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0:パソコン導入以前(写真はなし)
 パソコンを導入する以前(25年ほど前)は、文書作成は、パンライターを使っていました。
パソコン初期のドットインパクトプリンターと同じで、一字づつインクリボンに打ち付けて書面に印字するものです。
 プリンターは、それを機械がやってくれるだけのことで、仕組みは一緒でした。
 ただし、パソコンのプリンターと違うのは、ミスの訂正です。パンライターでは、間違うと修正液で消して乾くのを待ち、訂正文字を打ちますが、パソコンは、元の文書を修正すれば済みます。これは、後ほどパソコンを使用するようになって、一番便利に感じる点です。
 いわば、パソコンは、パンライターでやっていた機能を分割して、文書の作成機能はパソコンで、印刷はプリンターでと分けたのです。
この分割し、改めて組み合わせるという発想は、パソコンでは重要です。
 とにかく、パソコン導入以前は、そうやって文書を作成していました。
1:一代目のパソコン導入

写真1:屋根裏にしまってあっ
たのを取り出して撮影。
まだ動きます。丈夫なマシンです。
 いよいよ一代目のパソコンが我が家に入りました。1984年頃だったように思います。
 値段も定かではありませんが、かなり高かったように記憶しています(20数万〜30万円?)。
 機種は写真1のように、NECの9801VX2です。
16ビットパソコンで、二種類のCPUを搭載し、CPU速度は、8MHzと10MHzの二段階切り替えでした。
パソコンの一番下の左から二つ目のボタンが切り替えスイッチです。
 10MHzのCPUはインテルのi80286です。現在はほとんどありませんが、ディップスイッチでハード的に設定を変えられるようになっていました。
CPU速度切り替えスイッチの隣のカバ−の部分、これを押すとカバーが開いて、二種類のディップスイッチ群が並んでいました。

 起動は、写真3,4のような5インチフロッピー(一辺13cm)です。
VX2は、2ドライブなので、起動ディスクを上のドライブに、保存用ディスクを下のドライブにセットして使います。
 写真4は、Lotus123の起動ディスクですが、ユ−ティリティは一枚のフロッピーに入りきらないので、3枚ほどに分かれていて、抜き差しして使います。

 このマシンのフロッピーディスクの容量は、640kbと1Mbの両方が使えるようになっていました。
このフロッピーディスクの制限は、後に1.44Mbが主流のDOS-Vパソコンとの非互換性が問題になります。

 さて、このパソコンの基本の(ROM)システムは、N88-BASICでした。BASICはインタプリタ言語で、一行ずつ翻訳実行されます。
処理は遅いが、一行ずつ確実に処理するので、わかりやすい言語でした。

 しかし、私や友人のほとんどは、N88-BASICを標準システムとして使っている人は少なく、この当時はやってきたMS-DOSが主流になっていました。

 MS-DOSの基本システムの上に、好きな辞書や好きなアプリケーションを組み合わせて使っていました。
 当時、私がよく使ったのは、DOS3.1に辞書松茸を組み込み、ワープロとしてはテラV世、QueenV、一太郎を、表計算としてはロータス123を使っていました。
(つまり、ワープロ機能やちょっとした表計算機能としての利用がほとんどでした。)

 写真2は、このマシンに付属のマニュアル類ですが、写真の右三冊がBASIC関連のマニュアル(うち二冊は分厚い、そのうちの一冊は343ページある)で、
 NECがBASICに力を入れていたのが分かります。
確かに、当時、日本ではNECがぬきんでていましたが、その後、IBMやMicrosoftが世界を席巻し、日本のパソコン市場は大きく変わっていきました。

写真2:付属のマニュアル。
右三冊はBASIC関連。

写真3:当時使っていたFD。

写真4:表計算ソフトLotus123。

2:二代目のパソコンです

写真1:屋根裏鎮座の二代目PCと二代目ディスプレイです。まだ使えます。

 二代目のパソコンNEC9821V166です。同じタイプのV200はタワー型でした。ちょっと高かったので、V166にしました。
32ビットパソコン(FAT32)で、CPU速度はIntelのPentium166MHzでした。購入は1996年、価格は20数万円でした。
二回目となる今回は、我ながら対応が早く、Windows95導入は同僚間でもかなり早い方でした。

 このパソコンはずいぶんいじりました。まず、内蔵HD、FD、メモリ(RAM)増設、そして、写真2,3の外付けHD、さらにCD-R Writingドライブ、スキャナーの増設などです。
最後の仕上げは、CPUの性能UP。下駄つきAMD200MHzと交換、Windows98へのバージョンアップ。トータルすると、かなり高いパソコンです。40万円以上?。
また、このパソコンは、NECでありながら、徐々にDOS-V化していく途中段階のモデルでした。
特に、FDドライブの対応は、ソフト的に変更可能で、私などは、3Wayで使っていました。つまり、1.0、1.2、1.4Mbの三種類のFD対応でした。

 ところで、このパソコンの最大の特徴は何かといえば、もちろんWindows95というOSにあります。
Windows95はDOS6.2?の上で動くGUI環境プラットフォームでしたが、このGUI(マウスでアイコンをクリック)が大変使いやすく初心者に大いに受け入れられ、パソコン人口を増やしました。
 しかし、Windows95が爆発的に広まったのは、GUI環境だけにあったのではありません。
このあたりのところは研究者によって見解の分かれるところですが、事実、Windows95にはCUI環境も残されていて、DOSプロンプトという形でCUI環境も使えるようになっていました。
 ネットワークを勉強すると分かるのですが、少し大きなネットワークを管理するのはCUIでないと大変です。
その意味では、Windows95の人気は、GUIとCUIの共存にあったのかもしれません。
優れたOSであった(簡単なプログラム変更で小回りがきく)CUI環境のDOSの遺産を継承しつつ、初心者にも優しいGUI環境とのバランスが良かったのではないでしょうか。

 この後、Windows98、second edition、Meとバージョンアップしていきますが、このあたりでDOS-Vへの一本化が進み、CUI環境が減っていきました。
そして、GUIの代表であるWWWの利用が急激に拡大し、クリックで手軽に楽しめるインターネットが爆発的広がりを見せはじめます。
その勢いは、その後ますます加速し、現代のインターネット社会を作り出しています。

 エピソードを一つ。
ある日、パソコンから突然音が消えた。メーカーに修理依頼をしたが、返ってきた返事は原因不明、修理不能だった。
私は、デバイスドライバ、割り込み要求、音声ソフトのバージョンアップ等々、ありとあらゆる原因可能性を一つ一つ切り分けていった。
 そして、原因可能性はこれしかないと思い当たったのが、音源ボードの故障だった。
しかし、発売から日が立ちすぎ、販売は終了しており、部品も残っていなかった。
そこで、ネットオークションを検索し、中古部品を扱っている九州の業者から取り寄せ、載せ替えると音が復活。
この貴重な経験が元になって、この後、三代目の自作パソコン製作に突入していくことになる。
このころの私は、職場でHP作成や情報機器の管理・維持を担当し始めていた。


