れいめい塾25時2002年前半 2002年後半

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「25時」 

2002年2月23日号

 16日、アキちゃん(久居高)が上京したのと入れ替わりに中井が東京遠征から戻って来た。挨拶そこそこに帰ろうとするのを引きとめる。「どやった、出来は?」「分かんないですよ」「明日もあるだろ」「ええ、立命館JEです。だから隆哉に今日の立命館の問題を見せてもらおうかなって」「傾向が似ているからな」「ええ、でも隆哉の奴、いなくって・・・」「あいつもな、前半戦終わって気ゆるんでるんじゃねえの。前半戦のどれか、東海でも武蔵でも立命館でも、どれか一発当てりゃ終了や。期待半分で見(けん)を決め込む気やろ。まだまだ勝負は終わっちゃいねえのにな。多分後期日程が勝負になるはず。所詮ひ弱なお坊ちゃんってな」

 中3に翌日の**塾との対抗戦に関する話をしていると、あれ!後ろに置いてあるパソコンに座り込んでいる人影・・・なんや、生徒やないやん!紀南病院の田丸先生やん。こりゃ今夜はマージャンになるんだろうな・・・メンバーは大西君がいるな、高橋君(三重大医学部5年)に連絡しなくっちゃ・・・そやな、今日試験が終了した隆哉に連絡しよう。今日くらいはあ奴が大好きなマージャンに誘ってやろう。なにしろ隆哉は明日から東海大学・武蔵大学と発表が続く。どちらに転んでも立命館後期試験を受けると言明している以上、発表の結果がどうなろうと気を抜くなよと言っとかなくっちゃ。マージャンしながら説教でも垂れよか。縄のれんで杯を傾けながら仕事の話をしながら説教する中間管理職と同じ発想か? ところが高橋君は電話に出ない。隆哉もまた電話に出ない・・・おかしいな。メンツが足らなくて困っていると甚ちゃん登場。「甚ちゃん、マージャンしよう」「なんですか!やぶから棒に・・・、長くはダメですよ。明日は父親の百か日の法要がありますからね」と言いつつ、中3の教室の片隅にマージャンする場所を慣れた様子で設営していく。大西君が驚いて言う、「先生、ここでマージャンするの」 「だって質問も受けれるし一石二鳥や」「でもね・・・」と言いよどむ大西君をさえぎるように紀南病院の田丸先生つぶやく。「昔はいつだってこんな感じでマージャンやってましたよね。みんなが勉強してて僕達がすまなさそうにマージャンしてて・・・」 田丸先生、いそいそとマージャンマットとマージャン牌を持ってくる。「そやね、俺がメンツ足らんからって田丸君に電話したら、少し遅くなるけど行きますって。どこにおるんやと思ったら、ハハハ」「あの時は北海道にいたんですよね」と点棒を配りながら田丸先生。「北海道!」と叫ぶ大西君。「ええ、確か田丸さん、学会に出席してたんですよ」と場所決めの準備をしている甚ちゃん。そしてサイコロが振られた。試合開始・・・。

 翌17日、心がざわめく一日が始まる。午前9時過ぎに昨夜から塾のベッドで二人抱き合うように眠っていたはずの直矢と松原に起こされる。優里と恵ちゃんも来ている。4人を車に乗せて津の**塾へ。

 今日は東京でウチの塾の今年最大の勝負の日だ。古西の慶応大学経済学部、そしてアキちゃんの早稲田大学第一文学部の試験。電話しようかどうか考えた。できなかった・・・ここまできたら俺にできることはない。

 F1マートでピザトーストをつくる材料を買いながら思った。今までは徹夜の高3にピザトーストをつくるのが俺の楽しみだった。F1マートの中で食パンや業務用チーズに香辛料、トマトにオニオン・サラミの場所はいつしかしっかりと俺の頭の中に入っていた。しかし今日でその必要もなくなる。塾の緊急病棟の部屋から高3がいなくなる。後期試験を受ける一部の生徒は残るだろうが、趨勢は決した。

