れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾 れいめい塾発『25時』

1990年 5月 22日号



外は寒い アキラだよ〜ん 今日も辛い一日が始まった。
赤点取ったらどうしよう。セイジだよ。
地理悲惨 アツヤ くそう!
ついに帰る時が来てしまった。

上のメッセージは、徹夜明けの柴田依子を車で家まで送っていってるあいだに、高校生達がワープロに打ち込んだものである。消えずに残っていたとは思わんだやろ。思い知ったか!高校生ども!

1990年、春・・・。高校生群像・・・聖地凱旋。

この春、ウチの塾から30人弱が高校に巣立っていった。
「高校生になってまで俺に『勉強せんか!』なんぞと言われんようにせえよ」というのが、この時期の俺の口癖となっている。古い連中とは小学校の頃からの付き合いである。考えてみれば、この4年もの間「勉強せんか!」なんぞと言ってきてるわけ。高校生になってまで「あれせえ!これせえ!」もないもんである。
ここしばらくの間は高校の生活に慣れてくれればいいわけで、別に勉強することもねえんじゃねえの?というのが俺の本音であった。なにしろ俺自身が全くもってイイカゲンな高校生だったのだ。

俺が高校に入学したのは、もう18年も前の話。1年の頃は全然高校がおもしろくなく、何かあると「こんな高校に来なければよかった」と言っていたらしい。これはオフクロが言ったことで、今となっては楽しい思い出ばかりが頭をかすめる。成績は現代国語・数学・英語・日本史を除けばひどいものだった。生物なんぞ学年のビリから数えて2番目、古典もドンケツの10人の中に入っていたのは間違いない。入学試験を50番以内でパスしていたらしいが、1学期の終了段階では300番をゆうに超えていた。つまり1学期だけで300人くらいに抜かれたことになる。しかし別段、懲りることもなく、人並みに恋愛もすれば、授業をさぼって喫茶店に入り浸ったり、フラリと一人旅に出ては何週間も帰ってこないような生活を送っていた。高校の先生も生徒同様、またノンキなもんだった。ある日、悪友連中と数学の授業をさぼって津新町のパチンコ屋に入ると、なぜか数学のO先生がいる。いるどころか、黙々と一人でパチンコに没頭している。俺たちは見つからないようにと隅で隠れるようにしてパチンコを打ち始めた。上皿一杯ほど玉を出していると、突然横合いから手が伸びた。見ればO先生、授業中同様、ニヤリと不気味な笑顔で一言のたまう。「このことは生徒指導には黙っとったるで、この玉俺によこせ!」

俺たちが高3の時、中日ドラゴンズがセリーグの覇者となった。翌日、三階の3年の教室から「祝!中日優勝! 目指せ、日本一」と書かれた大きな紙が垂れ下がっていた。その日のうちに「自分の好きな球団が優勝してもポスターを貼らないように」という指導部通達の校内放送があった。さて、日本シリーズ、相手は金田監督率いるロッテ・オリオンズ。中日は苦戦しつつもフランチャイズの中日球場に取って返し、遂に一矢を報いる。翌日、学校の屋上から数え切れないほどの紙飛行機が高校の内外問わずに飛ばされた。それにはご丁寧に「祈る!逆転優勝」と書かれてあった。「自分の好きな球団が勝ったとしても、決して屋上から紙飛行機を飛ばさないように」という指導部通達が校内放送であったのは言うまでもない。翌日、俺は悪友連中と学校をさぼった。行き先は言わずもがなの中日球場である。狂喜乱舞のお祭り騒ぎの末に中日ドラゴンズは敗れた。同時刻、津高校の放送室が一部の学生達によって占拠された。授業中、突然の大音響とともに中日球場の熱気が全校教室にぶち込まれた! ラジオの実況放送を校内放送で流したのだ。先生・生徒ともども我を忘れて試合の趨勢に身を任せていたことは言うまでもない。

