れいめい塾25時2002年前半 2002年後半

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「25時」 

2002年 4月 21日号

 4月も下旬を迎え、ちったあ落ち着くんかいなと思えばそうでもなし。朝から夜、それも深夜まで塾の中は沸き立っている。常に沸点が近い状況がゆるゆると囲炉裏の周辺をたゆっている・・・。

 とりあえずは退院おめでとうである。誰も言ってくれないから俺が言っちまう。退院は4月1日。病院へのお迎えはかつてのウチの塾生、6期生の中山智博(サンケイスポーツ勤務)のお母さん。桜が丘で公文教室を開いている太陽のような性格を持つ中山先生だ。しかしこりゃ強敵! 奥さんともども3人して喫茶店に入るや、すかさず始まる。「先生、いったいいつになったら大人になるんですか! 40を過ぎたいい大人が高校生や大学生とプロレスごっこをやって骨折して入院だなんて!」 俺は平身低頭、じっと嵐が過ぎ去るのを待つ。

 高校入試は津高で9人が勝負して2人が落ちた。しかし旅の途中だ。痛痒すら感じたくない。慟哭の念を胸の中に押しやり、絶叫するしか術はない。津高に落ちたって? それがどうした!3年後が待っている。鎮魂歌はいらねえ、ジャンだ、ジャンだ、ジャンを鳴らせ!

 深夜に電話が鳴る。「大変やったそうやな」 喜びをひた隠したくぐもった声、・・・斉藤(北海道大学)。「大きなお世話だ!」「ふふふ・・・手術したそうやな。折れた骨と骨をボルトでつないだんだって?」「情報早いじゃねえか。ああ、局部麻酔で臨場感溢れるショーの開演だ!嫌になるほど気色悪かったよ」「ふふふ・・・そりゃ良かった」「あ、そうか。オマエのお母さん、三重中央だったな」「ああ、先生が大変やって言ってたぞ」「俺の話はいいだろ。オマエはどうなんだ!オマエは!」「俺が・・・」「いったい今年から何年生なんだ」「俺か・・・確か3年生やな」「卒業わい!」「退院ほどには楽じゃない・・・」

 ウチの塾で4年間、生物を教えていた岡田さんが就職した。3月下旬のお別れパーティ、IZIRINMAのステージで撮った写真をカレンダーにして渡すことに決めた。就職先は亀山にある”もずく全国シェア1位”の会社だ。最初の1年は製造部門だが2年目からは本人の希望が優先されるとか。三重大学生物資源を卒業した岡田さん、品質管理を希望している。さてさてどうなることやら・・・。

 岡田さん、昨日はわざわざ来てくれてありがとう。しかし高3の花衣とどうしてもしなくっちゃならない話があった。結局は深夜2時まで飲んでいた。すまない。岡田さんのつくった?おぼろ昆布、あれ食べたよ。ひと袋の半分、食べちまった。酒のアテなんかじゃなく、ただひたすら感動を噛みしめながら食べちまった。後で水を飲んだら腹の中で膨張したんだろう、しんどいのなんのって(笑)。今度またゆっくりと飲もうや。仕事の話を聞きたい。

 就職といやあ、紀平もまたYAMAHAに就職しやがった。元気でやってるんだろうか? あの口の悪さも毎日のように塾でたむろしていると閉口しちまうが、お隠れになっちまうと寂しい。まあまたぞろ1年前の就職試験の頃のように、グチグチと文句を垂れにブラッと姿を見せることだろう。今のうちに束の間の平穏を貪っておこうや。

 そういえば紀平と同じ学年なれど留年しちまって現在就職活動中の信藤(同志社大学工学部4回生)が頻繁に姿を見せてはウチのパソコンから希望の企業にアクセスしている。そんな信藤、ボソッと言った。「いったい面接ではどんな話をすればいいんやろ」 たまたま居合わせた甚ちゃん、「就職、うまく行ってへんのか?」「うん、学科試験は通るんやけど・・・面接で落とされまくって」「だからもっともっと自分の言いたいことをしゃべれ!って言ってきただろうが」と俺。「オマエでも落ち込んでるんか」と甚ちゃん。これに対して信藤、いつものようにゼンマイ仕掛けのオモチャの最後の硬直・・・「うん」

