れいめい塾のホームページ 三重県津市久居 学習塾 れいめい塾発 「25時」  1990年11月7日



俺が目指す塾ってのは説明しにくいのだが、誤解を恐れずに言えば「中3を中心にして先輩となる高校生から下級生・小学生までが単体としての家族を形成するような塾」である。精神的な面でも、勉強の面でも力量ある者が手助けを求めている者を指導していく。そして指導された者は、それを、その魂めいたものを、またそれを必要とする者に施していく。

家族というものは見返りを期待しない上から下への一方的な「愛」で支えられた存在であると思う。これは今までも書きなぐっていることだが、俺なんぞ両親に面倒のかけっぱなしである。お年玉は確か24歳になるまで貰っていた覚えがある。大学時代から社会人となっても、どうのこうの理由をつけては仕送りしてもらっていた。福井の市場で暮らした頃もしかり、つまり塾を始めるまでだ。塾を始めるにあたっての内装の費用も「儲かったら返すよ」と口では軽く言いながら今もって返していない。今でも親父は二日に一度は塾に来て掃除をしてくれる。双子のれいとめいが生まれてからは毎日のように夕刻になるとお袋と二人、主のいないアパートへやって来ては、娘たちを風呂に入れてくれる。いいかげんな息子を持つと退職しても心安らぐ日々はやって来ない。それに対して俺は「塾が汚いのを我慢できんのやったら生徒が掃除するはず。親父の掃除は迷惑なんや」なんぞと人非人的な発言を繰り返しては奥さんに叱られる始末。
しかし近い将来、ウチの双子の娘たちも俺に多大なる迷惑をかけてくれるはず。なにしろ俺の子供なのだ。その時、俺は全てを受けてやろうと覚悟している。これが俺の考える「家族」なのだ。
俺の「家族」論に奥さんはこう言って口を挟む。「私はどんなことがあっても、子供たちをあなたみたいなイイカゲンな人間には育てません!」

毎年、その年の合格発表のビデオを見せることからウチの中3の過酷な授業はスタートする。今年の春に塾生あげて行った鳥羽の民宿への一泊旅行もビデオに納められている。そのなかで酔っ払った俺は中3やら高校生やらあたりかまわず蹴りまくっている。また、酔っ払っていたので気付かなかったが、邦博や直彦や横山なんぞに蹴り返されている。
撮ったビデオは必ず中3に見せることにしている。これらのビデオを見て彼らはいろんなことを考えるはずなのだ。・・・高校入試に落ちるということ・・・合格すること・・・酔っ払いとは絶対に結婚してはいけないということ・・・ヘタクソな歌を歌うってことは罪悪でしかありえないこと・・・エトセトラなのだ。そんな中で最も受けるのが「ケーキ投げ大会」のビデオである。

大学時代に根城としていた喫茶店『IVY』・・・。常連であった俺がいつのまにかカウンターの中に居座ったのは、それまでのバイト・余頃が就職活動に精を出すからとバイトをやめたことがキッカケだった。後釜が決まらず、はや留年が決定していた俺に白羽の矢が立ったってわけだ。バイト料は貰っていない。客がいない時には食事を出してくれたし、あまりに暇が続くと客と連れ立って飲みに行ったりしていた。店主のレイコ姉が大好きだった俺にはそれだけで十分だった。
レイコ姉は俺より5歳上の独身、俺はこの女性と多大なる時間を過ごすなかでいろんなことを教えてもらったような気がする。敬虔な両親の愛情と対極に位置する、かなりの毒を含んだ処世術めいた人生のしのぎ方とでも言おうか・・・。
今も大阪に行くと必ず挨拶に寄る。イイカゲンな俺だが、この女性だけは特別、いつだって俺なりに筋を通したい。一生頭が上がらない人ってのが誰にだってあることと思う。レイコ姉は俺にはそんな人なのだ。

ケーキ投げ大会は『IVY』から始まった。

余頃を始めとして幾多の仲間、ともに『IVY』で最も熱い時代をすごした仲間がバイトを始めた翌年の春、大学を卒業して社会に巣立っていった。彼らは皆、卒業式に出席することなく記念すべき一日を『IVY』で過ごした。卒業証書を受け取りに行くのは俺や後輩の役目だった。

「今夜が最後や! 派手に行こうや!」 それを合図にそれは始まった。

その夜、後輩や留年組で買ったケーキ5万円也は店の内外問わずに飛び散った。ジュースやビールを相手かまわずかけまくり瞬く間になくなった。散乱するビール瓶や空き缶で滑りながらも後輩連中は自動販売機に走る。自動販売機も瞬く間に「売り切れ」のランプが点灯する。それにも飽き足らず、水道の蛇口にホースをつなぎ水のかけ合いが始まった。店の中は床が水浸し、天井からは絶え間なく水がボタボタ落ちていた。戦線は拡大、店の前の道ではクラクションが鳴りっぱなしで車がヨタヨタ通り過ぎていった。
明け方、卒業組はケーキやビールなどの匂いの染み付いた服のまま、車に乗り込み自分がこれから過ごすことになる全国至るところの街へと消えていった。俺はビールの染み込んだタバコに火を付けながら見送っていた。
『IVY』はその日から5日間、店を閉めた。

