鈴鹿国際大学・久保憲一教授 訴状「請求原因」(六)  そうであるにも拘わらず、原告の発言によって「鈴鹿国際大学が人権を無視し た教育を行っているかのようにとられ、学外から多くの非難を受け」たとすれば、 被告享栄学園は勿論、教授会としてなすべきことは、いやしくも「大学の自治」 や「学問の府」を標榜する限りは、学外から寄せられた「非難」が理由のないも のであることを反論することでありこそすれ、「寄ってたかって」原告を「辞 職」させることに血道を上げることでは、断じて、なかったはずである。  勝田学長は、いみじくも「義を見てせざるは勇なきなりという、論語のことば は万人周知であるが、戦後はほとんど死語と化した。かねて私は、戦後教育の罪 過のひとつは勇気の徳目を教えなかったことにある、と論じてきた。その結果、 見てみないふりの習性が社会に蔓延した。学校現場でいじめ...が全国に波及 した。すべては、家庭、学校、近隣の共同体が、見てみないふりをする結果だと いってよい」「勇気とは決して軍国主義の無謀を意味するものではない。暴力や テロやいじめや反社会的行為を見てみぬふりすることなく、直ちに毅然とした態 度を示すことにほかならない。そういう勇気がなければ平和を維持することもで きない」(甲第九号証)という。  被告武部や被告中野を始めとする教授らが、学外からいわれなき「非難」を受 けて「直ちに毅然とした態度を示すこと」なく、自らの「困惑」を解消する方法 として、原告を「人身御供」に差し出そうとして、教授会において原告の「辞 職」を求めるという一連の行動がなされたことは明らかである。