写真2:二代目PC、NEC9821V166です。OSはWindows95、速度166MHz。もちろん動きます。

写真3:拡張パーツの代表。SCSI製外付けHD(Windows95の制限で4.3GB)

写真4:写真3の裏面。SCSIのコネクタ・ケーブル。終端装置必須。

3:二.五代目のパソコン

写真1:2.5代目のノートパソコン、
NEC LabieCシリーズのL700です。
Meのままで現役です。
 いよいよ三代目自作パソコン登場かと思いきや、2.5代目ノートパソコンです。
私自身は、ノートパソコンは値段が高いし、拡張性に限界があるなど性能的に無理があるので、好きではありませんでしたが、
義理の父親が購入したものの宝の持ち腐れ状態になっているので使ってくれんかと言われて、購入したものです。

 ほとんどまったく使ってなくて、新品同様だったのを半額で購入しました。
CPUはIntelのPentiumVで700MHzです。OSは世に不評のWindowsMeです。しかし、さすがノートパソコン、さすがNECと思われる装備がたくさんあって楽しめました。
例えば、ふたの表にイルミネーションを点灯させることができたり、操作パネルにはワンタッチスタートボタンがあって即インターネット、即メールを立ち上げることができたり(私は使ったことはありませんが)、
FD、CD-RWドライブも標準装備だし、そのほかにも種々のアプリケーションがたくさんついていて、結構楽しめるようにはなっていました。

 インターネットへの接続環境は、前から見て左側にPCカード用2スロットがあって、そこの1スロットにLANカードを差して使っていました。
カードは10/100Mb対応だったと思いますが(カード紛失)、これがMeと相性が悪く、職場と家と設定を変えて使っていましたが、
メモリも最大の256Mb(defaultは64Mb)にしたものの前の設定が邪魔をしてつながりが悪かったですね。
Meとの相性のせいか、カードの性能のせいかはっきりしませんが、ネットワーク環境に関しては、結構不満足でした。
また、2スロットあっても、物理的に無理があって2枚差しで使うことはできない点も不満の残る点でした。

 総じて、この2.5代目の評価に関しては、持ち運びが便利という点はあるものの、Meであることからなんとなく中途半端な感じの否めない一台という感じです。
この中途半端な感じを何とかしたいという気持ちが、三代目の自作へとつながります。

写真2:カバーを開けたところ。
運搬可能が最大の魅力。
OSは世に不評のWindowsMe、XP
にはUPせずスタンドアローンで現役。

4.三代目パソコン(自作パソコン)

写真1:青いカバーの三代目自作
パソコン。
今、私のメインのパソコンです。
 いよいよ三代目自作パソコンの登場です。

2002年の年末から製作にとりかかり翌年の1月に試運転開始した写真1の青いカバーのパソコンです。
ケースは、Oultechの製品でオールアルミ製です。軽いです。これまでの経験で、スチールは重いというイメージがあったので、軽いアルミ製にしました。
 中のスペースも広く、扱いやすいです。
拡張性も高く、2ボールベアリングタイプファン4基、拡張スロット7基、5インチベイが4基、3.5インチシャドウベイ5基、FDDベイが2基ついています。 電源は、460WのEnermax製です。
 CPUは値段が下がるのを待って購入した2.26GHzのPentium4です。Socketは478です。

 ご存じの方もあると思いますが、マザーボードのソケット形状によって積めるCPUが決まります。
 私の使っていたのは、写真2のマザーボードSocket478で、現在のDualコアのCPUなどは積めません。

 現在のパソコン業界は日進月歩で、ソケット形状はどんどん変わる、メモリ形状は変わる、インターフェイスは変わる、なかなか一台を長く使うことは困難です。
 私は、大量生産、大量消費の代表であるかのようなパソコン業界、それに対抗するように、基本的な考え方として、一つを愛着を持って長く使いたいと考えています。
 部品は基本的に消耗品で、何年か使っていると必ずダメになります。それをちょっとづつ自分で補修しながら、長く使っていきたい。
これは、団塊世代の小さい頃の生活経験から来ているのかもしれません。

 私の自作パソコンも、はじめのマザーが故障しました。
古いマザーなので部品がありません。
仕方なくAOpenに修理を依頼したところ、台湾に送って修理をするので1ヶ月半ほどかかるという返事。
他に手がないので、やむなく頼むと一ヶ月半して返ってきた結果は修理不能。
 マザーをよく見ると、8個ほどの電解コンデンサーから液漏れが起こっていました。
ネット販売でコンデンサを取り寄せて自分で修理しようかとも思いましたが、復旧までにさらに時間がかかるし、うまく復旧する見込みも怪しいので、やむなく別のマザーを捜すことにしました。

 あるものですね、ネットで写真3のソケット478対応BIOSTAR製のマザーがあることを知り早速購入。
ところが、確認不足で、メモリソケットが違う。
業者に表示不足と文句を言いながら、この際、容量も1GB二枚で2GBにUPしました。
このBIOSTARマザーは、AOpen製よりも小振りながら、ほとんどの部品は流用できます。
しかし、IEEEコネクタはついていない(二代目パソコンのPanasonic製DVD-RAMドライブ、SONY製デジタルビデオで使用)ので、IEEEインターフェイスボードは別途購入。
とにかく、これまでのリソースを極力流用し、余分な出費を抑えて補修終了。全部で二ヶ月くらいかかりました。

 その間、活躍したのが、写真4のDREAMSYSという韓国製のパソコン?
これに、ビデオキャプチャをつけてケーブルテレビ番組をキャプチャしていました。その間に、自作復活。やれやれでした。
 ところが、今度は緊急用のDREAMSYSが故障。
ビープ音を出して立ち上がらなくなりました。付属の英語マニュアルによると、ビープ音の種類からしてメモリ関係の故障のよう。
購入店に運び込み、見てもらうとメモリがうまくささっていなかったのが原因と判明。 Goodwillのスタッフのレベルの高さに関心。メモリ故障ビープ音の時にメモリの抜き差しをしてみれば良かったと自己反省。
最近はメモリが大容量になってきて、メモリ関係のトラブルが多いことは自分も感じています。

 ともあれ、現在は、この自作パソコンと緊急用パソコン、それに2.5代目のノートパソコンの三台でパソコンライフを楽しんでいます。

 実は、もう一台、NECのサーバーマシンExpress5800があるのですが、現在電源が入らない状態です。
復活すれば、屋内サーバとして、Webサーバにしようかと考えています。OSはもちろんUNIXで。

