れいめい塾25時2002年前半 2002年後半

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「25時」 

2002年2月11日号

 「アキはアキでもえらい違いやな・・・」と事あるごとにつぶかれるのが私の家での親子の会話だと、大市明希は言った。確かにこの「25時」で頻繁(ひんぱん)に登場してくるアキちゃんは山本明徳(久居高3年)の愛称。そして明希のほうは中3の女の子。明希とアキちゃんとの共通項・・・受験生ということくらいか。

 明希は勉強が苦手だ。なかなか覚えられない、塾に遅くまでいるものの目立った効果が出てこない。両親にしても歯がゆいだろうし、俺にとってもショウちゃん以来の久しぶりの強敵。彼女がウチの塾に入って来たのが中1の後半、それ以降の俺の彼女に対するスタンスは実力をつけることは二の次、とにかく内申を上げることに終始してきた。しかしその内申も40後半で足踏みが続く。志望は久居高校、たまたまアキちゃんの学校。そしてショウちゃんの高校でもある。進路相談では首尾一貫して久居高校の推薦を希望するものの、担任からは色よい返事はなかった。「とうてい無理ですね。どうしても推薦をしてほしいということなら推薦しますが・・・」

 俺の久居高校に関するイメージはファジーであるということ。たぶん俺が持った生徒の中で最も内申がなかったのがショウちゃん(現在久居高校3年)かな。見事に内申がなかった。それこそ明希の半分くらいだった。しかしショウちゃん、性格がいい。学校は休まないし、クラブも熱心。しかし勉強が苦手・・・ここで中学の先生、久居高校へ強力なプッシュ。じきじき出かけていってショウちゃんの人となりを熱っぽく話したらしい。そこで出た条件が「ゴルフかレスリングいずれかのクラブに入部したら合格」とのお墨付きを頂いた。結局ショウちゃん、ゴルフ部に入ることを決め合格した。さて明希の性格である。とにかく明るい、それだけは太鼓判を押せた。それでいて女の子にありがちな感情的な発言は少ない。ここ最近ウチの塾は男子より女子のほうが多い。中3も例外ではない。加えて自由時間が滅法多い塾でもある。教えても教えられてもかまわない。授業は何時から何時までで、後は顔を合わさないという塾ではない。居場所として存在している塾である。極端に言えば母親や父親と過ごす時間よりも塾で友人とともに過ごす時間のほうが遥に多い。当然にして生徒間でのトラブルの発生率も異常に多い。それをいかにクリアしていくか?という問題も重要な勉強であると俺は思っている。今年の中3もまたその可能性が垣間見られた。しかし明希はどちらの肩を持つことなく熱くない議論をすることができる女の子だった。俺がクラブの顧問なら副キャプテンに任命してただろう。

 40後半を低迷していた明希の教科内申は中3の2学期、突如として上がった。久居高校推薦に必要な(勝手に推測しているだけだが)54だった。こんな時、俺は中学の先生とキャッチボールをしている気分になる。仕事が終わりスラム街のベッドに横たわりながら、通知表に書かれたコメントをなぞる。何度もなぞる。担任からその生徒に投げかけられたボールの球種をなんとか見極めようとする。愛されているのか?嫌われているのか? ずっと明希には教科内申を54にしてくれと言ってきた。どうしてもそれだけないと勝負できなかった。去年、俺は清香を51で落としている。清香には不利も点もあった。2年前の久居高校の粛清、暴力団がらみで何人かが強制退学に追いこまれた事件、その主要なメンバーが久居中出身の推薦合格者だった。去年、久居中からの推薦はほとんど落ちた。清香と明希を比べると実力的には早香のほうが数段上。しかしおとなしそうに見える早香とは反対に明希は生命力溢れた明るさがあった。そして彼女の武器はそれしか見当たらなかった。

