れいめい塾25時2002年前半 2002年後半

れいめい塾 発

「25時」 

2002年 3月 2日号

 深夜2時、23号から1号線に入ったあたりで大西君から電話。「先生、アキはなんとか平静を取り戻したよ。昨夜は酒を飲みに連れていってね、気分が良かったみたいで昔の恋愛話まで披露してくれてさ。今井君ていうの?アキの先輩」「ああ、立教大学の奴だろ」「そうそう、その子の下宿に泊まったよ」 そうか、今井と大西君は面識なかったっけ。「今井君も彼女が来てたらしいけど快く引き受けてくれて」「ハハハ、今井もついてへんな。で、今夜は?」「今夜は海津の下宿かな」「そうか、ありがとう」「なんのなんの、先生、あまり寝てへんやろ。気をつけてな」

 どうも助手席の古西、1号線でぶらぶら走るのを潔しとしない発言が多く蒲郡から東名高速へ入る。後ろの席では恵とあすか、何がおかしいのか終始笑い転げている。とばっちりは村瀬、ヘッドホンでもほしいところだ。健太と大輔は熟睡中。いつしか女の子たちも寝息をたて始める。孤軍奮闘は古西、しかし静岡を過ぎる頃には限界。そして俺もまた何度も身体を折り曲げながら睡魔と闘う羽目に。結局、根負けした形で足柄山ドライブインで休息を取ることに。

 午前7時、ガソリンを入れて足柄山をスタート。一挙に関東平野に駆け下りる。環状8号から市街地へ。携帯が鳴る。海津からだ。「先生、なんかやっかいなことになってきましてね」「なんや」「アキちゃんがいてないんですわ」「え!」「昨夜ね、僕が飲み会ありまして、で一人で待ってるか?と聞いたら今井の下宿へ行くって言うんですわ。で帰ってきたらいないんで、今井んとこかなと思って連絡したら今井んとこにも行ってないんです」「大変やん! どこへ行ったんやろ」「さあ・・・」「行動範囲も限られてるやろ。金もそんなに持ってへんはずや」 っすかさずアキちゃんの携帯に連絡した。無味乾燥な女性の声が響いた。

 午後9時20分、早稲田界隈に到着。前田を迎えに行き早稲田大学大隈重信銅像前でその一瞬を待つ。まずは古西・・・いったん耳から携帯を離し不審気に自分の携帯を見やりながら「落ちた」 そして村瀬。しかしこの時、俺は見知らぬ女性から声をかけられる。「すいません、写真を撮ってくれませんか」 そしてシャッター越しに初老の夫婦とお嬢ちゃんを眺める。合格したんか・・・。そして礼を言われ村瀬のほうを振り向くと「先生、やられました」

 ぶらぶらと車を走らせ西に向かっていた。中央線沿いに走りたかったがナビの大輔が道を間違いかなりの迂回を強いられる。古西と村瀬は最後尾に席を移していた。大輔の志望大学、東京農工大は武蔵小金井の閑寂な市街地のなかに建っていた。国立らしく広い敷地、しかし三重大のように整然とした雰囲気ではなく荒れるがまま、生い茂るがままに放置されていた。俺にとっては三重大より親しみやすいキャンパスだった。俺は一人でぶらぶら散策。高2はぞろぞろと修学旅行のノリ。そして古西と村瀬は後部座席で眠りこけていた。

 どうしてもアキちゃんを連れて帰ろうと思った。大西君も海津もまだ連絡は取れないようだった。そして俺も・・・。しかしアキちゃんの知っている東京は早稲田界隈か池袋周辺のはず。そして一晩を過ごす手立てといえばマンガ喫茶かコンビニか、あるいはカプセルホテル・・・。「マンガ喫茶なら600円で一晩過ごせますよ」とアキちゃん言ってたっけ。大西君は池袋のマンガ喫茶に片っ端から電話している。カプセルホテルもまた去年、東京への下見で泊まったことがあったはず。「とにもかくにも・・・」と、俺はハンドルを握りながら叫んだ。しかし反応はなかった。振り向けば全員が眠っていた。「東京まで戻らなくっちゃ!」 自分に言い聞かせるように叫んだ。やはり反応はなかった。アクセルを踏み込んだ。おんぼろエスティマがきしんだ。前方にそびえるは新宿高層ビル群・・・。

  2002年3月2日 前半の部・終了  

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