Welcome!

私は、昭和40年4月4日という4ばかりが並ぶ日に生まれました。小さい頃から活発な子で、病気なんかとは無縁の女の子でした。ところが、平成11年の11月に(これまた1ばっかり)突然くも膜下出血で倒れ、運ばれた病院で脳梗塞になり、左半身が麻痺してしまいました。
 一時は、命さえ危ないと先生に言われていたのに、神様は私にもう一度生きる力を与えてくださってそれには本当に感謝しています。そのあと、病院でのリハビリを一生懸命頑張って足が動くようになりました。装具をつけて、杖を突いてだったけど自分の力で歩けるようになった時はとても嬉しかったです。言葉も最初は声も出なかったのが、声を出せるようになり、話が出来るようになりやっぱり相手に話が通じることって嬉しいものだなと改めて思いました。まだまだ話をすることは難しくて、ちゃんと相手に通じているかどうか心配しながらしゃべっています。でもたくさんしゃべることがリハビリになるので頑張ってしゃべっています。幸い、いい友人に恵まれているので、私の話をゆっくり聴いてくれるので助かっています。
 援助棟に入所して半年以上が過ぎましたが、有意義な生活が送れていると思います。片手は動かないけど何とか自分の力で出来るように、これからも訓練に励みたいと思います。創作活動で刺し子をしたり作業療法で手提げ袋を作ったり、それにこうしてパソコンにも触れることが出来るようになり本当によかったと思います。

援助棟に入所して

 私は平成13年11月7日にここ、三重県身体障害者総合福祉センターの生活援助棟に入所しました。車椅子を使用している方が多い中、自分で歩ける(比較的障害の軽い)私がこの援助棟に入れた事はとても恵まれていたと思います。
そして、この施設で理学療法、作業療法、創作訓練や情報訓練、他に園芸や音楽やスポーツなど様々なことを学び、身に付けたことも多いと思います。何よりも仲間たちとの出会い、私達の事を真剣に考えて下さる職員さんや指導員さん達との出会いがすばらしく大きいものであったと私は思います初めの頃はお風呂も介助を必要としていたのが一人で入れるようになり、外出も今では松阪の病院までも電車に乗って行くことが出来ます。休日には結構自由に色々な所へ出掛けています。それも一人ではなく、一緒に行ってくれる人がいます。その人との出会いもこのセンターに入った事によって実現できた事でした。私は私の人生を変えてくれるその人に出会えて本当に幸せです。そんな風に、毎日色々な訓練をしながら生活をしてきて一番良かったなと思うことはセンターに入ってから一度も大きなケイレンの発作が起こらなかったことです。病院を退院してからずっとケイレンを予防する薬を飲み続けていたから「もし発作が起きたらどうしよう」って不安に思っている時がありました。家にいる時大きな発作が起きて救急車で病院に運ばれてそのままひと月位入院した事があったのです。だから最初の頃家に電話をすると父が「体は何ともないか」「ちゃんと薬飲めよ」って耳にたこが出来るくらい言っていたものです。今でも百%安心は出来ないけどそれでも少なくとも一年間は発作が起こらなかったという事実が少しの安心感を与えてくれます。
さて、私はここで出会うことが出来た男性と結婚をして4月から彼の地元の方で暮らす為3月一杯で援助棟を退所します。ここで身に付けたことを活かし二人で助け合いながら頑張っていきたいと思います結論は援助棟に入所して、本当に本当に良かったと思います。

ご感想のメールはこちら

なかまたちのページはこちら