 F1マートから塾に戻って来る途中、塾の前の信号で止まった。見なれた奴がいる・・・中井だ。中井が信号で立ち止まって笑っている。誰に笑いかけているんだろう?と思いつつ俺は中井の視線の先に目をやった。中井は前方を見ながら笑っている。反対側の信号待ちには・・・誰もいない。その先にはウチの塾の壁・・・悠々として急げ・・・があるだけ。再び中井に視線を戻す。同じだ・・・笑っている。気色悪い奴っちゃなと思いつつ車のアクセルを踏む。

 緊急病棟ではあすかチャン(津西2年)が中井と談笑中。俺は叫ぶ、「中井!なんやさっきは、ヘラヘラ笑いやがって!気色悪いぞ」「あ、先生・・・僕さ、明治合格した」「何!明治!いつ!」「いつって・・・今日や」「ホンマに?」「うん」「やった!やったやん!」「うん」と言いながら中井のヘラヘラ顔は緩みっぱなし。

 時刻は午後5時過ぎ、早稲田の試験が終わる時刻だ。突然俺の携滞電話が鳴る。アキちゃんだ!

 大西君が日程表を眺めながらつぶやく。「アキの受験日程がやっかいですね。早稲田の1発目がアキのド本命の一文(第一文学部)や。次の日の人科(人間科学)は軽く流せるけど3日目に教育・・・つまりアキの本命が頭っから来よるんです」「確かにね。こうなると明治を受けといて良かったな」「ええ、いい予行演習にはなったでしょ。でも早稲田の1発目が一文、きっついわ。アキの奴、パニックにならんだらいいんやけど」「アキちゃん、当日の何時頃に電話してくるかな」「あいつ現金やからな。出来が良ければすぐやろ。アカンかったら夜遅くやろ」

 絶叫といっていいのか、俺が初めて聞いたアキちゃんの威勢のある声だった。「先生、やりましたよ! 英語もできました、多分今まで解いてきた早稲田の問題のなかで一番出来がよかった!」「国語は?」「古典と漢文は大西さんの授業でやったとこ、完璧やと思います」「論文は?」「論文は大西先生はスゴイ!あのフォーマットがぴったりはまりました! 文章書いてて完璧すぎててが震えてきました」 異様な熱気が伝わってくる。咆哮・・・アキちゃんは何かにとりつかれたように叫んでいた。俺は鳥肌が立った・・・。「でさ、日本史は?」 しばし沈黙があった。「先生、第一文学部は英語と国語と小論文ですよ」 電話の向こうでアキちゃんの舌打ちする姿が想像できた。ボケる気はなかったのにボケを取ってしまった。俺ほど大学受験のミクロ的な知識に疎い塾の先生も珍しいだろ。これ幸いに俺はたたみかける。「アキちゃん、中井が明治大学に合格したぞ」「・・・」「あのなアキちゃん、たとえアンタが中井のことどう思っていようが古い塾、そして場所を新しい塾に移してともに勉強してきた仲間や。分かるか? ここは素直に称えるべきやで・・・」「・・・そうですね。中井、本当によかったですよね・・・」「あいつのこの3年間、シビアに言やあ、オマエの背中を眺めながら走ってきた3年間の努力が実った・・・後はオマエや。絶対に第一文学部で決めろ!」「分かってますよ。今日の出来、僕が落ちたら他の誰も受かるはずがない」「よっしゃ、すぐに大西君に電話してやれ。喜ぶぞ」     

 深夜10時、隆哉から電話が入る。「先生、アカンだわ・・・」「知ってるよ」「ハハ・・・俺、走ってるねん」「どこを」「どこか分からんけど、なんや結果聞いてさ、気狂いそうになってさ。走り出したんや」「どっち方面に」「どっちって何も分からんままでさ、ここどこや?て感じで、どうも津にいると思うんやけどさ」「迎えに行ったろか」「いやいいわ。もう歩いてるから・・・なんとか帰れる」「はよ塾に来んかい! 走ってシェイプアップしたいんやったら大学に合格してからにせえや!」「ああ、うん・・・」

