「月曜評論」平成12年3月号より

久保教授解任騒動の怪 呆れた勝田吉太郎学長の言動



 今年1月17日、三重県にある鈴鹿国際大学(学長勝田吉太郎)に勤務する久保憲一教授が解任され、学園本部事務職員に更迭された事件(その後教授職と兼務の辞令出るも、未だに教授会出席や講義は許されず)は、奇々怪々なものであつた。

 解任理由は、「公的機関である三重県人権センターに対する誹謗ともとられかねない発言などが、学園の名誉と品位を害し、生徒・学生の募集に悪影響を及ぼし、関係諸機関との信頼関係を著しく失墜させるものであつた」のださうである(2月25日付『三重タイムズ』)。  しかし、久保教授同人権センターの偏向振りを指摘しただけで、どうしてこれが「学園の名誉と品位を害し、生徒・学生の募集に悪影響を及ぼし、関係諸機関との信頼関係を著しく失墜させる」ことになるのか、筆者には不可解至極である。

 『正論』4月号でも編集部の上島嘉郎氏がこの問題を取り上げてゐるが、(「校長が自殺し、教授が解任される!」)、「憶測」を避けて慎重な姿勢で書かれてゐるため、今ひとつ問題が見えてこない憾みが残る。確かに部落解放同盟並びに三重教組とこの問題の関わりについては、未だにはつきりしないことが多い。ただ一つはつきりしてゐることは、理事長以下、学園側が「廃校の危機」に戦々兢々とし、勝田学長また何者かに怯えきつてゐることである。

 例えば、昨年11月29日に久保教授に語つたといふ学長の言葉など、その典型であらう。

 「大変なことをしてくれたね。問題になつてゐるんだよ。君、部落問題は本当に恐いんだよ。彼らが大学に押しかけてきたらどうするのかね。その時は君に責任をとつてもらうしかない」(前掲『三重タイムズ』)

 たまたま筆者は、渦中の久保憲一教授とは知らない仲ではないので、事件の実際の経緯を詳しく聞いてみた。するとおどろくべし、勝田学長の醜聞が次々に口をついで出るではないか。

 故高坂正堯氏とは犬猿の仲で、京都大学教授時代には、氏の博士号取得を悉く妨害したこと、「来る者は拒まず」で、研究室は左翼の溜まり場になつてゐたこと。

 それでも勝田氏は、久保氏のことだけは可愛がり、二人は学内に「さざれ石」の庭園を造るべく、一緒に台湾まで出かけたほどの仲である。同志とばかり思つてゐた学長の掌を返すような仕打ちに、「長い人生の中で初めて人に裏切られたといふ実感を味はつた」と、氏はしみじみ述懐してゐた。

 それにしても勝田氏と言へば、いやしくも保守的知識人の代表ではないか。信じられぬ思ひで知り合いの皇學館大学の先生に聞いてみると、彼一言の下に曰く、「勝田なんて偽物ですよ。営業保守。教え子には『僕は本当は右でも左でもいいんだ』と言っていたらしいですよ。そのくせ年賀状には『部落のことを恐れて誰も言はないけど、誰か言ふ勇気のある奴はゐないのか』と書いて寄越すんですからね。」

 私「だから久保先生が言つてくれたぢやないか」

 彼「いや、自分には迷惑が掛からないやうに言つてくれつてことでしょ。」

 いやはや、呆れて物が言へないとはこのことである。(勝)


日本世論の会 三重県支部