れいめい塾25時2002年前半 2002年後半

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「25時」 

2001年2月3日号

 受験が始まっている。センター試験後の沈黙と焦燥と喧噪がまだ止まないうちに大学受験に突入していく。功樹(津東)が31日に京都へと旅立ち、翌1日と3日の京都産業大学入試に臨む。3日からは中井(津東)の立命館が始まる。高校入試もスタート。2日の鈴鹿高校を皮切りに3日は高田、4日は皇学館、そして5日が三重高という四連荘。私立中学受験を経験していない今年の中3にすれば受験との初遭遇となる。ゆえに頑張ってほしいと願うものの、その反面どこか醒めた目で受験生を眺める自分がいる。

 塾を始めた頃はそうではなかった。熱かった。いつだって自分を追いつめては受験生と一体化しようと願ってた。試験日当日、試験場に車を乗り付けては生徒達が会場に入っている後ろ姿を眺めるのが常だった。そして喫茶店でタバコを吸いながら時計を見やりながら生徒達の試験の出来をあれこれ考えた。俺の張ったヤマが当たったかどうかが気がかりだった。時間率の悪い客を演じる気力もさすがに限界、コーヒーを3杯ほど飲んだあげく塾へ戻った。戻ったものの仕事が手に着かない。作りかけのプリントを仕上げねばと思うものの、ついつい注意は窓の外へ・・・。そんな生活がいつしか変わっていった。当然のことながら生徒達の出来も、試験の内容も気にはなった。しかし今では、これが最後じゃないことも知っている。

 1月終盤の受験の余震が身体を震わす頃、俺は決まってある風景を思い出す。白一面の世界・・・溜め息・・・そして決まって漏れるセリフ。恵(高田T類2年)を毎晩のように榊原の家に送った時のシーン。今から2年前、恵は中3だった。

 その日の塾での試験、高田高校や鈴鹿高校の過去問の結果で落ち込んでいる恵。そんな恵をなんとか力づけようとおもしろくもないギャグを振り絞る。・・・しかし沈黙。意を決して夢のある将来の夢なんぞを文字通りに夢想しては明るく話すもののさしたる効果なし。途切れ途切れのあいそ笑いとあいづち・・・俺達が乗る車、エスティマの車内の温度は外よりも冷え込む。恵が言った、「先生、わたし受かるかな?」「・・・どやろな」 バカ野郎、こんな時は慰めるのが鉄則だろ。受かるって言ってやれよ。「先生、わたし受かりたいな」「・・・受かるといいな」 なんとか鈴鹿が受かりそうな成績だった。しかし致命的ともいえる数学と国語・・・得意技のない恵にとり、高田高校は大きな壁となって立ちはだかっていた。全県模試の合格率も50%を越えることはなかった。試験は迫っていた。

 2年前の今頃、俺は毎晩のように恵を送ったような気がする。たぶん恵と同じ榊原の健太も車に乗せていたんだろうが記憶にない。男にはやけに冷たいんだ。久居インターを西に向かうと一志へと向かう道と交差する四つ角がある。榊原へはその四つ角を右折する。すると景色は一変・・・市街ではチラホラ振っていた雪がここでは大手を振ってまかり通っている。息を呑む。アクセルを慎重に踏む。そんな何度目かの夜だ、恵がつぶやいたのは・・・「先生、わたし大学へ行けるかな」「恵は将来何になりたいねん」「幼稚園の先生・・・」「幼児教育か。ガッコの先生は?」「アカンて、わたしバカやもん」 俺は言葉に詰まる。何か言ってやれよ、この野郎。「・・・行けるさ。その気さえあればな」「だって勉強できへんし」「社会はそこそこできるじゃねえか」「でも数学はチンプンカンやし、英語も分からへんし・・・」「あのさ恵、大学入試ってさ、高校入試みたいに5教科ぜんぶ出来やんでもいいんさ」「ほんと?」「ああ、得意な教科が3教科あれば・・・いや、2教科でも受けられる大学はある」「数学できへんでもいいの」「ああ・・・でもな、英語はやっぱほとんどの大学であるんさ」「英語か・・・わたし、嫌いやないけど単語覚えるの苦手やから」「まあ英語は大学入試の中心教科や。やらなしゃあないわ。でもな、英語ってやつは毎日コツコツやってれば必ず上がる。いつかとは断言できへんけどな。それが辛いとこやけど、絶対に英語はいつか上がる。社会みたいに勉強すればすぐに効果が出る教科ではないけどな」「どのくらいかかるの」「前田先輩ておるやろ。早稲田大学へ行った先輩さ、あいつな、中学の時は英語得意やったんやけど高校に入ってからビュンビュン飛ばす数学に振り回されてさ、英語の勉強せんかったんや。でも英語の成績落ちへんねん。そしたらな、高1の3学期になってガクッと落ちたんや。えらいこっちゃって勉強したけどな、全然上がらへんねん。やってもやってもな、上がらへん。でさ、結局高3の冬あたりにやっと偏差値60台に復活したんや。2年弱かかってもた」「わたしも英語やったら上がるかな」「なんやオマエ、今まで勉強せえへんだんか」「いや、したつもりやったんやけど・・・。もし高校に受かったら絶対に英語勉強するわ」「アホ、今もせえ」「わたしなんかがさ、大学行けるかな・・・」「・・・行けるさ」「わたし・・・大学行きたいな」「やれば絶対に行けるさ。アキちゃん見てみい。中学の時は今の高1のメンバーの中で下のほうやったけど、今では英語はトップクラスや。中井も津東に合格して一旦は塾を辞めたけどな、実力テストで学年のドベから10番で塾に戻ってきた。そして今度の実力テスト、なんと3番やで! まあ中井に3位取らせる東のレベルにも問題があるんやけどな」「村瀬先輩は?」「あれは器用なやっちゃ。俺が授業で言ったことノートに書いてるふしがないのにちゃんと覚えとる。隣でアキちゃんと中井、必死でノート取っとる。まあ恵は村瀬タイプじゃないだろが。恵はアキちゃんや中井タイプや。センスはないけどな、コツコツやってたら英語は絶対に上がるさ」 恵は吹きすさぶ雪を眺めていた。そして雪に願い事をするかのようにそっとつぶやいた。「大学に行きたいな・・・」

