足音
片側が吹き抜けになっている石畳の廊下に、重い足音が響いた。真夜中だというのに灯りは絶えず、眠りとある意味無縁な景色が広がっている。
「よっっと。今、何時かな?」
体勢を整えるために立ち止まり、目線の高さまで詰まれた資料や分厚い本を上げた片膝に乗せ、腕を休めるように持つ位置を変えると、ポツリと呟いた。科学班だからと言って楽なことばかりではない。か弱い女の子にこんな重たい仕事をと言いたいが、机や椅子に這い付くばってる仲間に比べれば、仮眠明けのの方が動けるのであった。
徹夜とは運命共同体な科学班研究室。
「。悪いな重たいのに」
「あっ!いいよ。机まで運ぶから」
「わりぃーな。助かる」
重そうに、もう腕も限界なのだろう、支えてるのは指先だけで、可愛い顔には普段は絶対見せない辛さが滲んでいた。運んできたを気遣い、リーバーが本を受け取ろうとしたが、それを交わし、足早に机に置いた。今の状況だと、構われるのも渡すのもメリットがないと考えたからで、どちらも限界に近く、落としでもしたら困るからだった。リーバーも察したのか、軽く頭を掻いて厚意に甘える。
「ふぅー。さすがに腕が痛い」
「ありがとう。ちゃん」
「ちゃんに重たい仕事させて悪かったよ」
「ごめんね」
「いいですよ。この資料でよかったですよね」
周りから感謝や申し訳ないと詫びる声が上がったが、それに笑顔で返し、それぞれに頼まれていた物を渡した。この笑顔にどれだけの疲れが吹っ飛んだだろうか、科学班に咲いた花は皆にやる気を与え、癒しを齎す。張りきって机に向う皆を見て、も自分の仕事に取り掛かろうとした。
「。まだ、頼みが・・・」
椅子に座ろうとする前に、リーバーに止められる。申し訳なさそうに頬を掻き、視線は斜め上で手には資料の束を持っていた。一瞬、周りからの鋭い視線がリーバーに突き刺さる。疲れて帰って来たに、まだ用事を押し付けるのかと、怒りのオーラが2人の周りに立ちこめる。
「なんですか?」
「あっと、こ、これをさ」
「はい?」
周りの空気に気付いてないは、額に油汗を掻いて、はっきりしないリーバーに首を傾げた。ゴクリと1つ大きく唾を呑み、出した資料をに取らせると、この後の地獄を覚悟し、震える口を開いた。きっと、がいなくなったら皆が一斉に飛び掛ってくると、心の準備も忘れない。
「コ、コムイ室長のところに持ってってほしいんだ」
「わかりました。置いてくるだけでいいんですか?」
「あっああ。頼む」
「リーバー班長。どうして泣いてるんですか?」
「いいから早く行くんだ!」
「きゃぁ!」
殺気を恐れず言い切ったリーバーは涙し、そのことに全く気付いていないの背中を、おもいっきり押し飛ばした。前のめりに、こけそうになりながらも走り、振り返ったの目には、涙と半笑いのリーバーが手を振って見送っていた。
その後の彼がどうなったか、誰も知らない。
「リーバー班長。…疲れてるんだ」
冷たい廊下に、テンポ良く揃った歩幅のリズムが響く。昼間は気にならないが、夜は、特に真夜中は人の気配が著しく乏しいため、足音が大きくて不気味さを覚える。自分の足音に、多少なりとも恐怖感は消せない。
「静か過ぎて怖い」
司令室まで30メートル。強張った足を小走りに速め、一気に司令室の前までやってくる。さっきの荷物運びは、行きも帰りも重たい荷物を持っていたから気にならなかったが、別のことに集中できない分、意識は周りに向いてしまう。
「ちょと一服・・…やっぱ入ろう」
ドアに手を付き、凭れるように額を付ける。落ち着いてからと、瞑った目を開き左右を振り返った。が、先に伸びる薄暗い廊下の闇に、急かされるようにノックをしていた。
「コムイ室長。失礼します」
返事がないことに大体の予想は付いた。勝手に入っても、遠慮はしつつ辺りを窺いながら進む。床には紙が散乱し、高い本棚に中央の机は散々な有り様、その中でコムイの姿を見つけた。
「室長?・・…寝てる」
やっぱりかと肩を落とすも、周りにある書類は千年伯爵に関する物で埋め尽くされていた。進まぬ調査。消えない不安。なんだかんだ言っても、一番大変なのはコムイなんだと、起こそうと思っていた手を引っ込める。
「資料、ここに置いときますね」
机の上を少しだけ整理し、わかるように持って来た資料を置いた。そして、反対側に回ると、椅子に掛かっていたいつも着ている白い制服を、そっと肩に掛けた。
「風邪引きますよ。おやすみなさい」
腕の間で、微かに覗く横顔におやすみのキスも1つ置いていった。2、3歩下がり、自分のしたことが信じられず、その場を逃げ出した。熱くなった胸を押さえ走る足音は、耳に届かない。
「困るんですよ。に来られると・・…全く、人の気も知らないで」
がいなくなり、脱力したように背中を椅子の背に預けた。触れた頬を撫で、溜め息を大きく1つ吐く。
「誰が来たのか、の足音はわかるんですよ。狸寝入りも役に立ちますね。でも、捕まえておくべきでしたね。ボクの不眠の原因を」
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