2002年11月第四週 11月24日 夜になって森下の携帯に連絡。「どやった、試合?」「勝ちましたよ」「そりゃ良かった、楽しんだってわけや」「まあね」 いつもの森下の落ち着いた声。満貫和った時の感極まる声とは大違い。「もう!感動ねえよな!」 関西地区のアメフト界はここ4年、関西学院大学の一人舞台だった。今年もまた去年の優勝メンバーが多く残り、誰もが優勝するのが当然と見なしていた。それが近畿大学に星を落としたことからおかしくなった。それに対して万年二位に甘んじていた立命館が勝ち進んだ。そして迎えたリーグ最終戦の今日、全勝の立命館と1敗の関西学院がぶつかった。 立命館は今年から監督が代わった。それに伴いチームの持ち味も変貌、ショットガン戦法で敵陣深く切り込んでいくチームに生まれ変わった。本場アメリカはオクラホマで合宿を張ったのも見逃せない。株式会社と揶揄される立命館の面目躍如である。かけてる金の量が違う。つまりは今日、常勝の関西学院アメフトチームの前に立ちはだかったのは、今まで全く見たことがない立命館アメフトチームだったわけだ。 試合は立命館が鋭い攻撃で関西学院を終始翻弄、終わってみれば大方の予想を見事裏切る大差をつけ関西大学リーグを制した。 11月25日 電話が鳴り取ると大西君、「先生おめでとうございます!」「何が?」「えっ? まだ聞いてへんの。晶子、受かったって」「えっ! 合格した!?」「うん、今連絡ありましたよ」「ええなあ大西君、生徒との絆強くって、俺なんていつもつんぼさじきや」「先生、そんな拗ねやんと・・・」 高橋君のセンター対策試験が始まった。高3に加え高2の菊山と高1の直矢と松原と亜矢歌が参加。橋本が100点で一人気を吐いたが、あとは77点の菊山に高3のプライドが吹っ飛ぶ。さらにが直矢が54点と、あすかチャンと大輔が並ばれる失態を演じる。 晶子がやって来た。「せ、先生・・・」「おめでとう!」「えっ?」「大西君から電話があったよ。でも、なんで俺は後なん?」「先生には直接会って報告しようかと・・・」「ともかくホッとしただろ」「・・・でも立命館がありますから」「やっぱ受けるか?」「ええ」 大森の古典が終わったようだった。教室のなかは明日から期末試験に臨む生徒たちで一杯だった。響平がやってきた。「先生、今日はどうもすいませんでした」 高橋君の高1化学の授業が始まっていた。夕方から連荘、国家試験を3か月後に控えた受験生とは誰も思うまい。高1のなかで響平に古典の授業を終えたばかりの大森が英単語ターゲット1900を眺めていた。大森もまた受験生、来年は警察官の試験が受けることになっている。 高1の良太(津高)と慎太郎(津高)が化学の授業の後でセンター対策の問題にチャレンジする。慎太郎、なんと60点を叩き出す! 高橋君、心底嬉しそうに「まいっちゃいましたよね」 11月26日 「センター数学はテレビゲームやな」との名言を吐いたのは8期生の祥宜(名古屋大学院2年)である。「だってさ、センター数学なんて理系やったらほとんどの受験生が時間さえあればできるんとちがう? 時間内に解こうとするから計算ミスがでる。そして計算ミスやったって安心する。でもさ、理系が計算ミスしたらアカンやん。イージーミスやって自分を許してしまう奴が浪人する」 この生意気な発言、至言。こと数学に関してなら祥宜は実行している。センター試験でTA・UBともに100点を叩いた。ただ、名古屋の二次で物理の答え全てに単位を書き忘れるという大チョンボをしでかしてはいるが。 計算ミスは致命的なミスである・・・今年の高3に絶対に必要な感覚がこれである。 今日も高橋君のセンター対策が午後5時から始まる。高橋君が塾に顔を出したのが午後4時30分過ぎ。ところが俺は功樹と生臭い話の真っ最中だった。 ウチの塾で浪人生活を始めた功樹だったが、7月からは一志の実家で勉強するようになった。宅浪の怖さは自己管理の欠落である。全てを自分で仕切る勉強ゆえに、自己満足の勉強に陥りやすい。好きな教科ばかり勉強してしまうとか、テンションの高い日は徹夜なんぞものともせずに勉強するが低い日ともなると自分に言い訳しながらブラブラ過ごすとかだ。7月までの功樹は毎日塾に来ていた。当然にして俺やそれ以外の者の視線に晒されていた。ゆえに反動を求めたかもしれない。自宅で勉強したいと言い出した時、宅浪の危険性についてしつこいほど説いた。講師もまた再考を促した。しかし滅多に自分の意見を主張しないいつもの功樹からは想像もできないほどに決意は固かった。 それ以後、塾へは土日にやって来ては、大西君の現代文と古典、そして森下の英作文の授業を受けていた。数学と生物と現代社会は自分でやるとのことだった。しかし講師から見れば危ぶむ声が圧倒的だった。