 今日も今日とて授業がない。中3は勝手に頑張ってるし、中1と中2は期末試験の勉強をしている。先日俺に似合わず塾の掃除なんぞしていたら懐かしい成績表が出てきた。3年前の全県模試の成績表・・・それをコピーしてみんなに配った。その中には今年の高3の面々勢ぞろい。「今日はうれしくってさ、あんたら、ちょっとだけ俺の話に付き合ってよ」

 「今日さ、中井先輩が明治大学に合格したんや。明治大学ってもピンと来ないかもしれへんけど、なかなかいい学校や。この表見たら分かるやん、中井先輩、250点満点で84点、偏差値にすりゃ43や。各教科別に見ると英語が50点中14点で偏差値40や。国語は19点で偏差値51とってるな、社会が21点で偏差値51や。あんたらの成績に比べたら雲泥の差やな、あんたら塾の平均で170点以上、偏差値でも60以上やもん。それに比べたら悪いよ、これ。でもな、中井先輩、この3年間ずっと頑張ってきた。津東に進学して一旦ウチの塾辞めたけど、1学期の実力テストでドベから10番やって、3か月のブランクの後に塾に戻ってきた。その時にはアキちゃんが頑張ってて・・・。アキちゃんの成績あるやろ? ええっと、山本明徳、ウチの当時の中3、21名中19位やな。ひどいな、これ。こんな成績から早稲田に行きたい!ってさ。アホやな・・・、でもそんなアホみたいな夢を追いかけて高校進学後も中3と同じリズム、いやそれ以上のテンションで勉強してた。中井が塾を辞めてた3か月の間にアキちゃん、大学入試の勉強を毎日コツコツやってた。3か月ぶりに塾に戻った中井が驚いたのはアキちゃんの英語や。一挙に逆転してた。中学の時は中井、アキちゃんなんて相手にしてへんだ。自分の方が上やっていう認識があった。でも逆転してた。中学の時は自分の後ろを走ってたけど今は自分の前を走っている。中井はさっそくアキちゃんの背中を見ながら走り始めたんや。高1の夏休み開けに中井が俺に言ったよ・・・高2になったら絶対にアキを抜かしてやるって。でもな、二人とも全力疾走なんや。なかなか距離は縮まらへん。結局、現在に至るまで距離は徐々に縮んだかもしれへんけど、アキちゃんが逃げ切ったてな感じや。俺さ、この二人だけに高1の時から日本史教えたんや。高校では日本史、2年からするねん。でもこの二人、アホやから2年からやっとったら受験に間に合わへん。藤原氏だけで103名覚えやなあかんねん。覚える量がハンパやない、だから1年から教えた、それも中学の授業が終わってからさ。夜の0時まわってからやで、大変やった。あいつらも大変やったはずなんや。でも文句言わへんだ。アキちゃんには早稲田、中井には立教や明治っていう夢があったからな。今日、そんな中井の夢がかなった。本当にうれしそうなんや、中井。何言うても怒らんで、あいつ。あんたらウソやと思たら、”中井先輩、そんなに目つきが悪かったら女の子にもてませんよ”って言ってみな。今やったら”うん、そうなんさ、俺って目つき悪いねん”って言ってニコニコ笑ってるよ。本当にさ、塾をやって来て良かったってしみじみ思う時ってあるねん。今夜はそんな夜やな・・・。この成績表でも上位グループの村瀬は今もできるけど、あんまり感動ないねん、村瀬に悪いけど。