『 シ ャ ッ ピ ー 』




「行ってきまーす」

とランドセルを背負い、慎二郎は玄関を出た。 「行ってらっしゃい、車に気をつけるんですよ。それから、ちゃんとシャツをズボンに入 れて行きなさいよ」

家の中からお母さんの叫ぶ声。 同時に、廊下をバタバタ走ってきて玄関先にいた慎二郎 に、

「今日は寒いからこれ、着てきなさい」

と、フード付きの厚手のコートを渡そうとした。

「いいよ寒くないよ」

「風邪ひくといけないから着てきなさい」

「いいってばぁ」

と、お母さんが肩にかけようとしたのをふりはらうように、かけだして行った。 学校へ向かう、いなかの田んぼ道。今日は風が強く、雪もちらつき始めていた。 慎二郎はポケットに手を突っ込み、

「あー、寒いなぁ。こんなに寒いとは思わなかった。ちぇっ、やっぱりコート着てくるの が正解だった」

とブツブツ言いながら背中をまるめて歩いていた。

その時のことである。慎二郎は、服のすそをうしろから引っ張られるような感じがし た。うしろをふり向いても誰もいない。気のせいだと思い、そのまま歩いていた。 すると、また服のすそを引っ張られる感じがした。

「誰だ。僕の服を引っ張るのは」

と、おこったようにふり向いたが、誰もいない。上を見ても下を見ても何もいない。 そのあと、服のすそをグイグイと引っ張られ、慎二郎は前へつんのめりそうになった。

「慎二郎、ここだよ。ここ」

と、どこからともなく声がした。 慎二郎は、だんだん怖くなってきて泣きそうな声で

「誰だよう。いったいどこにいるんだよう」

「そんなに恐がらなくても、おいらはお化けでも何でもないよ。慎二郎、君の制服のすそ をちょっとめくってごらん」

慎二郎は言われるまま、自分の制服をおそるおそるめくってみた。すると、慎二郎の下着 のすそに顔がついていた。その顔は、目は大きく少したれていて、口からはビーバーのよ うに前歯が二本出ていて、慎二郎の方を見てニッコリした。慎二郎は思わず、制服を下げ て隠した。

「何も怖くないだろう」

慎二郎は、もう一度ゆっくり制服をめくった。

「お、お前は、いったい何者なんだよう。なぜ、僕のシャツについているんだよう」

「おいらかい。おいらはシャツのたましいってとこかな。名前はシャッピー。よろしく。 君の体にいつもくっついていて、君のことは何でもお見通しさっ」

慎二郎は少し安心した。

「なぜ、今日になって出てきたんだよう」

「君は、いつもおいらを出したまんま。どこへ行く時だって、トイレへ行っても。おいら の方が聞きたいよ。なぜ、君は、おいらをちゃんとズボンに入れてくれないんだよ。今日 なんかコートも着てくれないんだから、寒くってたまんないよ。だから、ちょっと忠告に 出てきたのさっ」

慎二郎は、今までシャツを出していたことに気づいた。

「今は、シャツを出しているのがはやっててカッコイイんだよ。君は、知らないだろうけ ど」 と、口をとんがらせて必死で言いわけした。シャッピーは、うなずいてすかさず言った。

「おいらだって、シャツを出すのがはやっていることぐらい知ってるよ。でも、よく聞け よ。君の出しているのはシャツといっても下着だぜ。下着を出している子なんかいない ぜ。なんでもいいけど、早くズボンに入れてくれないか。寒くてしょうがないよ」

慎二郎はシャッピーに言われるまま、下着のすそをズボンの中につっ込んだ。

「あ−、あったかい。ところで君、学校に遅れないのかい」

「あっ、いけねぇ。遅刻だよ。どうしよう」

慎二郎は、急いで走り出した。走りながら

「君のお陰で大遅刻だよ。先生に叱られるよう。もう、どうしてくれるんだよう」 おなかの方から

「急げぇ。走れぇ。遅いなぁ。それでも走っているのかよう。もう、しょ うがないなぁ。おいらの力を貸してやるよ」

と、言うのと同時に慎二郎のからだは前へ引っ張られ、自動車も追い抜くほどの猛スピー ドで学校まで走った。追い抜かれた車からは運転手が窓から身を乗り出し、犬を散歩させ ていたおばさんも、口をポカンと開けて、慎二郎の方を見ていた。犬までも驚いたのか 「ウォーン。ワン、ワン」と吠えた。