 以上、現況をお伝えしました。みなさん、パソコンを自分の手足として使い回し、有意義にパソコンライフを楽しみましょう。

写真2:自作パソコン最初のマザ
ーボードです。AOpen製です。

写真3:現在使っているBIOSTAR
のマザーです。

写真4:故障時の対応用
PC。中古で購入。
Celeron2GHzです。
音静かです。現役。

写真5:これまでに購入した部品
の数々。
これらを使い回して長く使うことを
考えています。
5:最近のパソコンライフ(1)
 私の最近のパソコンの使い方は、電子メール、インターネットによる資料検索、自分のHPの公開といったところである。OSはWindowsXPである。
 最近、XPの後継OSとして不評だったVISTAから7へのバージョンアップが話題となっている。
 Microsoftにとっては、起死回生のWindows7の開発のようである。
Windows7発売後のパソコン量販店に行ってみると、売れ残ったVISTAをノートパソコンなどに積み込み、Windows7搭載よりも安価で販売するという手法が採られている。
 ノートパソコンは割高であるので、そこに売れ残ったVISTAを載せ安く販売するという作戦は、パソコン業界、量販店ではおなじみの販売戦略である。

 このHPをご覧の皆さんは、パソコンについてはかなり知識を持っておられると思うので、老婆心ながら、ノートパソコンを購入される時は、値段とスペックを見比べて、間違いなく購入されることをお勧めする。
 現在のパソコン業界は、一昔前のWindows一色ではない。MacもDOSV化し、一方でUNIXに代表されるオープンソースの時代になってきている。
 特に、GNUに代表されるオープンソース化の波は、新しいコンピュータ時代を模索するものである。
 インターネットは誰のものでもなく、利用する人たちすべてのものである。
この単純明快な姿勢を、具体的に実現しようというのがGNUプロジェクトの試みである。

 この考え方は、Microsoftが掲げてきた精神とは正反対である。
Microsoftは、WindowsOSのソースコードを伏せ、逆コンパイルを禁止し、ユーザーをひたすらブラックボックス化されたOSを使う立場だけに追いやってきた。

 それに対して、GNUプロジェクトの目指すものは、ソフトのソースコードを公開しなければならないというところから出発している。
そして、公開されたソースコードの自由改変を認め、改変したソースコードも公開しなければならないとしている。
 いわば、利用するすべての人が開発に携わるチャンスを有するという精神である。そして、より多くの叡智を集めてよりよいコンピュータ環境を構築しようというものである。
 コンピュータ(パソコン)に親しむユーザーにこの思想が受け入れられるのは必然といえる。

 このコンピュータ界の動きにMicrosoftもこれまでとってきたポリシーを変更せざるを得ない状況となってきたようである。
 Windowsは確かに企業ベースでテクノロジーを発展させ、ユーザーに使いやすいOSの開発を模索してきた。
しかし、ここに来て、Microsoftの唱える論理だけではもはやインターネット時代を乗り越えられなくなってきた。そんな状況である。
 今日の新聞ニュースで、Microsoftのビルケイツ会長が、新原子力開発に乗り出すとか、そんなことする前に、パソコン業界に貢献することをしてほしいと思うのは私だけでしょうか。
 また、一方で、Google検索が中国から撤退というニュースも世情をにぎわせている。
 ともかく、これからのパソコン業界に注目である。

6:最近のパソコンライフ(2)

写真1:フリーソフトの画面です。
青色が点灯していればOKです。
今回、健康状態が黄色になり、下
の項目の二つが黄色に点灯してい
た。

 「随筆日記 現在編」で取り上げたWindowsXPのトラブルの詳細をお伝えする。

 始まりは、HDからコトンと変な音がして突然、画面がブルー系の色になり止まってしまうという現象からである。
 変だなと思いながら、そのまま使っていたが、度々そのような現象が起こるので、マザーボードが弱ってきたかなと思っていた。
 その間、知人の紹介でフリーのHD健康チェックソフトがあるのを聞き、早速導入して試してみた(写真1)。
 そのチェックソフトのチェック項目に黄色が点灯していた。その項目は、代替処理保留中のセクタ数というものであった。
 セクタとはHDやFDなどの記憶ドライブの記憶基本単位のことで、どうやら、そのセクタが破損して、代わりのセクタにデータを移動したということであるらしい。
 ということは、HDに物理損傷があるということになる。
 当然、HDの早期の交換を考えなければならない。

 以上のように、当初、マザーボードの故障を疑っていたが、どうやら、HDの損傷が原因であるらしいことがわかってきた。
 ところが、このエラーを抱えたシステムディスクを丸ごとバックアップするのは、なかなか大変であった。

 私の取った対策の数々を以下にご紹介する。


写真2:WindowsXPに付属のバック
アップツール。

最初は、Home Editionにはインスト
ールされていないので、XPのイン
ストールディスクから別途インスト
ールしなければならない。
インストールすると、
すべてのプログラム→アクセサリ
→システムツール→バックアップ
と進めば、バックアップユーティリ
ティリティが利用できる。



写真3:デバイスマネージャーの画













写真4:アドレス帳






写真5:インターネットエクスプローラのお気
に入り

1:バックアップへの対策
@WindowsXPに付属のバックアップ機能を使って(写真2)、システムの入ったCドライブを丸ごとバックアップしようとしたが、途中でバックアップエラーが出てバックアップが止まってしまい、バックアップが成功しない。

 この原因にはいくつかのことが考えられる。
 一つは、エラーのあるセクタも含めてのバックアップであるためにうまくいかない。
 二つには、現在作動しているシステムのバックアップがうまくできない。
 三つには、インターネットに接続した状態では、常にシステムに負荷がかかっているのでうまくバックアップができない。
 四つには、セキュリティ対策ソフトがインターネット接続を通じて常時監視稼働しているので、うまくバックアップができない、などであろう。

 ともかく、エラーを抱えて現在作動しているシステムディスクのバックアップを取るのは大変だと思い知った。
  いろいろな人に後から聞くと、WindowsXPのバックアップ機能では、システムはうまくバックアップはとれないということだった。

A次に試したのが、フリーでシステム丸ごとバックアップができるというソフトである。
 これも、途中までいくとエラーが出て最後までバックアップがとれない。

   幸い、Windowsのパーティション分割機能と連動しているので、元のパーティションに戻すことはできた。しかし、システムディスクのバックアップはとれなかった。
B市販のバックアップソフトを購入して、バックアップに挑戦した。

