れいめい塾25時2002年前半 2002年後半

れいめい塾戦記

2004年度 その五



今年度のアキレス腱とも言えた怜美が合格したのは僥倖だった。しかしまだまだ難題は山積していた。大森の仕上がりは悪かった。允も夏休み段階の仕上がりを取り戻せないでいた。寺沢(三重高3年)と浪人の健太は推薦入試に軒並み落とされていた。古市の口から出るのは知早の罵りしかなかった。直嗣はセンター試験に標準を合わせたことで落ち着いているようだった。直嗣が文転したことから残る理系は菊山と綾奈となった。

綾奈は高田6年制という重荷を背負っていた。「高田6年制にいるというだけで周りが私のことを勉強できると思うのが嫌なんです」 俺は綾奈にとっての精神安定剤として付き合おうと決めた。講師からのコメントでは、数学や物理・化学では切れ味は今イチだが、基本的な問題はそつなくこなすとのことだった。問題は二次力、仕上がりが遅いためにセンター試験で取れるだけの得点を叩くしかなかった。英語はボキャブラリィが貧困だったが徐々に上昇していった。「菊山君を見てると、なんでこうも私と違うのかなって思うんですよ」 その菊山に関して塚崎がコメント、「やっぱり僕では京都大学は無理やなと思いましたね」 塚崎はよくできる。刈谷高校で野球をしながら愛知県の8強に残り、クラブ終了後に勉強。現役で三重大学医学部に合格。三人兄弟で兄貴は京都大学で弟は東京大学にともに現役で合格したという・・・どんな家庭なんや。そんな塚崎、えらい弱気なコメント。「菊山と京都大学の問題を解いてるんですけど、あのタイプの問題は僕は解けない。実際、現役の時の僕と比べると菊山のほうがよくできるかな」 理系二人の講師は、物理が中塚、数学が塚崎、化学が横田という布陣だったが、コメントはほぼ同様・・・菊山はなんとか勝負できそうだが、綾奈はもう少し時間が欲しいとのことだった。

その綾奈、いつしか古い塾に泊り込むという暴挙に出る。暴挙とは書いたが、俺は個人的には嬉しい。綾奈らしくない行為だったからだ。泊り込むとまではいかなかったが、知早もまた深夜遅くまで勉強するようになった。

ブーちゃんの仕上がりも悪かったが、土壇場のセンタープレでやっと英語の偏差値を50にまでした。政治経済は65周辺だったので、残るは国語に絞られた。ところがブーちゃん、世間の荒波に浸かってきたはずなのに現代文ができない。古典は英語と同様に単語を徹底して覚えていないため、スカスカだった。それでも国語で大コケしなければ近畿大学クラスなら合格すると俺は踏んでいた。

響平は立命館や関西学院がA判定出ようとも、どこか冷めていた。「このまま勉強すればきっと受かるさ」という俺の励ましもどきにも、自信なさげに首を振った。響平の受験校が決まった。関西学院・立命館・龍谷・仏教の4大学、学部はいずれも社会学部。高校の進学指導の先生に言ったら「お見事!」と断じる布陣だった。××大学ならどこだってかまわない!なんぞと経済・法学・商学と受けまくる受験生とは一線を画した受験。将来の進路に則った選択、潔さが際立っていた。

菊山と綾奈は理系教科に時間を削がれ、地理にかける時間がない。センター直前に近畿予備校で地理を教えているデンちゃんに頼むものの、「ありゃマズイ、仕上がり悪いわ。センターに間に合わへんで」とのコメント。どうにか直嗣だけがそこそこの出来で冬休みに突入していく。

大森は8連荘に臨むことになった。京都産業3連荘に立命館3連荘に同志社2連荘、寺沢は南山のほとんどの学部の流しに出た。ブーちゃんは近畿大学軒並みに龍谷と本命の関西大学、すべり止めと言える大学はないものの関西大のF(フレックス=昔の2部)が最も通りそうではあった。これらは典型的な私立文系の受け方と言えた。

ラスト2か月で漢文の講師に就任した征希、センター試験直前の最後の授業で高3の仕上げに入る。綾奈と菊山は計算通りの8割、知早は7割、予想外は直嗣で5割を切る。「とりあえずは終わった。先生、来年も俺が登板するんやったら、もっと早くからさせてよ。絶対に全員に8割取らせてみせるよ」

