辞職を強要 生々しい証言 解同・三教組に脅えた大学当局 久保事件・第九回公判(三)  9. 平成十二年一月十一日午後一時、享栄学園本部にて堀敬史副理事長、堀敬紀等の 面前で初めて、原告に弁明の機会が与えられた。 10. 平成十二年一月十七日午後一時、享栄学園本部理事長室にて、堀敬文理事長、堀 敬史副理事長から「結論を出す。いまここで自発的に辞職せよ」と迫られ、原告 が二、三日待ってくれと懇願するも聞き入れられず、いったん退出し、同日午後 二時四十分から再度、理事長室で堀敬史副理事長より「戒告」処分を告げられ、 同日付で「学園本部付事務職員を命ずる」との降任処分がなされた。 二・平成十一年十二月二十二日の第九十三回(臨時)教授会の意味  中野学生部長が第九十三回(臨時)教授会の結論を告げた内容から、教授会が原 告に辞職を求めた理由はただ一つ、つまり、三重県人権センターに関する平成十 一年十一月五日付三重タイムズ紙(甲三)と平成十一年十二月三日付三重タイムズ 紙(甲四)における発言について、発言自体の「責任」を取れということに尽きる ことが分かる。  中野学生部長から、原告が教授として不適格である理由として挙げられたのは、 「人権問題を十分に認識して頂いていないような方が教壇に立って、学生に対す る教育に従事するということは、誠に不適切である」ということだけであった。 しかし三重県人権センターに関する平成十一年十一月五日付三重タイムズ紙(甲 三)と平成十一年十二月三日付三重タイムズ紙(甲四)における原告の発言だけで、 一体、「人権問題を十分に認識」していないと判断しうるのか、何を根拠に現に 「教壇」に立っていた他の教授や助教授と比較して、「人権問題を十分に認識」 していないと判断したのか。原告には一切不明のままである。  もっとも平成十一年十一月二十九日の勝田吉太郎学長の「この間の君の新聞、 ざっと読んだだけだが、大変なことをしてくれたね。問題になっているのだよ。 君、部落問題は本当に怖いのだよ。彼らが大学に押しかけてきたらどうするのか ね」の言や、平成十一年十二月三日の堀敬紀局長の「久保先生の例の新聞記事は、 全国で最も強い三教組に戦いを挑んでいることになる」とか、「あの記事の人権 センターを問題にしたということは、部落解放の否定と見られても仕方がない」 とか、平成十一年十二月十三日の堀敬紀局長から「久保先生のいわれるように、 本当に問題になっていかなければ誠に幸いだと思いますがね」といわれたこと、 中野学生部長から「人権センターについての発言が問題なのだ。どういう歴史信 条をもたれているかについて、われわれは関心がない」「一人で責任を取るとい ってますけどね。いままでこの種の問題で個人で解決できたことはないんですよ ね。必ずトップが巻き込まれるんです」といわれたことを考え合わせると、外部 の意向を受けて、あるいは、外部の団体が何らかの行動をする前に、原告をいわ ば「人身御供」にする必要があった。いわばその「儀式」として、平成十一年十 二月二十二日の第九十三回(臨時)教授会が開催されたものであることは間違いな い。  しかし三重県人権センターに関する平成十一年十一月五日付三重タイムズ紙 (甲三)と平成十一年十二月三日付三重タイムズ紙(甲四)における原告の発言内容 が、原告に対して強硬に「辞職」を求めたり、これを拒否した原告に対し戒告処 分や降格処分を行なうような、「人権」無視のものでなかったことは明らかであ る。