 俺は就職試験での面接の話を聞くのが大好きだ。就職試験に合格した奴には、それまでの風向きが変わった!という一瞬が必ずある。そんな一瞬を聞くのが大好きなのだ。

 ショウちゃんの姉ちゃんの話だ。勉強は今イチだったらしいが頑張りやさんだったそうな。ちなみにウチの塾には在籍していない。鈴鹿高校から実践的な幼児教育で知られる一宮女子短期大学に進学。しかし土地柄、愛知県内での就職には強いが三重県ともなると本人の努力で探すしかない。嬉野で募集が若干名あり応募した。その難関を攻略できたのは彼女が趣味の欄に作詞作曲と書いたことがきっかけだった。面接担当者は読書や音楽観賞に飽きてたんだろう、彼女に質問した。「じゃあ、ここで自分の自信作を歌ってください」 彼女はアカペラで歌った。これが受けた。全員が拍手をしてくれ、それ以後の質問はそれまでとは一変、ぐっと打ち解けた奮囲気、優しさに溢れるような質問が続いた。

 内申は54になっても推薦入試に関する担任の意見は冷ややかなままだった。しかし少なくとも担任以外の中学の内部に、彼女を久居高校へ行かせてやりたいという息遣いが伝わっていた。試験の点数も良くはなかった。それが54に・・・必然性のない上昇。明希の希望をかなえてやろうとの声なき声・・・それが54の通知表だった。俺の仕事は中学の先生たちから投げ返されたボールを久居高校に返すだけ。つまりは俺はセッター、完璧なトスを上げて最後に決めるのは明希、明希のアタックに期待するしかなかった・・・。

 年末、俺は明希に宿題を出した。ショウちゃんの姉ちゃんの逸話がヒントだった。将来、自分が教える子供たちのために曲をつくること・・・。内申もボーダー、ここはインパクトの強い何かが必要だった。お母さんが言う、「ここ最近、まあ勉強もあってピアノを弾くことなんてなかったんですけどね、なんや突然ね、ピアノ弾き始めて・・・でも言ってましたよ。曲はできるんやけど、作詞ができないって。あれって、やっぱり国語の成績が悪いからでしょうかね」

 明希は吹奏楽部に所属し、ユーホニューム(チューバの小さい奴だそうだ)を担当していた。勉強が苦手なことから塾内では今イチ目立たない存在だった明希にみんなの注目が集まったのは中2の時の国語の文法の授業。助動詞を節をつけて歌にしてくれと女の子たちに頼んだ。これに乗ったのが明希と純菜、ゲゲゲの鬼太郎の替え歌で見事な助動詞の歌を作ってくれた。以下に・・・。

 せる・させる・れる・られる(ゲ・ゲ・ゲゲゲのゲ)ない・う・よう・まい・む(今日は墓場で運動会)・ます・た・だ・そうだ(楽しいな)・たい・たがる(楽しいな)・まい・らしい・そうだ(お化けに学校も)・ようだ・こと・ので・とき(試験もなんにもない)・・・・ば!

 この歌はふりつけ込みで明希と純菜によって披露された。絶品だった。あれから1年がたつ。作詞ができないと嘆いている明希を眺めながら、メチャ受けした替え歌を思い出した。俺は明希に言った。「去年の助動詞の替え歌でいこうや」

 1月30日の推薦試験前夜、明希の模擬面接を高2の恵(高田2年)と佳子(津西2年)に頼んだ。コンピューターの部屋でウチの塾で最もよく笑う3人娘がドンチャカやりだした。教室では中3が高田高校の過去問を解いていた。その喧騒、少々気にはなった。中3には事情を説明した。「推薦試験なんてお祭りだ。気分よく勝負してもらわなくっちゃ、多少騒がしいが許してくれ。明希は絶対明日で決めたい」

 3人の笑える女たちの解散後は大西君の前で替え歌の披露。大西君、大爆笑で「すごいよ、明希ちゃん!絶対にこれ歌ったら合格間違いなしや」 

 推薦試験で明希は替え歌を歌うチャンスをうかがっていた。作詞作曲が趣味であるということが話題になった時、すかさず「実は助動詞の替え歌を作ったんですが聞いてください」とまで勝負した。しかし審査員の「今日のところは集団面接ということで時間がありませんから・・・」と言われて水泡に帰す。

 お母さんが言う。「でもね、先生。明希は助動詞の替え歌を歌わせてもらえなかったんですが、面接で替え歌を歌えたら絶対に合格や!って塾のみなさんに言われたとかで、絶対に歌う状況に持ってってみせるって・・・。数日前なら緊張するでしょ?でも、あの子ったら全然なんですよ。なんとか替え歌を歌う展開にしなくっちゃ・・・なんて言っては、そのことばかり考えて緊張する暇なんてなかったんですよ。それも良かったかなと」