確かに高校の3年間大崩れすることなく頑張ってきたことは評価したいけど、村瀬のすぐ下に岡祐臣おるやん。「25時」にも書いた、競艇の選手を目ざしてる先輩やな。そして香里先輩(高田高校から日本福祉大学へ合格)がいて隆哉がおるよな。隆哉は津西に合格してさ、私立中で失敗してるから最高の達成感に浸りながら高校生活が始まったんや。塾は辞やんかったけど手抜きの勉強で高1と高2の2年間を過ごした。その隆哉からさっき電話あって、今走っているそうや。自転車かと思たらマラソンみたいや。一番手応えがあった、受かると思った東海大学から今日通知が届いてさ、・・・落ちてたんや。隆哉が言うには、気が狂いそうになって家から飛び出したんやって。そして無我夢中で走って走って走って・・・どこを走ってるか分からんほど走って・・・。ついてへんな。敗因は英語やな、数学は熱心なんやけど英語は今イチ。コツコツ英単語を覚えていく作業が嫌いなんかな。ここ最近はよくやってたけどな、たかだか半年程度では勝負にならへん。アキちゃんや中井みたいに3年間やり続けた奴は強いけどな。土壇場になって必要に迫られてやってる。だからな、あんたらも大学に行くんやったら英語だけはコツコツやるこっちゃ。まあ、隆哉の性格はかわいいけど勉強に対する取り組み方にはムラがあった。それが敗因・・・やな。隆哉はかわいそうやけどな、でも俺は中井が合格してうれしいもん。すなおにうれしい。とくに今年の大学受験は中学でのキャリアが全くない、全然勉強ができんかったメンバーが主役を張った。見えを切った。努力した奴は報われる・・・それを証明するのが今年のウチの塾の最大のテーマやった。今日、中井が合格したことでそのテーマの一つが証明できた。うれしいな・・・。でも中井もかわいそうでさ、今年は「25時」でもアキちゃんアキちゃんのオンパレードや。もうゲップが出るほどにな。だって久居高校から早稲田や。その落差はアメリカンドリ−ムそのものの世界や。それに比べたら中井は損してる。津東から明治やもん、でもこれもすごいねん。津東から明治なんて、スポーツ推薦やったらあるやろけどな、現役が一般入試で明治大学合格なんてここ10年間おらへんやろな。たぶん津東の入学式で校長先生言うやろ・・・近年、我が高校の大学入試の実績を不安視する向きがあるが、今年も中井君が明治大学に現役で合格しました。この結果を見ても我が津東が大学入試においても日々研鑚している証であります・・・なんてね。中井先輩、担任の先生に明治と立教受けたいて言うたら、”だめだめ、あなたが受けるのはこっちよ”って言って関西圏の大学、桃山とか大阪学院とか比較的入りやすい大学の願書をドサッと手渡したんやって。明治と立教受けるって言うても成績証明書書いてくれへん。そんな中井が受かった。中井には厳しくあたってきた津東やけど、合格したら手の平を返しよる。まあ校長にはご父兄の前でええカッコさせたるわ。中井が受かった・・・ほんまうれしい。あんたらはほとんどが津か津西やろ。これで合格したとしてもさ、まだまだ旅の途中や。マラソンで言や、折り返し点をターンしたとこや。復路の3年間も頑張ってほしいな・・・。そして中井先輩が俺に与えてくれた感動、もう一度味わわせてほしいな。へへっ・・・すんませんね、勉強の邪魔してさ。まあ自分達の勉強も頑張ってな」