あの夜から4年後の晩夏、俺はそれまでの社会人生活に終止符を打ち福井で暮らすことを決めた。俺が大阪から福井へ旅立つ前夜、4年前の春と同じだった。かつて俺が見送った連中が全国から『IVY』に集まってきた。4年ぶりに俺達は翌日の朝までケーキ投げ、果てはビール&ジュースかけ、あげく水のかけ合いに興じていた。この日の『IVY』の破損は前にも増して激しく、看板は倒れ、商売道具のサイホンは砕け散った。『IVY』は翌日から閉まった。今回は1週間だった。

こんなリズムで塾をやりたいと俺は思い続けてきた。後輩も先輩もなかった。店主もバイトもなかった。みんなが「家族」だった。
俺がこよなく敬愛する爽風塾の先生の親父さん(加茂中学校長)は、俺達の集団を「原始共産制」と断じた。俺にとっては十分すぎるほどの褒め言葉だった。

塾を始めての1年目、当然にして愛着はある。しかし同学年の繋がりが密で、「家族」とはなりえていなかった。

2期生のメンバーには、はかないながらも「家族」の匂いを感じた。俺の誕生日の夜、『IVY』から場所を久居に移して、初めてのケーキ投げ大会が開かれた。酔っ払った俺は生徒を送る際に、桜ヶ丘のガードレールを破壊、電信柱にぶつかり、脇田山に抜ける道では脱輪、火事場の馬鹿力で体勢を立て直すものの再び電信柱に激突。愛車のラムダは廃車となった。それでも俺の心の中では、まだまだこんなもんじゃない・・・臼井自動車の親父さんの呆れ顔を見ながら、不完全燃焼に悶々としていたのを感覚を覚えている。

3期生のメンバーは、後輩に指示ができるようにはなった。俺流に言えば、一歩「家族」に近付いたと言える。しかし女の子が多かったこともあり、到底『IVY』との勝負は望めなかった。

そして迎えた4期生・・・ドグサレの聖志や辻本、邦博に臼井を擁する学年。特に聖志がいたことが大きい。こ奴は中1で入塾、兄貴(2期生)がいたことからウチの塾のスピリッツにどっぷり浸かって中学3年間を過ごした。聖志を中心に全員がまとまり、俺の誕生日・結婚式や結婚記念日・双子のれいとめいの誕生など、とかく理由をひねり出しては全員を率いてその日の授業ボイコット戦術に出てきやがった。俺の性格、個人的なサボタージュは嫌いだが、全員総出によるサボタージュは大好きなのだ。プリントを準備して待っていても、結局はこ奴らドグサレとパーティにシフトしちまう軟弱な俺。
この4期生は中2の春休みに『祝!れい&めい誕生ケーキ投げ大会」でデビュー、続いては俺の33歳の誕生日記念ケーキ投げ大会、そして上野征希旅立ち記念ケーキ投げ大会と、立て続けにケーキ投げ大会を乱発していく。やっと俺は大阪の地を遠く離れたここ久居の地に、安住の地を見つけた。俺達は「家族」・・・そう思いながら、俺は横須賀に旅立つ征希を見送った。

そして今年、5期生の時代となる。しかしながら今年のメンバー、成績はともかく、こと全体としてのパワーに欠ける。まだまだ「家族」ではないのだ。そんな今年の中3を裏から動かしたのは、ケーキ投げ大会のキャリア、4期生を中心とする高校生達だったのだ。

俺の誕生日の前日26日、俺はトイレットペーパーとテッシュペーパーを買占め車のトランクへしのばせておいた。ともにケーキ投げ大会の後の掃除の必需品である。ケーキ投げ大会を実施したらやたら使うことになるし、また開催中止となってもいつかは塾で使う。つまりはどちらでもいいのだが、正直言って今年の中3には「ケーキ投げ大会」をするだけの力量がないと踏んでいた。しかし・・・もしかして・・・。

ところが27日となり、高校生の影がちらつき始める。弓道部のはずの横山、珍しく、いや早退したに違いない時間に塾に姿を見せ、テントの中にこもっては中3の菊山や小林とゴソゴソやっている様子・・・。つまりは高校生の根回しなんだろうが、このあたりが今年の中3のネックとなる。何をするにしても中心になる人物、リーダーシップを握る人物がいないのだ・・・去年の聖志のような。