 ともかく明希の推薦試験は終わった。本人にたずねてもやれるだけのことはやったと満足げだった。

 6日の合格発表。昼過ぎからやきもきするものの明希からの連絡はない。推薦に落ちて私立勝負になると明希にはきつすぎる。鈴鹿1類ならなんとか合格するだろうが鈴鹿では遠すぎる。そして高田ともなると高すぎるハードル。ここは絶対に久居高校で決めたかった。午後6時になり純菜が姿を見せた。「先生、明希ちゃん合格したって」 俺はイスからころがり落ちた。「やった!」 思わず手を挙げた。万歳のつもりだった。

 7日、高田高校の合格発表。一志中と久居中では悪しき伝統とも言える発表が続く。生徒に合否を伝えるのはいいが、生徒を全員廊下に出し、担任は一人教室内で待つ。生徒一人一人が前のドアから教室に入っていき合否を聞き、そして後ろのドアから出てくる。これだと出てきた生徒の態度でひと目で当落が分かっちまう。合格した生徒は感情を押さえたつもりでも笑顔で出てくるだろうし、落ちた生徒は・・・。なんでこんな発表を毎年毎年祐繰り返すのかと俺は頭をひねる。風呂に入らないことを下品とは呼ばない。上のような行為こそ俺は下品であると断罪する。

 岡祐臣が姿を見せた。去年の夏の甲子園大会の三重県地区予選で準決勝まで勝ち進んだ津西の野球部キャプテンだ。「どないしたん?」「先生も聞いていると思うけど、僕さ、競艇の選手になろうと思ってさ」 その話は隆哉から聞いてはいた。聞いた時は突拍子もない話だと思ったがよくよく考えてみると案外といい選択だと思い当たった。祐臣はタッパはないが基礎体力は並外れている。腕っ節は強靭、3年前のケーキ投げ大会では祐臣にピンフォールされ俺はタップした。「ああ、聞いてるよ。しかし・・・お母さん納得させるん大変やったやろ?」「うん・・・」 祐臣苦笑、やっぱり青天の霹靂。家庭でも何度か話し合いが持たれたことだろう。「野球が終わってさ、一応は大学受験の勉強を始めたんやけどさ。あかんねん、集中できへんねん。実は高2の時も一度すごく競艇選手に憧れたことあったんやけど、その時はまずは野球と諦めた。でも野球から解放されると再び競艇選手になる夢が頭から離れへんねん」「俺はいいと思うけどな。でさ、また大学に行きたいと思えばその時に勉強すればいいさ」 祐臣の用件は高校受験用の参考書を貸してほしいとのこと。競艇選手の試験を受けるにあたって筆記試験があり、その範囲は中学履修範囲だという。「歴史なんて高校受験以降、全然やから」「なんでも持ってけや」 俺達二人は中3の教室に入っていった。「この奮囲気、なんか懐かしいな」「今日は大変だよ・・・高田の発表や」「高田・・・あ!」「そうそう、オマエ覚えてる。あの日のこと」「うん、2類に落ちて塾に来て・・・」「俺と話したよな」 

 祐臣は絶好調で私立受験に臨んだ。しかしなぜか高田2類に落ちた。全県模試でも偏差値は70前後、高田の過去問でも85%は叩いていた。しかし落ちた。本人にも思い当たるふしはなかった。その時の祐臣は自分を納得させることができずイライラしていた。今にも泣きそうだった。「別にいいだろ、高田なんて」「そやけど、何度も見直したのに。絶対に合格してるはずなんや」「じゃあ、オマエは合格してたんや」「でも2類に落ちた」「そうや、落ちた。だからついてないんだ」「・・・ついてないって・・・」「どうだっていい」「でもおかしい」「ああ、おかしいよ。オマエが落ちるなんて思わなかったよ」「じゃあ、どうすればいいの」「ついてないなって思えばいい。ツキの神様は不公平だよ」「神様って・・・」「ツキの神様をバカにできない。ツキの神様を無視すりゃマージャンに勝てない」