三時間目の授業が終わって休みの時間、慎二郎は、トイレに行った。慎二郎は朝のでき ごとなどすっかり忘れていた。教室に戻り、四時間目の授業が始まった。 しばらくすると、

「おーい、こらっ。また、おいらを入れるのを忘れたな。早く入れてく れよう」 と、声がした。隣に座っていたあやちゃんに聞こえたのか、

「慎ちゃん、何か、言った。慎ちゃんの方から聞こえたんだけど」

と、慎二郎の耳元で言った。 あやちゃんは、ちょっとおませ。勉強もでき、クラスのみんなの面倒もよくみる。家も近 くで慎二郎とは、大の仲良しである。 慎二郎はあわてて

「べつに。なんにも」

と、おなかを押さえた。それから何分かして、

「おーい、早く入れてくれよう」

あやちゃんは、

「慎ちゃん、やっぱり何か言ったでしょ」

と、小さな声で言った。

「言ってないってばぁ」

「ちゃんと、聞こえたもん」

あやちゃんは、むきになった。二人のやりとりに気がついた先生が、

「そこの二人、何やっているんだ」

あやちゃんが立ち上がり、

「慎二郎君が、変なことを言っているんです」

と、言った。先生は背も高く、若くてやる気まんまんの先生だ。先生は、

「慎二郎、何か言ったのか」

慎二郎は、モゾモゾと恥ずかしそうに下を向いたまま立ち上がって、

「何も言ってません。先生、おしっこがもれそうなんです。トイレに行かせて下さい」 という言葉が、とっさに出た。

「おしっこ、もらすなよう」

みんなは大笑い。教室中が騒がしくなった。

「静かに。慎二郎、本当にトイレに行きたいのか。もう、しょうがないやつだなぁ。早く 行ってこい」

慎二郎は教室を走り去るように出て、トイレにかけ込んだ。ハアハアと息つぎながら

「おい、お前のおかげであやちゃんに気づかれそうになるし、先生にまで注意されたじゃ ないか」

シャッピーは、へいぜんと

「君が、ちゃんと入れてくれないのが悪いんじゃないか。おいらのせいにしないでほしい な。さぁ、早くおいらを入れて教室に戻った方がいいと思うけどなぁ」

「もう、変なやつ」

慎二郎は、ふくれっつらをしてシャッピーをズボンに入れると、教室に戻った。

五時間目の国語の授業が始まった。給食がすんでおなかもいっぱい。慎二郎の席は窓際 の日当たりが良い。一生懸命に教科書を見ていたが、だんだん教科書の字が二重にも三重 にも見えはじめ、いつの間にかコックリコックリ居眠りをし始めた。その次の瞬間、 先生が

「はい、よーし。そこまで。次は慎二郎、読んでみろ」

と、指した。慎二郎は先生の呼びかけにも答えず、居眠りを続けていた。

「慎二郎、どうしたんだ」

ふたたび、呼びかけた。 みかねたあやちゃんが、

「慎ちゃん、慎ちゃん、先生が呼んでるよ」

とささやき、腕を引っ張った。 慎二郎はやっと自分のことだと気がついたが、どこを読 めばいいのか、さっぱりわからない。

「ど、どこだよ。教えてくれよ」

慎二郎は教科書をめくりながら、あやちゃんの方をのぞき込んだ。

「慎二郎、聞いているのか。早く読んでみろ」

あやちゃんは、先生にわからないように

「ここよ、ここ」

と、指さして教えようとした時、先生が、

「あや、教えるなっ」 と、いかめしい顔をしてにらんだ。あやちゃんはその声に驚き、教えようとした手を引っ 込めた。慎二郎はもうダメだと思い、

「わかりません」

と言おうとした時、

「地上で生活するキョウリュウのほかに、水の中で生活するキョウリュウや空で自由に飛 び回る・・・」

おなかの方から教科書を読む声が、教室中に聞こえ始めた。慎二郎の口からは、自然と教 科書を読む声が出ていた。慎二郎は、自分が魔法にかかっているように感じながら、声を 出して読んでいた。先生が

