2002年9月 第四週 9月23日 タカシがオヤジの車に乗り込み福井に帰っていった。15日に襲来、のべ9日をウチの塾で過ごした。高校は休ませた。行ったところで教室内は最後の高校生活を謳歌する高校生達で満ちてる。マンガ本をむさぼり読む生徒、雑踏よろしくおしゃべりに夢中なグループ、教室の至るところがパラダイス。そんな退屈な場所にいるくらいなら休ませたほうがマシだ。この9日間、ちったあ骨のある英語の授業をやってやった。センター読解の正答率が50%に達した。しかし再びパラダイスでの生活が始まる。さすがに入試までずっとウチの塾でとはいかない。卒業可能な出席日数を睨みながら三重と福井を漂流してもらおう。しかしぬるい高校の雰囲気に流れされるようでは、大学に行く必要なんてないのだ。長男の学同様に就職すればいいのだ。 タカシのオヤジの大学観は楽しいから行け!だ。別段勉強してほしいとも願っていない。勉強するより遊べ!酒を飲め!女の子をくどけ! そのための金がないならバイトしろというタイプだ。モラトリアムの4年間だからいかに楽しく過ごすかがポイント。かつて自分が送っためちゃくちゃ楽しい大学生活を愛する子供達にも送らせてやりたい、ただそれだけなのだ。しかしそんな大学生活だからこそ、その環境を望む以上は、入試に対しては真摯に努力してほしいと願う。大学のランクは関係ないが「どうしてもこの大学に行きたい!」という熱さを子供達に要求する。長男の学が推薦で大学を仕留めた。ランク的には取るに足らない名古屋なんやら大学だった。しかし3年2学期の学の怠惰な生活、何の努力をせず仕留めた推薦ゆえにありがたさが分からない、新しい環境を望む謙虚な姿勢がない。ただ楽しいだけの高校生活、つまりはグ〜タラ大学生のような日常。そんな学の生活態度にブチ切れて土壇場で推薦を辞退、有無を言わせることなく就職させた。 大学入試は器量が問われる。望む奴が行くべき。流される奴は行く必要はないのだ。そして大学を望むのならば、自分の大切な何かを削ってでも勉強すべきだし、たとえどんな環境ででもそれなりの勉強ができるはず。バカばっかの中ででもだ。 夏休みの終わりに塾から福井に戻って以降、15日までタカシは流された。夏休みにそこそこものにした英単語800は半分以上が藻屑と消えた。この9日間はそれを蘇らせる9日間でもあった。そして昼夜2回のセンター読解でなんとか夏休み以上のレベルまで引き上げた。手のかかる餓鬼だ。真摯に大学を目指すのなら,次回10月12日にウチの塾にやって来る時には課題をピシッと仕上げてやって来い。俺は忙しい、器量のない餓鬼を相手にしている暇はない。それが無理ならば、デンちゃんが言ったことが全て・・・。 デンちゃんが来た時、タカシを誘ってメシを食いに行った。8月16日だった。その段階でタカシの志望大学は今のように関西&立命館ではなく、タカシがオヤジとの相談のなかで決めた大阪経済大学・・・。タンタン麺をほおばるデンちゃん、おもむろに口を開いた。「オマエはどこの大学に行きたいんや」「大阪経済大学・・・」「大阪経済大学?行く必要ないやろ。金の無駄遣いや、就職しろ。大学で行く価値があるんはな、関西圏やったら関西・関西学院・同志社・立命館だけや。それ以外はクソや! 就職しろ」 その夜、タカシが泣くのを何人かが見たという。 デンちゃん、近畿予備校のバリバリだけあってキツイところを衝く。でも俺はその4大学にはこだわらないがスピリットは同じ。大学へは行きたい奴が行く。自分のやりたいことを削って勉強する以上、その努力に見合う大学へ行くべきなのだ。 入試というドツキ合いはすでに始まってる。タカシの毎日の高校生活がリング。観客は誰も試合なんか見ていない。そんな状況で何人を自分に振り向かせるような試合ができるか、勉強ができるか。それこそ孤高、エディ・タウゼントはいない。日常生活の全てを自分で調整していく。福井商業では「オマエ、大学受けるの?すげえな、どこ受けるの?」 大学を受けるというだけでいっぱしのステイタス。恥ずかしさと自信のなさから本命大学を口にできずに「大阪経済・・・」「すげえな!大阪経済ってか」 尊敬の眼差しのダチに囲まれ、自責の念と奇妙な優越感の交錯・・・そんな生ぬるい生活を送って過ごした9月前半。そんな日常、とっとと捨てろ! 開き直ってダチに吹聴して回れ! 「俺は関西大学、絶対受かってみせる!」ってな。