れいめい塾25時2002年前半 2002年後半

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「25時」 

2002年2月17日号

 前回の「25時」は本命の慶応受験に旅立つ古西に手渡すために書いた号外めいたもの。生臭い俺の狙いを説明するなら、古西が最も思い出したくない光景をこ奴の脳裏に蘇らせてやりたかった。1年前のザラリとしたあの一瞬の血のたゆみを思い出させてやりたかった。そして何よりもこ奴の戦闘モードを最大限に引き上げたかった。ゆえに本来の時間枢軸からすれば逸脱している。再び時間を本来のものに戻す。

 村瀬がセンター試験で崩れたことから村瀬の大学入試は一挙に輝きを失ってしまう。本命は一橋大学だった。小田君から「オマエの数学では一橋どころか二橋でも落ちるな」なんぞと憎まれ口を叩かれようが、村瀬は一橋か横浜国立での勝負を目論んでいた。それが1年前に村瀬が見据えた約束の地・・・。しかし85%を計算していたセンター試験は70%ちょっとしか取れない大波乱。村瀬の弱気からか、出てきた大学が埼玉大学・・・埼玉では華がない。中井が村瀬に向かって言った。「埼玉大学なんて受けるな!」 中井の心理は分からなくもない。今までずっとこの学年のトップで君臨してきた村瀬、そんな村瀬にしょぼい勝負をしてほしくなかったんだろう。あの隆哉すらも言ったそうな、「そんなとこ受けるなよ」

 1月30日の深夜、俺は村瀬とスカイラークで明け方まで話し込んだ。講師の間では埼玉では惜しいという声が圧倒的、まあそれを受けてのおっとり刀での参戦だった。ここで分かったことだが、数学の失敗で被ったダメージが村瀬の心の奥底まで侵食しているわけではなかった。村瀬は「なるべくなら現役で」という両親の意向に添おうとしていた。村瀬の母親とは前日に話した。「息子が行きたくない大学に行かせるつもりはない」という言質を取ってあった。

 こんな風に生徒と話す時、俺はことさら励ますつもりはない。いつだってとりとめもない話をする。「25時」で書き散らす、こんな内容をだらだら話す。この日も同様だった。ただ埼玉大学にしろ、講師達が薦める横浜市立大学にしろ、その前に願書を取り寄せる必要があった。しかし肝心の願書の申し込み期限は切れていた。そんな間の抜けた状況での議論だった。俺は村瀬に言った。「もしさ、浪人してもいいとなったらオマエはどこを受けたいの」「・・・横浜市立大学を受けたいですね」「そうか、じゃあ受ければいい」「でも・・・」「お母さんとは昨日に話しあった。オマエが行きたくない大学、多分センターで一発食らったから突如出てきた大学なんて行ってほしくないそうやで」「しかし受けるにしても願書が・・・」「願書か。そうだよな、願書も取り寄せずにああでもないこうでもないと・・・。願書は今日、圭亮(早稲田大学3年)に頼んだ。明日横浜に行くことになっている」「そうですか・・・」「まあ、圭亮に頼むってことに一抹の不安があるけどな。初めて子供に買い物を頼む母親の心境やな」

 2日後、圭亮から無事宅急便で願書が届いた。これで少しだけ村瀬の受験が華やいだものとなった。     

 失敗したはずだった村瀬のセンター、なぜか明治大学のセンター利用で合格したと噂で聞いた。やはり臆病な受験生、これで少しは気が晴れ、仕切り直しになればと一人ごちた。ところが、なかなか報告しようとしない村瀬に業を煮やした大西君、言ったそうな。「オマエな、センターで明治に合格したの、先生にまだ言うてへんやろ」「ええ・・・先生の期待にそぐわない大学ですから」 この刹那、大西君は震えたそうな。先生の期待に添う大学じゃない・・・。身じろぎながら反論を試みる大西君。「・・・でもな、噂は新しい塾にまで広がってるやろ。先生、寂しそうやったで」「そうですか・・・」 寂しそうかどうかは自分では分からない。ともかくその夜、村瀬は新しい塾に報告に来た。

 2月11日、俺は村瀬を呼び出して城山のすし屋に連れていった。「まあ、明治大学に受かったんや。これはお祝いやな」 すしを食べていると村瀬の携滞が輝く。メールだ。チラリと見る村瀬の表情がほころぶ。「誰からや」「古西さんからです」 古西はその時点で第1ラウンド・中央大学法学部を受けている。「なんやって?」「英語楽勝!数学満点かもしれんって」「ったくもう!勝負をなめやがって」