教師用の指導書なるものが存在するという噂を耳にした俺たちは、さっそく父親が高校教師をしている同級生をそそのかした。そ奴は父親の書斎から指導書をチョロまかしてきた。俺たちのグループに元生徒会会長がいたことが幸い、執行部室のガリ板を使い100部ほどを複製。『中間期末試験の傾向&対策』と称して、一部100円で売ることにした。アッというまの完売! その結果は難問の英作文を当てられようとも先生が絶賛する出来。数学の試験では半分以上が全く同じ問題で、学年の平均が前回の平均点より30点以上も上昇。しかし我が世の春は「傾向&対策」を買わなかった生徒のチクリで瓦解。俺たちは生徒指導部に呼び出され、懇々と説教される羽目に。俺は多分ふてくされた顔をしていたのだろう、「反省していないのか」と担任に言われた俺は、つい本音が出ちまった。「じゃあ、先生がたも反省してください。だいたいが教師用の指導書から大部分を出題するなんて生徒を舐めてますよ。それなら誰にだって高校の教師勤まりますよ」 その瞬時、先生の拳が飛んできた。

俺の津高での生活はこんな調子で過ぎていった。こんな俺の周りに集まってくる連中も、やっぱり俺みたいな連中・・・類は類を呼ぶ。そして俺たちは揃って浪人した。

こんな高校生活を送ってきた俺が「勉強しろ!」もないもんである。
去年、ウチから2群(注;現在の津高と津西)に合格した連中は、なぜか皆津西になってしまったが、今年は逆に9人もの生徒が俺の後輩となった。その中の一人、横山曰く「ウチのクラスなんか、授業中にチェルシーなめながらウォークマン聴いてるよ」 俺はその話を聞き、ついつい笑ってしまう。それに対し津西に進学しちまった柴田依子曰く「ウチなんてさ、授業中に聞こえてくるのといえば、先生の声とノートを取る鉛筆の音だけやに。もう、まいるわ!」となる。かつて津高の妾腹と言われた津西の面目躍如である。津西では今でもクラブの大会に臨み「どこに負けてもいいが、絶対に津高にだけは負けるな!」と叱咤激励されるとのこと。
同じ2群でも津高と津西とでは、これほどまでに校風が異なる。大学の進学率がどうであろうと、俺にとってはやはり津高のリズムのほうが肌に合う。現在のウチの塾のリズムは俺のビートを基調にして構築した自負がある。そのビート、まぎれもなく生徒指導部で先生に殴られて吹っ飛んだ、あの時の「俺」のビートなのだ。

ここ1週間、各高校の中間試験でウチの塾は賑わった。依子・臼井(兄)・横山・平松・聖志といった面々が去年同様にウチの塾で徹夜をしていった。場所を彼らにとって「高校受験」の聖地であった「あの場所」・・・塾の外の自転車置き場である。
聖地凱旋・・・底冷えがひどく、歯をガチガチ鳴らせながら今にも吹き飛ばされそうなテントの中で志望高校の合格を目指した「あの場所」。あの頃から早、数ヶ月。今ではかなり過ごしやすい季節にはなった。が、やはり明け方はまだまだ寒い。そんななか、彼らは1週間、自転車置き場で過ごした。俺も快適な空間であるはずの教室から、ワープロ持参で自転車置き場へメインベースを移した。この『25時』の冒頭のメッセージは、このときの産物である。

今日で高校の中間試験は終了。これから6月5日まで各中学の中間試験が続く。ただ今の時間、5月24日、午前1時45分。あと7時間ほどで久居東の1学期中間試験が始まる。俺は今も、聖地である自転車置き場でこの「25時」を打っている。この聖地に、邦博の弟の章貴(中2)と、信藤(中3)と涼子(中3)が踏ん張っている。

高校生の授業は教える側からすればやっかいである。当然、中学生とは比べようもなくレベルが上昇する。難問・奇問の類も多い。「しばらく考えさせてくれ」というのもしょっちゅうである。また英語などは高校によって教科書が違う。理科や社会でも年次の教科が違う。例えば津西では1年で世界史・地理、津高は倫理・地理、久居高は現代社会というふうである。つまり一斉授業が成立しにくい状況となる。これらのことから三重県内には高校生のニーズに的確に対応している塾というのは正直言って存在しないのではないか?なにしろ県最大大手の鈴鹿英数ですら、4月入学時の生徒が1学期の終わり頃になると30%になっているとのこと。つまり、種々の理由から70%もの生徒がやめていくわけだ。