ブーちゃんはセンター試験を本籍のある福井で受けることになっていた。親父は里心がつくからと、ホテルを取った。センター試験の前々日の夜、明日は福井に旅立つブーちゃんに悠志と陵が言ったとか・・・センター試験頑張ってきてください・・・。中3は中3で私立高校直前の受験の渦中にあった。それなのに先輩の大学受験に対してエールを送る・・・人をつくるのは環境である。こ奴らは成長した。陵の親父も俺に言った、「陵にそんなことが言えるなんて・・・びっくりしましたわ」 ウチの塾の至る所が受験だった。しかし、俺は受験生なんや!と被害妄想に晒されず、同じ受験生である先輩を勇気づける。俺がウチの塾を好きなところはこんな風景が垣間見えるからだ。

3年前の公立入試前夜、菊山はウチの塾の壁に以下のように書いた。「津高に合格したら遅刻はしない!(遅刻145回)菊山」 このふてぶてしさが今回のセンター試験ではすっかり陰をひそめる。センター試験前夜、古い塾で行われたセンター送り出しから身体が震えっぱなしだと言う。冗談やろ!と古西が菊山の腕を掴む。「ホンマや! こいつ震えてるわ」 

1月17日、2004年度センター試験が始まった。
センター試験前夜から森下と古西が早朝までカラオケ。俺は体調が優れず家に戻る。体調の悪さは今年に入ってからのことで身体が自分のものでないような気がしている。古西と森下は塾に戻って仮眠。目覚めると午後10時半!「えらいこっちゃ!センター試験始まってるやん」と慌てて起き上がり駐車場を見ると俺のエスティマがない。「さすがやね、ボスはいち早く会場入りか」と感嘆しきりで俺の携帯に連絡すると、くぐもった声・・・今、家で寝てるねん。「何やっとんの!センター始まってるで!」

三重大学近くの『ガスト』に陣取り、受験生たちを待つ。毎年の恒例行事、とりあえずは朝食プレートを頼むが、昼前にはウエイトレスがメニューを取り替えにやってきては胡散臭そうな視線で睨まれるってわけだ。朝から三重大キャンパスでウチの受験生を見送った横田が合流。昼近くとなり、店内には受験生だと人目で分かる集団がポツポツ乱入してくる。そしてウチの生徒さん達も怯えた表情で登場。1教科目の英語のネタふりは避け、昼からの教科の勉強をさせる。しかし古西が菊山の英語の答案をふんだくり横田ともども解き始める。その隣では森下、二人がつくる解答をどこに用意していたのか持参してきたパソコンに打ち出す。

ブーちゃんからも間の抜けた知らせが届く。「英語は簡単だったと思うんですよ。でも僕は解けなかったけど」

ちなみに立命館大学を本命に置いている生徒は、センター国語を1番と2番の現代文しか解いていない。立命館のセンター利用では1番と2番だけで出願できるからだ。逆に言えば他の大学には出願不能となる。今年この形式で出願するのは允と大森、これは順当として響平がこの形式に臨んだことは俺の触覚を蠢かす。響平らしくない・・・、響平もまた允や大森同様に立命館を本命の一つに挙げてはいるがそんな冒険を冒すとは思っていなかった。センター直前に響平の親父さんからこのことを知らされ、なぜか俺は嬉しかった。受験に対して受験生本人の色合いが出てきているとでも言おうか。お仕着せの受験ではなく、じたばたしている。今までの淡々とした受験モードに比べると響平の色が出ていた。
前のページに戻る

 トップページに戻る
れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾リンク集 れいめい塾 三重県津市久居 学習塾一覧表:れいめい塾発『25時』 三重県津市久居 学習・進学塾『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居れいめい塾の日記(関係者ブログ集) 三重県津市久居広告一覧 れいめい塾 三重県津市久居 学習塾 進学塾
当ホームページに掲載されているあらゆる内容の無許可転載・転用を禁止します。
Copyright(c) 2000-2009. All rights reserved. Never reproduce or republicate without permission