 その日はアキちゃんの第1ラウンド・明治大学政治経済学部も始まっていた。アキちゃんと古西、東京駅で待ち合わせていっしょに新幹線に乗ったという。塾に戻ってきたのは古西一人。「アキちゃんはどないした」「ああ、疲れたから今日は家に帰るって」「さすがにビギナーやな。オマエは?」「俺は古い塾でさっそく勉強するさ」「そりゃ立派なこって。で、今日は絶好調だったそうだな」「ああ中央、まあね」「小田君には知らせたんか」「うん、ふふ・・・メールを打ったんや。”中央の数学満点です”って。じゃあ小田さん”敵は小物だ、安心するな”って。それで俺が”分かりました、これから大物を取りに行きます”って打ったんさ。なら小田さん、”分かればいい”って」「ハハハ、そりゃケッサクや。小田君らしいな。で、アキちゃんの出来はどうやって?」「うん、なんとかなるんじゃないかって言ってたけどな」「高校入試は始めっから受けると分かっていたデキレースやった。つまり今日がアキちゃんの正真正銘のデビュー戦や」

 14日はバレンタインデー、しかしこの時期は大学受験の最前線真っ只中、なごむ暇もねえや。ご父兄からいただいた俺の年の数ほどもある義理チョコ、いつになく背中がすすけて見える中3男子とアキちゃんにあげた。アキちゃん、異常なほどに感激して受け取る。松原(セント・ヨゼフから関西学院に合格)も姿を見せ、マッチ売りの少女よろしく中3と高3男子の間を渡り歩いてはチョコを手渡していた。

 この日、功樹(津東3年)の京都産業大学が発表。最近はインターネット上での発表も珍しくなくなった。コンピューターの部屋で隆哉と話している功樹をチラリと見やる。試験結果!声をかけた、「どうだった」「あきませんでした」 中3のご父兄と歓談中だった。功樹に慰める言葉を吐くこともなく緊急病棟に戻った。ご父兄と話しながら考えた。これで功樹はきつくなった。センターで失敗したものの大阪府立大学で勝負するらしい。ビハインド70を英語と数学の2教科400点でひっくり返す・・・並大抵のことではない。

 深夜、**塾から第1回日曜テストの成績が届いた。なんとか真歩でトップを取らせてもらった。4位には松原、9位には直矢、なんと11位に愛矢歌が入っている。**塾さんは100名以上の生徒が参加。それに対しウチの塾はわずか14名。よくやったんじゃないか。しかし津高を狙う良太・慎太郎・佑樹が低空飛行。とくに2年前に兄・佑輔の採点をした先生方の間では良太に関して「こんな国語で津高大丈夫なんやろか」との声が聞かれたという。次回での奮起が望まれる。

 中3はその学年その学年で色がある。その色をより鮮やかにするのが俺の仕事だ。去年の場合はこの2塾対抗の日曜テストでウチの塾はこてんぱんにやられた。わずかに菊山だけがヒトケタで勝負し、後は加奈子が50番発進で徐々に順位を上げていく展開。去年の主役ともいえた大森と直嗣(ともに津西2年)は実力が今イチ。ゆえに去年に限っては成績データが出る試験、たとえば全県模試などを極力避けた。中3の前半で自分の実力のなさに落胆し志望を下げることを恐れたのだ。過去の問題をしながら、点数が悪く平均点以下であっても「偏差値は55くらいやな。もう1歩や」なんぞと真っ赤な嘘をついていた。頻繁に「先輩でもオマエみたいな成績から津西に合格した奴、たくさんいるから」と励ました。実際にはそんな奴がいるはずなかった。つまりは大森と直嗣、おだてて伸びるタイプだった。こ奴らの勝負は土壇場の2塾対抗戦。この4ラウンドのために1年間タメをつくってきたのだ。マージャンで説明するなら分かりやすい。リーチ一発ツモのタイミングを計っていた。そして内申をため込んで虎視眈々と津西をにらんでいた。ところが今年の中3は違う。内申は悪いが叩き上げなのだ。とことん校外模試で勝負しながら実力を磨いていくタイプが揃っていた。勝負は度外視、とにかく1歩でも外に出て行く。その気概が勝負の趨勢を握っているはず・・・。途中経過はいらない、この4連戦でテンションを上げ、3月13日の公立入試にもつれ込む・・・これが今年、俺が描いたシナリオだった。