 恵の志望は津東だった。しかし内申が足りない。久居高校なら合格は読めた。ところが姉がいたこともあってか気乗り薄。恵の姉もウチの塾で高校受験期を過ごした。かわいい子だった。そしてハキハキと自分の意見も口にできる子だった。勉強もそこそこにはできた姉ちゃん、妹の恵からすれば仰ぎ見る存在だったんだろう。中学1年から塾に入った恵が最初に俺と交わした会話が「わたしはお姉ちゃんよりバカやから」 それから3年、俺は姉に根強い劣等感を持つ恵を、あの手この手で励まし励ましここまでやってきた。理系教科はトコトン苦手だった。一方、記憶する時間がかかるものの、なんとか文系教科はクリアしてきた。全県模試では姉の成績を脅かす回数も増えてはいた。しかし中間試験も期末試験も、そして差し迫った高校入試も仕上がりは今イチだった。深夜、毎晩のように恵を家に送る。いつもその日の試験の反省から始まり、決まって最後は「こんなわたしでも大学に行けるかな」 恵は静謐な白夜に溶け込むような声で何度もささやいた。その年の冬、やたら吹雪いた。市街はそれほどでもなかったが、久居西と一志との四つ角を曲がると風景は一変、一面が銀世界だった。俺は恐る恐る車を走らせていた。トロトロ走らせる車の中で二人、いつだって溜め息をついていた。

 これを僥倖と呼ばず何と言うのか・・・なぜか?恵は高田高校に合格した。余勢を駆って津東に臨むものの、やはり内申が響いたのだろう、恵は落ちた。その時のビデオが塾に残っている。恵とともに津東を受けた文香は合格していた。当時東の1年だった中井がコーラを文香にかけている。それは同時刻に津西高合格発表会場でゲリラ・ライブのように実施された派手なコーラかけとは違て、おごそかとも言える儀式めいた眺め。司祭は中井・・・オマエはラプスーチンか! そんな二人の横を恵が顔をゆがめて足早に去る・・・。ビデオはそれっきり終わっている。

 恵にとってそれまでと同様、泣かず飛ばずの塾での生活が続いていった。恵の学年は計14人、高校進学後に11人になった。そして1年の夏に一人、2年となり二人が塾から姿を消した。

 2年からデンちゃんの日本史の授業を受け始めた。「中山、恵なんとかしろよ!」とデンちゃんが叫ぶ。「何かあった?」「恵にちゃんと漢字を教えてやれよ。今日も”建立する”を”けんりゅう”だぞ!”けんりゅう”」 一昨年のデンちゃんの餌食は波多野、そして去年は中井、今年が予想通り恵だった。そして大西君の現代文読解の授業も始まった。大西君に尋ねた。「恵は強敵やろ?」 まだ塾に慣れていないはずの大西君、歯を見せて笑いながら言った。「はい、・・・かなり」

