華やかに着飾った人々が騒めいている。相応に落ち着いた年齢の人々の中に少しばかり場違いな年若い三人組がいた。 
        「・・・・・・なんか肩がこる・・・・・・」 
         黒く見えるほど深い紅の上着を着せられたフーロンがぼやくように呟いた。息苦しいのか襟口をしきりに引っ張っている。 
        「サイズが合わないのかな? ここの領主の若い頃のだって言ってたし。」 
         そう言ってジョウイが視線を向けた先には見事な銀色の髪の老人が和やかに談笑していた。 
        「ジョウイは平気なのかい? 」 
         そう言ってフーロンは横目でジョウイを見てから目を反らした。微妙に色の違う何種類もの白い糸で織られた上着はジョウイにとても似合っていたが、二人が離れ離れだった時の事を思い出させて少し辛かった。
        「まぁ、この手の服は着慣れてるから。」 
         何気なく答えたジョウイの言葉にフーロンは更にやり切れない気持ちになった。そのまま黙って騒めく人々に目を向ける。 
        「やっぱり断ればよかったかなぁ・・・・・・」 
        「そして街中で野宿かい? 」 
         フーロンは一つ溜息をついた。 
        「なんか拷問に会ってるような気がする・・・・・・」 
         もう一度ぼやくように呟いたフーロンの言葉にジョウイは声を出さずに笑った。 
        
         この街に来たのは偶然だ。ハルモニアを抜けて最初の三差路で棒が倒れた方に進んだらこの街に着いた。ちょうど収穫祭の頃だったらしく、街中が華やかに飾り付けられてとても賑わっていた。なんでもこの地方の領主の銀婚式も兼ねているらしい。50年前の収穫祭の時に式を挙げたのだそうだ。お祭りとお祝い事の二つに賑わう街に始めは目を見張って楽しんでいた三人だが、宿を見つけようとして呆然とするはめになった。
         どこもいっぱいなのだ。 
         お金はある。旅の途中でモンスターと戦う度に彼らが落としていったものがかなり額になる。けれど本当にどこもいっぱいで納屋でさえ空いていないらしい。三人が困って街角の小さな屋台で揚げ麺麭とお茶を飲みながらどうしようか相談しているときに騒ぎが起きた。街のあちらこちらで景気のいい音を立ていた爆竹のうちの一つが馬を脅かしてしまったらしい。華やかな飾りを付けた馬が暴れ始めた。悲鳴をあげて逃げ惑う人々の中を馬は口から泡を吹きながら暴走している。その様を呆然と見ていた三人の目の前で小さな女の子が転んだ。母親らしい女性が悲鳴を上げて助けに行こうとするのだが人の波に呑まれ近づくことが出来ない。そうこうしていうちに転んだまま呆然としている女の子の方に例の暴れ馬が近づいてきてしまった。馬を避けようとして人々が動いたから女の子の周りは人気が無くなったが、母親がなんとか人込みから抜け出た時にはもう馬は女の子の目前に迫っていた。
         絶望的な悲鳴を上げる母親の目の前にジョウイとフーロンが飛び出した。 
         二人とも馬が転んでいる女の子の方に近づいていると気が付いたときに同時に動き出していたのだが、やはり人込みに邪魔されて今まで翻弄されていたのだ。しかし女の子を助けるのは誰の目にももう手遅れのように見えた。事実、ジョウイは駆けよって女の子を抱え上げたものの、それ以上は動くことができずにそのままその子を庇うように蹲ってしまった。その二人を庇うようにフーロンが馬との間に立ちはだかろうとする。
         誰かが甲高い悲鳴を上げた。 
        「札に込められし力よ! 眠りの風よ! 」 
         最悪の光景を予想して目をそらした人々の耳に上ずった声が聞こえた。柔らかな風が人々の頬をなぜ、不思議な空気が辺りを支配する。大きなものが倒れる音に人々が目を戻したときに見たものは、横倒しに倒れた馬と、女の子を庇うように蹲るジョウイと、二人の前で何か札のようなものを握りしめて尻餅をついているフーロンの姿だった。
         辺りを静寂が支配する。 
         自分たちの目に映ったものを理解しかねて呆然としている人々を正気づかせたのは、ジョウイの腕から抜け出して母親のもとに駆け戻る女の子の泣き声と、これまたようやく人込みから抜け出すことに成功して地面に座り込んでいる二人に飛びついたナナミの「この馬鹿者どもっ!