 11時をまわって後輩と飲んでいたはずの高橋君が姿を見せる。「中井におめでとうを言ってやろうと思いましてね」 しかし中井は家に帰ったとか。さっそく呼び出すことに・・・しかしこの時間となっても顔の筋肉が緩みっぱなしでやって来る。甚ちゃんの姿を見ると中井、「甚野先生、僕・・・」 これを甚ちゃん制して「わかってるよ中井、オマエの顔見りゃ。おめでとう」 

 大西君、東京のアキちゃんに翌日の人間科学の過去問をファックスで塾あてに送らせ、久居と東京のホテルを繋いで授業をやっている。「よっしゃアキ、いいぞ!俺が伝えたいことは全て伝えた。明日も自信を持って行け!」と叫びつつ法外な要求をぶつける。「アキ! 第一文学部はもお受かったやろ。明日の人科はいいや、明後日の教育が終わったらオマエの本命はないやん。だから教育終わったら帰ってこい。二文も社学もいらんわ。あんなんドブの中にほって帰ってこい!」 どうもアキちゃん、そんな乱暴な提案に乗りそうな勢いである。そして高橋君に代わる。「アキちゃん、第一文学部の出来よかったんやて?・・・そうかそうか、そりゃすごい。論文なんて完璧すぎて震えてきたって?なるほど・・・ほうほう、そりゃすごいな。うん・・・俺にも同じような経験があるんさ。うんうん、大学受験でね。うん、俺はさ、名古屋大学の理工を受けたんだけどさ、センターで30点も貯金できてね。怖いものなんて何もない状態なんさ。そして二次試験受けたよ。これが簡単でさ、数学は絶好調でピシッと答が出るくるし、物理なんて分かりすぎて答書いてて手が震えてくるんさ・・・うんうん、今日のアキちゃんと同じやな。でさ、合格発表見にいったよ。威風堂々でさ、合格者の番号探してても余裕綽々でさ,俺が落ちたら誰が受かるねん!なんてね。でさ、これがないんさ。どこをどう見ても自分の番号がないんさ・・・あん時は俺、何もかもが信じられなくなってさ、それからの1年間心底人間不信に陥っちゃったよ・・・うん。じゃあ、先生に代わるわ」 そして俺、「アキちゃん、大西君なかなかの提案したやん。明後日にでも帰ってくるか? 俺には早稲田の社学・二文なんていらねえ!って・・・カッコええで」「・・・先生、僕は・・・やっぱり最後まで受けて帰ります」「そうか、残念やな。じゃあ、明日の人科もなめやんと頑張りや」 アキちゃん、消え入りそうな声で「はい、頑張ります」

 この日のウチの塾は終始、アキちゃんの早稲田初参戦と中井の明治合格で狂喜乱舞。しかしアキちゃんと並んで、この1日に過去1年間の重さを賭ける古西からは連絡がなかった。心の中のどこかに巣食った不安、俺はそれを邪険に振り放った。

 二日続けて中3の教室でマージャンが始まる。メンツは大西君、高橋君、甚ちゃん、そして中井。俺は佑輔を送ってから取って返し松原(弟)と直矢と慎太郎を送る。時刻は午前2時を回っている。この中3の3人組、自分達で決めたのだろうか?ここ最近ずっと午前2時のシンデレラである。どうしても片道22kmある直矢が最後になる。車中でおそるそる尋ねる、「これで2日続きのマージャンやん。さすがに中3も頭に来てるかな?」 直矢、いつものように微笑むだけ。「でもな、明日さ、オマエの兄ちゃんの明治の発表や。これでアキちゃん合格したらまたマージャン。三連荘やで」 さすがにこれには直矢、ムッとしたようだった。

 塾にもどると高橋君の姿なし。「どないしたん」と尋ねると「中井のツキだけのリーチにバンバン当たって、ついてないや!と叫んで帰りはった」と大西君。「そんなに中井絶好調なんか?」「ふる牌ふる牌当たりませんよ、さすが今日は明治を一発当てただけあって強運。強いや! 強いですね」と甚ちゃん。「でもな、ここでツキを使たら立教落ちるで」と俺。高橋君の席に俺が座り、半荘2回目が始まった。

 18日、俺はアキちゃんのお母さんから聞いた明治大学の受験番号をインターネットで検索。しかし・・・アキちゃんの受験番号12318はない・・・。落ちた・・・。受かると踏んでいたアキちゃんが落ちた。

 アキちゃんが明治を落ちたことで、明治大学をめぐる高3の複雑な感情が交錯することになる。まず村瀬(津高)が明治をセンター利用で合格した。そして昨日、中井が乾坤一擲で合格。当然受かると思われていたアキちゃんが落ちた・・・。確かに学部は違う、しかし明治は明治だ。受かった村瀬も手放しで喜ぶはずもない。村瀬にしてみれば中井の合格はうれしいはず。ともに同じ環境のもとで勉強していきた仲間としてはうれしいはずなのだ。しかしその反面、中井なんかと同じ大学に行く気なんてさらさらないはず。ここいらに見え隠れする津高のプライド?ここは14日に中井ともども受けた立教大学の結果が気になるところだろ。受験生のこのような生臭い感覚、俺は大好きだ。しかし今日・・・アキちゃんが落ちた。

