お姫様抱っこ



早朝。まだ薄暗い中、隊舎の自室から人目を窺うように頭を覗かせているのは、三番隊所属・。誰もいないか念入りに何度も確認すると、慎重に外へと出た。後ろ手に、ゆっくりと戸を閉める。



「今のうちに…」
「お・は・よ」
「ひゃ!!」



誰もいない。誰もいなかったはずなのに、背後に感じる人の気配と、それよりなにより耳元でした声は、今、最も一番聞きたくなかった声だった。振り返らずとも相手が誰だか分かり、驚くと同時に、は一目散に走り出していた。顔色は蒼く、とにかく逃げたかった。



「いけないなぁ。隊長が挨拶してるのに」
「ぃっ!お、おはようございます(このままじゃ)」



スタートも早かったし、全速力で走っているのに、隣に並ぶというよりは、少し追い越し気味に三番隊隊長・市丸ギンが余裕な笑みでに話し掛ける。蒼い顔をさらに蒼くさせ、後が怖いと挨拶しながらも、どうすべきかを考えていた。日々時間をずらせど、早起きしようと、市丸との追いかけっこから1日が始まる。詰所まで、今日こそは無事に辿り着きたい。



「っ!」



全速力で走っていた足を、思い切って止めると踵を反し、逆に向ける。砂煙りを立て、草履が擦れるのもお構いなしに来た道を戻った。不意を付いたため、市丸との距離が離れはしたが、そお上手くはいかない。



「どこ行くんかな?ちゃん」
「ついて来ないで下さい!」
「逃げれると思ってるん」
「絶対逃げます!」



流石、隊長だけあって、あっという間にまた隣へ。必死なとは違い、余裕が目に見えて分かる。捕まえようと思えばすぐだけど、追いかけっこを楽しんでいた。には迷惑な話である。



「いい加減諦めたら、どう」
「その言葉、たぃ隊長に、お返しします!」
「そうか。ボクは楽しいで、ちゃん困らせるん」



限界が近くなり、話すことも辛くなってきたは気力だけで走っていた。しかし、市丸は息すら上がることなく、平然と走っていて、極上の笑みとともにを射殺した。



「なっ……っ!?」



聞くや否や、は足を取られ、手を付くこともなく突っ伏した。地面の冷たさが心地良くて、このまま倒れていたいと願う。でも、現実は甘くない。



ちゃん。平気」
「ほっといて下さい」
「そうもいかんよ。怪我してるやん」
「はっ!」



の側にしゃがみ込んで、心配そうな素振りを見せる。構われたくなくて、声とは逆に顔を向け、嵐が過ぎるのを待ちたかった。が、やはり市丸のが上手で、隙を見つけられる。気付いた時には、市丸の腕の中でお姫様抱っこ。これが、市丸から逃げていた原因であった。



「遅かったな。さぁ、行こか」
「お、下ろしてください!」
「あかん」



市丸との距離が近く、にこやかな笑みが目に痛い。抗議も聞く耳持たず、歩き出した。きっかけは、市丸がふざけてをお姫様抱っこしたところ、思いの外、反応が良かったからだった。



「下ろしてください!自分で歩けますから、恥ずかしいんです!」



赤い顔をして、恥ずかしがっているのだけれど、体を持ち上げられているから怖さもあるようで、市丸にしがみ付くようにくっ付いていた。



「だからやん」
「へぇ?」
「恥ずかしがってる、ちゃん。見るん好きやもん」
「そのために…」
「人、多なったな」
「えぇ!」
「そろそろ時間やし、また、注目されるわ」
「まさか…そんな!」



それが、市丸の狙いである。



「気付いた。時間稼ぎやで、そんなとこも可愛いな」
「悔しぃ…」
「真っ赤なって、ほんま好きやで」



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