 そんな信藤が素っ頓狂な声を上げる。「なんや!」「先生、邦博先輩(4期生)さ。確か外資系の会社やった?」「ああ」「それで本社はドイツ?」「ああ」「それでシステムを売るような会社?」「ああ、でシェアが世界で・・」「1位?」「よく知ってるな」「・・・僕さ、23日に受ける会社、邦博先輩とこや」「バカ野郎! もっと早く言えよ、俺から邦博に頼んで会社内容のレクチャーしてもらったのに」「どうしよう・・・」「知るか!」

 ウチの講師も高齢化が進み、高橋・黒田・小田と6年生が3人。当然のごとく来春には医師国家試験を受けることになる。ウチの塾のバイトもまたこの1年のいつの時期にか離脱することになる。3人が3人、口を揃えては「今年一杯は行けます」と言ってくれてるのはありがたい。なにしろ今年の高3、理系が多く、やたら志望が高い。

 藤山大輔  東京農工大 生物

 後藤祐輔  三重大学 医学部

 別所健太  名古屋大学 工学部

 橋本敬久  帯広畜産大学 獣医学部

 古市 卓  三重大学 医学部

 石田佳子  神戸大学 医学部看護学科

 宮口あすか  名古屋大学 医学部理学療法科

 小西晶子  立命館大学 国際関係学科

 高田 恵  同志社大学 文学部

 田中真理子  立命館大学 産業社会学部

 そしてこれら高3に浪人の功樹と隆哉が加わる。志望はともに名古屋大学とか。今年、名古屋の経済に入学した古西の影響かね。

 こんな面々にサポートとして新しい講師が決まった。山岸(三重大学医学部2回生)だ。ウチの塾の講師採用の決定は飲み屋で決定するのが恒例。寄り好みしている気は毛頭ないのだが、なぜか現役で6年制の講師は皆無である。たいていが苦労して医学部に入ってきたメンバーがほとんど。酒の席でしゃべっていると、現役で6年制出身の学生に限って退屈な会話に俺のほうが気を遣っちまう。いつしか苦学?しての医学部入部組がウチの塾の大勢を占めてしまった。今年の2月から講師として手伝ってくれている中塚なんてその最たる者。名古屋大学から院に進学、しかし一念発起で26歳にして医学部に入学。彼のプロフィールを聞いたら俺がさぞや喜ぶだろうと村田君がウチの塾に誘ってきた。担当は村田君を引き継ぐ形で物理。つまりは村田君の忘れ形見? いっぽう、山岸は現役なれど宝塚北高校という公立高校出身。つまりはウチの大勢を占める公立高校の生徒の気持ちをよく分かってくれるんじゃないか?との期待大。さっそく髪型からだろう、塾内ではスーパー・サイヤ人と呼ばれている。

 村田君の医師国家試験の発表は25日。三重大でトップの成績を取った彼のことだから、広島の橋本ドクターに言わせれば「れいめい塾の講師にあるまじき振るまい」となるらしいが、合格するはずだ。志望は第一外科とのこと。陸軍以上軍隊以下と揶揄された第一外科も、最近では以前に比べてソフトになったとか。京都大学から涼やかな風が吹いてきたって?

 村田君、ヨーロッパの土産ありがとう。せっかく来てくれたのにドタバタしていてゆっくり話せなかった。土産のライターとジェノバの地図、大切にするよ。合格してから暇があれば俺がウチのご父兄で三重大の第一外科の先生を呼び出すよ。加えて君の先輩、かつてのウチの講師の田丸ドクター・北野ドクターも呼び出し、みんなでパアッと飲もや。