 松原から義援金まがいのチョコを貰ってご機嫌のアキちゃん、塾に泊まっていくという。多分塾に泊まるのもこの日が最後になるだろう。大西君も明日の昼からアキちゃんに最後の授業をしたいからと泊まることに。緊急病棟の暖房は壊れている。3人仲良く中3の教室に寝る場所を確保。俺はスラム街のベッド、大西君は緊急病棟から運び込んだベッド。そしてアキちゃん、年功序列でバスマット・・・。

 15日、真歩は付属中学の制服のまま、学校の帰りに**塾の本校を訪れテストの結果を尋ねたという。応対に出たのは学長の息子さん、付属の制服で気づいたのか「君が秋田真歩ちゃんか」「ええ」「おめでとう、君がトップだったよ。次のテストも頑張ってね」とありがたい言葉をかけていただいた。ところが真歩、これに対し「はい、次回も頑張ってトップ取ります!」 いやはや、失礼な娘で申し訳ない次第・・・。 

 アキちゃんは頭髪検査があるとかで、久しぶりに久居高校へと向かった。先月の頭髪検査をブッチしたがため先生方の怒りは頂点に達し、今日来なかったら卒業を取りやめにするとのこと。アキちゃん、普段は謙虚で丁寧な口をきくが、変なところで先生方の反応を楽しんでいるフシがある。このあたりに垣間見えるふてぶてしさが先生方のヒンシュクを買っているようだ。やっと3年前の疑問が氷解した。あの頃、400点以上叩いていたのにどうしても内申60の壁が越えられなかった。アキちゃんの先生方に対する謙虚な態度、その裏腹なにがしか相手を軽んじている態度・・・。本人は意識してないようだがこれはこれで問題。アキちゃんの大学入学後の4年間、俺がアキちゃんに施す本当の意味での教育の課題ができあがった。アキちゃんに教えてきた英語の授業以上に大切な授業・・・。

 アキちゃんが昼過ぎに戻り、大西君の最後の授業が始まった。連日連戦の大西君、この日もアキちゃんの後には隆哉が控えている。隆哉は翌日にアジア太平洋立命館、初の偏差値60台に臨む。

 授業を終えたアキちゃん、驚嘆の表情でつぶやく。「あのフォーマットならどんな問題も解けますよ。大西先生はマジシャンですよ・・・」 

 夜、アキちゃんが自分の机から東京遠征に持っていく参考書や荷物の整理をしている。今日は12時前にお母さんが迎えに来る。そして明日の朝、東京に旅立つ。いろんなことがあった・・・。アキちゃんの姿を追いながら思い出が溢れ出るのをさえぎることができない。

 この夏、アキちゃんが俺の授業を立て続けに3日休んだことがあった。「俺をなめてるんか!あの野郎」 俺の怒りに高3、奇妙な反応を示す。授業のあと、つらつらと考え、ひとつの結論にぶち当たった。アキちゃん、塾内の誰かとケンカしてるな・・・。あのアキちゃんが俺の英語の授業をスポイルするはずがない。会いたくない奴、いっしょに授業を受けたくない奴がいるんじゃないか? 犯人探しに興味はなかった。

 大西君がアキちゃんと飯を食った時に犯人の名前がポロリとこぼれた。中井・・・まさか!と思った。しかし事実だった。「先生、俺もびっくりしたよ。まさか中井がね、それもタイマンはってアキをボコボコにしたんやって。だから顔になぐられた傷なんかできて、ばれるからって先生の授業を休んだんやって」「でもなんで中井がアキちゃん殴ったんやろ」「アキにしたら中井から呼び出されて指定場所に行ったら突然不意打ち食らってボコボコにやられたらしい」「へえ! でもあの中井がそんなことするなんてな」「俺もびっくりしたわ」

 男と男、古い塾で共有する時間は途方もなく長い。ゆえにケンカする材料なんて山ほどある。無責任なようだが、永年ウチの塾は男所帯だった。ケンカは別段気にならない。文句があれば拳で勝負すればいい。しかし腑に落ちないことは多々あった。ただ、見事なことはアキちゃんがその話を大西君にばらさなければ、俺達はずっと気づかないままでいただろうってことだ。顔の傷がいえてからアキちゃんは俺の授業に出た。そこには中井もいた。同じ空間で二人は勉強していた。当然授業は毎日のようにあった。中井もアキちゃんもともに私立文系である以上、大西君の現代文か俺や黒田君の英語、そして大森の古典・・・しかし講師の誰一人としてその気配に気づかなかった。そういえば・・・いつだって並んで座っていた二人が、いつしか席を離れていた。