 中3の静謐な背中を眺めながら祐臣はつぶやいた。「あの頃は、どうしてあんなに勉強できたんだろう。ハンパじゃなかった」「勝負師をバカにしてはいけない。中3であろうと高3であろうと、勝負師には変わりない。相手をなめると痛い目に合う。オマエもよく知ってる勝負の鉄則だろ」「試験は5月なんや。終わったらまた塾に来ていい」「大歓迎だ」

 ウチの13期生、岡祐臣のフィールドを代えての勝負が始まった。

 大西君、今日から近畿大学付属病院へ検査入院の予定だったが塾に姿を現す。「先生、入院は25日以降に延期したよ」「ええんかいな」「今は前線離脱なんてできへん。仁志も本命の立命館直前やし、アキの古典もあるし、隆哉も明日には戻ってくるし・・・」 ここんところ大西君の授業は毎日10時間を越える。なにしろ一人一人志望大学が違うから傾向も違う。ゆえにマンツーマンで一人一人片付けていく全面戦争ごっこ。高1と高2の現代文の授業はしばらく中止。「あかんねん先生。俺って高3が気になって他の授業できへん。とにかく25日、村瀬の25日が終わるまで高1と高2の授業待ってもうてや」

 大西君はまさしく俺にとっての島左近。石田光成に過ぎたるもの二つ、佐和山の城と島左近・・・あの島左近だ。エンジン全開の大西君、中3の国語の授業にまで戦線拡大。ベトナムの原野が広がる・・・。

 翌8日、三重高と鈴鹿の発表。ちなみに南のほうでは皇學館の発表もあったそうで、この4月からウチに密航予定の倉田山中学学年1位のお嬢チャン、当然のごとく合格したとか。大西君はこの日、東京での東海大学と武蔵大学の受験を追えて三重に戻って来る予定の隆哉を待っていた。俺は隆哉の携滞に電話、「今どこや!」「新幹線のなか・・・満員で」「質問に正確に答えろ!今どこや!」「新横浜」「新横!バカ野郎、今まで何してた!」「全然普通に・・・」「早く帰って来い!大西君がオマエの国語の出来を気にして待ってるぞ!」 俺は私立高校入試で今イチさえなかった香とランデブー、IZIRINNMAでバカな話をしては慰めている。塾に戻ると隆哉が大きなバッグから参考書を取り出しているところ。「大西君は?」「なんや、携滞に連絡が入って緊急の用があるとかで帰っていったみたい」「緊急って、なんやろ」 足を忍ばせ家に帰ろうとする隆哉の背中に俺は言った。「こら!帰っても家にオマエの場所なんかねえよ。諦めて英単語やれよ!」「いや、俺もそのつもりで・・・ハハハ」 隆哉は決まり悪そうに机に戻った。

 9日、大西君が昼過ぎに姿を見せて嘆息。「先生、まいったわ」「そういや昨日、何かあったん?」「皇學館のお嬢ちゃんさ。あの子の家じゃ合格祝いやって親族も集まってドンチャン騒ぎ。そやのにお嬢ちゃん、皇學館に行かへんて」「なんで?」「なんや、いっつもノートを貸したり勉強を教えたりしてた友達いたんやって。その子も皇學館の推薦受けてさ合格したんや」「なるほどね、私の今までの努力を返せ!シリーズってか」「そうそう、今まで必死になって勉強してきたのにあんな子が受かったん許せへんって母親と大喧嘩や。母親は根っからの伊勢っ子や。やっぱり皇學館って特別な思い入れあるらしいわ。先生、どない思う?」「そりゃ担任がアカンわ。だいたいが倉田山中の学年トップや。そんな生徒、なんで皇學館の推薦にするか分からん。鳥羽の塾(爽風塾)の先生の話じゃ当日の試験150点満点で自己採点50点クラスが合格してるらしい」「そんなに皇學館って壊れてるの」「小子化の影響ももあるんやろけどな。高田も三重も今年はメチャ甘や。なんでもありや、泣きタンで合格。お嬢ちゃん、見事な手でテンパッてリーチしたけどな。みんなドラをチーして泣きタンで和りよった」「でさ、あんまりお嬢ちゃんが皇學館行くのやめるって言うからさ。母親も怒って、そんなに言うんやったら伊勢の国際でも受けてみろ!って。娘も負けてへん、売り言葉に買い言葉や。今からでもウチの塾で勉強して伊勢の国際に行ったるって」「俺はさ、皇學館だって伊勢だってどっちでもいいよ。教える以上は高校は関係ないさ。どこの高校だろうとやる奴は伸びる」

