れいめい塾25時2002年前半 2002年後半

れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾 れいめい塾発『25時』

2004年 4月



いつの間にか新学期が始まっている。

とりあえずは今年の高校入試のことからだ・・・。

正直な話、れいとめいは落ちると思っていた。内申がなかったのがその主な理由だ。

まずはれいが受験した津高だが、かつての津高なら内申26あたりでもウチから合格していた、当然当日の点数を叩いてだ。しかしここ最近、30を切っての勝負で合格した話をとんと聞かなかった。35あたりでポツポツ・・・それが昨年から実施された絶対評価の導入で内申重視に拍車をかけた。去年ならば35以下での合格者は皆無といってよい。その反面、45などパーフェクトの内申を持つ生徒は170点前後のかなり低い点数でも合格していた。内申36のれいにとり210点あたりを叩けばなんとか勝負になる按配・・・。

一方、めいの方も内申が32と、クラブなり生徒会なりのプラスαがあればまだしも、平凡な中学生が取り得のめいにとっては津東の内申ボーダー36はリスクが大きすぎた。

塾を始めてから何年がたつのか・・・俺は今年合格発表を見に行かないことに決めた。他の受験生には心から申し訳なかったと思う。しかし許してほしかった。今年くらいは、父親としてその日を迎えたかったのだ。

ではその運命の一瞬をどこで迎えるのか・・・俺は熊野古道を歩くことに決めた。ネットで検索し、出発は合格発表の当日の午前2時。

ところが俺の生涯唯一の道楽も頓挫しちまう。合格発表前夜に塾に顔を出したのはM銀行でこの4月から5年目を迎える竹中、そして隣にはやはりM銀行で1年後輩となる和司!

和司は大阪大学経済学部を主席ではなく2番目で卒業したつわもの。しかし大学入学時から杓子定規の塊。社交的ではない性格をなんとか溶かそうと、俺は半強制的に塾でバイトをさせたものだ。黒板を背景に全員に向かって見得を切るような授業は到底無理。2,3人相手の家庭教師感覚での授業がなんとか・・・それでもひと夏が終わり大阪に帰る頃には笑えないジョークを吐けるようにはなっていた。そんな和司が長男ということもあり、地元M銀行を受けたいとの希望を聞いたとき俺は正直言って躊躇した。法人であれ個人であれ、接客中心の銀行業務をこなしていけるだろうか・・・。M銀行のなかで自分の場所を見い出せるのだろうか・・・。とりあえずは1年先輩となる竹中とセッティングをし、何度か飲んだ。竹中は俺の危惧を理解しながらも、大阪大学での成績を重視。「先生、ウチの銀行から毎年ひとりだけやけど住友総研に出向する奴が出るねん。和司ちゃんの成績やったらウチの新入社員のなかでも新入生挨拶は固いわ。何年かは先生が心配するように接客業務が主になるけど、和司ちゃんの頭脳の良さやったら住友総研出向の目は十分にあるで」

和司はM銀行に入社した。竹中の予言どおり新入社員挨拶は和司だった。勤務は四日市の本社だったために1年に1度くらいしか塾に顔を出さなかったが、竹中と飲みながらの話ではなんとか勤まっているようだった。いや、なんとかどころではなく、全国の銀行マンのなんかのコンテストでは全国2位だったとかで、十分にスポットがあたる場所を確保したようだった。

合格発表前夜、こんな記念の夜には竹中は決まって現れる。しかし和司が! そして顔を紅潮させながら和司が言った。「先生、この4月から住友総研への出向が決まりました!」「そりゃめでたい! よっしゃ祝いや祝い! 酒でも飲もや」 さっそく里恵が年末に持ってきた越の寒梅の封を切った。日本海側の酒は水だと看破する竹中も今日ばかりはおとなしく付き合ってくれる。越の寒梅がなくなり、新しい酒の封を切る。俺は一人ごちた。「いつだってこれだ、このままじゃ熊野までもおぼつかない。神様は俺に好きにさせないってか」 出発予定の午前2時はとうに過ぎている。

俺が家に戻った時刻は定かではない。しかしその頃東京では、古西(名古屋大学経済学部2年)と前田(早稲田大学ドクターコース1年)と森下(立命館大学院1年)が東京駅に向かっている。朝一番の新幹線に乗り込み、三重を目指す。合格発表は午前10時、合格者にコーラをかけるため東京駅に急ぐ。

