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『25時』増刊;邦博の結婚式


6月5日に挙行される邦博の結婚式の余震、ウチの塾では6月3日から観測される。

3日、越知が帰省。4日の金曜日は久しぶりの休みを取ったとかでテンション上々。さっそく持ち前の強引さで臼井を呼びつけマージャンが始まる。律儀な古西(12期生)も登場。聞けば学園祭の買出しに親父さんの車を使うとかで急遽帰省したとのこと。その古西が抜けで、俺と征希・越知・臼井の懐かしい面子でマージャンがスタート。遠方より来た友を叩き潰してやろうと俺同様に征希も臼井も手ぐすね引くものの、ツモでも強引さを如何なく発揮した越知の前にあえなく轟沈。
マージャン撤収は午前6時、臼井はそのまま鈴鹿の三重トヨタに出社。征希もまた小1時間の睡眠でカイロプラクティクスの行脚へと出かける。古西も徹夜のまま名古屋へトンボ帰り、買出し終了次第ふたたび塾に取って返すという中国共産党を彷彿させる大行軍に打って出る。

4日となり森下が京都より帰省、そこへ越知に卒業&就職&結婚&出産の挨拶に来た斎藤太郎(10期生)、さらには三重銀行では斎藤の先輩となる竹中(7期生)までが顔を揃え、塾の前にある居酒屋『大将』で居座る。「事故ってるんじゃねえか」と心配していた古西、20分の遅刻で塾に姿を見せ高校生相手に英語の授業を始める。やっぱ若いわ! 一日の仕事を終えた征希、『大将』に駆けつけてくるやと思いきや、邦博の結婚式にはスリムになって臨む決心揺るがず、塾で篭城。高カロリーの食べ物は一切口に入れまいと塾で高校生相手に鍋をしかける。そして今朝に徹夜のままで仕事に行った臼井の携帯に連絡するものの応答なし。当たり前か?
塾に戻った俺と越知・斎藤・森下と鍋の陣が終了した征希とが合流、再びマージャンが始まる。

同時刻、新郎の邦博は虎視眈々と塾への密航を試みている。ところが独身最後の夜をマージャンで過ごそうとの魂胆、家族からは新郎であるという自覚のなさをなじられて頓挫。マージャンとは別に、俺に対する伝言があったそうだが、これもまた結婚式当日に伝わることになる。

結局、俺たちは朝方まで徹夜。一日と次の日の狭間を迎えることがなく結婚式の当日を迎える。

昼の12時から征希が1階の美容室(7期生のマッツンの店)で髪を切ってもらっている。マッツンからは「先生も当日に来てよ」とのお達しがあり、二日酔醒めやらぬ俺は千鳥足で店内へ。ソファーにへたり込みタバコに火を付ける。そこへ臼井登場。昨夜は睡眠十分だとかで「この裏切り者!」と罵る俺に向かって、「先生、クニから連絡あってさ。先生に乾杯の音頭を取ってもらいたいって」「何!」 再び吐き気が襲い、俺はあわててトイレに駆け込む。「クソッ、あの野郎!仕込みやがって」 便器の奥に向かって二日酔が吠える。



俺の結婚式の話をすると・・・いいかげんなものだった。

奥さんと俺は形の上では『見合い』となる。
かつての上司が松阪に営業に来て、そして俺は呼び出され、結婚する当てがないのならウチの経理のしっかり者の吉井さんでどう?となる。その頃の俺はうまくいくはずがないと思っていた塾経営にそこそこの希望を見い出していたあ。つまりはどんな配牌でも勝負! 今はついている!その確信だけでかつての上司にOKを出した。うろたえたのは上司、「おまえね、まだ相手に会ってもいないだろ」「でも、俺が尊敬していた上司の仲間さんに薦められたら、どんな牌でも勝負でしょ」

