恋の調べ



恋をすると、相手のことが気になる。
何が好きかとか、思い人はいるのかと。


ここに恋に悩む男が1人。
天才と名高い楊ゼンである。
今日も哮天犬に乗り、周の上を飛んでいた。
眼下には民が、せっせと行き交い、賑やかに活気を帯びている。
悩みを持っているのは自分ぐらいではないのかと、少々場違いと思い町から離れ、草原へとやって来た。
小さな小川が流れ、その側に人影を見つけた。
遠かったが、楊ゼンにはそれが誰かすぐ分った。


思い人でもあるだった。


いつもなら太公望や四不像などが一緒に居るのだが、1人で川岸に腰を降ろしている。
どこか寂しげに物思いに耽っていて、声を掛けるにもなんと声を掛けて良いのもか、恋をするとこんなにも臆病になるとは、自分らしくないと苦笑いを漏らす。


今すぐ側に行きたい。声を聞きたい。あなたに触れたい。
我が儘な願いだろうか・・・。


暫く眺めていたが、このままではどうにも気持ちが落ち着かず、ある事を思い付いた。


自分は天才なのだ!悩むなどと似合わない。
人には出来ぬ事が自分には出来るのだと、それを使わぬしてなんになる。
そう!仙人界で唯一変化の術が使えるのだから!


拳を作りギュッと握ると、自身有り気な笑みを浮べ、これならいけると早速行動に移した。


相変らず、川の流れをただボーっと眺めて焦点が合っているのかいないのか、たまに小さな溜め息を吐いているだけだった。
何を考えているのか、そこへ


「こんなとこで何をしておるのだ。」
「!!」


ボーっとしていた所為か、人の気配すら分らなかったので、行き成り背後から声がしたのでビクッと体を大きく震わした。
余りの驚きように、少々驚いて申し訳なさそうにしていると、恐る恐るといった感じでが振り向いた。
声の主を確認すると、安心したのか胸を撫で下ろしさっきまでの寂しげな表情からとても明るい表情に変わっていて、なぜそんな顔で見詰めるのか。


「望兄様!威かさないでください。」


太公望をいつもそんな風に見ているのか?
兄弟子だから、それとも別の思いがあるからか?


楊ゼンは太公望に変化し、に声を掛けた。
しいて言えば、下心が有るからだが、今は少し後悔している。
太公望の前ではこのような顔をするのだと、安心しきっていると言うか、信頼が有るのか、偽っている事に罪悪感が湧いてきて、胸が絞め付けられるように苦しくて変化を解こうか俯いていると、


「望兄様?どういたの?」


下からが心配そうに覗き込んでいた。
楊ゼンの変化は完璧だ。
どっからどう見ても太公望で、は太公望だと信じきっているようだし、はにかむように笑うと仕方ないがこのまま続けようと太公望を演じる。


「何でもない。それより・・何か悩みがあるのではないか?」
「えっ!・・・わかちゃった。」


唐突だが出る言葉がこれしか浮ばなかった。
それに対して、の反応はどう取って良いのか分らず、座ってと言い隣に腰を降ろすとそれを確かめ改まって太公望と向き合う。
真剣な瞳がどうも痛い。


「なんじゃ・・・。」


尚も、真剣な剣幕のまま見詰められる。
の瞳に太公望が、太公望の瞳にが映り合い、全てを魅すかされたのではと一筋の汗が頬を流れた。
このままでは顔がくっ付くのではと思っていた矢先、が口を開いた。


「笑わないで聞いてね。」
「うむっ。」
「あのね。好きな人がいるの。」


この先を聞いていいのだろうか、ほんとはそれが聞きたくて変化までしたが、思わず生唾を呑んで身構えてしまう。
自分以外の名が出たら、太公望だったらこの場でどうすればいいのか、あくまで太公望を装うか、そんなお人好しではない。


そうなったら、きっと・・・壊してしまうんだろうな・・・。


「ほぅ。」
「笑わないでよ。その人はね。その・・・えっと・・。」


再度確認するかのように念押しに言うと、恥かしそうに俯き手をモジモジとさせて言い渋る。
楊ゼンとしては早く結論が聞きたい。が、急かす訳もいかず、ゆっくりとその先を待つ。
頬を赤く染めて、深く息を吐くと意を決したように名を紡いだ。


「・・・楊ゼン様です・・・。」
「!?」


口にした途端、茹蛸のように真っ赤になって両手で頬を覆って俯いた。
楊ゼン、もとい太公望は目を大きく見開いて同じく真っ赤になってしまった。


回りくどい事をしたが、ただ取り越し苦労をしていたのではないかと、驚きと脱力感から変化が解けてしまいそうになったが、ここからどうするか?


チラリとを盗み見ると、まだ恥かしそうに俯いたままふにゃ〜と、長湯で上せ上がったように頭から湯気が出そうなほど赤くなっていて、嬉しさからか笑みが零れた。


なんで気付かなかったんだろう、同じ気持ちだった事を、否、同じだったからこそ気付かなかったのかもしれない。


「楊ゼンをのう・・・気持ちは伝えたのか?」


言うなり、すごい勢いで首を横に振る。
俯いたまま火照った頬を隠しながら、


「だって、楊ゼン様は素敵な方だから私なんて・・・。」


態度とは裏腹に、声のトーンは冷静でどこか哀しく消え入りそうで、思っている事も同じなのだと太公望の姿でなければ、この場で抱き締めて全てを打ち明けてしまいたいほどだ。
の肩に手を乗せて、


「分らぬではないか。伝えるべき事は伝えねばな。」


自分にも言い聞かせるように、目を閉じてゆっくりと立ち上がり踵を反した。
去って行く太公望の背を見送ると、小川の水を両手で掬い上げると顔にバシャッと掛けて、気合を引き締めた。




そして、


。どこに行っておったのだ。」
「望兄様。私、がんばるね。」


周の城下で太公望と出会った。
突然、頑張ると言われても、何のことやら分らないといった顔をして、どこに急いでいるのか走り去って行った。
それから暫くして、楊ゼンとが一緒に哮天犬に乗っていたとか、2人仲睦まじい姿を多く目撃したとか、太公望の知らないうちに2人は急接近したが、この事を知っているのは太公望だけ。



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