そんな中3の色合い、俺は先刻承知。それをなんとか変えよう変えようと今まで来たわけだがまだまだのようだ。今回の件にしても結局は高校生を頼っている。それは成績とも関連する。今年の中3、メンバー個々を見ればそこそこに力量があるはずなのに、それが全体的なパワーの爆発には至っていない。こんな時にノリのいい学年、たとえば去年のような学年は、当初はともかく土壇場での瞬発力が違う。後からでも十分に逆転が可能なのだ。

このような経過から今年度の「ケーキ投げ大会」が始まったのだ。

今年の悪口ばかり言ってもしょうがない。今年の「ケーキ投げ大会」の特質をひとつ。
女子がずぶ濡れになったことに尽きる。去年の場合、依子・真実・真美・さおりの4人が参加したが、女子は女子だけの空間を作っては女子だけで楽しんでいた。意図的なものでもないだろうが、スピード感が男子とは全く違う以上は同じ運動場で、野球と吹奏楽をやってるようなものだった。それが今年は一変! 女子も男子に負けずにずぶ濡れ、つまりはウチの塾にも男女雇用機会均等法が施行されたわけだ。これは「ケーキ投げ大会」の歴史のなかで大いなる進歩であると俺は解釈している。

時間としては小1時間ていど、最初は教室内で始まるものの戸外への乱闘へとエスカレート。この流れは例年のものだが、ここで高校生、さすがキャリアという動きをすることに・・・。初めて経験する「ケーキ投げ大会」に興奮する中3は押さえが効かない。無意識に塾の前の道へと飛び出そうとする。クラクションが鳴り響き、時には罵声が飛ぶ。去年がそうだった。その去年のキャリア組、飛び出そうとする中3に「こら!自動車が来るぞ!」「出るな!車や車、このアホ!」なんぞを怒鳴っている。つまりは人垣で作るバリケード・・・そんな黒子にまわった高校生たちの作り出した空間で、中3は自由を満喫している。これもまた大いなる進歩。今までなら「大人」である俺が一人バリケードで立ち向かっていったが、俺の意を察したのか、高校生たちが主役になることを控え脇役に徹している。高校生達もまた、進化していく・・・。

今週の週末は雨になると天気予報で言っている。それもかなりパワフルな低気圧が通過するそうな。このあたりも大雨と強風で大変なことになりそうだ。
別に早く家に帰って・・・なんぞとマイホームパパを演じる気、こちとらさらさらねえ。
大雨→強風→テントという連鎖反応が昨年以来、俺の身体の隅々にまで染み付いてしまった。ブロックの2個や3個を重ねた程度では、自然はいとも簡単にテントを吹き飛ばしてしまう。大げさなようだが、これは俺と自然との戦いである。

初めて作ったテントは自転車置き場の屋根から農業用ビニールをたらしただけのものだった。雨はともかく、風がふくと持ち込んだ机の上からプリントが吹き飛んだ。雨と風になると最悪だった。めくれあがったビニールのすきまから雨が吹き込み、コンクリートの床を雨が流れた。
そこで俺は自転車置き場の四隅に柱を建て、床にはブロックを敷いた。さらに発泡スチロールで側面を囲った。この材質ゆえに建築基準法の対象にはならないと1級建築士からのお墨付きも頂いた。冬になるとブロックだけの床は寒い。そこでバスマットを大量に買い込み、床に敷きつめた。

ウチの悪名高き「テント」もまた、「ケーキ投げ大会」と同様に進化し続けてきたのだ。

週末には低気圧が通過・・・俺の『ミスター・ジョン』(DIYショップ)への日参、ここ当分続きそうだ。

テントの補修をする行為を考えるとき、俺はいつだって福井を思い出す。
福井で二回、冬を過ごした。毎日のように、もう勘弁してよ!と神様に願うくらい雪がふる。しかしながら委細かまわず、雪は淡々と積もっていく。毎日、毎日だ。こちら側の生活、人間の事情なんてお構いなしに自然は自然であることを全うしていく。

俺と刀称は雪かきを持って屋根に上がる。寒い、とてつもなく寒い。しかしながら雪を庭に落としていくうちに身体は暖かくなり、ついには冷気に晒されている顔を汗がつたっては雪の上に落ちる。
少しばかり休もうか、という刀称の声に安堵のため息。二人してタバコに火を付け、辺りを見まわす。どこの家でも事情は同じ、俺達のように屋根の上から雪を落とす人、そして下にはそれを移動する人・・・。父が、母が、子が、・・・みんな総出で雪かきをしている。

俺の「家族」の原風景は、あの時の光景・・・。

今日は森下と邦博が現場監督・石田の号令一下、テントの補修を手伝ってくれた。

青春の一時期にウチの塾を通り過ぎていく生徒達にとり、俺という存在がかつての俺にとってのレイコ姉のような存在になれれば・・・、れいめい塾という空間が俺にとっての『IVY』のような場所になれればいい・・・、俺は切にそう願っている。

いつの日か、俺の双子の娘たち、れいとめいと、テントの補修をする日が来るだろう。俺はその日が来るのを心待ちにしている。


END.

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