俺達の結婚式は津駅裏の護国神社で挙行された。ここならアクセスがイージーだった。なにしろ全国からやって来た、それも5月3日という最低の日にだ。

最初のデートは奈良だった。若草山に登ろうという奥さん(この時はまだ奥さんではないのだが)に辟易した。その当日が三進連で俺は徹夜をして大阪へ出向いたのだ。
無下に断るわけにもいかなかった。全世界の不幸を一身に背負って俺は若草山に登った。気持ちは高揚していたと思う、しかし不覚にも寝てしまった。「趣味は?」と尋ねた。「テニスです、中山さんは?」と来た。「マージャンかな」 沈黙が眠りを誘ったのかもしれない。

2回目のデートは大阪府立体育館、プロレス狂が熱狂する6・8決戦。言わずとしれた長州力が本邦初の藤原善明の脇固めをかわしたプロレス史上画期的な一瞬だった。絶叫が体育館を揺るがし、興奮から足で踏み板を蹴り続ける観客を背にして奥さん、とろとろと眠っていた。思えば、よく似た二人だった。

ちなみにこの時、邦博など4期生は中2。

ウチから結婚式への参加者は、中3の石田智洋と高1の坂根素子。後は、俺のダチ・・・レイコ姉に後野教授ことノッチン、デンちゃんがお父さんが亡くなったとのことで代打・浦川、山内、豊、星合さん、シンこと中村正幸、余頃、シューちゃん、鈴鹿高校の励一郎は中学からのダチ、松岡、伊庭、玉田とビッグこと小林の高校のダチ連中が出席してくれた。

俺は前夜から、山村と西村(共に2期生)などと独身最後の時間を過ごしていた。山村がほのかに好意を寄せる女の子の話をうつらうつらしながら当日となる。そして古い塾の前の倉田のお母さんに起こされ、美容院にと走る。

買ったばかりのビデオ持参で護国神社入り。この当時、ビデオというしろもの、珍しい武器だった。そして袴に着替え、俺は津駅裏口前のビルの2階にあった喫茶店に陣取る。ここからなら津駅西口が一望できる・・・全国津々浦々からやって来る俺のダチが見渡せる。

津駅から降りてくるダチを俺は喫茶店に集めて、懐かしい話をしては時間をつぶしていた。その頃護国神社では新郎がいないことで大騒ぎ、式の段取りが大幅に遅れていた。護国神社周辺をつぶさに探索していた叔父に見つかり、俺はその日の段取りとやらに吸い込まれた。そして結婚式が始まった。



おんぼろエスティマを酔っ払いが運転していた。酔いが何度もぶり返した。助手席にはやたら元気な越知がいた。後部座席には臼井とマッツンの試作品・征希が乗っていた。
奥さんに電話する。「どうしたの」「乾杯の音頭を俺が取るらしい。当日になって言ってきやがった。それも直接じゃなくて臼井を経由してのイカサマ三角蹴りや。でな、乾杯の音頭の難しいセリフあるやろ、間違えたらアカンとこ」「ご両家の益々のご繁栄とご多幸をお祈りして・・・」「それそれ、それをすぐにメールで送ってくれ!」 土曜日というのに、浜島で祭りがあるというのに、伊勢自動車道はすいている。玉城・伊勢間もいつのまにか二車線になっている。恐ろしいほど速く伊勢の料金所を通過、晴天のなかを目ざすはタラサ志摩・・・。

このエスティマを買ってすぐ、俺は邦博や臼井・越知を乗せて名古屋へ繰り出した。目ざすは越知の姉ちゃんが経営していた名古屋は南区のスナック。行きは俺が運転していたが、ヘベレケに酔っちまった俺は、帰りの車の中で後部座席で行き倒れ、臼井自動車屋の後継ぎに運転を譲っちまった。

越知の姉ちゃんはヤンチャだった。南郊中のバンを張っていたという。どれだけヤンチャだったかというと、弟の越知が南郊中に入学するに際して職員会議が開かれ、誰が越知の弟の担任をするのか?という話し合いがなされたという。そして入学してきたのが、寡黙で読書三昧のウチの塾の4期生・超知勲だった。