家の布団で目覚めた。時計に目をやる・・・午前9時をとうに越えている。家の布団に寝たのは今年に入って2度目だ。二日酔いだ。無駄な抵抗はよそう、今まで永年付き合って相手の手口は読めている。ここはひたすら耐えるしかない。

その一瞬を俺は奥さんと二人、家で迎えた。携帯が鳴る! 古西だ。取りたくなかった。しかし不貞寝を決め込んでも状況は変わらない。受かるか落ちるか・・・。俺不在で津高と津東に出向いている大学生連中に申し訳なかった。おそるおそる取った・・・。「先生?」「ああ」「津高は先生の予想通り・・・れいちゃんは・・・」「わかった・・・すまんな」 そして続けざまに携帯が鳴る。征希に決まっていた。「先生?」「ああ」「れいちゃん・・・聞いた?」「ああ、・・・めいもあかんかったか?」「いや、それが受かってた! おめでとうさん!」「受かった! なんでや」「先生、そやけどな・・・Nが落ちた」

今ごろは大学生連中、津高と津東で他人の顰蹙を買いながらも意に介せず、合格した塾生にコーラの祝福をくだしているはず。そして1時間ほどで撤収。コーラの空き缶を持参のポリ袋に入れたかどうか気になる。所詮ウチの塾のコーラかけ大会、人の目から見れば反社会行為でしかない。なんとか今日だけはお目こぼしを・・・のノリでやる以上は迷惑をかけるいことは厳禁。去年もトラブッていることもあり気になった。しかし津高担当の古西と前田と森下と里恵、津東の征希とあすかと花衣、彼らを信じようと思った。そして撤収後は塾に戻り、夜のカラオケ大会の段取りが組まれる。過去17年間やってきたことを反芻した。しかし俺の生涯にたった一度、今年だけは受験生の父親でいたかった。

俺には双子の娘がいる。男の子の双子が産まれることを切望してはいた。名前は決めてあった・・・竜馬と慎太郎・・・これで決まりだった。しかし345の三色に2筒をツモるかのように生まれたのは女の子の双子だった。名前に困った俺、結局は塾の名前を娘たちに付けるという下剋上。しかしこの娘たち、おじいちゃんやおばあちゃん想いの俺にはすぎた娘たちだった。

そして今日、どちらかというとオフェンシブな姉のれいは渇望していた志望校に落ちた。そしてディフェンシブな妹のめいは神様の気まぐれか、僥倖にも受かった。多分れいは合格者を横目で見ながら泣いているはずだ。今まで積み重ねてきた努力をかみ締めながら、願いを叶えてくれなかった神様を恨みながら、指導者たる父親を恨みながら・・・。一方のめい、派手なことが大好きな征希の手にするコーラ数十本を全身で受け止めていることだろう、嬌声を上げながら・・・。

俺は身体を削りながら努力してきた塾の生徒を落とした最低な指導者だった。そして最低な父親だった。

この日の津高の合格発表の様子は翌日の中日新聞にカラー写真で載っていた。田中が全身で喜びを表していた。そして遠景に・・・いた。幾多の中学生の制服のなか、頭一つ抜けた里恵と古西らしき姿。豆粒のような大きさの二人にはさまれるかたちで立っているのは・・・れいだ。

田中が里恵のところに駆け寄ってきた。「先輩、受かった!受かった!」 里恵はそばにいたれいに視線をやった。声を押し殺し、つぶやくように田中に言う里恵。「田中、良かったな!」

古西と森下が車に積み込んだコーラのケースを下ろし始める。津高横の溝を中心に恒例のコーラかけ大会の準備が進む。里恵はそれを横目で見ながら、泣き続けるれいとYを連れ、撤収開始。あてなどないが、一刻も早くここから脱出したい一心で二人の背中を車に押し込む。

炬燵にもぐりこんだままで、いつしかうとうとしながら時を過ごしていた。視線を這わせる先にテラスで布団を乾している奥さんの姿があった。いつもの日常となんら変わることのない光景、ふと奥さんが振り向いた。「れいは里恵ちゃんとどこかの海岸にいるんだって」「・・・」 そうか、合格発表の一日はまだ終わっていない。胃がひきつる、もどしそうになる。二日酔い?それもある。それもあるが・・・。「里恵が面倒見てくれてるんか、すまんこっちゃ」 