 この日も大西君のパンクラチオンロードが続く。隆哉が戦列に復帰。仁志が琵琶湖湖畔での立命館入試に旅立つ。そしてアキちゃんも深夜バスで明治大学入試に東京へと向かう。昼過ぎから仁志、次は隆哉、そしてアキちゃん・・・。慶応大学の小論文対策の授業が後回しにされた古西が怒りまくって新しい塾へとやって来る。さらには村瀬の横浜市立大学の国語もある。大西君はさらにアクセルを踏む。バーストしなければいいが・・・。

 4期生の辻本から電話。「先生、今日はプロレスやに」 思い出した! 今夜は津のウイングメッセでノア(三沢が全日本から独立した団体)のプロレスがあったっけ。俺は中3に言った。「ごめんな、おまえさんたちが大変な時なのに塾の先生はプロレス見に行ってくるよ。実はさ、先輩でさ、勉強できへんだけどすごいかわいい奴おるんよ、男やけど。子供が大好きでさ、俺の双子の娘たちが産まれた時も俺より頻繁に病院に来てくれてさ、かわいいかわいいって言うんさ。俺なんか自分の娘どう見ても猿みたいやのにさ。かわいいかわいいや。聖ちゃんって奴が、去年子供できたんやけどいっしょや。かわいいかわいいって病院に行くんさ。でさ、こいつも子供できたって聞いた。ホンマうれしそうやった。でもな、流産したんやな。奥さんの身体の中で亡くなったんや。落ち込んでさ・・・年賀状はいらへんて手紙もろたわ。この正月もダメージ続いてたんかな、塾に姿見せへんだ。そ奴がさ、先週電話してきてさ、”先生、プロレス見に行かへん”って言うねん。ああ元気になったんかなって・・・。あんたらも大切やけど辻本も大切なんや。まあ今、自分が何をするべきかって分かってるやろ。それをやってくれや。それとな、卓矢が高田高校アカンかったけど、卓矢と話してたら言うねん。”山本先輩(アキちゃん)と同じように生きたい。久居高校へ行って大学を目指したいって” でもな、これはおかしい。アキちゃんと同じように高校受験でかなわなかった夢を大学受験でかなえたいっておかしい。高校はどこだっていいんや。ちなみにアキちゃんの全県模試の英語の偏差値42や。卓矢や明希とあまり変わらんな。アキちゃんは津東に行きたかったけど内申がないんで泣く泣く久居高校へ進学した。でもな、別に久居高校でなくっても久居農林でも白山高校でも、アキちゃんがやる気さえあれば俺は早稲田を狙ってたよ。高校はどこだっていい。本人にその気さえあればな。だから久居高校へ入ってアキちゃんのように・・・ってのが気に入らんな。関係ないんや。ただ「25時」で描写してきたアキちゃんの早稲田を目指す真摯な姿勢が後輩に多大なる影響を与えたことはうれしいね。また明希にしても「25時」での高田恵の話に感動してくれた。”私も大学に行けるかな”って言ってたな。これもうれしい。徹夜の連続で、なにしろ大西君、話するの大好きやからな。俺と話しながらストレスを回避してる感じや。そんで毎日のように二人で明け方までしゃべってる。それから俺は「25時」のワープロで叩いていく。しんどい作業や、下手なくせに書きたい。今のウチの塾を書いておきたい。塾の先生が生徒に影響を与えるなんて傲慢なんや。ウチの塾にあっては先輩の背中こそが後輩にパッションを伝えていく。俺なんて無力よ、でさ無力な塾の先生は今夜は辻本先輩とランデブーや。すんまへんな。最後に・・・明日から**さんとの4ラウンドが始まる。ええか、塾の業界もお互いをけなしあって存在してる。そんななかで**の学長は快く俺の提案をひき受けてくれた。明日から毎週日曜日は**さんの生徒さんと同じ試験を受けて勝負する。どっちが勝った負けたやないで。学長も俺もみんなが自分が心底行きたい公立高校に合格することを願っている。そんな二人の願いから2つの塾の生徒たちが同じ会場で、同じ試験で競うというヒリヒリするような環境を作り出したんや。俺よりも学長がすごい。器が大きいねん。ええか、明日から自分のありったけをぶつける勝負が始まる。その4ラウンドの後にあんたらの約束の地が眼前に広がってるはずなんや」 教室のドアを開けて辻本が入ってきた。「じゃあ、明日は頑張ってや。あたしゃプロレス見に行ってくるよ」