午後3時30分までには来るようにと招待状には唱ってあった。休日の鳥羽市街を抜け、パールロードから脇に入ったタラサ志摩の駐車場にエスティマを泊めたのは午後3時前だった。
俺達の結婚式の後の予定は直彦(4期生)が組んでいるという。午後9時頃に結婚式が終了、後は同じくタラサ志摩内で二次会。そして11時頃には撤収して近くのペンションに泊まる、そしてそこで結婚後初めてのマージャン大会が始まる・・・といった粗末なカリキュラムだ。
俺達は着替えを車に置いたまま、正装に着替えてタラサ志摩の正門を目指す。

受付は直彦と浩一ちゃん(4期生)。躊躇しながら俺を迎える。そして素っ頓狂な声で、「先生! 先生なん」「すまんな、子供じみたかっこうして・・・」「いやいや、どないしたんですか、その髪の毛」「生徒とカケをやって負けたんや」「なるほど・・・」 分かりやすい理由を提示すれば、相手から振り込んでくれる・・・これがマージャンの鉄則である。

こんな俺達を11期生の世史絵が眺めている。「あれは越知先輩やな、となるとあの人たちは塾の関係や。あの金髪の人は誰やろ?」 すかさず世史絵のお母さんが尋ねる、「世史絵ちゃん、あの金髪の人、知ってる?」「ううん、分からへんけど多分、塾の先輩やと思うわ」

俺達は6人掛けのテーブルに座る。外は陽光の下、伊勢湾が一望できた。臼井や征希や越知の口からは見事な絶景にため息が漏れた。その横で俺といえは、奥さんから届いたメールを何度も何度も反芻する。

只今ご紹介に預かりました中山でございます。甚だ僭越ではございますが、ご指名を頂戴しましたので乾杯の音頭を取らせて頂きます。新郎新婦の末永いお幸せと、ご両家並びにご臨席の皆様方のご多幸とご繁栄をお祈り致しまして、乾杯を致したいと存じます。ご唱和をお願い致します。乾杯!! (挨拶は短めに・・・。グラスは目の高さに・・・)

依然として二日酔は滞っている。広いホテルのなかを右往左往してトイレを探す。

臼井の姿がないと思ったら、カメラを持って走りまわっている。直彦あたりにカメラ担当を仰せつかったんだろう。

新郎の邦博と弟の章貴がやって来る。2歳年下の章貴のほうが一足お先に式を挙げた。「アキちゃんの方がクニよりうんと大人びて見えるな。やっぱり所帯を持った者特有の落ち着きかな」とは征希。
その二人、俺達の射程距離に入るや驚愕の体で立ちすくむ。絶句したままの邦博を尻目に「先生、ほんとうに先生なん!」と章貴。「どや邦博、今からなら乾杯の音頭の代打ちを立てる手もあるで」と俺。「いやいやいや、それはないけどさ。でもな、びっくりした・・・。遠くから見てて、あの金髪は誰なんやろと思てたわ」

邦博は新婦の華やかな装いの友人達にせがまれ、記念写真に収まっている。「アキちゃん、和司の就職の時には世話になった、ありがとう」
和司(三重銀行)の就職活動の折、中部電力に興味を示した和司に業界知識をレクチャーしてもらったことある。「先生、和司ちゃんは元気?」「ああ、この4月から住友総研へ出向や。接客にはチト不安がよぎるが、知識探究心はいたって旺盛、今ごろ東京で元気でやってるだろ」「そりゃよかった。ところで斎藤は?」「あ奴は卒業と就職と結婚と出産を同時にしでかしやがったよ」「ははは、太郎らしいな」「ところでアキちゃん、これで邦博は東京住まいとなるからにはアンタが家を継ぐんかいな」「まあな、そうなるんかな・・・でも」「なんや」「兄貴には長男として、もうちょっとしっかりしてもらわんと」

庭で記念写真を撮る準備が出来たようで、人波が動く。そんななかを、俺はなかなかスムーズに言えない箇所を何度も口ずさむ・・・奥田家、西川家のご両家、並びにご臨席の皆様の・・・。この「ご臨席」をついつい「ご陪臣」と言っちまう。これじゃ、お客さん達が家来になっちまう。