        」と言う半泣きの声だった。 
         その声が合図のように人々が歓声を上げた。皆、二人の行動と幸運を喜んでいたのだ。その騒ぎの中で三人は自分達が助けた女の子がこの地方の領主の孫娘であること、領主の館はこの街にあり母親である領主の娘がお祝いも兼ねて里帰りをしに来ていたことなどを知った。三人のその日の宿がまだ決まっていない事を知った母親に是非にと請われて、この街に滞在中は領主の館に世話になることになったのだ。
         館につくと女の子の祖父である領主も孫娘を助けてくれたことに心からの感謝を示した。好きなだけ滞在して欲しいと言い、よかったらその晩に行われる内輪の銀婚式の宴にも出て欲しいと言ってくれた。始めはそれは遠慮しようとしたフーロンとジョウイだったが、ナナミの表情を見て気を変えた。ただ着るものはないからフーロンとジョウイは領主の若い頃のものを、ナナミは領主の娘の若いころの服を借りての出席となった。
        「ナナミも女の子だったんだねぇ・・・・・・」 
        「そうだねぇ・・・・・・」 
         壁際にひっそりと立ちナナミの方を見ながら二人は小声で言い苦笑した。二人の視線の先ではナナミは瞳を輝かせて華やかな装いの人々を見ていた。ナナミは淡い桜色のドレスを借りていたが、ふっくらとした顔立ちのナナミにそれは思いのほか似合っている。
        「こんな壁際で何をしているのです?心の友よ」 
         不意に声をかけられてぎくりとして振り返ると何とも派手な格好をした二人組がいた。 
        「こんなところにくすぶっていてはいけません、我が親友よ。あなた方はもう一人の年老いた我らの親友の恩人なのだから」 
        「あぁ、二人とも奥ゆかしい人柄なのだよ、わが心の友シモーヌ! 」 
        「それはよく知っているとも!我が親友ヴァンサン! 」 
         言葉に詰まって黙っていた二人の前でヴァンサン・ド・プールとシモーネ・ベルドリッチの二人は自分たちの世界を繰り広げている。
        「ここに来る前も聞いたけど・・・・・・どういう知りあい? 」 
         少し呆れたように聞くジョウイにフーロンは困ったように頭を掻いた。 
        「だから・・・・・・都市同盟時代に・・・・・お世話になった人達・・・・・・」 
         ジョウイにだけ聞こえるように小声で言ったはずのフーロンの言葉に派手な二人組は揃ってフーロンの方を見た。 
        「何を言っているのです! 我が心の友よ! 」 
        「あなたは私達の友情を守ってくれた恩人ではありませんか! 」 
         大げさに騒ぎ立てる二人に壁際に立っていたフーロンとジョウイはさらに壁に張り付くように後ずさった。宴の客達が何事かとフーロン達がいるほうを見ている。
         夕方の女の子を助けた後の騒ぎの中でこの二人とは再会した。人々に揉みくちゃにされている三人に、この大仰な調子で話しかけてきたのだ。二人の様子に毒気を抜かれた街の人々がフーロン達から離れたおかげで女の子の母親とも話が出来た。ヴァンサンとシモーヌはここの領主の古くからの知り合いでこの街にも頼まれてこの親子をエスコート(こういう言い方を二人はした)してきていたらしい。「本当なら我らがしなければならなかったことを!
