ふろーらる

 人間とは貪欲な生き物だ。
 最近、カミューは頓にそれを感じる。
 ささやかな幸せを手に入れた瞬間から、それに満足することなく次の幸せが欲しくなる。
 そう、自分はなんと貪欲なのだろう。

「明日、ワンのスケ殿についていくことになった」
 カミューの胸の中で、マイクロトフは嬉しそうに言った。
 自室のベットの上でカミューと抱き合うのにもそろそろ馴れてきたのか、それとも他所事に感心がいっているのか、マイクロトフはゆったりとカミューに身を預けている。
「ゲオルグ殿も一緒なんだ」
「ふぅん・・・」
 その声色に不機嫌なものを感じて、マイクロトフは身じろいでカミューを見上げた。
「どうかしたのか?」
「…私が一緒にいけないのに…他の男と一緒になることを喜ぶなんて冷たいんだな、お前は」
「えっ……?」
 驚いたようにマイクロトフが目を見開く。
 その仕種も可愛い。
「お、俺は別にそんなつもりは…」
 顔を赤らめて焦るところも、愛しい。
 カミューは抱き締める手に力を込めた。
「く、苦しい…カミュー」
「キスしてもいい?マイクロトフ」
 短い黒髪に顔を埋めて聞くと、びくり、と彼が震えた。
「……嫌」
「そう………」
 はっきり意思表示されて、カミューは溜息をついた。
 あの一件以来、抱き合うことは解禁になったものの、それ以上に進まない。カミューがマイクロトフの意見を尊重し過ぎるところが原因かも知れないが、無理強いして嫌われるのはどうしても遠慮したかった。
「お前がいない間に発作が出ないよう、おまじないしてほしかったのに」
「一日くらい、我慢出来るだろ?」
 寂しげなカミューの言葉にやや呆れつつ、マイクロトフはそうだ、と呟いた。
「俺の服、持って行くといい。青いものが側にあれば平気なんだろ?」
「…………」
 名案を思い付いたようにいわれてカミューは唖然とした。
「あのさ…マイクロトフ」
「うん?」
「もしかして…気付いてない?」
 恐る恐る聞かれて、マイクロトフが首を傾げる。
「なにを?」
 がくーっ、とカミューは脱力した。
 確かに、自分が『青いもの依存症』だと言った。だからずっと側に居てほしいと。抱き締めたいと言った。
 でも、だからって、普通、気付くだろ?
 カミューの欲しているのが、ただ『青いもの』だけではないということに。
 だって……。
「マイクロトフ…私が今までずーっと繰り返し言ってた言葉、ちゃんと聞いてたか……?」
「?勿論、ちゃんと聞いてたぞ」
 当たり前じゃないか、と付け加えられて、本気で力が抜ける。
 じゃあ、なんで気付かないんだっ?
 既に鈍いとか以前の問題のような気がして、カミューは顳かみを押さえた。
 なんか頭の奥がジンジンする。
「なんだ?どうかしたのか?」
「……マイクロトフ、もう一回、言うよ?」
「ああ?」
 耳元にそっと薄い唇を寄せて、カミューは渾身の想いを込めて囁く。
「お前を……愛してる」
「…んっ」
 熱い息が吹きかかって、マイクロトフがピクンと震える。
「お前は……私の事、どう思ってる?」
「…好き、だ」
「じゃあ……キスして良い?」
「それは出来ない」
 やはり間発入れずに言われて、カミューは歯噛みした。
「もういいっ…」
 乱暴にマイクロトフを引き剥がし、ベットから降りる。
「カミュー?」
「部屋に戻るっ」
 自分でも駄々っ子みたいだと思いながら、困っているだろうマイクロトフを振り返らずに部屋を出る。
 振り返ってしまえば自分を押さえられないかも知れない。
 最近、頓にそう思う。
 早い話、欲求不満なのだ。自分は。