俺は今まで20回くらい結婚式の司会をしている。しかし慣れることはなく、いつだって新鮮な気分でマイクを握る。そんななかでの失敗が脳裏をよぎる。確か、伊庭の結婚式の時は「花束贈呈」を「花嫁贈呈」と言っちまったし、シューちゃんの時なんぞ「ウエディングケーキ入刀でございます」を「ウエディングドレス入刀でございます」とやっちまった。

それにしても・・・と考える。司会をやって来た経験から言うと、乾杯の音頭には「スピーチさせるとしゃべってほしくないネタをたくさん持っているうるさい輩」にさせれば、それなりに収まるという鉄則がある。クソッ、安心してた俺が甘かったわい。しかし・・・ご陪臣・・・じゃねえよ!ご臨席だ・・・。

親族の写真撮影が終了し、友人達での写真撮影が始まる。ここで俺は初めて新婦に急接近、なにしろ付き合いは長かったはずだが俺達には今まで一切のお披露目がなかった。久美子ちゃん・・・美容部員だけあってかわいいね。

そして写真撮影の終了とともに結婚式へと続く。タラサ志摩ゆえにチャペルなんだろうな、と踏んではいたがそのチャペル、想像を絶するシチュエーション!
海岸に突き出した形で刷りガラスに囲まれたチャペル、中に入るとイスは全て透明のアクリル製、そして牧師さんが立つ背景はなんと海! 総ガラス張りで、伊勢湾をバックに邦博と久美子ちゃんは永久の愛を誓うわけだ。
邦博の奴、多分このチャペルで結婚式の会場を決めたに違いない。

新婦がお父さんと腕を組みながらバージンロードを進む。その先には邦博、紺碧の海を背景にして純白のスーツを身にまとった新郎が待つ。



結婚式が終わると俺達は外に出て、チャペルからホテルへと続く石畳の坂道の途中で新郎新婦を待つ。一人一人に花びらが配られる。そして登場した二人にお祝いの言葉とともに花びらシャワーを浴びせる。
本当に天気が良くてラッキー。天気予報では今日まではなんとかもつとのことだったが、邦博の強運か。マージャンの引きは弱くとも、さすがに人生の正念場では好牌を引いてきやがる。

石畳の坂道を登ったところで、たおやかな今日の伊勢湾をバックに記念写真が始まる。そしてホテルに入ると、そこが披露宴会場。芝生での記念写真に始まり、チャペルでの結婚式、そして花びらシャワーからグループ別での記念写真、ホテルに入れば披露宴会場に誘われるというスムーズな流れ。
俺は慌てて携帯を取り出して、乾杯の音頭を呪文のようにつぶやく。

席次表を渡される。オシャレな席次表だ。表には新郎と新婦のツーショットの下に今日の献立が書かれている。めくると席次表、縦テーブルで3列、新郎新婦側に向かって左側が新郎友人、俺の席は一番前だ。隣が征希、向かいに浩一ちゃん。真ん中のテーブルには新郎側上司と会社の同僚達、向かい側に新婦側上司が座る。そして右側のテーブルには華やかな新婦の友人達が席を占める。

席次表の名前のところには新郎が書いたと思われる1行コメントが・・・。征希には『自衛官→大学生→カイロプラクティス』、越知には『大学受験の良きライバルでした』、そして俺には『人生を教えていただきました』

邦博は津高入学後、いち早く早稲田大学を標榜。私立文系3教科にしぼって勉強を進める。越知は名古屋大学を志望大学に据え勉強を続けた。しかし共に浪人生活に入る。二人とも昼は名古屋の予備校に通いながら、夜にはウチの塾で勉強した。