        」と涙を流さんばかりに礼の言葉を繰り返し、三人の宿を聞いた。そして宿が決まってないことを知った母親に招かれた訳だ。 
        「あぁ、本当に奥ゆかしいにも程がある!今回だって素晴らしいことをしたというのに! 」 
         憤懣やる方ないと行った調子で二人は嘆いている。 
        「・・・・・・相変わらずだねぇ・・・・・・・」 
         いつの間にかナナミがすぐ近くに戻ってきていた。多分大騒ぎをするヴァンサンとシモーヌの声に気付いたのだろう。さすがのナナミも多少あきれたような顔をしている。
        「おぉ!何とお似合いなんでしょう!何処の姫君かと思いました! 」 
        「まるで花の妖精のようです! 」 
         ナナミの声に振り返った派手な二人組の言葉はまるで芝居の科白のように韻を踏んでいた。 
        「え?えへへ・・・・・・」 
         言われてナナミはまんざらでもないのか照れたように笑っている。 
        「・・・・・・フーロン、聞いていい? 」 
        「聞くな・・・・って言うか、聞きたいこと、分かる。」 
        「分かる? 」 
        「彼らは多分心の底から本気で本心からああ言ったんだと思う。」 
        「・・・・・・まぁ、確かに似合ってるけどね・・・・・・」 
        「・・・・・・馬子にも衣装・・・・・・・」 
         小さな小さな声で呟いたフーロンの頭をジョウイを少し笑いながら小突いた。目の前では二人がナナミに踊らないのかと聞いている。確かに会場では華やかな音楽が流れ人々が緩やかなステップを踏み始めていた。
        「えーー、いいよぉ。だって踊り方、知らないし・・・・・・」 
        「音に合わせて動けば良いだけです。ヴァンサンなら上手くエスコートするでしょう。せっかくお似合いなのですから皆に見せなくては。」
        「だけどぉ・・・・・・」 
         珍しく本気でしり込みしているナナミにシモーヌが言っている。 
        「君が行きたまえ、シモーヌ。君の方が若いお嬢さんにはお似合いだよ。」 
        「君と私とは二つしか違わないじゃないか、ヴァンサン。」 
        「その二つの差が大きいのだよ、心の友よ。」 
         そう言ってからヴァンサンはフーロンとジョウイの方に目を向けた。 
        「お二人からも勧めてくれなくては。きっと楽しめる、そう思いませんか? 」 
         その言葉に二人は顔を見合わせた。踊っている人々に目を向けた後、ジョウイが言った。 
        「行ってごらんよ、曲に合わせて動くだけでいいはずだよ。」 
        「だって、ホントに分からないもん。」 
         困って拗ねたよう言うナナミを少しからかうようにジョウイが言った。 
        「ナナミらしくもない。足踏むのがそんなに不安なのかい? 」 
         その言葉にナナミが少しムッとした顔をした。 
        「どういう意味よ? 」 
        「え、ナナミだったら絶対相手の足、踏むだろう? シモーヌさん、気をつけてくださいね。」 
        「踏まないもん!ちょっとだけどちゃんと教わったんだから! 」 
         そう言うとシモーヌの腕を掴んだ。 
        「行こう!ジョウイ、見てなさいよ! 」 
         そう言うとずんずん行ってしまった。 
        「・・・ ・・・ナナミが教わってたのはこの手の踊りじゃなかったと思うけど・・・ ・・・」 
         壁に張り付くように立ったままフーロンがボソっと言った。見送っている目が笑っている。 
