「日本時事評論」平成12年3月17日発行より

教授解任は大学の自殺行為



解放同盟の影に怯えて 学問の自由も放棄 鈴鹿国際大

 学問の自由と共に表現や言論、思想の自由を最も尊ばなければならない大学で、これらを踏みにじる教授解任事件が発生した。この処分は不当なものであり、直ちに取り消さなければ、大学の存在基盤すら失いかねない重大問題だ。同時に、この解任劇には憲法が保障している自由権の問題だけでなく、部落解放同盟批判がタブー化されるという教育現場が抱かえる特有の病理が見える。解放同盟に怯えるのを止めるべきだ。

処分は不当

 解任されたのは、鈴鹿国際大学(三重県鈴鹿市、勝田吉太郎学長)の久保憲一・国際学部教授で、解任したのは、同大学を経営する学校法人享栄学園(本部・名古屋市、堀敬文理事長)。

 今年の1月17日に久保教授の教授職を解任し、学園本部付事務職員に降格したのが処分内容だが、その理由として、1.平成11年11月5日付「三重タイムズ」紙上で、鈴鹿国際大学教授の肩書において行った発言、2.東条英機に関する映画の鑑賞を強要するかのような指導など、これまでの抗議方法、3.公的機関である三重県人権センターに対する誹謗ともとらねかねない発言、を挙げている。

 1.の肩書きの問題は、教授がそれぞれの大学名を名乗って、意見、見解を述べるのは、日常的に行われている。発言内容が名誉毀損などの犯罪行為でない限り、表現の自由として許されている。しかも、今回の発言は、「歴史認識の見直し機運高まる」「史観の押しつけが問題」「先人の功罪を正しく評価」などの三重タイムズの見出しでも分かるように、比較政治の研究者にとって避けて通れない問題に関する発言であり、学問的信念に基づく見解を示すことは、学者としての責務で何ら問題とはならない。 要するに、3.で問題とされている発言以外に、発言内容で争うところはないのである。

 2.については学校側の事実誤認であり、鑑賞した学生が1割程度だったことからも、強要は行われていない。 また、仮に強要であったとしても、講義にどのような教材を使うかは教授の専権事項であり、講義方法としては何ら問題にならない。

発言に問題なし

 問題点は3.に集約される。

 三重タイムズでの発言は、「三重県人権センターを調査されたようですがどのような問題点がありました」との問いに対して、久保教授は「想像以上にひどいものでした。人権センターといってもほとんどが部落問題でしめられていてる。あとの二割ほどが反日、自虐史ですね。どういう子どもや日本人を育てようとしているのか疑問を感じるような施設です。このセンターで真面目に勉強する子どもがいたら、将来が本当に心配になります。このような施設を公費で建設したこと自体疑問ですね」と答えている。

 これが、「誹謗ともとられかねない発言」に該当しないのは明らかだ。誹謗とは、他人を悪く言ったり、けなしたりすることであり、公的な施設の展示内容に対する批判は、誹謗という次元の問題ではない。公的施設の展示内容、とりわけ小、中学生が見学する教育的施設の展示内容について、批判し、改善を求めるのは、国民の権利であり、教育者には義務とも言える。ましてや、人権センターの責任者などから、具体的な抗議もないのに、どうして問題となるのか。久保教授の発言が処分対象となり得ないのは明らかだ。

堂々と議論を

 それではなぜ、享栄学園は久保教授に対して、教授職解任という厳しい処分を行ったのであろうか。それは、堀副理事長や勝田学長の発言などにその真意が現れている。人権センター批判が、同和問題批判というより部落解放同盟批判と受け止められかねないからだ。

 部落解放同盟が圧倒的に強い三重県では、今回の久保発言を解放同盟が「差別」と断定し、糾弾ということになったら、大学が混乱して大変だと学園側は恐れた。久保教授は、個人の糾弾にとどまらず、学園が対象となり、幹部も同和研修を義務付けられるなど、学園全体が巻き込まれてしまうことを懸念したのであろう。しかも、小中高の教職員がほぼ100%近く加入している三重県教職員組合は、解放同盟と連帯しているというより、同和問題においては下部機関的な役割を果たしているので、解放同盟から抗議されることは、三重教祖を敵にするに等しい。そうなれば、生徒募集にも影響がでて、学校の存続にも関わると怯えたことが、真の理由と推測できる。

 実際に何らかの接触、そうした示唆があったらしい。しかし、今回の対応は学問の府である大学として、行ってはならないことだ。 真理を追究するには、既存の真理と認められているものにまで疑問、批判の目を向けることが不可欠であり、そのことは政治、経済、宗教を問わず、既成の権力に対する批判的言論となる。タブーなき言論が、学問の進歩にとって重要だからこそ学問の自由が保障され、大学の自治が尊重されている。学問の自由、表現の自由、言論の自由を制約することは、大学の存在そのものの否定になりかねないのである。解放同盟から抗議があれば、公開の場で同和問題を論じることこそ、大学の役割である。 鈴鹿国際大学は、直ちに処分を取り消すべきである。

タブーを排除

 今回の事件の背景には、教育関係者が解放同盟を怖がっていることがある。ようやく解放同盟の名称が新聞紙上で見られるようになったが、やはり直接的な解放同盟批判はタブーに近い。教育現場では、差別問題は解放同盟の専決事項であり、その決定に従うしかないのが現状だ。学校が主体性を失い、被差別者を絶対的善として、一切の批判が許されないことが、差別問題を歪め、同和問題の解決を困難にしている。 そのために、全国各地の人権センターの運営や展示内容の批判すらできないのが実情である。久保教授は勇気を持ってタブーに挑戦したのであり、ここで不当な処分が容認されれば、同和問題の解決すら遠ざかってしまう。今回の事件で明らかなように、すべての教育関係者が、解放同盟をいたずらに怖がるのを止めなければ、教育正常化はできない。


日本世論の会 三重県支部