辞職を強要 生々しい証言 解同・三教組に脅えた大学当局 久保事件・第九回公判(一)   鈴鹿国際大学・久保憲一教授(久保事件)の第九回公判が八月二十四日、津 地裁で行なわれた。原告側(久保教授)からは、新たな証拠となる準備書面が提 出された。しかし、鈴鹿国際大学国際学部長(当時)・武部昇被告と同大事務局 長・杉本元浩氏からは、これまでの主張と重複する報告書と陳述書が提出された に止まった。  本紙では、久保教授側から提出された、新たな証拠を含む準備書面の内容を全 文紹介することにした。 一・戒告処分に至る経緯 1. 平成十一年十一月二十九日午後二時、中野学生部長(当時)から「大変重大な用件 のため、学長室に来られるか」といわれ、午後四時に学長室に行くと、勝田吉太 郎学長(当時)が「この間の君の新聞(注・三重タイムズ)、ざっと読んだだけ だが、大変なことをしてくれたね。問題になっているんだよ。君、部落問題は本 当に怖いのだよ。彼らが大学に押しかけてきたらどうするのかね。その時は君に 責任をとってもらうしかない。君が彼らに頭を床にすりつけて先ず謝りに行き、 その後、中野君と戸室君が、彼らに謝りにいかなければならない。私は表に出る ことができない。もし君が助けを求めるなら共産党に助けを求めなければならな いが、そんなことは君も嫌だろう」「大学に迷惑がかからないよう、君が責任を とらなけれぱいけないよ」「くれぐれも大学に責任が及ばないように」といわれ た。 2. 平成十一年十一月二十九日夜、堀敬紀局長(当時)より電話で、原告の妻に「文部 省の調査が入った」「各方面に謝りに行く。大変なことだ」といってきたとのこ とであった。 3. 平成十一年十一月三十日昼休みに呼び出しを受け、堀敬史常務理事(当時)と堀敬 紀局長と事務局応接室で面談したが、堀敬紀局長は「三重県の藤田郁子同和教育 課長から久保先生の件で問い合わせがあり、慌ててシラバスや調査書などの書類 を持って行った。人権センターの記事は同和問題ですよ」といい、堀敬史常務理 事は「現在、大学は学生募集で大変な時なので、責任はとってくれますね」とい った。 4. 平成十一年十二月三日午後五時頃帰宅したら、中野学生部長からファクシミリに て、至急大学に連絡せよ、との書面が送られてきていたので連絡をしたところ、 「すぐ大学に来い」とのことであったので、午後五時半過ぎに行くと、応接室に 通され武部学部長、中野学生部長、堀敬紀局長、杉山事務局長、戸室教務部長が 入ってきて、堀敬紀局長が「この日曜日(十一月二十八日)にたまたま三重県教職 員組合の役員と会った。久保先生のことを聞かれた。久保先生の例の新聞記事は 全国で最も強い三教組に戦いを挑んでいることになる。久保先生の場合、とくに 三重県人権センターの『八割が部落問題の展示である』という内容の記事に問題 があるが、学長もそれを激しく怒っている。理事長も同意見なので、久保先生に は辞表を出してもらいたい」「あの記事の人権センターを問題にしたということ は、部落解放の否定と見られても仕方がない。大学の学生募集の厳しい時期にあ って、学生広報募集上の理由です」といい、中野学生部長が「大学を救うために、 久保先生に辞めてもらいたい。これは理事長、学長、みんな同意見です」「とに かく理事長が記事を見て、その上で学長のところに行き、決断されました。辞め てください。学長に晩節をまっとうさせてあげてください」といったが、原告は 拒否した。