        「そうなの? 」 
        「うん。でも運動神経はいいから案外うまくこなすかな? 」 
        「じゃシモーヌさんの足は無事だね。」 
        「それはまた別の問題。」 
         踏むだけは絶対踏む、そう言ってフーロンは少し笑った。二人の見ている前でナナミとシモーヌは案外軽やかに踊り始めている。 
        「お二人もお行きになるべきです。それは似合いの年頃の娘さんはいませんが・・・ ・・・あぁ、シモーヌの次ぎにはお二人が・・・
        ・・・」 
        「僕はいいです。」 
         ジョウイが苦笑交じりにいった。フーロンの方を見ると笑って首を横にふる。 
        「踊れない訳ではないですよね? 心の友よ。ノースウィンドでお教えしましたし・・・ ・・・」 
         ヴァンサンがそう言ったときジョウイの身体に不意に緊張が走った。フーロンが訝しげにジョウイを見る。 
        「ごめん、僕は先に部屋に引き上げる。」 
         そうフーロンにだけ聞こえるように言うとジョウイは何かから逃げるように会場から出ていった。 
        「ジョウイ? 」 
         呆然と呟いたフーロンの耳に聞きなれない声が聞こえた。誰かを探しているらしく「確かにいたような気がするのだが」と言いながら近づいてくる。フーロンがそちらの方を見るのと「失礼ですが」と声をかけられるのは同時だった。
        「今こちらに髪の長い少年がいませんでしたか? 淡い色の髪の綺麗な少年なのですが」 
         フーロンは黙って相手を見返した。壮年のなかなか立派な押し出しの紳士だ。どこかの国の大使と言っても通用するだろう。 
        「……あなたはどなたですか? 」 
         静かに問い返すフーロンに男は僅かにたじろいだようだった。 
        「失礼。私はハルモニアで外交関係の仕事をしているもので……」 
         男がなにやら長ったらしい名前を名乗り自己紹介していたがフーロンは聞いていなかった。ハルモニアで外交関係の仕事をしていたのなら皇王としてのジョウイを知っているはずだ。フーロンは何か冷たくて硬質なものが自分なかに浮かび上がってくるのを感じた。その冷たいそれは、それでいてマグマのように熱い何かを内包していた。
        「それで今ここにもう一人少年がいたように思うのですが……」 
        「知りません。」 
        「え? ですが……」 
         表情のないフーロンの声に男は戸惑った声を上げた。 
        「今まで誰かと話をしていませんでしたか? 」 
        「知りません。気のせいでしょう。」 
         フーロンは相手から目を反らさないまま無表情に言い放つ。男は困った顔をしていたが不意に何かに気付いたようにマジマジとフーロンの顔を見直した。
        「失礼ですが、もしかしてあなたは旧都市同盟のリーダーの・・・ ・・・」 
         その言葉にフーロンは心臓が止まりそうになった。まさか自分の顔もハルモニアに知れているのだろうか?どうやってこの場を切り抜けよう?そう考えてあせるフーロンの耳に大仰な声が聞こえた。
        「あぁ、あなたはハルモニアの!、私を覚えていらっしゃいますか? 」 
        「え?え? 」 
         急に派手な身振りで話しかけてきたヴァンサンに男はまた戸惑った声を上げる。 
        「そうです、留学中ハルモニアの酒場で難癖をつけられていた私に助け船を出してくださった方です。こんなところでお目にかかれるとは!