 午後5時を過ぎてもアキちゃんからは連絡がない。さすがにショックを受けたのか・・・。携滞電話から明治大学のホームページを通して合否を検索できる。多分アキちゃん昼休みにでも余裕綽々で見たことだろう。午後6時50分になりアキちゃんから連絡が入る。「先生・・・実は・・・」「明治アカンかったな」「え!知ってるんですか」「ああ、今日ネットで見たよ」「そうですか。やっぱり僕は早稲田に入る運命なんでしょうね」 このセリフには笑っちまった。ショックなんかねえや、ハナッから早稲田に受かると思ってやがる。「でもな、ここは休憩やな。前田に連絡をつけるよ。前田は立命館に3タテ食らって南山にも補欠、そして本命早稲田で合格や。ここは先人の知恵を拝借や」「本当ですか・・・実は僕も前田先輩と話してみたかったんです」 やっぱりダメージは負っているようだ。俺は前田に連絡した。運良く前田は翌年の卒論提出に備えて早稲田の図書館で資料集めの日々だという。「すまんけどアキちゃんと会ってくれるか」「わかりました、明日の試験が終わったら待ち合わせます」「助かるよ」「先生、実は今年の広告の作文、僕は書きませんから」「なんで?」「今年は自分でも自分がふがいなかった。今年は自粛して来年ピシッと決めます」

 仁志(津西)の本命・立命館法学部の発表が翌19日。立命館は全学部一斉発表で毎年のようにお祭り騒ぎだったのが、去年の倉木舞騒動で2日間に分割。仁志の法学部は19日、そしてセンター利用の文理総合インスティチュートと経済学部の発表は20日となった。俺は待ってばかりいる。クソ!待ってばかりいると精神が腐っちまう。ぞくぞくする風景を見てみたい・・・俺は立命館の合格発表を見に行くことに決めた。仁志に言うといっしょに行くという。インターネット上での発表は京都での合格発表に遅れること1時間。やはり1時間なりとも気になるようだ。今夜も午前2時に示し合わせた中3の3人組を送った。ここずっと一日100kmに迫るペースで走っている。白山の闇の中を疾走しながら思った。果たして明日、京都衣笠ではどんな光景を見ることになるのだろうか・・・。

 19日午前10時、仁志を助手席の乗せエンジンをかけた。10万km以上走っているおんぼろエスティマ、今日もなんとかもってくれ。1号線から名神に乗る。大西君は生駒の病院から抜け出して京都で合流する予定。仁志と今だから話せるシリーズで盛りあがる。前々から仁志が新しい塾にやって来た理由を知りたかった。そしてやっと聞けた。

 「僕はさ、何か人に遠慮してしまうんさ。高校1年の頃、塾を辞めてた頃にさ付き合った友人くらいかな、なんでも話せる奴って。塾の中やったら村瀬くらいかな。まあ中学も同じだったこともあるし・・・。だから村瀬がウチの塾を引っ張っていくと思ってた。村瀬は性格も温厚だし成績も良かったから。でも夏休みに古西先輩が帰ってきた。それが僕が古い塾から新しい塾に移った原因。古西先輩のことは尊敬してるけど、でも古西先輩が古い塾で生活し始めると村瀬は古西先輩の色の染まっていく。それが辛かったな。村瀬に頑張ってほしかった、古西先輩に一線を引いてほしかった。かといって新しい塾で勉強することも怖かった。古い塾なら全てが自分のペースで進む。寝たいときには寝れるしね。夜中も好きなだけ勉強できるしね。当然手も抜ける。でも新しい塾だと先生の目がある。後輩もいる。無様なところは見せられない。厳しい環境だけど、ここは自分にとって厳しい環境でやっていこうと決めたんですよ。ソフトやってて大学入試の勉強を本格的に始めたのは8月から。ソフトが終わって古い塾に帰ってきたらもう古西先輩がいた。塾の奮囲気も徐々に古西先輩の色になっていた。このままでは古い塾がすべて古西先輩の色で染められていく・・・それが怖かった。新しい塾の厳しい環境よりもそれが怖かったんです」