「はい、ようし。そこまで。慎二郎、ちゃんとわかってるんだったら、さっさと読まない とダメだぞ。次はあや、読んでみろ」

慎二郎は、おでこの汗を腕でぬぐいながら座った。

「おい、こらっ。授業中に居眠りなんかしてたらダメじゃないか。今日は、おいらが助け てやったんだぞ。」

と、おなかの方から小さな声でシャッピーが言った。慎二郎は、教科書で隠すように制服 をめくった。シャッピーは、慎二郎をにらみつけていた。

「君だったのかぁ。さっきはほんとに助かったよ。サンキュー、シャッピー」

慎二郎はVサインをした。シャッピーはニッコリして

「まぁ、いいから。いいから。君とおいらとは一心同体みたいなものだからなぁ。さぁ、 しっかり勉強しないとダメだぞ。もう助けてやらないからな。今からおいらは一眠りだ。 じゃぁ」 と、シャッピーはズボンの中にもぐり込んでいった。

放課後、慎二郎はランドセルを背負ったまま、校庭にある鉄棒にぶらさがって遊んでい た。あやちゃんもランドセルを背負い、玄関を出た。げた箱から靴を出してはきかえ、校 庭の遊び場にいた慎二郎を見つけると、そばへ走ってきた。

「慎ちゃん。私、今日はピアノのお稽古があるから先に帰る。じゃぁ、バイバイ。あっ、 慎ちゃん。おなか出てるわよ」

と、スキップしながら校門を出て行った。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。僕もいっしょに帰るよ」

慎二郎はぶらさがっていた鉄棒から飛び降り、あやちゃんのあとを追った。急いで歩くあ やちゃんにやっと追いつき、前へ立ち止まって、

「何をおこってるんだよう。いつもいっしょに帰るのに」

気にいらなさそうに言った。

「何もおこってないわよ。さっきも言ったでしょ。今日は、ピアノのお稽古があるからっ て。慎ちゃんの方こそ、今日はなんか変よ。授業中もおかしかったじゃない」

あやちゃんは、前に立っている慎二郎を押しのけるように歩き続けた。

「あっ、あれは。あのう、つまり。このう」

と、頭をかきながら説明しようとした時、

「おいらのことでケンカしないでくれよ」

慎二郎のおなかの方から聞こえてきた。 二人は立ち止まった。

「何。その声」 あやちゃんは、ふり向いて慎二郎の頭のてっぺんから足の先まで、観察するように見た。 うしろを回って見ようとした時、

「ここだよ。ここ」

と、また声がした。慎二郎のそばから少し離れて

「慎ちゃん。その声、いったいどこからしてくるの。もしかしたら、お、お、おばけな の」 あやちゃんの声はふるえていた。少し離れていたが、何かが出てきそうなけはいを感じ て、また二、三歩あとずさりした。慎二郎は、そんなあやちゃんを見て困りはてたように ため息をついた。