里恵の高校入試は10年以上も昔の話。ウチの夏季講習に密航、居心地が良かったのか、レアな趣味なのか、そのまま居付いてしまいそれまでの嬉野中学年順位150番くらいの普通の女の子が一気呵成に7番に、その余勢をかって当時の2群に合格した。喜色満面で飛びかからんばかりの勢いで俺にむしゃぶりつく。俺の横には落ちた塾生がいる・・・。

身体をだましだまし塾まで連れてくる。3月に開業したばかりの1階の美容室『6・ディグリーズ』のオーナー・マッツンとショウウインドー越しに顔が合う。客がいないのを見計らう。美容室の自動ドアが開きマッツンが戸惑いがちに言う。「先生、れいちゃん残念やったね」 マッツンはウチの塾の7期生。「情報早いな」「征希先輩がさっき戻ってきてさ」「ああ、あいつにはホンマ世話をかけてるわ。アイツだけやない、今年の俺は最低や。塾を始めて18年、初めて合格発表会場から敵前逃亡しちまった・・・。そんな俺に代わって古西や森下や前田、東京から始発の新幹線でご帰還や。そして花衣やあすかもな。みんなが俺の代わりをやってくれてる。最低やな、俺は・・・」「里恵ちゃんは?」「ああ、落ちた生徒を車に乗せて伊勢湾沿いを南北に走っているらしい。さっき奥さんの携帯に連絡が入ってた、芸濃のバイキングで里恵にご馳走になってるってさ」「すごいな、みんなの団結力・・・」「まあな、こんな塾をつくろうと今まで頑張ってきたからな。でもな、そんな塾の司令官、無能なんやな」 マッツンが押し黙った。俺は本棚に目をやった。パチンコ&パチスロやら日にち遅れの中日スポーツ・・・、これでは時間待ちの主婦層の顰蹙を買うのは明らかだった。とりあえずは今年の芥川賞受賞作『蛇とピアス』と『蹴りたい背中』でも買ってやろうか、そう一人ごちた。

里恵が塾に戻ってきたのは夕刻。「まいった・・・」「すまんかったな」「でもさ、やっとあの時の先生の気持ちが分かった・・・痛いほど分かったわ」「なんや、それ」「私の高校受験の時にさ、合格した私はホント嬉しかって、ホント先生に褒めてもらいたくって・・・覚えている?」「ああ、あの時の2群の合格発表会場は津高やったな」「うん・・・私、一目散に先生とこへ走っていったんよ。そして『私、受かった!受かった!」って叫んだ・・・」「ああ・・・」「その時、先生が言ったんさ。小さな声で・・・『里恵、良かったな。でも、俺はオマエのためだけに喜んではいられへんねん』って。私、すっごいショックやった。夏休みから塾を続けて毎日塾で夜中まで勉強して合格した。なんで先生、もっともっと喜んでくれへんねんって・・・。先生はあの時、受かった子よりも落ちた子に注意を注いでいた。後で考えて、私って他の子のことを考えてへん本当に自分勝手な人間やと思った」「・・・」「でも、それって頭でそう思っただけやったんや。それが今日分かった、あの時の先生の気持ち・・・田中や絵梨香が嬉しそうにやって来て、でも横にれいちゃんがいて・・・。受かった受験生って悪気はないんやろけど落ちた子のことを斟酌する余裕ってあらへん。それは分かってる、でも分かってても辛い・・・本当に辛い」 俺は時計に目をやった。午後8時前・・・カラオケ大会が目前に迫っている。

嫌だったら別段高校へ行くこともあるまい・・・そう考えていた。青写真も出来上がってはいた。これからの3か月、大学検定の勉強をして夏の試験で全ての教科をゲット、あとは志望大学の勉強に入ればいい。打たれ弱いれいの性格は重々承知、お互いの傷をなめあうような環境に置くのが怖かった。いつしか自己に対する自信を失っていき、それなりの高校生活に埋没していくのではないか・・・怖かった。それならいっそウチの塾の中で育ててみたい、そう思った。

翌日も翌々日も公立に落ちた生徒と遊んでいた・・・打たれ弱い。ますますオレの『高校へ行かさない計画』は熱を帯びる。しかし孫の結果を心配して連絡してきた義父からは強く高校への進学を勧められた。義父は小中学校の校長を務め、最終的には大学で教鞭を取り教員生活に終止符を打った。そしてオレの親父も予想通りに高田高校への進学を当然のものと受け止め、オレの計画を聞くや一笑に付した。親父も当初はとある企業の研究室勤めだったが、惣領ということから帰省、大半を小中学校で教鞭を取ってキャリアを終えた。ともに学校教育に対する盲目的な信者、大検で大学受験に臨むなど言語道断でしかなかった。四面楚歌、しかし・・・勝算はあった。