        」 
         戸惑う相手の様子も構わずヴァンサンは大きな声で話しかけている。「人違いでは」と逃腰になる男の腕を捕まえて「あぁ、忘れるわけがありません、あなたのあの親切!」と言いながらヴァンサンはフーロンだけに見えるように小さくウィンクをした。
         始めキョトンとしていたフーロンは半瞬後ヴァンサンの行動の意味に気付いた。ちらりと踊っている人々の方に目をやる。シモーヌとナナミはまだ楽しそうに踊っていた。もう一度ヴァンサンの方を見るとヴァンサンは「任せてください」と言うようにもう一度小さくウィンクした。
         フーロンは二三回まばたきをすると心の中でヴァンサンに感謝しながら会場を抜け出した。 
          
         会場を抜け出してから部屋に戻るのに少し手間取った。どうやら本来は宴が行われている棟しかなかった建物に必要に応じて建て増しを繰り返して出来たのが今の館らしい。与えられた部屋のある棟に行くのに一度階段を昇って別の棟に行ってから階段を降りたりしなければならず、少し迷ってしまった。
         そもそも焦っていた上に迷ってしまい、更に動揺して思わず走ってしまったからフーロンが部屋の前にたどり着いたときには息が切れていた。立ち止まり息を整えてからそっと扉を開ける。中に入り部屋の中を見渡すと二つ並んだ大きな天蓋付きのベッドのテラス側の方の上にきちんとたたまれた白い服が目に入った。首を傾げてもう一度部屋の中を見渡したがジョウイの姿はない。
        「ジョウイ? 」 
         一瞬嫌な予感がして小さな声でジョウイを呼び部屋の中を見渡した。開けられたテラスへと続く扉から入る青白い月光でほのかに明るい部屋からは何の返事もなかった。小さく深呼吸をしてもう一度部屋の中を見渡す。ベッド脇の置かれた小さな荷物とジョウイの棍を見つけてフーロンはほっと安堵の息を吐いた。ジョウイは何処にいるんだろう、と少し考えてからテラスの方を覗きに行った。扉から顔だけをひょいっと覗かせる。
         壁にもたれるようにしてジョウイが立っていた。 
         声をかけようとしたフーロンは開きかけた口をそのまま閉ざした。月の光を浴びて伏し目がちに立っているジョウイはとても淋しそうな顔をしている。三人で旅をするようになってから時折目にする表情だった。
         フーロンは黙って頭を引っ込めた。ジョウイがあの顔をするのはナナミもフーロンも側にいないときだけだ。どちらかが側に戻ればその表情はいつも淡雪のように消えた。はじめ、その表情の意味に気付いていないときは一人でいるのが嫌なのだろうと単純に思っていた。
         その淋しそうな瞳の奥にあるものに気付いたのは何時だろうと思う。気付かなければまた一緒にいられる日々を単純に喜んでいられたのだろうかとも思う。ジョウイが何を想い、何を憂いているのか、それはフーロンには分からない。けれどその憂いをジョウイが知られたくないと思っているのなら、気付かない振りをしていよう、フーロンはそう決めていた。
        (前もこれで失敗したような気はするんだけど……) 
         そう思いながらフーロンは静かに部屋の外まで引き返した。そっと扉を閉めてから三つ数えて今度はわざと大きな音を立てて扉を開ける。
        「ジョウイ? 」 
        「フーロン? 」 
         大きな声でジョウイを呼ぶと今度は返事があった。フーロンが顔を覗かせるとジョウイは今度はテラスの手すりにもたれるように立ち、こちらを振り返って見ていた。
        「君まで戻ってきちゃったのか」 
         少しすまなそうに言うジョウイの背中に回るとフーロンはジョウイを背中から抱きしめるように腕を回し肩に顎を乗せた。 
        「何見てたの?」 
         わざと顎がジョウイの肩にぶつかるように喋るフーロンにジョウイは少しくすぐったそうに身をよじりながら視線をテラスの外に戻した。視線の先には宴の会場があった。
        「ここから見えるんだ……」 
        「うん、音楽も聞こえる。」 
        「あそこからこの部屋って結構離れてるような気がしたんだけど……」 
         相変わらずかくかくと顎がぶつかるように喋るフーロンにジョウイは形のよい眉をしかめた。 
        「くすぐったいよ」 
        「ジョウイはくすぐったがりだからね」 
         笑いながらそういうとフーロンはジョウイの横に立った。 
        「ナナミ、見えるかな? 」 
        「見えるわけないだろう」 
