鈴鹿国際大学・久保憲一教授 訴状「請求原因」(二)  「事実は事実として冷静に検証し、報道すべきだということですね」との問い に対し、「例えば南京の大虐殺でも、三十万人という数字はどこからでてきたか ということです。戦争ですからゲリラと民間人を間違えて殺したケースはあると 思います。しかし、市民を意図的に虐殺した事実はないわけです。こういう問題 では政治的背景を考えるのが妥当だと思います」と答えたこと、「日本世論の会 は政治的な活動をするのかという疑問があります」との指摘に対して、「市民運 動ですから政治的な組織を作るようなことはしません。会といっても個人の単な る集合体です。例えば国歌、国旗についても本来なら慣習法でいいんですね。な んでも法律化するのは自分の首を絞めることになると思っています。とにかく先 人に対する感謝がないことには、日本の明るい未来はないと私は考えています」 と答えたことである。  しかし、これらの発言は通読すれば、三重県人権センターはいわゆる反日自虐 史観(日清・日露から次の戦争を経て今日まで、日本は一貫して他国を侵す犯罪 の道だけを歩み、傲慢で、その愛国心は不健全をきわめ、明治以降われわれは道 を誤り続けたとするもの)に立脚して運営されているのではないかという指摘と、 反日自虐史観に対する批判であって、いうところの南京大虐殺についても、現在 もなお歴史学者の間で大きな論争が継続している問題であることは公知の事実で あり、原告が、いかなる歴史観に立ち、いかなる学問的な立場を採用して、自ら の意見を表明しようと、それは「学問の自由」「言論の自由」の範疇に属するこ とである。  「慎重さを欠き配慮の足りないもの」として教授会において、原告の辞職を求 める決議をするほどのものではなく、決して「学園の職員としてふさわしくない 行為があった」といえないことは明らかである。 二・平成十一年十二月三日付「三重タイムズ」の発言(甲第四号証)  「日本世論の会三重県支部の久保憲一支部長らは、いろんな見解があるものに ついては、バランスをとってほしい。明らかに間違っている資料や写真、展示内 容は撤去してほしい。必要以上に自虐的なものはセンターとしても考えてほしい、 と要望した」と報道されている。  しかし、三重県が設置し運営している「人権センター」であれば、そこに備え 付けられている資料や展示内容や、その取捨選択について、広く県民等の「意 見」を聞くことは当然のことで、「意見」をいうことが、断じて「人権セン ター」に対する「誹謗」であるはずがない。  原告(三重県民でもある)がかかる「意見」を述べる行為は、「慎重さを欠き 配慮の足りないもの」として、教授会において、原告の辞職を求める決議をする ほどのものではなく、決して「学園の職員としてふさわしくない行為があった」 といえないことは明らかである。