高校を中退した響平との2年間、あるいは社会人生活を経てから受験生となったブーちゃんとの1年間が、オレに奇妙な自信を抱かせていた。ブーちゃんなんぞ、中2の英語のレベルから1年で龍谷大学に辿りついた。あの二人のように3年間手元で育てれば・・・。今日もれいはれいで「私は高校へ行かないから」と言い張っていた。

高田高校に対する嫌悪感はない。ただ理系としては無駄が多い高校だとは言える。また授業中に眠り込んでいた卓(高田U類から立命館大学へ。現在2年)に対する叱責、「深夜2時や3時まで勉強させるような塾なんて辞めなさい!」には少々こだわってはいるが・・・。推薦を除いた実績はほとんどないに等しい。今年大学に進学した学年は全国統一模試の高校平均では初めて津西を上回ったものの、こと一般入試の成績では関西や同志社、立命館といったところがアップアップの状態・・・ひ弱すぎた。原因はある。理系教科の進路が遅すぎる、課題が多すぎる、無駄が多すぎる。

そんな父親の葛藤とはうらはら、れいは高田高校進学を決めた。愛(津高2年)の「それでも高校へは行くべき。どうしても嫌になったらその時に考えればいい」とのアドバイスにしてやられた。結局はオレだけが我を張っていただけの格好となった次第。ウチの生徒なのに、オレの生徒なのに、オレの娘なのになんでそんなに大人なんや! 

輪郭がぼやけたような、少々怠惰な春が始まった。かつて津高や津西を落とし高田高校に進学した塾生のことを思った。そんな塾生の姿を痛々しげに眺めたはずの父兄の感情に思いを馳せた。塾生の、父兄の、公立入試に落ちた家族が味わったはずの春に今の自分を重ね合わせようとした。

各高校ではクラス分けを想定した試験や教科書の販売が始まっていた。私立高校ではこれに制服合わせが加わった。春はあわただしく過ぎていく。オレだけが・・・オレだけが桜の花が散り始めるなか、一人佇んでいた。

前田の動きがあわただしい。合格発表当日に朝一番の新幹線で森下や古西とともに帰省、俺がいない津高合格発表会場に駆けつけてくれた。そして3月末から4月にかけて履修届や論文提出なんぞと、東京と三重を重役さながら往復の連続。そして金曜日の夜になると古西の英語の授業に合わせて塾に顔を出し、授業の後で徹夜マージャンが始まる。特訓の成果はともかく夜に慣れている前田?朝方に家に帰り仮眠を取り、昼から病院へ向かい親父さんの側で時を過ごす。

前田から親父さんが癌だと聞かされたのは去年の秋の終わりの頃。去年の初夏、俺をこよなく愛してくれた叔母を看取ったばかりの俺にとり、前田の話は皮膚感覚で俺の心の襞に響いた。1年間にも及んだおばの闘病生活が思い出された。塾を終え、深夜に23号線をおんぼろエスティマを病院に走らせた1年間が泡立った。いても立ってもいなくなり俺は失礼を省みず病院を訪ねることになる。

突然でぶしつけな訪問を前田の親父さんは笑顔で迎えてくれた。病室にダンベルを持ち込み筋力の維持に努めているような親父さんだ、退屈だろうと3冊の本を買い込み持参した。

「これは息子さんが大学時代の最大の愛読書です」と言って夢枕獏の『神々の山嶺』上下巻を差し出した。「そしてこれは今んとこ、僕の愛読書です。お父さんのお気に召すか分かりませんが」と『半落ち』でブレイクした横山秀夫の『クライマーズ・ハイ』を横に並べた。「これはこれはすいませんな、いやあ入院するというのはやっぱり退屈でね。本なんかも読み散らかしてるんですわ」 

「本当に先生にはお世話になって・・・、中学高校と、大学生になっても東京から家に戻ったと思ったら『塾へ顔出してくるわ』ですわ。大学院の試験の時も塾で勉強させていただいて・・・勉強だけやなくて何から何まで・・・あいつにとったら先生のほうが私なんかより父親やな」