 アキちゃんのテンションが気にかかった。さりげなくネタを振ってはみた。「古い塾だと自分が世界で一番勉強している!なんてナルシストになっちまうバカが多い。常に自分に厳しい状況を構築できるかどうか。それができへんのやったら新しい塾に来い。俺がべったり教えるということじゃない。逆に無視するだろう。しかしカリキュラムの進行状況に関しては毎日のように尋ねるつもりだ。少なくとも急かせる状況はつくるけどな」 その後、甚ちゃんもプッシュしてくれたとかでアキちゃん、家財道具一式持って新しい塾に引っ越してきた。

 その夏が終わろうとする頃、古い塾で中井とアキちゃんのケンカ以後の冷戦をどうにかしようと高校3年主催による会議が開かれことになった。他の高3たちもまた、二人の間に横たわる険悪な空気に手こずってた。その夜、どうなることやらと俺は古い塾へと出向いた。アキちゃんが1階にいた。俺の見つけると申しわけなさそうに言った。「先生、今日は高3だけの会義ですから先生は遠慮してもらえませんか」 オブザーバーででも参加しようとの俺の目論み、頓挫した。深夜、アキちゃんから電話。「先生、さっきはすいません。一応解決しましたから・・・これからは尾を引かないようにします」 そして中井からも、「一応終わりましたから。いろいろとご迷惑をおかけしました」 古い塾は問題も多い。遊ぼうとも勉強しようとも、誰も文句を言わない。自由なのだ。そして同時に自己責任で全てが決まる。高3による完全なる自治・・・これを理想とするものの、次々と発生するリスクにも心を痛める。でも、こんな夜は高3に任せてよかったと一人酒を飲むことになる。あ奴らもいつしか大人になった。

 立命館編入試験に合格した日から森下は決してそれまで座っていた席に座ろうとしなかった。その席に代わって座ったのはアキちゃん。正面の壁には早稲田模試のパンフ・大隈講堂の写真、そして森下の立命館編入試験の合格電報が張ってあった。

 アキちゃんのテンションに陰りが見えたのは10月あたり、俺の誕生日前後だ。背中が和んでいた。当初やきもきし、そのうちになんとかなるだろうと放っておいた。ところが森下もまたアキちゃん周辺に漂うぬるい空気が気になり出したようだ。「俺はさ、編入試験が終わってからあの席に座らんかったやん」「ああ」「あの席って神聖なんや。午前9時ごろに部屋に入って席につく時に考える・・・さあ、今から勉強や! 雑念を捨てるぞ!なんてね。俺にとってはバトルフィールド(戦場?)なんや。絶対にリタイアできない。アキちゃんの存在、大きかったな。アキちゃんが部屋におる間は絶対に帰らないって自分に誓っていたからね。勉強する姿勢だけは絶対に人に負けないって」「すげえな、いつの間にか最もウチの塾ナイズされた塾生になっちまったよ」 森下は小さく笑った。高1の冬、ウチの英語の授業に嫌気が差しトンズラかましたひ弱な森下はどこにもいなかった。森下が続ける。「俺はあの席には座らない。あれは受験生の特別な席なんだ。だからアキちゃんには気概を持ってあの席に座ってほしい」

 中井とアキちゃんは以前同様に同じ空間のなかで授業を受けた。そして以前同様に何ら変わることはなかった。しかし二人の間には一切の会話はなかった。俺はそんな二人を評価していた。全くの没交渉ながら二人の関係がまわりに影響を与えることはなかったからだ。つまりビジネスライク、大人の関係へと1歩踏み出したと考えたかった。大西君が言った、「先生、二人が合格したらいっしょに飲みに連れていってやってよ」 俺は頷いた、「望むところだ」

 古い塾で勉強していた仁志(津西)が突然、「先生、こっちで勉強してもいい」と来やがった。何がしかの理由があったんだろう・・・ただ、それらしき噂が流れてこないところをみると仁志個人の問題なんだろう。今は理由を聞くのは憚られた。また仁志が合格した時の楽しみに取っておこう・・・そう思った。アキちゃんにしても高3がたった一人では気がめいることもあるだろう。これで二人、うまく意識し合いお互いのテンションを高めてくれることを願った。