 販売店員のアドバイスにより、システム起動ディスクが動いたままのバックアップはうまくとれないので、
別のパソコンでXPを起動しておいて、バックアップを取りたいシステムの入ったディスクと新しくシステムを移行したいディスクをつなぎ、
元のシステムディスクを新しいディスクにバックアップするやり方が確実であると聞き、早速家に帰って試した。
 ところが、新しいディスクの電源を入れるのをうっかり忘れていて、取ったバックアップは、そのとき起動していた別のパソコンのCドライブであった。
つまり、エラーを抱えた元ディスクに別のXPのシステムディスクを復元してしまった。
 元のパソコンにその復元したディスクを戻して起動してみると、従前の画面と似ているが、なんか違うことに気がついた。よく調べてみると、別のパソコンのCドライブだ った。
 結局、移動したいシステムディスクは、別のシステムディスクに取って代わられてしまった。
 この市販ソフトは、いまいち使いにくく失敗だった。

Cコンピュータに非常に詳しい人に相談し、Ghostというソフトを使うのが可能性が高いと聞き、早速試してみたが、これもうまくいかず結局断念。
 以上のような顛末で、自分のバックアップミスも含めてエラーのあるシステムディスクのバックアップは断念せざるを得なくなった、
というより、別のシステムディスクに変わってしまったので、もはや、バックアップをとる必要性がなくなってしまった。

2:WindowsXPのクリーンインストール
 最終的に、手元にあるWindowsXPのCDからクリーンインストールすることにした。
 ところが、この時点になると、CDドライブが認識されなくなってしまっていた。
 Windows7でデバイスマネージャーを見ても、デバイスドライバがありませんという返事。
Windows7のセーフモードで立ち上げてから再起動しても、CD・DVDドライブが認識されていない(写真3)。

 ディスクがありませんというエラーメッセージが出るので、試しにIDEケーブルを交換してみることにした。
 ところが、量販店に行くと、現在は、SATAケーブルが主流で、IDEケーブルは置いていませんという返事。
 仕方なく、パソコン専門店に行くと、IDEケーブルが安価で手に入った。
 帰って付け替えると、ドライブ認識が復活。CDドライブから直接起動ができるようになった。
 CDドライブが認識されない間は、FDドライブが認識されていたので、フロッピーからWindowsXPを立ち上げ、修復機能を駆使して、何とか動くようにしていた。
 CDが動けば、FDを使う必要がなくなり、CDからすんなりとWindowsXPのインストール画面に移行することができた。

 ところが、ここでまた問題発生。私は、システムインストールディスクを二枚持っている。
 一枚はOEM版で、これにはシリアルナンバーが書かれている。
 もう一枚のSP1のディスクには、シリアルナンバーラベルがはがれてしまって付いていない。  ご存じのように、CDからのシステムインストールの画面になると、シリアルナンバーが要求される。こうなると、WindowsXP SP1はインストールできない。
 実は、HDに異常が見つかった時点から、クリーンインストールを考え、クリーンインストール作業を始めたが、
インストール画面になると、シリアルナンバーを要求され、それ以上進めなくなって断念した経緯がある。
 再び、その状況に追い込まれた。

 そこで、窮余の一策で、シリアルナンバーが要求された時点で、CDディスクをOEM版に入れ替え、OEM版のシリアルナンバーを入れて、その段階を切り抜けるようにした。
そうすると、インストールが進行し、少しすると、SP1のラベルの付いたCDに入れ替えてください、というメッセージだ出るので、
再度、SP1のCDに入れ替えて継続すると、インストールが進行し、無事にクリーンインストールが成功した。
 この時点で、HDに異常が感じられてから三週間が経過していた。

3:元のWindowsXPへの復元
 物理的損傷をしたHDに入っていたWindowsXPの状態に戻すのが大変である。
WindowsXPはサポートが打ち切られ、不評だった後継のVISTAを通り越して現在はWindows7の時代となっている。
私もWindows7も試しに使っているが、VISTAよりも軽くなかなか調子がよい。
しかし、Windows7との互換性がどうかが気になるところである。
 それで、とりあえず、これまで使っていたWindowsXPの元の状態に戻すことを考えた。
徐々にWindows7に移行していくことになると思うが、これまでに蓄積したデータを利用できることはもちろん、新たに組み込んだプログラムの設定まで復元するのは互換性の問題もあり、なかなか難しい。
たとえば、TexやJavaの環境設定など結構面倒なものもあり、元通りに復元するのは時間も手間暇もかかる。
必要なものを一つ一つ確認しながら、再度設定をしていこうと思っている。
 復元のいくつかを紹介しておきたい。

@Outlook Expressのアドレス帳(写真4)
 WindowsXPでは、Outlook Ecpressのアドレス帳が利用されている。
WABという拡張子のついたファイルであるが、これを復元するのがなかなか難しい。
第一、どこにそのファイルがあるのかが分かりにくい。

Program FilesのOutlook Expressフォルダの中にWABというファイルがあるが、これは、自分の作ったアドレス帳そのものではなく、アドレス帳を呼び出すアプリケーションファイルである。
 それでは、自分の作成・保存したアドレス帳はどこにあるかといえば、
通常Cドライブを開くと最初に出るフォルダの中でDocumant and Settingsの中の個人のフォルダの中の隠しファイルになっているApplication Dataフォルダの中のMicrosoftフォルダの中のAddress Bookが本体である。

深いディレクトリの中にあり、しかも、外からアクセスに行くとアクセス権がないため、アクセスできないファイルである。
 従って、トラブルが起こったときのために、アドレス帳をコピーして持っておきたいと思ってもなかなか難しい。

アドレス帳の機能の中には、インポート・エクスポートという機能があるので、トラブルになる前に、これらの機能を使って別の場所に保存しておくのが簡単な方法である。
 しかし、私の今回のトラブルのようなWindowsそのものが立ち上がらない状態になると、この機能は使えず、アドレス帳そのものを探し出して、取り出すという作業が必要となる。
このOutlook Expressの仕様は、個人情報保護の観点からなされているものと思われるが、いざの時のために、そのありかを知っておくことも必要である。

 私も、これまでに何回もいろいろなタイプのトラブルに見舞われてきたので、今更ながらということではあるが、普段から、トラブル時にあわてなくてよいような対応をしておくことが大切であることを痛感している。

 ちなみに、Windows7ではOutlook Expressはないので、Outlook Expressで利用していたアドレス帳は、そのままではWindows7では利用することができない。
 これまでのアドレス帳を使えるようにするためには、WindowsXP上でOutlook ExpressをWindows Live メールにアップグレードする必要がある。
そうすれば、Windows7上のメールソフトであるWindows Liveメールの中で、従来のアドレス帳のデータを使うことが可能になるようである。

Aインターネットエクスプローラーのお気に入り(写真5)
 IEのバージョンやOSの種類によっても異なると思うが、
私の現在の環境であるWindowsXP SP3とOutlook Express6.0では、お気に入りファイルは、Documant and Settingsフォルダの個人フォルダの中に星印でお気に入りというフォルダがあり、その中にお気に入りのデータがある。
 こちらも、インポート・エクスポート機能があるので、それを使えば簡単に別の場所に保存しておくことができる。
ただ、メールアドレス帳と同じく、外からアクセスしてみようとすると、アクセス権がありませんというメッセージとともに、アクセスが拒否されるので、普段から別の場所にもコピー保存しておくことが必要となる。

