鈴鹿国際大学・久保憲一教授 訴状「請求原因」(五)  2・勝田学長は、鈴鹿国際大学長・京都大学名誉教授の「職名」を冠して、次 のような「設立趣意」の「新風学園」の「理事」予定者となっている(甲第七号 証)。  「広島県自体が、同和教育を基底におく、としているために、全ての授業や活 動が同和問題を中心としてとらえられ、同和問題が持つ本来の意義が忘れられ、 差別や人権問題にいたずらに過敏になるあまり、学校全体がそれに振り回され、 教職員たちもあまりに多くの時間を費やすことを強いられて、束縛され、本来の 学力を保証すべき授業がおろそかになっているため、児童生徒たちが学ぶ権利を 奪われているといっても過言ではありません」「教職員の多くが加盟している広 教組、広高教組は、一部運動団体と深い関係にあり、その思想は運動団体のそれ であり、教職員がその実践を担う活動部隊のようになっています。これでは公平 な教育が疎外され、純真無垢な子供たちが一方的な、偏った思想に染まり、完全 にマインドコントロールされてしまうことになっています」「このように公が偏 ってしまうことは、日本の国自体を大きく揺るがす大問題です。今ここで正常な 軌道に修正しておかなければ、将来に禍根を残すことになります」。  ここで示されている問題意識は、原告の発言の問題意識と同一である。  3・次に「鈴鹿国際大学の建学の精神」から見て、不適当なものであったかを 見てみる。  鈴鹿国際大学の建学精神は、「正しく国を愛し、国際的視野を広げる人になろ う」として、「今日、世界において、国家に所属しないいかなる個人もなく、民 族もない。...個人の幸福も安全も国家によるところが極めて多い。自国の存 在に無関心であり、その価値の向上に努めずして、その価値を無視したり、その 存在を破壊しようとする者は自国を憎むものである。我々は日本を正しく愛しな ければならない」というものである(甲第八号証四頁)。  原告の発言が、この建学精神に沿うものでありこそすれ、断じて「反する」も のではない。  以上のとおり、勝田学長の言動が「人権を無視した内容」ではなく「鈴鹿国際 大学の建学の精神」にも反するものでないのと同様、原告の発言も「人権を無視 した内容」ではなく「鈴鹿国際大学の建学の精神」にも反するものではなかった のである。