         身を乗り出して宴の会場の方を見るフーロンにジョウイは苦笑しながら言った。 
        「いや、ナナミのことだから何か騒動をおこして目立つかもしれないし。」 
        「本気でそう思ってるわけでもないくせに… …」 
         苦笑のままそう言ってジョウイはまた視線を先に戻した。 
        「ジョウイは何を見てたの? 」 
          宴会の会場から目をそらさないままフーロンは聞いた。 
        「うん?だから会場が見えるなって………それだけだけど……」 
         特に何かを見ていたわけじゃないよ、と言ってジョウイはまた手すりに寄りかかった。 
        「ふぅん? 」 
         それっきり沈黙が二人の間を支配する。月の光が緑の多い庭を淡く照らし出していた。軽やかな音楽が絶えることなく聞こえてくる。
        「……綺麗だね……」 
        「何が? 」 
        「庭。」 
         フーロンはそう答えるとジョウイの顔を覗きこんだ。 
        「散歩に行こうよ。」 
        「散歩? 」 
        「そう、どうせ眠くはないでしょう? 庭を歩こうよ。」 
        「いいけど……どうやって庭に降りるんだ……ちょっと! フーロン?!」 
         いいけど、と言ったジョウイの言葉を聞いたときにはフーロンはもう手すりを乗り越えていた。 
        「たいして高くないよ、ここ」 
         そう言ってそのまま庭に向かって飛び降りる。ジョウイが慌てて手すりから身を乗り出すと下ではフーロンがにこにこしながらジョウイに向かって手を振っていた。少し考えた後、小さくため息をついてジョウイもテラスから飛び降りる。
        「……何だ、抱きとめてあげようと思ってたのに……」 
         立ち上がるジョウイの横に立ってフーロンが笑いながら言った。 
        「馬鹿! それより聞きたいんだけどね、フーロン。」 
        「何? 」 
        「どうやって部屋に戻るつもりだい? 」 
         フーロンがきょとんとジョウイの顔を見返している。 
        「フーロン? 」 
        「……あれ? あ……しまった……」 
         きょとんとした顔のまま呆然と言うフ−ロンにジョウイは吹き出した。 
        「考えてなかったのか。」 
        「……しまった、どうしよう……」 
        「しょうがないなぁ……」 
         くすくすと笑うジョウイにフーロンが恨みがましい視線を向けた。 
        「気付いてたんなら言ってくれればよかったのに」 
        「言う間もなく飛び降りたのは誰だよ。」 
        「僕だよ、ちぇっ。いいや、何とかなるだろう。」 
         ふてくされたようにそう言うとフーロンは庭の奥に向かって歩き出した。ジョウイが横に並んで歩く。二人でそのまま月の光が照らす庭をゆっくりと歩き回った。少し奥の方に行くと凝った作りの小さな噴水があり、水飛沫が月光を青白く反射させている。
        「思ったより狭いのかな、この庭」 
         フーロンが噴水の縁に座って呟いた。目を細めて月を見上げている。 
        「何で? 」 
        「音楽がまだ聞こえる……」 
         言われてみる確かに音楽が聞こえた。そんなに大きくではないので意識しなければ気付きもしないだろう。けれど案外とはっきりとその音を聞き取ることができた。
        「月があんなに高く上がってる・・・・・・いつまでやってるのかな、あの宴。」 
         月を見上げたままフーロンが言った。 
        「夜中やってるのかもね、案外。」 
         ジョウイも月を見上げながら答えた。そのままフーロンの横に腰を下ろす。 
        「ナナミ、楽しそうだったね。」 
        「うん、女の子だったんだねぇ。」 
        「君もゆっくり楽しんできたらよかったのに……」 
         その言葉にフーロンは視線を月からジョウイに向けた。ジョウイは相変わらず月を見上げたままである。 
        「……ああゆう場所は得意じゃない……」 
        「そう? 」 
        「君は? ああ言う場所での楽しみ方、知ってるでしょう? 」 
         ジョウイも視線を月からフーロンに向けた。少しの間黙って互いの目を見ていたが先に目をそらしたのはジョウイだった。 