 結局その夜はマイクロトフの事を考えてばかりで、眠れたのは朝方だった。
 起きた時には日ももう随分高くて、当然、マイクロトフたちは出かけた後で。
「最悪だ……」
 昨日は失態だった。
 改めて、そう思う。
 マイクロトフに嫌われたのではないかと、そればかりが気にかかり、カミューは頭を振った。
 取り合えず、食欲はないものの何か食べねばと思い、食堂へと向かう。
 その道すがら。
「おや?」
 思わず、声が漏れた。
 その声に気付いたのか、向こうも足を止めた。
「赤騎士……さんか」
「久しぶりですね」
「ああ、今日はニャンタが、ワンのスケたちと一緒に行きたいって駄々をこねてな」
 ぶっきらぼうにそう答えたのは、長身で隻眼のエルフ、ルヴィだった。
 トラン解放軍の英雄ニャンタ・マクドールと共に、彼も百八星として戦ったのだと聞いている。
 その強さも、ズバ抜けていると。
「いつも思うんですが、何故貴方は戦わないんですか?」
「俺には戦う理由がない。ルカ・ブライトが倒れた今となっては、どちらが勝っても大した違いはないだろうしな」
「随分な言い種ですね」
 仮にも、そのために戦っている者に対して言うには、礼儀知らずも良いところかも知れない。
 マイクロトフなら顔を真っ赤にして怒るのだろうなと含み笑いを漏らしながら、カミューはルヴィへと微笑んだ。
「でも、ニャンタ殿は手を貸して下さってますが」
「あれは……」
 一瞬、ルヴィは言葉に詰まり、
「ソウルイーターを鎮めるのには、敵の魂喰うのが手っ取り早いといって……な」
「…はあ」
「腹一杯にしとけば、あの紋章も悪さしないだろう、とニャンタは思っているらしい」
 なるほど、とカミューは頷いた。
「要するに、この戦争は彼に都合が良かったと言うわけですね?」
 はっきり問われて、ルヴィは苦笑する。
「まあ、戦争というのは多かれ少なかれ、人間のエゴから生まれるものだからな…エルフも、同じことだが」
「………ええ」
「それを利用する者がいても、非難できんだろうな。ましてや……」
 ちらり、とルヴィが後ろを見やる。その視線を追うと、
「おーい、ルヴィさーん」
 手を振って、ニャンタの親友だという少年が走り寄って来る。
 元々ソウルイーターは彼の持ち物で、紆余曲折の末、ニャンタに移ったらしい。
「こんちわ。えーと、カミューさんだっけ?二人で何、話てんの?」
「テッド、何処行ってたんだ?」
「へっへっへ、フッチたちと崖上り」
「・・・怪我するなよ。ニャンタが泣くぞ」
 溜息をついて、ルヴィはテッドの肩を叩いた。
「平気だって。で、二人はなんの話してたの?」
 カミューとルヴィはお互いをほんの少し見合って、
「……ましてや、本当に手放したくないものがあるなら、そんな取り繕ったことを言っている暇もないだろうしな」
 その言葉に、カミューは目を細めた。
「なるほど。ためになるお話、有り難うございます」
「???」
 二人の会話についていけず、テッドが不思議そうに首を傾げる。
「なにが?」
「戦争についてだ。気にするな」
 ルヴィに言い切られ、テッドがうー、と唸る。
「では、私はこれで」
「ああ。テッド、俺たちも行くぞ」
 まだ不満げに訴えるテッドの相手をしながら去って行くルヴィの背中を見つめながら、カミューはふうと息を吐いた。
 本当に手放したくないものがあるのなら、か。
 それは今の自分には、ひどく堪える台詞だった。
 カミューはその場で目を閉じて、大切な彼が今、無事であるようにと切に願った。
 