 現代文読解を受ける高2のメンバーは佳子と恵、後に塾に新規参入の小西(三重6年制)が加わった。大西君の初期の授業では「ヨーロッパ近代の終焉」の読書会があった。要約・要約の連続。恵にとって辛い作業、もっとも時間がかかるタイプ。この時期の恵は久しぶりに受験期に戻ったように連日の午前様。再び久居西への深夜のツアーが始まった。しかしかつての刹那さは影を潜め、ささやかながら夢があるのが救いだった。

 「最近、恵が絶好調なんですよ!」と大西君が言った。「漢字がね、今イチなんですけど。なんと今日の授業でトップですよ」「何の試験?」「センター平成6年度です」「良かったな、今まで要約めんどくさがらずにやってきたからな。恵って鈍くさいやん。何をやってもトロイねん。でも一度でも、フロックでもトップ取ったら勉強するきっかけにならんかな」 当初は単なるマグレだと思っていた恵の現代文、次第に頭角を表す。そしていつしか大西君の授業が終わると「今日の恵は?」と尋ねるのが俺の習慣となった。

 秋も深まった頃、遂にブレイク! 恵は文系の村瀬相手に三連勝。それもセンター。機嫌がすぐ顔に出る村瀬、憮然として席を立った。無言で古い塾へ帰参。当然にしてアキちゃんも中井も恵に蹂躙される羽目に・・・。センター試験の現代文、漢字を除けばほとんど満点。ウチの塾にやって来て5年、恵にやっと必殺技が生まれた。

 2002年1月30日昼、俺は英語が腐りかけている由依にマンツーマンで英語を教えていた。こ奴の津高合格への最大の山場、高田高校平成10年度作品である。ここ最近の高田の英語は内容がポップだ。この年も睡眠薬を飲んで死のうと考えていた少年の話だ。sleeping medicine なんて単語が出てくる入試問題なんて最高だ。でも睡眠薬ってこんな単語だっけ? 案の定、予想外の展開の英文内容に由依は着いてこれない。場所は緊急病棟・・・と言ってもウチの塾の3階の北側の教室。ここを俺は緊急病棟と命名した。勉強の苦手な生徒や一人で勉強したい生徒、そしてどうしても俺が合格させたい高3のアキちゃん・中井・仁志の3人が常駐している。その時もアキちゃんと中井が勉強していた。俺はふと思った・・・平成10年度・・・去年、一昨年、・・・あれ? 俺は中井に話しかけた。「中井、平成10年ってオマエさん達の試験だよ。この英語、品行方正シリーズの内容じゃないんで難しかっただろ?」「いや・・・、もう忘れましたよ」「中井、オマエ、高田受かったっけ?」「ハハハ・・・落ちました」 今度はアキちゃんにネタを振ってみた。「アキちゃん、高田の試験の英語、覚えてる?」「先生、僕は高田は受けずに皇学館を受けましたから」「あ、そう・・・で、アキちゃん皇学館受かったんだっけ?」「いやあ、ハハ・・・落ちました」 たぶんこの二人、またもや下級生の前で恥をかかせるという俺の性格の悪さが出やがったか!と思ったろうが・・・俺はホンマに忘却の彼方。そうか、中井は高田に落ちたんか・・・アキちゃんは皇学館に落ちよったんか・・・。俺は途端に気分が良くなった。

 高田高校の古典がネックだった。4年ほど前までは1番と2番、ともに現代文で評論と小説だったが3年前から3番が増えた。古典だった。この古典が普通の公立レベルではなく、高1の定期テストといってもいいレベル。俺は緊急病棟で勉強しているアキちゃんに言った。「30分ほど俺に付き合ってくれや」「何ですか?」「中3に古典教えるねん。中学生が間違えやすいとこ、至急書き出してよ」 そして俺は中3を全員呼んだ。

 試験は翌日、時間がなかった。俺は高校1年の教科書巻末の助動詞活用表と重要古典単語をコピーして配った。そして古典単語をアキちゃん主導で説明していく。今とは意味が異なっている単語が中心。覚える語と覚えなくともよい語は俺が勘で決める。それに時折アキちゃんが異を唱える。「出ない!」と俺が言った単語に「先生、それは覚えておいたほうがいいと思います」とアキちゃん。途端に中3、マーカーで線を引き出す。結局、俺は信頼されてない先生なのね。解説が終わると文法である。「心あらん人」は心ある人、「あらぬ」は否定、「ありぬ」は完了。しかし未然形接続は否定、連用形接続は完了と今頃教えても試験は明日・・・ええわい! 「”ん”は肯定で”ぬ”は否定や」と一挙に簡潔に。アキちゃん慌てて「先生、それはちょっと・・・」 「ええわ、アキちゃん。試験は明日や。試験中に悩んでもろても困る」 こんな時のアキちゃんの表情、心底情けなさそうな・・・哀れんでるのは俺のこと? 試験開始まであと12時間・・・。そして俺は中3に話し始めた。