 現代のような情報化時代になると、いろいろな情報を得るのにインターネットの検索機能や必要なサイトはお気に入りに保存しておいて、利用しやすくするのが通例である。
 アドレス帳と同じく、日々変更されることが多いので、いざの時のために、こまめに保存することが大切である。


写真6:クリーンインストール後しばらくし
てのデスクトップ




写真7:クリーンインストール後しばらくし
てのプログラム


B追加でインストールしたプログラム(写真6,7)
 WindowsXPをインストールした直後は、デスクトップの画面には、ゴミ箱しかないが、それがいつの間にか、様々なアイコンでデスクトップがにぎやかになる。
また、同時に、スタートからすべてのプログラムを開くと、いつの間にか多くのアプリケーションが登録されている。皆さんにもおなじみの光景である。

 私も、XP導入後、様々追加アプリケーションを入れてきた。
 たとえば、Texであり、Javaであり、かつまた、動画再生プログラムなどである。
これらの追加プログラムは、その時々の必要に応じて使うものであり、しょっちゅう使うというものでもないので、
使わないときは、消してしまえばよいようなものであるが、ついついそのままにしておくために、溜まる一方である。

 気がついてみると、デスクトップが手狭になっていたり、スタートからのすべてのプログラムが画面いっぱいに広がるようになっている。
 しかも、これら追加アプリケーションは、バージョンアップがなされる。そして、それは、インターネットを通じてなされることが多い。

 従って、OSを導入して時がたつと、導入した当初とは、似ても似つかぬほどにOS周りが複雑になっている。
 いわば、財産を残すようなものである。
ところが、OSが急にだめになると、OSそのものは、最初の状態を導入できるものの、その後になした追加は、いっさい反映されない。
 時がたつほど、この差が大きくなっている。
もはや、最初の状態に戻すと、別のOSを入れたほどの違いがある。
 現在のところ、これに対する有効な手だてはない。

 便利なものには必ずとげがある。いたちごっこである。
 これからも、よりシンプルな対策を探りながら、パソコンライフを楽しもうと思っている。


7:最近のパソコンライフ(3)
三種類のOSの起動画面を
写真で紹介の予定!
もうしばらくお待ち下さい。



写真8:WindowsXP起動画面


写真9:Windows7の起動画面


写真10:FreeBSDの起動画面

 久しぶりのレポートである。
 2012年9月末現在の私のパソコン環境は、4.で紹介した自作パソコンに、OSが三つ起動できる状態になっている。
 HD毎に別々のOSを用意している。

 一つは、現在主として使っているWindowsXP SP3
 二つ目はWindows7
 三つは、FreeBSD
 である。
 この三つのOSを必要に応じてつなぎ変えて使っている。
 手軽に切り替える方法やダブルブートのような方法もあるが、シンプルにいちいち接続し直して使っている。
 最近のパソコンライフ(2)で紹介したWindowsXPのその後であるが、ごく最近(9月20日前後)、再び、HDを入れ替えた。

 (2)で書いたように、システムの入れ替えには懲りていたので、常にOSの調子には気を付けていた。
 今年に入って、パソコンの調子の悪いことがしばしば出始めた。
 手始めは、マウス接続の不良である。これまで使っていたマウスが突然動かなくなった。
 USB接続であったので、USBの場所を変えてみたが、やはり、動かないのでマウスの故障と判断してマウスを交換した。

 そのうちに、DVDの起動に時間がかかるようになり、DVDデバイスから異音がするようになってきた。
 映画DVDを見ようとドライブに入れると、ドライブが読みづらそうに点滅し、読み込みに時間がかかる。
 いったんDVDが始まると、その後は問題なく見られるのだが、どうも動きがおかしい。

 さらに、セキュリティソフトがたびたびエラーを表示するようになった。
 パソコンを再起動すると、WindowsのCHKDSK(チェックディスク)が自動的に始まり、終了後Windowsが立ち上がるという現象が始まった。
 セキュリティソフト会社には、何度も対応を持ち込んだが、それでも、たびたびエラーが出る状態となった。

 Microsoftへの相談も考えたが、無料サービスが打ち切られていたので、思い切ってHDを交換することにした。

 コピーソフトを使って、少し調子が悪いが何とか動いているWindowsXPのシステムドライブを丸ごとコピーした。
 やり方は、元HDと同じIDE用150GB HDを用意し、別売のHDDケースに入れ、ケース内でIDE接続し、パソコンにはUSB接続してシステムドライブコピーをした。
 コピーの完了したHDを取り出し、パソコンに接続して起動すると、スムーズにWindowsXPが起動した。

 問題のセキュリティソフトも安全に動いている。
 翌日、セキュリティソフト会社に問い合わせると、安全に機能しています、との返事。一件落着である。

 この機会にと、調子の悪かった代替パソコンも購入店に持ち込み、見てもらうと、メモリの差し込みが不安定だったようで、メモリの抜き差しで安定した。

 自作パソコン共々、一挙にトラブル解決となった。
 2010年11月8日(月)に随筆日記(現在編)に書いたパソコントラブルから、未だ二年経たないが、システムHDの交換となった。

 今回の教訓から、今後は、システムHDは1.5年をめどに交換をしようと思っている。
 読者の皆様も、HDは消耗品であることをくれぐれも肝に銘じておいて下さい。
 使用頻度は人によって異なりますが、ふつうに使って2年くらいがシステムHDの寿命と考えて対応されるのがよいようです。
 ではまた。


8:パソコントラブル(マザーボード)2013/8/15

写真11:故障したマザーボード



 ここ数日の間に自作パソコン(OSはWindowsXP)が起動しなくなり、マザーボードを載せ替える羽目になった。

 ただ今回は、壊れたマザーボードと同じものを買い置きしてあったので、同じ環境で載せ替えることが出来、トラブル処理としてはラッキーではあった。

 思い起こしてみると、トラブルはじわじわと忍び寄ってきていた。
 異常に気がついたのは、突然、マウスが動かなくなることからだった。マウスはUSB対応用で、USBの調子が悪いのかな?と思っていた。
 小生の使っているのは古い形式のマザーボードであるので、USBは9つのコードを一本ずつピンに差し込んで組み立てる形式である。
 組み立て方は間違いないはずであるが、それでもひょっとしたら・・・と思ってUSBのせいにしていた。