旧家の長男だった前田は、どこの家でもそうであるように祖父や祖母から期待されて育てられたことと思う。その反面、妹の影は家庭内で薄くなる。俺の双子の娘にしても同じだ。何をしても姉のれいの方が妹のめいよりも少しだけできてしまう。勉強にしてもマラソン大会にしてもだ。父親の視線はバランス感覚、いつも少しだけついてないめいに注がれる。前田の親父さんも同じだった。こよなく妹の真希を愛したという。何年か前にそのことを俺に語った前田の口ぶりには一切の嫉妬やねたみの匂いはなかった。俺は前田をウチの生徒として誇りに思った。

前田が旧家の惣領であることから、将来の展望については今までに何度も話し合ってきた。やはり三重に戻って研究を続けるのは至難の業、40歳くらいまでは東京で研究生活を続ける。そして三重県内の大学で講師の口を捜し、空きが出た時に帰省する・・・これが俺たちが描いた皮算用。それが親父さんの発病で変更を余儀なくされる。実はこの4月からイギリス留学が内定していた。論文発表に際し、今の前田の英語では無理があり、それを是正する意味での留学だった。しかし親父さんの病状もあり断念。三重に戻ることを考慮に入れて、講師の口を捜し始めていた。

「中学の頃はなんとか嬉野町役場にでも入れるようにと先生とこの塾に入れました。それが2群に合格させてもらって、これでもしかしたら県庁にでも入れたらなあと思ってました。それが早稲田なんかに入れてもらって、なんや難しいことを研究し始めて・・・」 平凡な高校から平凡な大学へ入って地元で就職、先祖代々の田地田畑を守っていく・・・そんな青写真が一転、いつまでたっても東京での一人暮らし、生涯「近代教育学」という得体の知れない学問を研究していく。前田家にとり、俺は度を越した惣領を育ててしまったのではないか・・・。「前田君とは惣領でもあるし、これからの展開を何度も話し合いました。40歳あたりで嬉野に戻ることを想定して、自宅から通える大学で講師の空きを待ちながら東京で研究を続けようと話し合っていたんですけど」と、俺はひたすら恐縮しながら弁明した。「いやいや先生、やっぱり息子には自分がやりたいことで一生を過ごしていってほしい。なんや、俺の癌のことでイギリス留学を中止したらしい。そんな心配せんでいいですわ。先生から折をみて息子に言うたってください、『親父のことは考えずに、自分がやりたいことをしろ』って。家の方はいいんですよ。真希が頑張ってくれてますから」 親父さんは隣にいる真希を愛しげに見やった。かつての真希は自信なさげにオドオドしていた、しかし久しぶりに見る真希はゆったりと親父の視線に応えた。

とろんとした春のなか、前田は頻繁に『キマイラ』やら『素晴らしき世界』とやらのマンガ本を塾に持ち込んだ。「親父のベッドの横で退屈しのぎに読んでたんですけどね、塾に寄付しときます」「どないや、親父さん」「・・・あと1週間くらいとのことで」「そうか・・・」「でも、意識はあって株をやってますよ」「そりゃ元気や」「ええ、でも痛みを和らげるためにモルヒネの量を増やすようで、意識が混濁し始めるとね・・・」 パソコンでは大阪ドームからネット上での同時配信、立命館大学の入学式が開催されていた。いつの間にか、全国津々浦々で入学式が挙行されている。

三重県内の高校の入学式は公立も私立も4月8日とのことだった。双子の娘たち、れいは高田高校、めいは津東・・・。俺はどちらへ行こうかと考えてみた、考えるまでもなく答えは出ていた。れいの高田へ行くべきだろう、今のあいつは不利目や、・・・一人ごちた。

4月3日にブーちゃんとアキラの親父(BBSでのハンドルネームは「ダーティ」)がやって来た。アキラの大学生活の4年目が始まることから密航はこの日まで、つまり親父はアキラを迎えに来たわけだ。しかし突如アキラの密航続行宣言。聞けば履修教科もゼミを除けばほとんどなく、このまま6月の県上級職の試験、さらには9月の福井市役所の試験までウチの塾で勉強を続けたいとか・・・。「アキラが塾におってもかまへんか」と親父。「かまへんよ、電話番さえしてくれればな」 アキラの話は一瞬で終わり親父、不安げな顔で尋ねる。「で、前田の親父さんの具合はどうなんや」「医師からはあと1週間くらいと言われたらしい」「・・・そうか、前田はこっちにいるんか」「今は帰京している。今年度の履修届を出したらトンボ帰りで戻るってくるやろけどな」「若いすぎるな」「ああ、まだ親父やお袋が元気な俺やオマエには前田の気持ちは分からへんよ。所詮は観客席にいるんや」