それができんかったら金輪際、鈴鹿山脈を超えるな。 日常に流される奴が希望を語るな! 決め言葉を吐くな! 俺と共々、タカシを見送った森下、「先生、僕も仁志が来たら京都へ戻るから」 東京での「今までの不義理をお許しください」ツアーの巡業?を終え、征希が深夜0時前に姿を見せる。東京で超知・那博・前田と打った徹マンの様子をおもしろおかしく伝えてくれるうちに理系現代文の授業が終わった大西君、ゼミの宿題に飽きた斉藤もスタンバイ。いざ!マージャンってな時に中3の愛が「先生、送ってください」 時刻は深夜2時を超えている。俺は久しぶりに白山・久居間を30分で往復した。征希、時刻を見やりながらつぶやく。「僕ちゃん、おとついから眠ってへん。そいで明日は仕事ってか」 「征希、俺も明日は奈良の病院に検査入院や」 大西君がまぜっかえす。 9月24日 違和感・・・言わずもがなのことを言うからボロが出る。母親を安心させる手口・・・進歩してねえなと聞こえないように舌打ち。 Tとの仲が完全に決裂したのも母親への言い訳・・・本当に古い塾で勉強しているの?と詰問する母親に「古い塾で勉強してるって! 信じられへんのやったら佑輔と健太(ともに津高3年)に聞いてくれよ」 わざわざ母親が一番信頼している塾の後輩の名前を出す。やっかいなのはそう言っても母親が連絡しないだろうとの読み、バク才ゆえか。普通なら万が一を想定して後輩に口裏合わせを頼むはず。これが全くしていない。すぐばれる嘘をつくわりには驚くほどに潔い? 規範に対する意識が磨耗して罪悪感がなくなっているのか・・・それとも単なるバカなのか。 俺が許せなかったのは先輩が後輩を売ったことだ。 走ったらなんとか間に合う、しかし遅刻をものをせず堂々と歩いていく。この現代若者気質・・・潔い or 単なるバカ? 息子を信じたい母親、それをまんまと手玉に取る息子。名古屋の予備校に通う条件として両親が出した提案、「一度でもパチンコ屋や雀荘、ゲーセンに入ったら即、就職」・・・そんな約束、歯牙にもかけず、笑い飛ばしながら街を行く。 日曜日からウチの塾の体験学習を受けている亜美が今夜もやって来る。毎日来てもいいよとは言ったが本当に毎日来る。なかなかやるやん。 全県模試の成績が返却された。5教科総合の県の平均121.0点に対してウチの塾は154.9点、塾の偏差値では58.1。偏差値では60を越すのがこの時期の目標。残念ながら60突破は次回へ持ち越し。しかし今年の夏季講習、第3回の全県模試や三進連などの試験だけを目指すような指導はしなかった。数学や英語は全て終了し各県や県内私立高校の入試問題をガンガン解かせた。津高の定員減少と全県一区への布石だ。ゆえにミクロ的なこのような試験への対応は不充分だった。そこを考えるとまずまずかと一人ごちる。 佑樹が塾に姿を見せなくなった原因は夏休みの桐原2章の試験。この試験は例年ならば高校生必修なのだが今年の俺は軟弱。高1のクラブ活動での疲れ果てた顔にうんざりして自由参加としちまった。佑樹からは一向に桐原の勉強をする気配が感じられなかった。自由参加という建前はともかく、クラブをやっていない佑樹には是非参加させたかった。それに俺は今春、佑樹を津高受験で落としている。佑樹がウチの塾に来たのは昨年11月、入試まで5か月を切っていた。塾に入るきっかけは学年順位が120番に低迷したこと。それをなんとか1月の実力では40位にまで持ち込んだ。勢いはあるもののネックは英語だった。英作文が全くできない。津高合格は英語の出来にかかっていた。当日の試験では英語はそこそこ書けたようだが今一歩及ばず。それでも塾を続けてくれた。嬉しいのと同時に3年後の責任が重くのしかかった。とにかく高1の1年間のうちに英語をなんとかしよう・・・プライオリティははっきりしていた。しかし1学期は高校の勉強で忙殺されちまう。まるで推薦入試を受けるノリ。毎日のように塾に姿を見せるものの高校の予習復習に明け暮れていた。なんとかしなくっちゃと何度も話し合いの時間を持った。思考は理系、理解するまでこだわる性格は同級生は煙たかったかもしれない、しかし医学部を中心とする講師からは愛されていた。ただ最大のネック、英語の実力は高校の授業に合わせて勉強していても希望が見えなかった。なにしろ遅い。英文法を3年間かけて終わるようなカリキュラムに俺はいらだっていた。何度も話し合いをし、そこそこの折り合いをつけ夏までやって来た。