだけでは本たちに申し訳ないと気にとがめていたので、
もしもそんな話が本当に実現したら私もうれしい。
今ざっと数えてみると、見せるに値する古い本は250冊ぐらいはある。
全部にいちいち目を通していたら1日では読み切れない量だ。

かなり時間も過ぎ、ますむらさんと風呂猫団以外は帰ることにする。
今回も多くのアタゴオリアンたちと会えて楽しい宴会だった。
外に出て他の人たちとさよならして、私はこの近辺に住んでいるという二次会参加者の若いお嬢さんに
従って石段を上って御殿坂を下り、日暮里へ。そして山手線で上野に向かう。

以上が谷中、猫町、宴会の私の目線での記録。以下はもっと私的な記録。

上野駅の東口に出ると、改札口からいくらも離れていないところに何人も寝ている。
ホームレスかと覗き込むと、どうもサラリーマンのようだ。
酔っぱらって家に帰るのも面倒だからここに寝ているんだろうか。
私も宴会で冷酒を2,3本も飲んでいたらこの人たちの仲間になっていたかもしれないなー。
今夜の宿はカプセルホテル。
近年外国人観光客に人気だという話も聞くので、いっぺん泊まってみたかったのだ。
建物に入ってみると、フロントは6階だ。エレベーターで上がっていくと、まずクツを脱いで下足箱に。
そのキーをフロントで渡すと、前金で3600円。(インターネットで予約していたので1割引き)
ロッカーのキーをもらって別のエレベーターで3階へ。
ロッカー室のロッカーは、「p」型と「d」型の二人分が組み合わさって
縦180cm、横30cmぐらいの長方形になっている。大きな荷物は入らない。おもしろいねー。
カプセル番号は333だった。カプセル室のずーっと奥の方。
40個ぐらいあるカプセルが通路の左右に上下2段で並んでいる。
静かに歩いていくと、3分の1ぐらいは客が入ってロールカーテンが閉まっている。
まずはカプセルに潜り込んでみる。間口は縦横1mぐらいの正方形で、奥行きは190cmぐらい。
奥が頭で、真ん中あたりの右上にテレビがある。ラジオやランプの明るさを調整するスイッチなどが
右手にあり、テレビをつけてみたらいきなりアダルトビデオ。さすが男性専用ホテルだね。
もちろん普通のテレビ放送のチャンネルもある。
狭いけど居心地は悪くないね。寝るだけならこれで充分なスペースだ。

次は風呂に行く。6階のフロントの前を横切って、階段を上り7階。
脱衣場の脱いだ服を入れるスペースはカプセルみたいで狭いが、風呂場はかなり広々している。
しかも露天風呂まである。景色は望むべくもないが、空は少し見えるし外気が冷たく心地よい。
夜中なので風呂にいる客は少なく、貸し切り状態でのんびりと、泳げそうに広い露天風呂を満喫する。



2008.9.21

カプセルの中で熟睡し、すっきり目覚める。支度をして9時頃に外に出て歩き始める。
山手線の外側を線路に沿って北に向かって歩く。しばらく歩くと左にカーブして行き、
線路をまたぐ陸橋に出る。橋に上ってみるとそのすぐ北側には鴬谷の駅があった。
橋の上でしばらく電車の行き来を眺める。線路は上下線を合わせれば10本ぐらいはある。
橋を渡り上野駅方向に戻る。国立西洋美術館がファン・デーで無料で入れるというので入ってみる。
2階に17世紀から19世紀あたりに描かれた風景画がいくつかあった。
極めて細密にとことん描き込んである風景画は素晴らしい。
300年も前のフランスやイタリアの風景が額縁の窓を通して今もそこにあるかのように見える。
ある絵には、夕方の沈む直前の太陽の光が森に射す、そのわずかな時間の光景が閉じ込めてある。
画面の端には遠くの風景が小さく描かれている。農夫たちが一日の最後の作業をしている。
また別の絵には、陽が沈んであたりは少し暗くなってきた中、
遠くの山のそのまた向こうの空高くに、白い雲が沸き上がりその縁だけが薄いピンクに染まっている。
それらの絵に描かれた光は、夕方のほんの15分ぐらいの間しか見ることのできないものだ。
画家がそのわずかな間に絵を描ききれるとは思えないから、
おそらくは夕方のその光景を毎日のように凝視して、目に焼きつけたのだろう。

絵を見ている内に、目頭が熱くなった。
現代のカメラとカラーフィルムで風景を撮ったとしてもあれだけの臨場感は再現できるだろうか。
人によって絵画に対する感じ方は違うだろうが、
私は古い時代の細密風景画こそが絵画の中で最も価値があると思っている。
19世紀以降の近代絵画のほとんどはゴミに等しい。
近代になって、絵を描くということはただ写生をすることではなく、自分の心のありようを表現する
ものなのだというようにパラダイムシフトが起こった。
それはそれで悪いことではなく、そこから「芸術」とは何か、という哲学が始まったのだ。
けれど、それによって絵の価値は絶対的なものではなくなり、相対的なものになってしまった。
つまり絵画の善し悪しが、絵そのものからではなく、絵を描いた画家の個性や過去の画業から
判断されるようになってしまった。
技術的に稚拙でも個性があって時代の流れに乗っている画家の作品ならもてはやされてしまう。
現代の絵画はこれから100年後、200年後なら今と同じような価値を保っているだろう。
では400年後、1000年後にはどうだろうか。
画家の人となリや歴史的背景が忘れ去られたとき、裸になって曝された作品は
その作品の持つ力によってしか評価されない。