 「最近の高田はポップやな。英語も睡眠薬で自殺したい少年を出しよった。それに古典の難度の高さや。”きこゆ”の主語当てクイズで”作者”が答えやとさ。難しいよな、最近の高田高校。でもええやん、俺さ、ふと気付いたんやけどな。中井先輩って高田高校落ちてるねん。そいでさ、アキちゃんは高田に背を向けて皇学館受けに行ってるねん。でも落ちたんやけどな。でもな、今年の大学受験の先輩達な、今までのメンバーと違うんや。今まではな、やっぱり津高や津西の先輩連中がウチの塾の看板しょってたんや。つまりはエエ大学で勝負してたわけや。でもな、今年は違う。たまたまセンターで村瀬先輩こけよった、ついてへんな。でさ、今年のウチの看板は中井先輩とアキちゃんや。中井先輩な、高田高校落ちてるけどな、明日から立命館の2連戦や。でも本命は立教大学社会学部や、立教で一番難しいトコ。アキちゃんは今までも何度か言うてるけど早稲田大学や。早稲田5ラウンドに明治大学1ラウンド。アキちゃん、内申なかったから津東受けられへんかった。久居高校に入学したけど、この3年間ずっと勉強してたわ。コツコツ毎日や。中井先輩も一旦は塾辞めたけどすぐ戻ってきた。そいで毎日コツコツや。この毎日コツコツが今年のウチの主役や。あんたらさ、三進連もさ、200点以上取った奴半分近くおるけどさ。今の段階でなら確かに頑張ってる。でもな、1年後はどうなってるか分からへん。3年後やったら、もっと分からへん。みんな言いよるで、この時期やったら。「高校入学後もずっと勉強する」ってさ。みんな言いよる。でもアカンねん。やっぱ少ないねん。確かに数学はさ、やったらできる!って言いたいけど、やっぱ向き不向きあるよな。でもな、文系教科は裏切らへん。英語と国語、それに社会はな。英語はこの二人の先輩見てたら分かるやろ。国語はな、2年の恵先輩や。ウチの国語の試験な、文系の高校生一斉試験なんや。でもな、ここにおる先輩二人とも恵にやられたんや。つまりは恵が高3を全員蹴散らしてウチの塾のトップや。そして恵の牙城を脅かしているのが香奈子(津西国際1年)。ちょっと前なんかセンター国語、満点やで! 大西君、叫んでたわ。「香奈子は東大や」ってな。まあ東大はともかく、恵も香奈子も高校生になっても生活変わらへん。中3の頃と同じではないにしろ、週に4日ほどは塾に来とる。このリズムなんや。ええか、俺は君達の1年後が見てみたい。そして3年後が見てみたい。その時、どんな高校生になってるんやろ。今年は半分以上が津高志望や。合格したらいいな。でもな、津高にたとえ合格しても入っただけの人になってほしくない。今年のウチの塾の主役は今までにない面々・・・津高とか津西とかじゃなく、久居高のアキちゃんや津東の中井や。つまりは中学時代のキャリアがない、高校時代に頭角を現したメンバーや。この流れは来年に続く。来年には恵が登場する。今年、大学受験に臨む先輩達をよ〜く見とき。先輩達は一段、一段と階段を上がってきたんや。そして今日がある、そして明日がある。明日から中井先輩の立命館が始まる。あんたらは明日は高田高校、これが終わりやない。津高や津西が終わりでもない。これが始まり、塾の廊下に下手な字で貼ってあるやろ・・・越知先輩が4年前の正月に書いた書き初め『終わりが始まり』・・・そや、あんたらは今から始まるねん」

 さすがの中井も翌日が入試となると品行方正シリーズ? 深夜0時過ぎに中井を家まで送った。翌日の久居駅6時58分発の急行で名古屋に向かう。久居駅まで見送りに行こうかとも考えた。しかし朝の6時頃から高田高校を受ける中3が姿を見せるはずだった。中井を車から降ろし、俺達は別れた。まだまだ始まったばかりだ。別れの挨拶は早すぎる。

 中井を送って塾に戻ってからこの「25時」を叩き始めた。午前5時30分、入試を3時間余に控えた長沼優里が教室のドアを開けた。大きなバッグを机に置くと中からプリントを取り出した。そして5時50分には慎太郎、6時には香が姿を見せた。教室のなかは沈黙が鎮座した。空が明けた。雨が降りそうな一日が始まった。

 同時刻、中3が最終チェックに余念のない教室の隣、緊急病棟ではアキちゃんが、1階の教室ではタカヤ(津西3年)が、そして古い塾では古西と村瀬が眠りこけていた・・・。                         

   

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