 それが頻繁に起きるようになり、そのたびに強制終了、再起動の連続となり、その操作のたびに調子が悪くなる、を繰り返し始めた。

 問題を解決するには、原因の切り分けが大切であるが、この時点では原因の切り分けは十分出来ていなかった。
 デバイスマネージャーを見ても!マークはない、前回のようにシステムドライブを調べても至って健康である。
 となると、Windowsの不具合かと思い、インストールCDから立ち上げ「修復」を試みるが、修復する気配もない。
 ツールでシステムのエラーチェックをかけると、何時間も時間がかかり、エラーチェックが終わって再起動すると、

 再び、マウスが動かない、また、強制終了から再起動、どんどん深みにはまっていく。

 原因を考えている内に、ひょっとすると以前に一回あったマザーボードの故障かも知れないと思いついた。
 パソコンの筐体を開けて、マザーのようすを見た。
 以前ダメになったマザーボードの時は、何本ものコンデンサーが膨らんだり、液漏れしたりしていたが、
 今回は、マザーボードを見てもコンデンサーの異常は見あたらない。
 試しに、マザーボード上の電池の電流を計測すると、電流がほとんどない。
 そこで、新しい電池に交換して起動すると、マザーボードのSetup画面は出るが、WindowsXPの起動画面が立ち上がらない。
 何回もケーブルを挿し直して試すが、同じ症状である。
 Wondows7の起動ドライブに替えて起動を試みる、今度は、Setup画面さえも出なくなってしまった。
 電池が原因ではない。

 すると残る原因はただ一つ、マザーボードそのものの故障である。
 翌日、朝からマザーボードの交換に取りかかった。
 経験のある人はご存じのように、マザーボードの交換は、自作パソコンを再度組み立てるようなものである。
 幸い、故障したマザーボードと同じものであったので、接続は比較的楽にできたが、CPUファン部品のリテンションの爪が堅く手間取った。
 それでもCPUの背に冷却用のグリースを塗って設置完了。
 モニター、キーボード、マウスを接続して、電源投入すると、Windows起動画面が立ち上がった。

 しかし、WindowsXPの起動画面にパスワードを入れると、「Windowsのライセンス認証」画面が立ち上がり、認証手続きを要求してきた。
 一度終了して、インターネットに接続し、手続きを進めようとするが、ライセンス認証サーバーに接続できない。
 仕方なく、プロバイダーに連絡すると、コントロールパネルも操作できない状態では、対処出来ないとの当てにならない返事。

 やむを得ず、電話による手続きを進めることにして、マイクロソフト社に電話をしてライセンス認証番号の取得を完了した。ようやく、見慣れたWindows画面が立ち上がった。
 マウスが完全に反応しなくなってから、丸二日が経っていた。

 今回は、同じマザーボードが手元にあったから良かったが、そうでなかったら、BIOSの設定、メモリーの交換、Windowsの初期化など、多くのハードルがあったことだろう。
 自作パソコンは、構成を好きなように出来る反面、トラブった時も全部自己責任でしなければならない。

 自作と言ってもパーツは既製品を使っているので、例えばマザーボードを変えると、マザーボードに合ったパーツを用意しなければならず、これまで使っていたパーツをそのまま流用できるとは限らない。
 パソコンは現代の最先端の技術でできあがっているので、パーツも日進月歩でどんどん進化している。
ゆえに、これまでのリソースを利用しようとすると、無理が生じる場合も出てくる。
 現代の消費生活は、昔のように、一度手にしたものは壊れて使えなくなるまで使う時代と異なり、まだまだ使えるものでも、どんどん新しいものに変えていく。
 確かに、より性能の良いものを使うことは、より快適な生活を送ることにつながるが、一方で、まだ使えるものを破棄するのはいかがなものかと思う。

 新たに開発されたより良いものを使うという消費生活と、一度使い始めたものは、大事に壊れるまで使うという精神生活を、両立させることはできないのだろうか。
 バブルがはじけてデフレといわれる時代に入った今こそ、この両面を意識した生活ができる世の中にしたいものである。


9:新しいマザーボード



写真12,13:新品のSocket478
マザーボード




   8/15付けのマザーボード交換の続きである。

 8/15の日記でも述べたように、同じマザーボード(Micro ATX)がもう1基残してあったので、うまくトラブル対応が出来た。

 今回の件で、いざの時のためにマザーボードの買い置きをしておこうと思いネットで注文をすることにした。
 もちろん、その前に、市内PC専門店にも連絡を取り、在庫があるかどうか確かめたが、3代ほど前のCPU対応マザーボードなので、もうありませんという返事だった。
 今回使ったマザーボードは、前回のマザーボード故障時に、そのPC専門店で追加でもう1基購入したものである。その店にももうないという。
 ネットで調べると、オークションでの中古が多いが、中には新品もあった。
 その中で、これまで書籍購入で利用していたA社でSocket478対応のASUS製新品マザーボードが掲載されていた。
 早速、注文することにした。

 コンビニから代金を払って送付されてくるのを待った。1週間ほど経っただろうか、待っていたマザーボードが届いた。
 送付元は中国だった。
 一瞬、不安が頭をかすめた。
 気を取り直して、梱包をほどくと、新品にしてはケースがないし、付属品もない、また、マニュアルもついていない。
 そして、肝心のマザーボードを点検するとCPUソケット、マザーボード後部のコネクター、特に、マウスとキーボード取り付け口がかなり劣化しており、明らかに中古品だった。
 だまされたと思った。

 早速、A社に状況を連絡し対応してくれるよう依頼した。また、商品の所有者はA社ではなく、別の出品者であったので、そちらにも、頼んだ商品とは異なるので交換して欲しい旨のクレームを申し入れた。
 A社からも出品者からも返事があった。
 出品者は、新品であるけれども古いので傷がつくことがあります・・・というような反省の色のないコメントだった。
また、交換品はないので返金で対応させて頂きますという返答であった。
 対応は早かったが、最終的にA社は、ギフト券残高に返金という形をとり、今後のA社での購入に充てさせて頂きますというやり方をしてきた。
 私としては、今しばらくはA社で購入する気分になれないので、ギフト券残高はしばらく使わないままになるだろうと思っている。

 読者の皆様も古い製品を購入しようとされる時にはくれぐれもご注意を。

 ところで、このままでは、初期の目的が達成できないので、再度、気を取り直して、Socket478対応マザーボードを探すことにした。
 同じようにネットで検索すると、ASROck社のP4i65Gというマザーボードが見つかった。
 扱っているショップ名を検索すると、A社を含めていくつものショップがヒットした。
 その中で、今回は、正規代理店と謳っている大阪のショップ店に注文することにした。
 2日後の納入を希望した。
 対応が早く、2日後の予約時刻よりも早く商品が到着した。
 早速、確認すると、ケースが見るからに新品である。中身をあらためると付属品、マニュアルなどが揃っており、間違いなく新品であった。
 商品も対応も気に入ったので、届いたその日にもう1基同じショップ店に注文することにした。