 この日の午後10時、アキちゃんは三重会館前から深夜バスに乗り込んだ。仁志は同時刻、滋賀県草津市の兄貴の下宿に入って明日からの本命2連戦を睨んでいる。中3は翌日から4週間にわたって開催されるバトルに備えて勉強している。そして俺は古希を迎えたラッシャー木村のマイクパフォーマンスを聞いていた。「津のみなさん、こんばんわ。暦のうえでは春になったとは言え、まだまだ寒い日が続きます。どうぞみなさん、お身体に気をつけて」 試合では相手のレスラーも慈愛と尊敬の念を持ってラッシャー木村と対峙していた。あんな風に年をとっていきたい・・・頼りないほどに細くなっちまった脚と腕、薄くなった胸、骨が浮き出たラッシャー木村の背中を見やりながら俺は一人ごちた。

 この「25時」、日時は2月11日だが推敲せずアップした。徐々に書き直していこうと思っていたが多忙ゆえに遅れてしまった。そんな折にメールが入った。ショウちゃんの姉ちゃんからだ。この「25時」で登場した、面接でアカペラで歌った幼稚園の先生。俺がお母さんから聞いていた話に多少誤りがあり、その訂正を指摘するメールだった。そして最後に明希に対してメッセージが添えられていた。

 「明希ちゃんも幼稚園教諭、保育士志望なのでしょうか? がんばってね、と伝えてください」

 ありがたかった。ホームページを通してウチの生徒たちは塾の先輩連中以外の不特定多数の人達の暖かい視線に包まれている。俺は訂正に対する感謝とお詫びの内容のメールを送った。そしてできればウチの塾の生徒、将来幼児教育を目指している子供たちに話をしてほしいという俺の希望を綴った。その返信・・・。

 「私自身、絶対に、なにがなんでも、幼稚園教諭になってやる!という気持ちでここまで来ました。そんな気持ちを今、まさに、幼児教育を目指している子達に伝えることで、はげみになれば、と思います」

 快く引き受けていただいた。ありがたい。是非、近いうちに正式にお願いするつもりだ。

 久居高校に合格した明希の後日談として・・・。

 明希は高校進学後も塾を続けたいという両親に言ったそうな。お母さんが言う。「わたし、明希に言ったんですよ。”あんた、模試の成績を見てても塾内順位では一番下や。みんな津高や津西に進学するような成績がいい子ばっかや。いっしょに勉強してて悲しくならない”って。じゃあね”別に悲しくなんてならないし塾にいると楽しい”って言うんですよ。成績が悪いことでいじめられることってないの”ってわたしが言うと”そんなこと一度もないよ”って。まあ、ついてけるかどうか分かりませんけど本人の希望通りに塾を続けさせようと思います」

 俺は明希に高校数学を教え始めた。中学の因数分解でもずいぶん手間取った明希である。ジャングルのなかをさ迷うことになるだろうな・・・という俺の予感は見事にはずれた。瞬く間にタスキがけ因数分解を理解しちまった。津高に進学する連中でも数日は悩む奴がいるような問題なのに、一日でクリア。今までの明希はどうなっちまったんだろう? 勉強が苦手だった明希が3乗公式因数分解やタスキがけをこともなげにこなしていく。不思議なもんだ、受験というプレッシャーから解放されたことがきっかけなんだろうか。これに味をしめた俺は明希の最大の壁、英語についても数学と同様、マジックを信じて中1を教えさせることにした。明希の発音はきれいだ。しかし文法が壊れている。「先生、過去形はdoesで3単現がdidやったな?」「アホ!オマエは今まで何をやってきたんや!」「先生、なんで主語はHeやのにcan plays にならへんの」「ドアホ!助動詞の後は動詞の原形やろ。3単現のsはいらんわい!」 さすがに明希の英語はやはり明希の英語。今までの明希であること再認識し、なぜかホッとしちまった。今日も明希は中1の後輩のため、そして自分のために中1の英語の教科書と格闘している。

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