一番心配していたのが高橋君だった。功樹とタカヤに去年数学を教えたこと、そして浪人させてしまったことへの自責の念が強く働いていたと思う。「いつでも質問を持って来いよ」という誘いも一志の田舎には届かなかったようだ。 それが2週間前に大西君と話し合い、塾への完全復帰を決めた。英語は俺、数学は・・・悩んだ。高橋君が功樹をよく知っていることで適役ではあった。しかし医師国家試験が迫っていた。塚崎で行くか・・・、そう考えていた時に高橋君が言った。「センター対策の10回勝負の試験をさせてみたいんですけど」「高3か」「それに功樹、あと高2の菊山とナオツグも混ぜたいんですよ」 「大学に行きたいという気になれないんです」「じゃあ専門学校へ行くのか」「ええ、それも考えています」 古着屋を経営するのが功樹の夢だった。「じゃあ、センターは受けへんの?」「いえ、・・・受けるつもりです」「そやったら大学に受かったる!って気分になれへんか」「・・・受かればいいなとは思うんですが・・・」「でさ、受かったら大学に行くの」「・・・そのつもりです・・・」「・・・」「こんなテンションの僕が塾にいたら皆の迷惑になると思うんです・・・」 功樹の相手を高橋君に頼み、センター対策の試験の段取りは急遽俺が担当した。功樹との話し合いは堂々巡りだった。受験生としての魂が磨耗しきっている。こうなっては塾をやめるのを引き止める気はなかった。ただ、最後にこれだけは言ってあった。「どちらにしろ決断するのはアンタや。そやけどな、今回のセンター対策の10本勝負。企画したんは高橋君や。アンタが先週から昔のように塾に復帰した時期と今回の10本勝負、時期的にクロスしてるやろ? 塚崎が12月になったらするっちゅうのを珍しく高橋君、強引に自分でやると言い張った。当然今年のガラスのジョーの高3の面々、頭のなかにあったやろ。でもな、4か月ぶりに塾に完全復帰を決めたアンタの数学の現状が一番気になってたんとちゃう? 高橋君にすりゃ、晴れてドクターになるには、アンタとタカヤが喉に刺さった骨、やり残した仕事。俺にはともかく高橋君にだけは挨拶してってくれよ。それがウチで過ごした人間としての最低限の礼儀やろ」 高橋君と功樹が話している間に5時となり、俺が担当してのラウンド2がスタート。今回は2年前の駿台のプレセンター試験(12月実施分)。しばらくして高橋君が教室に入ってきた。「功樹が一体何を考えているのか・・・僕には分かりません。受けて合格したら大学に進学する、落ちたら専門学校。でも、大学に行きたい気持ちはない・・・できれば行きたいけどって」「俺にも同じようなこと言ってたよ」「受ける以上は・・・勝負でしょ!」「俺もやっぱ同じこと言ったな。これからは受験生に勝負師としての精神を叩き込むためにマージャンでもさせようか」 俺のギャグに反応なし。「・・・でも、結局はね・・・最後に功樹、言いましたよ。やめますって・・・」 中学生の教室は試験真っ最中の生徒達でごった返していた。授業もへったくれもない。いつものように俺は質問受けに終始する。 「だけどなあ・・・」 高3の点数を眺めながら高橋君がうめいた。「なんで河合の全統じゃボロボロの点数取ってくるんでしょうね」 高3の点数は冗談や揶揄ではなく、正真正銘見事なもんだった。以下・・・。 祐輔 94点 橋本 89点 卓 84点 健太 81点 大輔 90点 花衣 76点 佳子 89点 あすか 90点 今までの模試、祐輔と橋本はともかく、他の面々はこれが理系か!と目をおおいたくなるような成績のオンパレードだった。それが以上のような点数、不可解だった。しかし今日のトップは高2の菊山、95点。そして「今日の試験で50点取れへんかったら文系へ行け!」とハッパをかけた高1の良太が72点。 「でも昨日のラウンド1の成績はひどかったよな」と俺。「いや、実はですね。あの問題は2年前の代ゼミの弟3回なんですけど、解いてみるとこれがシビアな計算力を要求する問題なんですよ。現役の平均点が37点、浪人の平均点が51点」「となると、あんな点数でも・・・」「ええ、そこそこにはいいんです」 以下にラウンド1の成績・・・。 橋本 100点 卓 77点 健太 77点 大輔 54点 花衣 79点 佳子 53点 あすか 54点 「今日の試験、高橋君は何点やったん?」 生徒に試験をするときは決まって自分も解くのがモットーだった。「僕ですか、菊山にやられちゃいましたよ。94点です」「また45分制限(実際は60分)で解いたんやろ?」「いえ・・・」 一瞬、高橋君の顔色が翳った。「60分で解きました。・・・今日の気分じゃ到底45分で解けませんよ」 悲痛な表情だった。今夜こそは禁酒宣言を破るんじゃないか、そう思った。