ところが桐原の試験に関しては関心が微塵もない。たとえば俺はこんな風に生徒達をたきつける。「これは過去13年間、延々とウチの塾で続いてきた試験。700問を超える問題に対し時間制限がある。3年と浪人は30分、2年は1時間、1年は時間制限なし。最短記録は9期生の信藤(同志社大学4年)、なんと11分50秒。2年前に古西が新記録を目指すものの惜しくも12分10秒。ちなみに俺の最短記録は21分や。成績では高1初登場で今の3年、橋本先輩がミス0や.果たして今年、アンタらはどこまで迫れるかね?」 こんなセリフは佑樹にはさっぱり効き目がない。今までの話し合いのなか、いつも佑樹が言うセリフがあった。「自分は自分、他人には興味もないし関係もあらへん」 俺の煽(あお)り、こと佑樹には無力ゆえに俺は一計を案じた。高校の先輩にもなる橋本に佑樹を説得させる。この説得は3時間にも渡った。あの気の長い橋本がさすがに疲れ果てた表情で俺に報告した。「たかが試験を受けることくらいでなんであんなに深刻に考えるんやろ。だって覚えたら自分の英語の実力にもなるのに」「高校の英語の成績を気にしてるんだろ。で、佑樹はなんて言った」「試験を受けると・・・」 そして迎えた桐原の試験、佑樹のプリントは白紙だった。自分が凶悪な生き物になる気がした、ミス22でふてくされていた特別参加の森下に頼んだ。「佑樹に今日の試験の感想を聞いてやってくれや」「そんな気分じゃないけどね」と森下は高校生の部屋へと・・・。しばらくして高校生の部屋をのぞくと森下、一人でタバコを吸っている。「どないした?」「全然書いてなかったよ。で、聞いたんさ。『勉強せえへんだんか』って。じゃあさ・・・」「なんやって」「うん・・・『1秒すら見んかった』って」「で、あいつは?」「話の途中で迎えが来たとかでさっさと帰ってったよ」 森下の機嫌の悪さはミス220くらいに膨らんじまったようだ。橋本がやって来た。「先生、佑樹の成績どうでしたか?」 黒板には高1の成績が書き出されていた。しかし佑樹の欄は空白・・・不安が橋本の表情に浮かんでいた。橋本には本当に損な役回りをさせちまった。「佑樹のことは忘れちまえ」 夜になってぐっすり睡眠をとったのか、すっきりした顔で斉藤が姿を見せた。時期はずれに帰省した斉藤太郎、似合わないことに辞書を取り出しゼミの宿題の英文を訳し始めた。いつまで続くことやら・・・。 深夜2時、久しぶりに愛を送る。とりあえず今日は「私はがんばるしっ!!!」に俺の悪口は載らないはずだが・・・。そして斉藤と北海道の地図を広げて朝方まで酒を飲みながらグタグタ話す。斉藤が北海道大学から除籍されるまでに一度は奥さんと行きたいツーリング。 9月25日 9月27日 「でも、なんでそんなに軍資金が続くんやろな」「それがさ、Tの奴、勝ってるんやって。今日も出してたしな」 確かにTはバクチの才能はあった。マージャンでも勝負強いところを見せていた。今のTの気運、こと勉学面に関しては袋小路、ゆえにツキのバランスでバク才の方に上昇気運てか。 バクチ好きの斉藤が競艇の知識を披露してくれよる。そこへ杉本理恵(三重大学医学部看護3年)が乱入!? 即座に斉藤「俺、帰るわ!」 杉本絶叫、「何言うてるの、太郎さん。お酌したげる」「いらんわ、アホ!」 斉藤と杉本は津高の2才違いの先輩後輩。この杉本も競艇の知識、ことに三重県競艇界の裏情報に詳しく佑臣が目を白黒させるようなネタを持ち前の機関銃で集中砲火! 最後の決めが「岡君も女の子を泣かせるような選手になったらアカンよ」 9月29日 Tの妹が俺の横を通りすぎた。一瞬躊躇した、が声をかけちまった。 「お兄ちゃん、毎日家出てくよな」 キョトンとした顔つき、頷く。「あのさ、オマエにこんなアホな話をしてもしゃあねえんやけど、兄貴な、毎日パチンコ屋に入り浸ってるみたいやわ」 みるみる妹の目から涙がこぼれ落ちる。中3と浪人、こと受験というフィールドでは同じ生臭い生き物。妹の目を濡らす涙、悲しみか、諦観か、怒りか、哀れみか・・・。 |
当ホームページに掲載されているあらゆる内容の無許可転載・転用を禁止します。
Copyright(c) 2000-2009.reimei-juku.
All rights reserved. Never reproduce or republicate without
permission
ホームページ管理:橋本康志