西洋美術館に来たことは、これからの私の写真には大きな教示だった。
自分を写真家と呼ぶのはおこがましいが、写真をささやかなライフワークと考えている私の
進むべき道が見えたような気がした。

私が館内に入ったあと雨が降り出したが、美術館を出てみると止んでいた。
上野動物園を迂回して東京藝術大学大学美術館に行ってみる。
ここでは「狩野芳崖 悲母観音への軌跡」という展覧会が開催されていた。
狩野芳崖は悲母観音の像を描くために下絵を何枚も描いている。
その下絵が展示されているのだ。
最終的な完成品は素晴らしく美しいが、私の心には響かなかった。
画学生には、こうやって描くんだよ、というアドバイスにはなるだろう。

上野桜木の交差点を過ぎて谷中へ。
思想家・哲学者の中沢新一氏の著書「アースダイバー」(2005年 講談社)に付いている地図によれば、
上野は縄文時代前期(6000年前)までは東京湾に突き出た岬だった。
上野より東には浅草に小さな島がある以外は海が広がっていたのだ。
不忍池は海が退いていって取り残された海の名残り。
埼玉県の川口市から東京都の北区、荒川区、台東区へと続く荒川と隅田川は今の何倍も広く、
川というよりは海で、海の南西側の海岸沿いに今はJR宇都宮線が走っている。
東京湾に面していた岬は上野、鴬谷、西日暮里、根津をつなぐ四角形の領域で、
谷中はその岬のど真ん中にある。
この領域に墓地や寺が多いのは、そこが最も古い縄文人たちの集落跡であり、
パワースポットだからなのだ。

多くの寺を横目に見ながら三崎坂(この地名はまさに岬への坂だと思うが、読み方は「さんさきざか」
だそうだ。地名というのは最も長く人々に受け継がれるものだから、きっとこのあたりに住んだ人は
岬の記憶を伝えてきたのではないだろうか。)を下る。
お彼岸のお墓参りのために三崎坂には長い渋滞の車列ができている。
猫町への角を通り越して大島屋という蕎麦屋さんに入り、2階から坂を見下ろしながら鴨南せいろ。
根津や千駄木あたりは縄文前期には広い川だった。根津は岬への海からの入り口だったのかもしれない。

食事を済まし、再びギャラリー猫町に向かう。
「ますむらひろしの世界」展はこの日が最終日。三重県に帰る前にもう一度カラー原画を見ておこうと
1階の展示室でしみじみと原画を見ていたら、ますむらさんが顔を出された。
またお会いできるとは思っていなかったのでちょっとびっくり。
昨日は来ることができなかったにごりさんが今朝自転車で谷中までやってきて、
鷹匠という蕎麦屋さんで遭遇した、という話を聞いて驚き呆れる。自転車で来るなんてすごいね。
「獄窓の画家・平沢貞通展」が近くのギャラリーで開催されていると聞いていたので、
その場所をますむらさんに教えていただこうとしたら、今から自分も見に行く、
とのことだったので付いていくことにする。

外に出ると雨が降っている。
傘をさしてますむらさんと並んで歩く。
ますむらさんはスポーツバッグ一つ。私はリュックサックとカメラのウエストバッグと
原画の複製が入った大きな紙袋。
紙袋が雨に濡れないように気をつけながら歩く。
ギャラリー猫町から南に下り、左に曲がると、前方から猫の鳴き声がする。
に゛ゃぁぅ、に゛ゃぁぅ、てな感じだが音源に近づいてよく聴くと、赤ん坊の泣き声だった。
「谷中じゃぁ、赤ん坊も猫みたいに泣くねぇ」「まるで猫でしたねぇ」などと会話する。

こじんまりとした平沢貞通展の会場に入ってみると、帝銀事件の容疑者として逮捕された後に
獄中で描かれた作品が展示されていた。
拘置所から見える風景、思い出の海岸の風景、地獄の花、富士山、自画像など。
諦念、達観したかのような穏やかな絵もあるが、全体に無念さが滲み出ているような気がした。
特に「地獄の花」は見るのがつらい。
監獄の中という環境で冤罪を訴えながら描き続けていればこういう作品ができてしまう。
それは仕方のないことなのだろう。けれどやりきれない思いがする。

ギャラリーを出て、ますむらさんと別れ、私は地下鉄の駅を目指して歩く。
あとで地図を見たら根津が近かったのだが、あまり考えもせず千駄木に行ってしまう。
地下鉄で大手町。長い地下道を歩いて東京駅。
東京土産に、ごまたまごを買い新幹線。
そのわずか3時間後には我が家で焼酎を飲みながら何事もなかったかのように夕食を食べている。
こうして夢の中の出来事のような猫町への旅は完結したのだった。

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