        「……僕もああ言う場所はあまり好きじゃない……」 
        「そう? 」 
         フーロンはしばらくジョウイから目をそらさなかったが、やがて音楽が聞こえる方に目を向けた。 
        「でも残念だったな」 
         雰囲気を変えるように明るく言ったフーロンにジョウイはほっと小さなため息をついた。 
        「何が? あぁ、そう言えばおいしそうだたね、オードブル。」 
        「オードブル?それ何?まぁどうでもいいや、違うから。何で食べ物だと思うんだよ。」 
        「オードブルが食べ物だって言うのは分かるんだ。でも食べ物でなきゃなんだよ。」 
        「僕の華麗なステップを披露できなくて。」 
         ジョウイは思わず吹き出した。フーロンが不満げに自分の方を見たのが分かる。 
        「何で笑うんだよ。」 
         拗ねたように言うのが聞こえたが顔が笑うのを止められない。 
        「別に……なんとなくだよ……華麗なステップ? 」 
        「あ、失礼な奴!ちょっとしたモンだったんだぞ! 」 
         ジョウイは笑いを堪えようとしたが止まらない。くすくすと声が漏れる。 
        「あ、信じてないな?本当だぞ、ちゃんと習ったんだから」 
        「どこで披露したんだよ、その華麗なステップを。ああ言う場所が得意じゃなくてさ。」 
        「……人のいないところ……」 
        「それは披露したとは言わない。」 
         ジョウイはもう堪えきれず腹を抱えた。さすがに声を立てては笑わなかったが全身が震えている。 
        「本当だってば!ヴァンサンもカレンさんもそう言ってたんだから!センスあるって!」 
        「はい、はい」 
         カレンって誰だろう?と心の隅で思いながらジョウイは言った。ついに目からは涙が出始めている。 
        「信じてないーーーー」 
         焦れたようにフーロンが言うのが聞こえた。本気で拗ねる前に笑いを止めた方がいいと分かっているのだが一度笑い出すとどうにも止まらない。
        「ホントにセンスあるって言われたんだってば! 」 
        「でもどうやって信じろって言うんだよ、僕は見てないのに。」 
        「うーーーー」 
         むくれたように唸っていたフーロンが急に静かになった。慌てて顔を上げると瞳をきらきらさせてジョウイを見ている。悪戯を思いついた子供の瞳だ。
        「証明する方法、思いついた。」 
         口調が面白がっている。ジョウイはぎくりとして立ちあがった。 
        「何? 」 
        「ジョウイと踊ればいいんだ、今。」 
        「ちょっと待って。」 
        「そうだ、そうすれば僕が踊れるってわかるよね?」 
        「待った、ちょっと待った。なんで僕が君とこんなところで踊らなきゃならないんだよ?」 
         焦ってじりじりと後退しながら言うジョウイにフーロンは意地の悪い笑顔で近づいてくる。 
        「ジョウイが信じなくて、ここには僕のほかにはジョウイしかいないから。」 
        「待った、ストップ。待った……僕が悪かった、信じる。信じるから……」 
         後退はしたものの、もともと噴水のそばに座っていたジョウイはすぐに逃げ場を失った。あっという間にフーロンが詰め寄ってくる。
        「なんでそんなに焦るのさ? もしかしてジョウイ、踊れない? 」 
        「踊れるよ! 」 
         反射的に言い返してから「しまった」と思ったがもう遅い。 
        「じゃ、踊ろう! 」 
         フーロンはジョウイの手を引っ張ると強引に曲に会わせて動き始めた。フーロンが自分で言うようにその動きは案外軽やかだ。しかし……
        「いてっ! ジョウイ、足踏んだ!! 」 
        「あ、ごめん、って違う! 」 
        「下手くそーーー」 
        「だから女性パートの踊り方なんて知らないってばっ……あ、ごめん」 
        「痛い!!へたっぴー! 」 
        「だから違うってばっ! 」 
         踊っているのだか、足を踏み合っているのだが、ジャレ合っているのだかよく分からない二人のワルツは結局、宴が終わる明け方まで続いた。
         そして二人のダンスの腕前を見ていたのは豊穣を祝う月だけであった。