古い塾の2階の壁は穴だらけである。この穴を最初に開けたのは邦博、理由は隣で勉強する越知の声。越知はいつしか名古屋大学から京都大学に志望を変更、急遽日本史に加えて世界史を取ることになり、11月のひと月を世界史の教科書を音読することに費やした。しかし越知の声は太くよく響く。これに邦博が辟易して「うるさい!」と壁を拳で叩いた。そして6畳間と6畳間の間の壁は壊れて風通しがよくなった。
とにかく越知と邦博の仲は悪かった。何かがあるといつもいがみ合っていた。それにつれて征希や横山などはどちらかに付かざるをえなかった。しかし女の子の揉め事と違うのは、相手に対する憎しみが勉強に転化したこと。相手に負けると、怒りは次の模試の成績での挽回に注がれた。負ければ、それでまた塾の壁に穴が一つ増えることになる。

俺が酔っぱらって2階から落ち、意識不明のまま松阪中央病院に入院したのは2月3日、関西圏では私立大学入試の火蓋が切って落とされていた。3日後に俺は意識を取り戻すものの、塾の経営者であることも忘れて自分が何者かも分からず、ただベッドに横たわっていた。しかしタバコを吸ったことで向こう側の世界からこちら側の世界へ覚醒する。
「今日は何日ですか」と看護婦に尋ねる俺に、毎日3回「あなたの名前は?」「あなたの年齢は?」「あなたはどうしてここにいるのか分かる?」といったルーティーンの質問をしてくる看護婦さんが答えた、「2月9日よ」 一旦は壊れかかった俺の頭が動き出していた。・・・2月12日に邦博が受験で東京に出発する・・・。
俺は担当医に懇願した、「どんなことがあっても11日には退院させてください。何でも言うことを聞きます」「無茶なことを言っちゃダメだよ。君は自分の症状がどれだけ大変なのか分かっていない。脳は怖い、最低ひと月は様子を見なくっちゃ」「通院とか、いろんな方法があると思います。毎日でも病院には来ます。どうしても退院しなくっちゃならないんです」 とうとう根負けした担当医は、通院の必要性を懇々と説くことで俺の退院を認めてくれた。

塾は俺がいなくともいつものように稼動していた。いいかげんな先生を頼るんじゃねえ!何度も生徒達に言っていたことが功を奏したのか、4期生達が中心となって塾の運営を切り盛りしていたのか・・・多分、後者だったんだろう。

2月12日午前6時、俺は雪が積もった道を久居駅へと歩いていた。身体が絶え間なく揺れていた。重心の移動が思うに任せられない・・・雪に足を取られないように、ゆっくりゆっくり歩いた。
今は無き、木造の壊れかけたプラットホーム・・・俺はよろよろとイスに座った。邦博はまだ来ていないようだった。タバコの紫煙を眺めていると、薄明かりのなかで人影がうごめいた。やっと来たか・・・近付いてくる人影を見て俺は慄然とした。越知! 「どないしたんや、オマエ」「決まってるじゃないですか、クニの見送りですよ」「仲が悪いオマエがか」「だって先生、どうのこうの言っても今年のウチの塾でメインを張れるのはクニしかいないでしょう」 プロレスというキーワードを駆使して、一人南郊中からウチの塾に通ってきていた寡黙な越知に、組織とは、仲間とは、人生とは・・・ということを説いて聞かせたそれまでの膨大な時間が思い出された。「メインを張る・・・か、なるほどね」 過酷である受験期こそ己の主観や主張が大手を振ってまかり通る。しかしこ奴は旺盛なる自己を携えつつ、ウチの塾を一つの組織として客観的に眺める視線をも兼ね備える生徒になっていた。越知は成長している・・・そのことが俺の涙腺を刺激した。
そして真打、いやプロレス的に言えばメイン登場・・・邦博が暗がりから姿を見せた。「あれ、先生来てくれたん。あれ?越知、どないしたん、俺に何か用か」 邦博は依然としてガキ大将のままだった。こ奴への調練は大学に持ち越されるな・・・俺は一人ごちた。

結婚式の司会の自己紹介が終わり、「皆様、新郎新婦のご入場までもうしばらくお待ちください」と言うやいなや、部屋の明かりが消え、大型のスクリーンがスルスルと降りてきた。映し出されたのは『新郎・奥田邦博(30歳)』 続けざまに邦博の出産時の写真、そして2歳の邦博・・・新郎と新婦の成長 を綴ったビデオが始まった。
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