 夕刻を過ぎた頃、ワンのスケたちは戻ってきた。
 カミューもマイクロトフを出迎えに、広場へと向かった。
 その横で。
「テッドー、お土産買ってきたよー」
「おおっ、サンキューニャンタ。さすが親友!!!」
 きゃいきゃいと盛り上がる二人を眺めているルヴィと目が合い、苦笑する。
 大変だな、彼も。
 でも、彼等は幸せそうだ。
 自分にとって何が一番大切か、よく解っている。
 ならばカミュー自身はどうなのだろうか、と思ったところでマイクロトフの姿を見つけ、思わず口元が綻ぶ。
 彼が無事だということが、一番大切なことなのだ。今の自分にとっては。
「お帰り、マイクロトフ」
「……ぁぁ」
 笑顔で迎えるカミューへ、マイクロトフは不機嫌に小さく相槌を打った。
「…昨日の事、怒ってるのかい?」
「………怒ってない、別に」
 そんなあからさまに怒った顔で怒ってないと言われても。 早足にその場を立ち去ろうとするマイクロトフを追って、カミューも身を翻した。
「おい、マイクロトフ?
「………」
 呼び掛けにも無言で、マイクロトフは階段を駆け上がって行く。
「待てって」
 やっと彼の腕を捕まえたのは、彼の部屋の前だった。
「昨日のこと怒っているのなら謝るから、話を…」
「昨日のことは怒ってない……」
「え?」
 くるり、とマイクロトフがこちらを向く。
 目尻に涙を溜めて。
 悔しげに唇を噛むその表情に、どきん、とカミューの胸が鳴った。
 か…か、か、可愛いすぎる………。(↑腐ってる)
「聞いてくれるか、カミュー?俺は今日、なんの役にも立てなかったんだ。自分がこんなに腑甲斐無いなんて…っ」
「マイクロトフ……」
 俯いてしまったマイクロトフを宥めて、カミューは自分の部屋へとマイクロトフを連れ込んだ。
「ほら、座って。なにか飲むかい?」
 ベットに座らせたマイクロトフが、ふるふると首を横に振る。
 ふう、とカミューは溜息を付いた。
「なにがあったんだ?」
 静かに訪ねると、ぴくん、とマイクロトフの肩が揺れた。
「ニャンタ殿が……」
「ニヤンタ殿?」
「ニャンタ殿がっ……敵が現れる度にソウルイーターで一掃してしまうので、一度も俺に番が廻ってこなかったんだ」
「………はあ」
「あああっ、俺は役ただすだあっっっ」
 いや……それは。
 なんと言って慰めようかとカミューは頭を巡らせながら、マイクロトフの肩を抱いた。
「あのな…マイクロトフ」
「………なんだ?」
「人という存在に役たたずな者などいないよ…」
 多分ね、とカミューは元白騎士団長の顔をふと思い出してそっと呟く。
「なら……俺はきっと騎士として役たたずなんだ…」
 ふい、と横を向いてマイクロトフ。
 うーん、そうくるか?
 意外と根の深そうな落ち込み具合に、カミューは頭を痛めた。
 取り合えずここは、多少強引にでもマイクロトフに違う事を考えさせた方が良さそうだとカミューは判断する。
 マイクロトフが落ち込みを忘れるような、違うこと…か。
 色々な事を考えて、結局カミューが口にしたのは、
「キス、してもいいかい?」
「はぁ?」
 なんとなく自分の欲望を優先させてしまう己にやや苦笑を覚えながらも、カミューは眉間に皺を寄せるマイクロトフを抱き締めた。
「お前は今回の戦では役に立たなかったかも知れないが、いつでも私の役に立ってくれているよ」
「お前の役に…?俺が?」
「ああ。お前がいてくれるだけで、私は幸せな気持ちになれるから……」
「なっ……?」
 噛んで含めるようにそう言うと、マイクロトフが顔を真っ赤にする。カミューの言葉は、それなりにカミューの思惑通りに働いたと言って良いだろう。
 勿論、多少の進展を期待したい気持ちも多分にある。だからこそ、カミューの声も自然に熱を帯びて力がこもってくる。
「聞いてくれ、マイクロトフ。なのに私は物凄い欲張りで、もっと幸せになりたいと思ってしまうんだ。そして、それをくれるのはマイクロトフだけだから……」
「俺だけ…?」
「そう、マイクロトフだけだ」
 いつになく真面目なカミューにやや気押されながら、マイクロトフは困ったように瞬きした。
「私はもっとお前に触れたい。マイクロトフを私だけのものにしたい。お前が欲しい」
「カミュー…」
 熱い気持ちを吐露する親友を目の当たりに見て、マイクロトフは戸惑った。
 こんなカミューを見るのは始めてて、どう答えて良いのかわからなくなってしまう。
「なんで…俺なんか…を」
「言葉では語り尽くせないよ」
 そう、この気持ちを正確に、確かに伝える言葉など、この世にありはしないのだから。けれど。
 本気で手放したくないから、もう、なにも取り繕ったりしない。
 すべてを捨てても、彼を取る。でなければ他のなにを手に入れても、無駄になってしまうから。
「愛してる、マイクロトフ」
 懸命に、一言一言に心を込めて。
 彼にこの想いがほんの少しでも伝わるように。
「カミュー……」
「お前とキスしたい…マイクロトフ」
「うん…」
 僅かに、マイクロトフは頷いた。
 耳まで真っ赤にしながら。
「本当に?」
 うわずる声に、自分でも笑いたくなる。
「うん……」
「マイクロトフ……」
「でも、条件がある」
「条件?」
 既に身を乗り出しかけていたカミューは怪訝に聞き返す。
 こくり、とマイクロトフは意志の堅そうな表情を、縦に振った。
「お前の誕生日に……それでいいか?」
 問われて、カミューは自分の誕生日を思い出し、数えた。
 後2週間もない。
「それぐらいなら、待とう」
「うん。それでは、その時に……」
「絶対だよ?」
 カミューの念押しに、マイクロトフはちょっと怒ったようだった。
「俺はそんなに信用ならないか?」
「いや…そんなことは。……そうだ」
 慌てて言ってから、カミューはなにかを思い付いたようににっこりと笑った。
「カミュー?」
 近付いてくる顔に、びくりとマイクロトフが身を竦ます。
 震える瞼にカミューの唇が触れ、そして、離れた。
「誓いの、キス」
「…ばかっ」
 顔を真っ赤にしたマイクロトフを抱き締めながら、カミューは幸せを噛み締めた。
 
 だがしかし、カミューにとって2週間という日が、蛇の生殺し状態であったのは言うまでもないだろう・・・。