 11月になると中井の調子が目に見えておかしくなった。大森(皇學館大学2年)がぶつくさ言い始めた。「中井の奴、まったく古典単語を覚えていない」 俺もまた思い当たることがあった。高1に教えてやれと指示した個所が全然説明できなかった。大西君も不思議そうに言った。「中井の奴、夏休みまではよかったんですけどね、上昇カーブを描いてた。でも最近はダメですね、夏からこっち動きが止まってる」 3人の発言のベクトルは同方向を指していた。古い塾から「悪くて明治、立教。今の調子じゃ早稲田まで」なんぞと中井が威勢のいいセリフを吐いたと伝え聞いた時、俺は電話越しに中井に怒鳴りまくった。「今のままじゃ、早稲田なんて夢にすらならねえ、明治や立教?受かるはずねえだろ。大西君も大森も、そして俺も、ついでに言や、デンちゃんもオマエの限界良くて明治。しかしその明治もこのままじゃ到底無理! 古い塾でぬくぬくと自分の手抜きを棚に上げ、大言壮語ふくだけふいても状況は何ら変わらねえよ。今のままじゃ良くて法成。いつまでも夢みたいなこと言ってないでベタな、オマエの真の実力に見合ったすべり止めを受けろ! とりあえず今度の古典のテスト、悪かったら即刻新しい塾に引っ越してこい!」

 結局、古典単語、300くらいのテストをミス2にして新しい塾への降格は回避されたはずだったが、なぜか中井、自ら新しい塾の1階に引っ越してきた。それまで高3で唯一、1階で勉強していた隆哉が3階のコンピューターの部屋に移ることになった。これで古い塾で生活する高3は村瀬と功樹、女の子二人組の松原と香里、そして浪人の古西。5人だけとなった。

 アキちゃんには弟と妹・・・直矢と愛がいる。やっかいなことに二人ともウチの塾に通っている。さらにやっかいなことにアキちゃんの中学の頃より遥かによくできる。このネタをふるとアキちゃん、「僕も小学校の頃はよくできたんですけどね。あいつらは中1からウチの塾にいるから・・・」と防戦一方。

 直矢の話だ。直矢は中1の頃、それほど勉強にのめり込んでいなかった。塾に来るのも親が行けというから・・・なんてノリだった。数学には光るものがあった、つまりはこだわりめいたもの。しかし社会や国語となるとやる気のなさが顔に出た。たまに直矢を白山の家に送ることがあると、俺は直矢の勉強のことに触れずにアキちゃんの話をした。アキちゃんが内申が足りずに泣く泣く津東を断念、イカサマの久居高校デキレースの合格発表へと至る流れを微に入り細に入り話した。だからと言って「兄ちゃんみたいにならないように勉強しろよ」なんて臭いセリフは吐かなかった。ひたすらにモノローグの世界へ誘った。兄貴が辿ってきた軌跡、楽しみを追求して日々を暮らす当世風の高校生達、それに背を向けてひたすらに早稲田を目指すアキちゃんの砂を噛むような日々、さらに早稲田大学現役合格というアキちゃんの夢にほだされ夢の片棒を担いでいるウチの塾の面々、毎日のように往復44kmを送り迎えする両親。俺はいつだって直矢にアキちゃんを取り巻く状況を、モノローグバージョン「25時」で話してきた。結局、現在にいたるまで俺が直矢に試みた進路指導はそれだけだった。

 直矢は中3となり、志望高校を津高と書いた。そして夏休み開けの三進連で白山中1位。しかしMスコアはまだまだだった。俺は1位ではないものの西校中2位の古西のかつての三進連の成績表を直矢に渡して言った。「1位じゃねえけどな、津高ならMスコアでこれくらいないと勝負できへんで」 直矢は古西の成績表を机に張りつけた。そして2学期の校内実力テストで学年1位になった。夏休み開けの三進連の30人ほどの1位ではなく、今回は200名からの中での1位だった。午前2時を過ぎても直矢は一人で突っ張っていた。背中がヒリヒリしていた。あの悪口雑言命の紀平が言った・・・オマエだけがウチの生徒やな。