 これでマザーボード事件は一件落着である。
 今回の件で、人の信用を得るというのは難しいものだと改めて思った次第である。
 

10:四台目パソコン(自作パソコン二台目)





写真14,15,16:自作パソコン二台目




   自作パソコン1台目は、アルミのシルバーケースだったので、今回は、ブラックを基調としたケースにした。

 2台目を作ろうと思ったきっかけは、8/15、9/7に書いた1台目自作パソコンの顛末からである。
 パソコンは自動車と同じで、古くなってくると部品がなくなってくる。
 例えば、CPUが古くなると、対応するマザーボードがなくなってくる、そして、それに付随して諸々のデバイスも古くなってくる。
 もちろん、変換コネクタや互換性を意識したソフトはあるものの、やはりうっとうしくなってくる。
 先々のことも考えて、新しい仕様のパソコンをと考えた次第である。

 思い立ってからは早かった。
 まず、CPU探し。
 現在のCPUはIntel製品ではHaswellと呼ばれるコアが主流でソケットは1150である。
 しかし、雑誌の評判などを見てみると、余りできが良くないらしい。
 そこで、一代前、ソケットがLGA1155のCPUも視野に入れ、価格とのバランスで考えることにした。

 ネットで調べると、やはりi7コアが性能的によいので、i7の中から選択することにしたが、いかんせん高価である。
 その中で、性能と価格のバランスからIvy Bridgeのi7coreの3770Kを購入することにした。
 皮肉にも、マザーボードでキャンセルをしたA社への発注であった。
 3万円を越え高価であったが、心臓部であるので、ここは思い切って購入することにした。

 実は、その前に、2台目自作パソコンをと思い立ってすぐのころ、パソコンショップで何気なく電源を見ていると、Enermaxの650W電源が目についた。
 衝動買いのような感じで購入した。
 箱には、最近意識されるようになった80PLUSマークがあった。
 DVDデバイスはマルチ対応を、そして、HDDはseagateのSATA500Gバイトを準備した。
 OSはWindows7にした。

 組み立てて、立ち上げると静かに立ち上がった。
 さすがに余裕のあるCPUと12cmファンのおかげで動いていないような静けさである。
 自作二台目をどこに設置するか贅沢な悩みの現在である。
 満足している。


 
11:グラフィックボードトラブル

写真17:グラフィックボード




 新しい自作パソコンにトラブルが発生した。

 前回、お伝えしたように、動いているかいないか分からないほどの静かさで起動する自作パソコン二台目。
 満足して使っていたが、ある時、ブルーレイディスクをきれいに見たいと思い、グラフィックボードを入れることにした。
勿論、その前に、ディスプレイはブルーレイにも対応していることを確認した。
 今回使ったマザーボードは、ちょっと欲張ったので、マルチGPUカード(二枚のグラフィックカード)が使用可能となっていた。
マザーボードのマニュアルで推奨されているグラフィックボードを使うことも考えたが、かなり高価である。二枚で最低でも8万円はする。
 今回の目的は、ゲームではなくブルーレイの視聴なので、それほどのスペックは必要ではない。
そこで、ブルーレイ視聴に的を絞って、必要なスペックと値段との総合判断で決めることにした。

 ネットで調べ、二つの市内パソコンショップを回り探した。

 その中で、NVIDIAのGEFORCE GTX650を搭載したASUS製のグラフィックボードを選ぶことにした。
 このボードは、メモリーが1GBのGDDR5を積み、追加電源なしで作動する。値段的にもまずまずだったので、市内のパソコンショップで購入し、装着に取りかかった。
 迷ったのが、どの端子をどこに接続するかである。

 現在は、ディスプレイはD-Subでアナログで接続している、しかし、グラフィックボードの性能を活かすための接続にはデジタルのDVIが推奨されている。
 まず、マザーボード内蔵のグラフィックチップを使うための接続口につないだ。そして、スイッチオンで起動した。
 最初、画面が出たが、すぐに画面が消えたので、D-Subを追加グラフィックボードの接続口に接続し直し、グラフィックボード付属のCDをディスクに挿入して起動した。
 ところが、画面は現れずCDドライブから異音がしたので、中止しようとしたが、画面が出ていないのでうまくいかない、仕方なくスイッチを数秒押してCDが入ったまま強制終了した。
 いったん電源を落とし、再起動しようとしたがパソコンは全く起動せず、電源が入らない状態となってしまった。

 仕方なく、CMOSをクリアし、再挑戦するが同じ症状である。
 電源が入らないので、電源の容量不足を疑い、1000Wの新しい電源を購入し試すが、やはり起動しない。
マザーボード上の電池の電圧も試すが、異常はない。
 残るは、マザーボードの故障を想定し、載せ替えように買い置きしてあったASRock社製のマザーボードに変えて試すが、依然として、パソコンはうんともすんとも言わない。
 お手上げである。

 やむを得ず、パソコンショップに持ち込むことにした。
 数時間してようすを聞くと、
 「起動するものの非常に不安定である。ただし、電源を同じものに変えると電源は入るので、電源が故障していることは間違いがない、しかし、電源を新しいものに替えても、不安定でOSがうまく起動しないので、
 マザーボードの故障か、最悪、CPUの故障かである可能性が高いが、確かなことはいえない」という返事であった。
 ちなみに、CDドライブに入ったままだったCDは取り出してもらった。
 電源は新規購入のものであったので、初期不良として返品処理してもらった。
 自分でもマザーボードを替えて試していたので、これ以上チェックしてもらっても同じ結果だろうと思い、電源交換で対応することにした。
 家に帰り、元のマザーボードに再度交換し、以前と同じ接続にし、電源を入れるとBIOSを認識し、不安定ながらもWidows7が立ち上がった。
 マザーボードの設定も無事終了し、現在はブルーレイを楽しんでいる。
 読者のみなさん、グラフィックボードの増設や交換はくれぐれも慎重に。


12:WindowsXPからLinuxへ

写真18:Puppy Linux起動画面


写真19:Debian起動画面




 情報システム科学という講義を受けてから、UNIXを使いたいと思い始め、ネットワーク半年研修を受けてFreeBSDによるネットワーク接続を学び、UNIXを使う機会を狙っていた。

 意外と長く親しんだWindowsXPのサポート終了を受け、いっそのことUNIXに移行しようと思い立った。
 ただ、勉強してきた本格的UNIXはライセンス等の問題もあり、世間にたくさん紹介されているパソコン対応Linuxを使うことにした。
 思いついたら早い、というより、すでにWindowsXPの起動ができなくなってしまったので、いち早く導入することにした。

 Windows7を使っている最新自作パソコンから、Linuxについて検索し候補を絞り込んでいった。
 そして、一台目自作パソコンにLinuxを導入することにした。
 現在の状況は、以下の通りである。