この日、前田は自分のHP上で日記をアップしている。

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2004/04/03 美しき景色

今日は科目登録のために大学へ。
浮き足立って騒がしいキャンパスを抜けて、友人と共に大隈庭園へ。庭園の桜が満開だった。

友人に言った。「しんどい時は、景色がきれいに見えるよね。」
友人が言った。「本当にそうですね。」
散っていく桜は本当にきれいだった。

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さらに遡ること1週間、3月25日の日記から・・・。

2004/03/25 別れの季節

今日は大学院の卒業式である。
大学の教員に就職が決まった先輩方と就職が決まった後輩たちの卒業をゼミで祝う。
集まった仲間がそれぞれの選んだ道へと散じていく。3月は別れの季節だ。
人は生きていく中で、家族や友人や恋人などの大事な人と必ず別れるときがやってくる。
それは別離であったり、死別であったり。早いか遅いかの違いはあるけれども。
だからこそその人と別れてしまったときに後悔しないようにつきあうことが大事だ。
幸せは日常の中にこそ存在するのだから。

別れというのは悲しく、切ない。そして世界が眩しくみえる。
だが、もし大事な人がいなくなっても、その人の発した言葉やその人の好きなもの、考え方、顔や体格、服装、その人と過ごした思い出は自分の記憶の中に保存される。その思い出と共に生きていくしかない。もうすぐ自分の最も大事な人が自分のもとから去っていく。もう二度とその人と会うことはできない。だが、その人は俺の心の中で生きつづける。

<今日の名言>
さよならだけが人生さ。(寺山修司)

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俺の失ったものって何だ・・・。くだらねえ!

この日の徹マンには珍しく古西の姿はなし。鶴舞公園で大学のダチと花見だとのこと。古西がいない分、場が大人しくなるかと思いきや、滅多に見られない乱打線! 一度たりとも中だるみのないまま一晩が過ぎていく。誰もが当たり牌を抱えての回し打ち、決してベタ下りすることなく緊張感のある場が続いていく。そして乾坤一擲、アキラの親父が密やかに出した発、無言で征希が倒す・・・一切の気配を封殺した大三元! しかし役満を上がった征希も瞬く間に乱打線の中に埋没していく。

その古西が7日、BBSにやっかいな投稿をしやがった。大切な大切なものを失ったという。

8日、れいとめいの入学式。一旦は高田高校近くのバーミヤンに到着するものの、体育館シューズを忘れたというれいを車に乗せ自宅に戻る。高速を使い田舎道を掻き分け、16分で高田高校に到着。

仏教色に彩られた入学式が進んでいく。幾度か、父兄のなかから失笑が洩れた。父兄の前に整列している制服姿のなかに埋没しているれいの心情を思った。高校生や大学生、はては社会人から高校へ進学するように勧められ納得はしたものの、この仏式の入学式を目のあたりにして心は再び軋み始めているのではないか・・・。そして俺はかつてこの席に座ったはずの塾の父兄に思いを馳せた。津や津西に落ちて悄然としている子供を励まし、入学式を迎えた。しかし仏式で進んでいく入学式を後ろから眺めながら、私服姿に憧れたはずの我が子が制服の一群のなかでこの一瞬を迎えている。そして同時刻、津や津西では一切宗教色を排した入学式が挙行されている。

れいが失ったものは何だろう・・・津高に対する憧れ、自己の能力に対する自信、父親に対する信頼、エトセトラエトセトラ。

そして俺もまた・・・。今まで幾人の生徒を津や津西に落としたことだろう・・・。そんな生徒に俺はいつも言ってたっけ、「高校入試は所詮一里塚、大学受験までの折り返し点にすぎない。これからの3年間が大切なんや」

今、高田高校の入学式に出席し、今まで塾生に言い続けてきた言葉を何度も何度も反芻する。そして今まで何度も吐き散らかしてきた言葉が今、砂を噛み締めるように空虚に響く。この言葉を自信を持って言い切るための3年間が今から始まる。これからの3年間は、俺が俺であることが問われる3年間となる。

To be continued.


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