 直矢とは反対にアキちゃんの背中は相も変わらず和んだままだった。原因を考える日々が続いた。夏休み開けの全国統一模試では久居高校で偏差値90以上を叩いていた。そして津西にスライドさせた順位で30位あたり、津高なら50位あたり。確かに三重県全県模試偏差値40からよくもここまでやって来た!と誉めてやりたかった。その刹那、俺の心に浮かんだ疑念・・・もしかしたらアキちゃんもまた自分をよくやったと誉めてやりたいんじゃないか・・・。この3年間の自分の努力を誉めてやりたい・・・そんな自分に対する満足感が早稲田まで今一歩のところまで迫りながら足踏みしてるんじゃないか? しかしアキちゃんが再びテンションを上げてくれることを願いながら新しい年を迎えた。そしていやらしいプレッシャーをかけることになる。「今年の年賀状は山本明徳が早稲田に合格したら出します」 俺はホームページに、「25時」にそう宣言した。しかし・・・アキちゃんには何ら変わるところがなかった。このままじゃ落ちる・・・俺の確信がいつしか大西君、そして森下へと伝染していった。

 起死回生の一発!とばかりにアキちゃんを殴ったのはセンター試験直前の頃。中井と二人、冬休みからカリキュラムを組んでやってきた日本史一問一答、アキちゃんの課題がいつしか滞るようになった。何度目かの夜、期日に遅れても中井にすまなさそうには見えないアキちゃんに突如切れた。有無を言わさず殴った。イスが飛び、机が倒れた。殴る以上は本気で殴る。子供達は大人のウソを見事に見抜く。俺はどんな時にでも本気で子供と接してきた。本気で殴りつけたアキちゃんの口から血が流れ出ていた。そしてそんな修羅場に居合わせた小西(三重6年制5年)の身体は恐怖で凍りついていた。俺にどつかれ、「オノレはどないしたらテンション上げれるねん! きばって答えんかい!」と責めたてられ、ついにアキちゃん、血がにじむ唇から絞り出すように言葉を吐いた。「中井を3階に上げてください」 それまでは中井の3階緊急病棟入り、アキちゃん断固として拒絶していた。中井に対する憎しみは今でも色濃く残っていた。そんなアキちゃんの苦渋に満ちた決断・・・それにかけるしかなかった。

 あの夜をもって受験生・山本明徳に対し、俺が教えることは全て終わった気がする。つまりはサイは投げられたってわけだ・・・そう一人ごちていると隆哉が満面の笑みでやって来た。「先生、じゃあ行ってくる」 隆哉は翌16日に立命館大学JE日程を受ける。「なんや、その嬉しそうな顔は! そんなに塾に来なくていいのが嬉しいんかい」「そんなことは・・・」「がんばれよ」「うん」 勇躍、隆哉は出ていった。少ししてアキちゃんと大西君、大笑いでやって来た。「先生、隆哉もう行った?」「ああ」「これ見てやってよ」と大西君が一枚の紙を手渡した。それは隆哉の立命館JEの受験票だった。「あの野郎!」 アキちゃんが笑いながら言った。「先生、僕は明日隆哉といっしょに名古屋まで行きますから。電車のなかで渡しますよ」 「いい!いい!渡さんでいい! あんなバカに渡す必要なんてねえよ」

 そして午前0時前、アキちゃんは大きなバッグを抱えあげた。「どうも・・・じゃあ、先生、大西先生行ってきます」「アキ!頑張れよ」と大西君。俺は手を挙げた、ただそれだけだった。大西君と俺だけが緊急病棟に残った。「先生、やっと終わったね・・・」「ああ、終わった・・・」

 結局、中井は一切のすべり止めを受けなかった。前面戦争ごっこだ! 明治大学3学部に立教大学3学部、そして立命館大学2学部を受験。高校の担任が呆れ果ててつぶやいたという・・・「中井君、浪人するのね」 アキちゃんの受験大学は明治大学1学部と早稲田大学5学部。高校の担任が何と言ったのか・・・俺は聞くのを忘れていたのに気がついた。東京から帰ってきたら聞いてやろう。 

 16日、山本明徳ことアキちゃん、午前7時過ぎに榊原温泉口のプラットホームに参考書がいっぱい詰まったバッグを下ろした。津東から久居高校への苦渋に満ちた方針変更。あれからいつしか3年がたっていた。3年前、自分の意志で定めた約束の地・・・早稲田大学。明日17日から早稲田大学入試5連戦(第一文学部・第二文学部・人間科学・社会学部・教育学部)に臨む。正真正銘!待ったなし・・・3年間待ち望んできた勝負が始まった。

   

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