 写真の上の画面は、Linuxの一つであるPuppy Linux528の起動画面である。
 これ以外に、下のDebianも使っている。
 はじめに述べたように、私は、これまでにFreeBSDを使ったことがあるので、Linuxに乗り換えるのにそんなに敷居は高くなかった。
 なぜFreeBSDにしなかったのかというと、Windiwsからの乗り換えであるので、いきなり、本格的なLinuxであるFreeBSD導入は落差が大きかったからである。
 読者の中には、様々なLinuxを使っておられる方もあると思われるが、今回は、数多いLinuxの中から、Windowsライクであること、日本語対応であること、動きが軽いことを条件として選択することにした。

 そして、最初に選んだのがPuppy Linuxであった。
このOSは外国人の開発によるが、日本人による日本語化がしっかりしており、かつ、大変軽い。

 Windowsの重さからすると格段の差がある。

 私は、現在はHDから起動する形にしているが、ファイル等の保存を別のディスクにすれば、CDからの起動も可能であり、かつOSの起動のみなので重くならない。
 Linux初心者の方は、CD起動をおすすめする。

 また、アプリケーションも充実しており、Windowsから乗り換えやすく、WineというWindows対応のシェルもある。
 現在使っているバージョンは528であるが、印刷機能は十分ではない。Linux用のプリンターデバイスドライバもメーカーから配布されているが、Puppyにはうまく組み込みめない。

 しかし、Debianの方は、デバイスドライバを組み込むことができ印刷は可能である。Post Script仕様で印刷の品質も良い。

 このように、現在はLinuxOSを使い分けて利用している。
 インターネット及びメールソフトは、PuppyもDebianも、印刷はDebian、DVD視聴はPuppyというように、それぞれの得意な分野を利用するようにしている。
 読者の皆さんも、ぜひLinuxにチャレンジしてみてください。
 Windowsだけしか知らない人は、パソコンの世界が変わると思います。


13:自作機三台目のマザーボード交換


写真20:新(左)と旧(右)マザーボード




   久しぶりの更新である。
 Linux導入以降、行きつ戻りつして、自作一号機は、Debian Linuxで落ち着いている。

 次に、息子が使っていたパソコンを廃棄するというので、それをもらい受け、再利用することにした。
 CPUは、初期のDual Core 3GHz、ソケットはLGA775である。もらい受けた時は、DVDドライブがうまく作動しなかった。
 調子の悪いDVDドライブを外し、新しいDVDドライブを装着すると作動した。

 これまで、自作1号機ではPuppy Linuxからはじめて現在はDebianを使っているので、別のLinuxにしようと考え、ネットで検索すると、
Windowsからの乗り換えのしやすいBean Linuxがあることをみつけ、早速導入すると順調に起動した。

 こうして、息子の自作機を我が自作機の三代目として利用することにした。
 その後、もらい受けた時のマザーボードが故障し、今回載せ替えることになった。
 古いソケットなので、対応するマザーボードもATXはほとんどなく、microATXを候補にした。

 ネットで検索すると、いくつかヒットしたが、メモリがDDR2対応のものを探すと、GIGABYTEのG41M-COMBOが適していたので購入することにした。
 古いCPUはソケットへの装着が結構難しいことは、最初の自作パソコンで経験している。今回も、CPUの装着には手間取った。
 半日かかって何とか装着したが、元のATXマザーボードでは使えたBOX内のファンが使えない。CPUのファンとHDファンのみで対応することにした。
 現在までのところ、順調に作動している。

 今回のマザーボード載せ替えのきっかけになったのは、後付けのグラフィックボードの調子が悪く、画面全体色がピンク色になり出したことからである。
 仕方なく、グラフィックボードを外し、マザーボードに載っているグラフィックボード対応にした。
しばらくは、うまく機能していたが、そのうちに、こちらも画面全体がピンク色になってしまった。
 調子が悪いので、マザーボードの電池を替えたところ、画面が出なくなってしまった。
 いよいよマザーボードの故障と考え、新しい対応マザーを探すことにしたのである。
 マザーを乗せ替えると、順調に起動し、やはり、マザーボードが原因であったらしいとわかった。


14:古いスマホの再利用


写真21:再利用のスマホ


写真22:PC付属のWi-Fi機器




   自作パソコン二台目で紹介したPCと妻の買い換えで古くなったスマホを再利用して楽しんでいる。

 昨年の年末に、妻が新しいスマホに買い換えた。
 その時、妻は気に入っていた古いスマホを再利用できないかと販売店の若い子に聞き、Wi-Fiで利用できることを聞いてきた。
 私自身は、スマホは使っていないし、携帯は電話を中心に利用することにしている。
 それは、無線機器はセキュリティ面で不安があるし、電話以外の利用はPCでする事にしていたからである。
 しかし、せっかくの機会なので、使ってみることにした。

 幸い、自作PCは、マザーボードにWi-Fi機器が付属で付いており、設定すればWi-Fi機能が使えるようになっていた。

 読者の中には、詳しい方がおられると思いますが、Wi-Fiモードには、クライアントモードとAP(アクセスポイント)モードがある。
私のPCは、両方の機能が使えるので、AP機能を使うことにした。

ネットワークの繋がりは以下の通りである。
 スマホ→Wi-Fi機器→PC→ルータ→モデム→プロバイダ
 つまり、無線APを介して有線LANに接続し、インターネットを利用するというものである。

 何回か試行錯誤の後、スムーズにつながることに成功した。
 使えるものは、これまで妻がスマホで使っていたもののほとんどである。

 ただし、電話とメールはそのままでは利用できない。

 上に述べたように、電話はガラ携を使っているので不都合はないし、メールも基本的には、PCメールを使っているので、これも不都合はない。
 外でも公的なサービスAPを利用すればネットが利用できる。
 セキュリティに気をつけながら、外でも無料サービスのAPを利用してみようと、その機会を待っている。
 ちょうど、いい機会なので、無線通信についても理解を深める機会にしてみたいと思っている。
 成果は、またこのHP上で。

ネットワーク接続機器の利用が広がっているが、今後は、古い機器の再利用も進んでいくと思われる。
 昔とは状況は違うが、「物を大切に長く使う」ことが大切な視点であり、パソコン機器もそうなるべきであると思う。

 自動車がそうであるが、確かに新しい技術や新しい製品には、それだけの中身はある。
 しかし、まだまだ使えるものまで、大量生産大量消費の犠牲にしてしまうのはいかがなものかと思う。

 私のように、少年期に高度経済成長を経験した者には、昔の「物を大切に長く使う」ことの大切さが身に染みついている。
 その視点で、パソコンの再利用も心がけていこうと思っている。
 読者の皆さんにも、この点は是非共有してもらいたいものである。