 山岸と中塚のニューフェイスに加え、国語担当の大西君(立命館大学研究員)も2年目を迎える。さらに5年間の留学から立命館大学国際関係学部に編入を果たした森下もいる。この二人は住む場所も同じ。立命館大学の近くに二人で金を折半して一軒屋を借りた。一人暮らしが割高につく京都ならではの工夫だ。これなら車も置けるし友達招いてドンチャン騒いでも隣を心配する必要もない。ただカラオケボックスで「静かにしてください!」と怒られるウチのメンバーなら強敵だが・・・。そして古典担当の大森(皇學館大学3回生)と生物担当の古市舞(三重大学教育学部2回生)も健在。最後に控えるは今の6年生の3人が引退したらウチの中心となるはずの塚崎(三重大学医学部4年生)。ともかくこんな布陣、国立大学並みの教官ならぬ講師の数も一助として、俺はこれからの1年を駈け抜けていくつもり。高3の10人の約束の地・・・絶対に足を踏ませる覚悟だ。

 今日21日は京都地区でのウチの塾の同窓会だ。なにしろ奥さんがまたやってくれた。またもや携帯電話が洗濯機の藻屑に消えちまった。ゆえに連絡が取れない。いろいろと手段を探しあぐね、なんとか裕美ちゃん(京都教育大学4回生)と連絡がついた。「先生! 今月号のテニス・マガジン買って!」「なんで」「わたし載ってるんやに」 裕美ちゃん一家はお父さんの転勤の都合で芸濃の家を払い大阪に移り住んだ。つまりは阪神の連勝で沸く浪速っ子、しかしまだまだ三重県なまりは抜けそうもない。

 翌日、俺は生まれて初めてテニス・マガジンとやらを買った。近代マージャンを買うより恥ずかしかった。

 日比剛(関西大学工学部3回生)には従兄弟の大輔が連絡したという。アメリカ大陸放浪の土産、数々の俺の知らない地名の地図の礼をこの機会にさせてもらおうか。

 京都といえば龍谷大学院に正知がいる。正知の実家に連絡して携帯の番号を聞こうとの試み。「あら、先生。お久しぶりです。聞きましやよ」「何をですか」「また骨折して入院したんでしょ」「・・・はあ」「それもいつものカラオケ大会のプロレスごっこでしょ?」「・・・はあ」「いつまでも若いって思ってちゃダメですよ」 平身低頭・・・電話をかけ終わった俺に最近入った小学生が叫ぶ。「先生、なんで電話に向かって謝ってるの!」「うるさい、ほっとけ!」

 正知は21日に東京から友人が来るとか・・・「めんどくさいや、そ奴も連れてこいよ」「メチャクチャやな」「いいじゃねえか、こっちだって立命館の産業社会の教授も来賓で呼んでるよ」

 松原(関西学院大学1回生)とも20日の深夜になりやっと声が聞けた。「もうウキウキで毎日を過ごしてますよ」「そりゃ良かった。じゃあ早く関西学院レポートでも書いてウチのHPに載っけろよ」「そうですね、でも大学でチャレンジしかけたんですが、まだキー操作が分からなくって」「この田舎者!」

 場所は四乗河原町の新京極一つ東筋の飲み屋「静」だ。

 去年の夏の終わり、俺とアキちゃん、そして当時高2だった佳子・晶子を連れて京都の立命館大学を見学に行った。大西君と待ち合わせ、四乗河原町の阪急百貨店裏におんぼろエスティマを止めて「静」で飲んだ。壁にはびっしりと客の落書きが書いてあった。年代ものの落書き、全共闘世代の得意のフレーズまで残っている一品だ。ウチの塾の壁もこれを前にしちゃまだまだグリーンボーイだ。そんな壁の片隅に佳子や晶子は自分の志望大学を書き込んでいた。俺もまた酔いに任せてトイレの壁に書き込んでやった。

       れいめい塾は来年、必ずここに来る

 今日21日午後5時、俺たちは四乗河原町の阪急ビル前で待ち合わせる。

 先週の日曜日は名張から入塾希望者が来た。そして明日は河芸から来るとか・・・。ウチの塾特有のジェットコースター、すでに疾走中だ。肝心の時間割もまだ決まってはいない。いろんな状況を踏まえて・・・なんて言ってるうちに迷宮の館になっちまった。とりあえず中1の基本ベースは月・水・金、中2は今まで通り火・木・土と決まった。高1は月曜宜に数学・水曜日に英語・土曜日に英語&古典となった。中3は・・・ジャンを鳴らせ、ジャンを! 約束の地が見えているだろうが! 

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