このような状況をふまえ、俺は邦博に名古屋の大手予備校(代々木ゼミ&河合塾など)に通うことを勧めた。邦博の場合、高校生活の中心を現段階から大学進学に置いているからである。俺のいいかげんな高校生活の過ごし方から比べると邦博のほうが断然しっかりしている。しかし、その反面、依子の従兄弟の例もある。彼女は今年津高を卒業した藤田さんという娘で現役で名古屋大学に入ったとの事。彼女の美意識の場合、高校1,2年はしっかり遊び、高校生活をエンジョイする。そして3年の夏あたりから、もうスゴイ勢いで勉強に打ち込んだという。塾には行かず、一人で頑張ったという。こういう例もあるのだ。結局は本人次第で状況はどうにでもなるのだ。

個人の自主学習を中心にして高校生活の時間をつくろう―となった。去年のように3年生が多く、比重の大半が高校入試に傾いていたこともあり高校生の時間は取っていなかった。今年は去年のように3年を2クラスにするという無謀なマネ(本当にシンドかった)はせずに1クラスに設定。水曜日と日曜日をなんとか高校生にあてられるようになった。それに今年の1年の連中は俺のビートをもっとも良く受け継いでいる連中である。こ奴らなら環境を与えてやるだけでそれを最大限に生かすことが出来るんじゃないか?―そう思った。当然、俺の分かる範囲では教える。だが、古典・生物などとなると教えることが出来ない。そのかわり、良書と言われている参考書(買うとこれがまた高い)や英語のテープ、ニューズ・ウィーク外国版など、参考になると思ったものはドシドシ俺が買っていく。これらの教材を自分たちの努力でどこまで生かしていってくれるか?と、俺は彼らに期待している。

これらの参考図書のなかに、俺はイタズラ心から教師用の指導書を購入した。かつて指導書イッ発でぶん殴られた思い出が甦ってきた。果たして、今の教師連中は日々切磋琢磨しているのか?―
指導者はひとつの教科書に一冊あるため、全部の高校のものを買うわけにはいかない。とりあえずはウチから一番多くの生徒が行った津高の教科書にあわせてみることにした。なにしろ一冊が高い。平均四千円というところ。科目は英語・科学・地学・国語。国語なんぞ六千円で、ままよ!とばかりに買いこんだ。

さて、結果は…。

まず、臼井が「ぼくのクラスの先生の英語の訳、全くこれ(指導書)と同じや」
指導書・優良参考書を充実すると同時に、俺は撃ちの卒業生やら知り合いなどのツテを頼り、過去の高校の入試問題を手に入れることに努めた。当然、津港の過去2年間、津西高の過去2年間、去年の久居高、津東の2年前の試験問題が手に入った。入試と同じく、過去の問題を見れば大体の傾向が掴める。それを中心にして指導書を活用していく。―これが、俺の高校生に対するサジェスチョンだった。

各高校の中間試験が終わった。生徒たちの声を記しておく。
「先生、国語の読解、全部と言っていいほどに指導書から出てた。どうしよう。90点も取ってしまう」(ちなみに、この男、臼井は困ったことにクラスで1番になってしまうのだが)

その他、「リーダーの教科書以外の長文読解は指導書の模範問題例からそのまま、答えも全く同じで出題されている」「先生、地学の問題、去年のと全くいっしょ! 違うのは平成元年から編成2年になってるとこだけ。あとは完璧に去年といっしょ!」「古典も半分くらいは指導書から出ている」などなど・・・。

高校の教師なんて誰にでもできるんじゃないか・・・俺は15年前に吐いた台詞を再び心の中でつぶやく。2年続けて全く同じ問題を出す教師、指導書そのままコピーするかのように生徒に説明し、指導書の模範出題例からそのまま問題を出す教師、給料泥棒だぜ!
この辺りで最もレベルが高いと称される2群にしてからが、この体たらく。むしろ、「副教材の問題集の中からまったく同じ問題を出すから勉強しとけよ!」と公言する津東のほうが、正直なぶんだけカワイイね。彼ら、高校生たちはこのようなありがたい(古典単語の意味で)先生方の指導を受けているわけだ。