 京都南インターを降り、1号線に入る時に奈良方面から1号線を北上してきた大西君の赤の外車、コペルだっけ?とすれ違う。「すげえ確率やな、こんなとこで会うなんて!」と俺。「こんなことでツキを使いたくないですよ」と仁志。あとは携滞電話でやり取りしながら立命館大学と西大路を隔てたところにあるパーキングに揃って車を止めた。3人とも顔がこわばっている。大西君にとっては受験生を連れて合格発表を見に行くのは初めての経験。当然だろう。しかし俺は何回も経験しているはずなのにひざが震えてしまう。息が詰まりそうになる。どうしても慣れない。臆病なのだ。仁志はマフラーを首から鼻まですっぽり巻いて目だけで自己主張している。時刻は1時30分、今年から一斉発表は自粛され各学部ごとにそれぞれの棟で掲示板での発表となっていた。法学部の棟に入ろうとする仁志を大西君が制した。「仁志、ちょ、ちょっと待って。このタバコ吸い終わってから行こや」

 人だかりが掲示板に群がっていた。掲示板は小さい、ワープロで打たれた数字に人々の顔がへばりつく。俺と大西君は仁志の番号を知らない。俺達は仁志の目や表情の動きだけを注視していた。何度か仁志の視線が掲示板を右に左にとさまよった。一瞬頭を下げ、再び上げ、そして・・・こちらを振り返った。「残念でした、ありません。・・・落ちたようです」 大西君が仁志の手から受験票をむしり取り掲示板に視線を這わせた。何度も何度も左右を行き来し肩をおとした。俺を振りかえってつぶやいた。「やはりない・・・ですね」 俺達は皆ひと言もしゃべらずに棟を出た。大西君のベースキャンプ、文学部棟の前で佇んだ。大西君は文学部の後輩を仁志に紹介する段取りをつけていた。合格することを前提にして。普段ただでさえ悪い大西君の顔色がいっそう悪く見えた。誰も何も言わなかった。俺はタバコを取り出した。風が強い日だった。なかなか火がつかなかった。

 パーキングに向かって歩いていた。隣に平野神社があった。大西君の説明によれば桜は日本の近代国家である明治政府が意図的に作り出したもので、それまでの日本で花と言えば梅のことをさしていたとか。ところが中世の文献には稀ではあるが桜についての描写も出てくるそうで、この平野神社の桜がその稀な例だとのことだった。樹齢千年にもなる桜の横を抜けながらそんな話をした。それは立命館に向かう道でのこと。しかし帰り道は無言で桜の木をやり過ごした。沈黙を破ったのは大西君だった。「俺さ、先生の25時読んでてさ、違和感があったとこあるねん。ついてる・ついてないって奴。塾をやって17年もたってるのにさ、合格したらついてる、落ちたらついてないってさ。正直、おかしいんちゃうの!って思ってた。ごめんな。でも今日やっと分かったよ。仁志はこの半年間、普通の受験生以上に受験生やった。いつだってまじめに勉強してた。英語も、国語も、そして政治経済も・・・。あんだけやって今日落ちた。こりゃついてへん。受験は碁や将棋やない。受験はマージャンや。試験用紙が配られてる、これって配牌といっしょや。ツキもあるやろ、昨日やった問題やとか。苦手なとこ出たとか。仁志は俺が教えていてはっきり言える。よくやった、本当によく勉強したよ。でも落ちた、ついてない・・・そうなんや、ついてないんや」「ついてないとかついてるとか、受験にそんな不確定要素を入れることでヒンシュク買ってると思うけど。こんな時はやっぱり考える。できることは全てした・・・だから落ちたらついてないんだって」「そうや、本当にそうや・・・」「でもな,明日はまた明日の風が吹くはずや」「明日・・・経済とインスティチュート? 吹くかな・・・」「吹くって、仁志を信じなくっちゃ」 俺は後ろを振り返った。仁志が俺達と離れて歩いていた。マフラーは巻いたままだった。目だけがせわしげに動いていた。

  

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