「実は。今の声の正体はここにいるんだよ」

と、自分で制服をそうっとめくって見せた。

「こんにちは。おいら、シャッピー」

シャッピーはペロンと舌を出して、あいきょうたっぷりに挨拶した。あやちゃんはその顔 を見たとたん、

「キャァッー」

と、ひめいをあげた。目に涙をいっぱいためて

「やっぱり、お、お、おばけ」

と叫び、走って行った。 慎二郎は、あやちゃんの様子をあっけにとられ、しばらくぼう ぜんと立っていた。 そして、

「お前のせいであやちゃん、泣いて行っちゃったじゃないか。もう、どうしてくれるんだ よう。どうして出てきたんだよう」

と、制服の上からシャッピーをたたいた。

「ごめんよ。おいらだって、べつにおどかすつもりはなかったんだよう。あんなにこわが って行っちゃうとは思ってもみなかった。おいらって、そんなにこわいのかなぁ」

と、悪そうに言った。 慎二郎は、石ころをけりながら歩き出した。

「そうだよなぁ。あんなにこわがらなくてもいいのになぁ。かみついたわけでもないのに さぁ。」

制服をめくってシャッピーをのぞき込んだ。 シャッピーも、しょんぼりしていた。そし て、すまなさそうに

「慎二郎、すまないけど、おいらをズボンに入れてくれないか。寒くてしょうがないよ」 頼むように言った。

「入れればいいんだろう。入れればぁ。寒がりめっ。僕だって寒いんだぞ」

「君が寒いのはコートを着てこなかったからじゃないか。ちゃんとお母さんの言うことを 聞かないから」

「もう、うるさいっ。だまれっ」

二人は言い合いながら家に帰った。

家に着くと、慎二郎は何かを思いついたかのように、二階の自分の部屋に入った。そし て、たんすから石けんの香りが残る新しいシャツを出して着替え、うれしそうに、

「これでいい。変なお前ともサヨナラさっ」

と、着ていたシャツをまるめてかごに投げ込んだ。

「何を言ってるんだよう。君とおいらは一心同体って言ったじゃないか。君には見えなか ったろうけど、飛びうつらせてもらったからね。うーん。やっぱり新しいシャツは気持ち がいいね」

新しく着たシャツが言った。 慎二郎は、おどろくと同時にガッカリして座り込んだ。

「何が新しいシャツは気持ちがいいねだ。僕は気持ち悪くてたまんないよ。あーあ、イヤ になってくるなぁ。そしたら、お前は一生、僕にくっついているのかよう」

「まぁ、そういうことだね」

慎二郎は大きくため息をつき、大の字に寝ころんだ。

夜、お風呂から出た慎二郎はパジャマを着て、シャツをちゃんとズボン中に入れた。

「おやすみ」

と、お母さんに声をかけ、自分の部屋へ行った。部屋には二つ上の兄、祐一郎が寝ころん でマンガを読んでいた。慎二郎は、兄にシャツのことを打ち明けようと

「兄ちゃん、今日・・」

と、朝からのできごとを話した。 慎二郎の話をぜんぶ聞いた祐一郎は起き上がり、

「どれぇ、そのシャツの顔のシャッピーっていうやつは、どこにくっついているんだ」

「ここだよ、ここ」

慎二郎はパジャマをめくり上げ、シャツのすそを引っ張り出して見せた。

「あれっ。おかしいっ。顔がないぞ。どこへいったんだ」

シャッピーは消え、声を出してしゃべることもしなくなった。

「消えた。いない。さっきまでここにくっついていたんだよ。うそなんかじゃないから ね」

慎二郎は、シャツの裏やうしろの方まで引っ張ってさがした。 祐一郎は腕を組み、慎二 郎の真剣な様子を見ながら

「慎二郎、もう、そいつは消えていったんだぞ。実を言うと、オレもお前と同じことがあ ったんだ。二年生ぐらいの時だったかなぁ」

「なんだ。兄ちゃんもそんなことがあったのか。僕、ちっちゃかったからぜんぜん知らな かったよ」

慎二郎は、少しだけホッとした。 祐一郎は、話し続けた。

「そうさぁ。もうあんまり覚えてないけど、オレも気持ち悪かったけど、いつの間にやら 消えていった。お前は、早く消えていってくれてよかったじゃないか」

「うん」

慎二郎は、祐一郎の話を聞いて安心した。

「でも、慎二郎、ちゃんとシャツを入れてないとまた出てくるかもしれないぞ。もう遅い から寝ろよっ」

と、祐一郎は少しおどかすように言った。

「わかってるよ」

慎二郎はシャツのすそをちゃんとパジャマに入れて、ベッドにもぐり込んだ。慎二郎は、 ニヤニヤして今日のことを思い出していた。けれども、なぜかだんだんさみしくなった。 おなかのあたりをなでながら

「シャッピー、君には、いつまでもいてほしかったよ」

と、言って眠った。

朝、いつものように

「行ってきまーす」

と、慎二郎は玄関を出た。

「行ってらっしゃい、車に気をつけるんですよ。それから・・・」

「あらっ、あの子、どうしたんでしょう。今日は、ちゃんとシャツをズボンに入れている わ。いつも出しっぱなしなのに」

お母さんは不思議そうだった。



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