全国の皆様に、感謝と決意を 鈴鹿国際大学教授・日本世論の会三重県支部長 久保憲一  私は平成11年の秋に、三重タイムズの北本豊編集長(現インターネットタイム ズ編集長)に、日本世論の会三重県支部長で鈴鹿国際大学教授の肩書きにより、 歴史認識や歴史教育の問題、三重県人権センターのあり方、日本人としてのアイ ディンティティなどについてインタビューを受けた。そして同年11月5日号に記 事が掲載された。その後、この発言を捉え、私は鈴鹿国際大学を経営する学校法 人享栄学園によって「戒告」と共に、教授職を解任され(平成12年1月17日付)、 学園本部付事務職員にされた。  「戒告」理由は、「平成11年11月5日の三重タイムズ紙面で、鈴鹿国際大学教 授の肩書において行った発言。これまでの講義方法等(東条英機に関する映画の 鑑賞を強要するかのような指導等)。公的機関である三重県人権センターに対す る誹謗ともとられかねない発言などが、学園の名誉と品位を害し、生徒・学生の 募集に悪影響を及ぼし、関係諸機関との信頼関係を著しく失墜させるものであっ た」というものである。私は直ちに、津地裁に地位保全仮処分の申立を行った。  以来、月日の経つのは早く、はや1年半も過ぎた。その間、皆様のご支援は全 国津々浦々に広がり、マスコミは読売新聞三重県版での報道、また地元の「三重 タイムズ」「インターネットタイムズ」の連続掲載をはじめとして、以下の雑誌 や単行本によってもこの事件が世に知らされた。  三重教育界で何が起きているのか(「諸君!」平成12年5月号)。鈴鹿国際大 学久保憲一教授を支援する(「月曜評論」平成12年5月号)。急展開!!三重県 教育正常化運動(「神社新報」平成12年4月3日(2453号))。校長が自殺し、教 授が解任される!日教組王国三重県の暗闇(「正論」平成12年4月号)。言論圧 殺・人権侵害の圧力から三重県久保支部長を守れ(「日本世論の会」機関紙『世 論』平成12年3月25日第116号)。鈴鹿国際大学久保憲一教授を不当解任(「国民 新聞」平成12年3月25日)。久保教授解任騒動の怪 呆れた勝田吉太郎学長の言 動(「月曜評論」平成12年3月号)。教授解任は大学の自殺行為(「日本時事評 論」平成12年3月17日)。人権開発センターが推進する亡国の企て(「正論」平 成13年4月号…三重県人権センターの実態に関して)。三重の公教育よ、蘇れ! (日本会議三重)。 渡部昇一・林道義・八木秀次著「国を売る人びと」PHP研究 所。八木秀次著「誰が教育を滅ぼしたか」PHP研究所など。   見知らぬ人々からの応援はもちろんであるが、新田均・松浦光修助教授をはじ めとする皇學館大学の諸先生、地元の恩師や拓殖大学総長・小田村四郎先生や元 憲法学会会長の小森義峯先生などの碩学。旧友や故郷の親族、とくに高校時代の 恩師の「年老いた私の代わりに頑張ってくれて有難う」という言葉には身にしみ て感激した。小・中学時代の恩師に励まされ、誉められることは、何歳になって もやはり嬉しいものである。  すでに大学を卒業した、教え子たちが心配して駆けつけてくれたこと、彼らの 結婚式に度々招かれたことも教師冥利に尽きる。私の「授業を聞くのを楽しみに 入学したが、久保先生の講義もクラブもすでになくなっていた」と私の住所をわ ざわざ探し当て、訪ねてくれた新入生や在校生がいた。  郡神職会や山口県の神職会。那須・乃木神社の宮司、太宰府水天宮の真木大樹 宮司の熱烈な支援は、明治維新の原動力がいまだに伝統として連綿と受け継がれ ていることを確信させてくれた。もちろん地元・三重県神社界では何度も大きな 会場において講演させていただいた。神社オンライン・ネットワークは組織的な 支持を寄せてくださった。  またその立場の弱さにもかかわらず、外国出身の職場の同僚たちが、とくに大 きな支持と同情を寄せてくださっていることは実に心強い。以前の私は自宅と大 学とを往復するだけの、何の変わりばえのない日々であった。しかしこの事件に よって有り難いことに、周りに沢山の友人や同憂の方々を得ることができた。  こうした支持の多さに畏れをなしたか、学園は平成12年3月30日には「平成12 年1月17日付辞令『鈴鹿国際大学教授の職を解き、学園本部事務職員を命じる』 は効力がないことをお伝えします」「貴殿における同鈴鹿国際大学における地位 は平成11年10月1日以降教授です」との通知を発している。  にもかかわらず、奇妙にも私は講義や教授会への出席をいまだに認められてい ない。もちろん審尋において和解も成立しなかった。  しかし私にはこうした学生や同僚、支援の方たちがいる限り、これからはじま る裁判を戦い抜き、一日も早く鈴鹿国際大学の教壇復帰を果たさねばならないと 思う。そして微力ながら、三重県に真に公正・健全な民主主義を確立することに 多少でもお手伝いできたらと思う。