俺は邦博に言ってやった。「邦博! 先生に言うたれや! オマエら、指導書がなけりゃ勝負できねえのか!って」 それに対し邦博曰く、「何言うてんの、先生。そんなこと言うたら、先生らは意地でも自分で問題作るやんか。そうなったらマズイ。この1年間はジッと我慢の子で行って、ええ点取ったるわ」 成る程・・・と、俺は感心する。30過ぎてもすぐ熱くなる俺に比べて、こ奴のほうが余程しっかりしてる。

れいめい塾・高校生クラスは、このようにイイカゲンな俺がイイカゲンな方法でイイカゲンな高校教師達と対峙する場所である。高校教師には精神的に対峙するものの、ウチの高校生達に対峙するつもりは毛頭ない。彼らは自分自身の力とセンスで、高校生活をよりベターなものにしていってほしいと切に願う。

ウチの高校生は、ある意味で姑のような存在である。
俺の悪影響を受けたせいか、揃いも揃って口が悪い。今の中3に対してビシビシ言ってくれる。例えば、こんな調子だ。

ある日、村瀬(中3)と菊山(中3)が午後11時に塾から帰途に就いた。たまたま居合わせた邦博曰く「今年の中3はこんなに早く帰るの?」「まあな」と俺。すかさず邦博、「へえー、あいつら、よっぽど成績いいんやね」 彼らの成績を知っている邦博にすれば、俺の甘さを暗に指摘しているんだろう。
自転車置き場は高校生の席という暗黙のルールがあるが、興味本位も手伝って、中3の女子などが外で勉強したがっている。高校生のいない時なんかに自転車置き場で勉強しているのだが、これを見た横山曰く「自転車置き場でするんやったら徹夜するつもりでやらんかい!」
中3の過去の三進連の成績を見た頼子曰く「今年って、こんなに悪いの?」

ただし、彼らの発言はなかなか手厳しいが、俺は全面的に支持する。言えるだけのことを彼らは去年やってきたのだ。

現在の中3には、変な安心感が漂っている。具体的に言うならば、塾にさえ来ていれば2群にいけるんじゃないか・・・そんな幻影だ。この4月の志望高校のアンケートで半分以上の生徒が2群志望となっている。これには俺も戸惑ってしまった。別に今の段階で無理!なんぞと言う気もないが、2群と書くわりには、そのパワーこちとらに伝わってこないのだ。ただ、淡々と塾に来ているだけという感じ。次までに覚えてこい!と言ったプリントも、そこそこにこないしている雰囲気が鼻につく。ミス0のメンバーなんて、もう数えるばかりだ。

例えば去年、森下は内申46(10段階)でも2群に合格した。あるいは横山が三進連第一回の得点、76点でも2群に合格した。これらの事例は、今年の中3にとって心地よいBGMとなる。俺でも、私でも、あなたでも、誰でもこの塾にいれば2群に合格するんじゃないか・・・そんな淡い期待を抱かせることになる。しかしながら、あ奴らの1年間を通しての努力は今の中3とは比べ物にならない。塾から帰るのは常に午前2時前後。家庭の事情から12時までに帰らなければならなかった名島に塾を辞めてもらったのはちょうど去年の今ごろである。その後、2学期の中ごろになり暗記のプリントの出来が悪かった長谷川も塾を辞めた。暗記をするという行為は、能力とは無縁のものである。当然にして、早い遅いはある。しかしながら去年のメンバーなんて、決してできる生徒ばかりではなかった。むしろウチの塾の歴史(たいした歴史でもないが)のなかでは、中1や中2の頃の成績が格段に悪かった連中の集まりである。彼らですらできた・・・俺はいつもそう思う。それがなぜ今の中3の連中にはできないんだろう。できないのなら、できないなりに去年とは違う面でのパワーって奴がなければならない。そのパワーすらもない。高校生に言わせれば、今の中2の章貴や千佳あたりのほうがよっぽどスゴイ!となる。

高校生ご用達の自転車置き場も、章貴の場所だけはいつも空けてある。高校生達は章貴を認めているのである、自分達と同じ匂いを持つ者として、・・・受験生として。


自転車置き場・・・そこは、受験生としてのプライドを持つ者達だけに与えられるべき聖地である。


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