そして俺は、今夜くらい飲まないで13期生・功樹のどこで俺がしくじったのか考えてみよう、そう一人ごちた。長い夜になるのは請け合いだった。 11月27日 明日の28日、午前10時から恵の京都女子大学の合格発表がある。今年の私立文系3人娘のラストバッターとなる。真理子はアジア太平洋立命館、晶子は関西外語に合格している。真理子は終了、晶子は本命のアジア太平洋立命館に向けて勉強を開始している。そして恵、明日は学校があるので見にはいけない。多分、学校のパソコンから大学のホームページ上での発表を見ることになる。 今夜、愛を送ったその足で京都まで走ろうかと考えていた。塾内は中学の期末試験の真っ最中、気はひけた。しかし・・・。 恵は中学入学と同時にウチの塾に入った。姉ちゃんがいたことから否応なかった。幾度となく自分の不運を嘆いたに違いない。ウチの塾で生活するということは大学入試に臨むこととほぼ同義である。恵を深夜自宅まで送っていったことは何度もある。しかし俺は冬の風景しか思い出せない。いつだって雪が降っていた。そんななかをエスティマは恐る恐る走った。恵は暗闇のなかでも鮮やかに浮かび上がる雪を眺めながらつぶやく。「私も大学に行きたいな・・・」 俺は言う。「行けるさ、勉強すれば」「行けるかな・・・私なんかでも行けるかな」 そんな恵が高校進学後もウチの塾を続けてくれた。決して勉強が得意なタイプではなかった。むしろ苦手と言ってよかった。何をするにも不器用だった。そして他の14期生ともども大学を目指した。確かに現在、勉強しなくっても入れる大学はいくつもある。しかし恵は幼児教育の仕事に就くことを夢に、勉強しなければ合格できない大学を目指した。 そんな恵の合格発表。どうしてもその一瞬を見ておきたいと思った。同時にここ数日の閉塞感を恵の合格発表で吹き飛ばしたいとも考えた。俺は京都に行くことに決めた。 深夜3時30分、日付は28日に変わっていた。久しぶりに真面目に飛ばした。久居から125km、所要時間1時間10分で京都南インターから京都市街に入った。九乗通りを左折して西大路を北上。京都府立体育館のボードが出たら左折、2つ目の信号を今度は右折。さらに2つ目の信号、馬台一条を左折。まずサンクス、そして次がローソン、すぐ向こうが妙信寺の北門。その対面にある細い路地を右折、すぐに一つ目を左折して10mほど行った左側がゴール。まさしくウナギの寝床、あの細長い敷地に車をバックで入れることを考えると気が滅入った。森下に頼もうか・・・。西大路四条、阪急西院駅を過ぎた。あと5分ほどで森下と大西君に会える。 11月28日 俺のおんぼろエスレィマは女子大生をかき分けるように進んだ。通称、”女坂”、色とりどりの服の花が咲く。右手にはファッション雑誌で紹介されそうなオシャレな店が並んでいる。左手には京都女子大学が続いている。坂の行き止まりに”1回500円”との看板のある駐車場があった。女子大の前に路駐というのも気が引ける。退屈そうなオッチャンに500円払った。 合格発表は学内掲示板に掲示されていた。森下と二人で番号を探した。恵のことを想った。今の時間だと昼休み、まだネット上での発表はされていない。不安と期待で落ち着かない・・・。もう一度探してみた。気が滅入った。パソコンの前でドキドキしながら画像に見やる恵の姿がよぎった。むやみに喉が乾いた。森下に言った、「なんか食おうや」 俺達は「本日のランチ・680円」との看板がある喫茶店に入った。ほぼ満席、女子大生で一杯だった。どれもこれもファション雑誌から抜け出てきたようなお嬢ちゃん達だった。何かをわめき散らしたい欲求にかられた。 午後8時、恵が姿を見せた。「オマエ、今日くらい休みゃいいのに・・・よく塾にやって来やがったな」と俺。「いやあ、超ヤバイっすから」と恵。 古い塾で勉強していた高橋君、恵に言った。「残念だったな」「全然気にしてませんよ。センター目指して頑張ります」「塾先、落ち込んでたぞ」「そうっすか? そんなふうには見えなかったけど」 夜になり疲れが出てベッドに横になった。時刻は0時を過ぎていた。しばしのまどろみの後、電話で起こされた。北海道の斉藤だった。一方的に12月19日に帰省し、1月9日に北海道に戻ることをまくしたてた。誕生日の前後何日やらは1万円で帰れるとか、クリスマスにいっしょに過ごす彼女はいないのかと母親に言われたとか、また塾を騒がすけど悪いなとか、1月の9日に帰るのは・・・忘れちまった。突如速射砲がやんだ。斉藤が言った、「また落としたんか、元気出せよ」 直感だけは昔から鋭かった。「オマエなんかに言われたかね〜よ」 そう言ってから、久しぶりにしゃべった気がした。時刻は午前2時、教室を見渡すと裕香と愛が勉強していた。高橋君がパソコンに日記を打ち込んでいた。いつもの風景がそこにあった。 |