嵐過ぎ去って

 ガラン、と看板が音を立てて落ちた。
 そのまま、目を被わずにはいられないほどの強風に煽られて、がらんがらんと転がっていく。
 叩き付ける雨は容赦の一遍もなく。

 嵐。

 その日は、そんな名で呼ばれる日だった。
 そして。
 運悪く、そんな日に宿屋で足留めをくっている三人組がいたのである。

「最悪〜☆早く城に帰らなくちゃならないってのに…」
 憮然と呟いて、ワンのスケは安物のベッドへと寝転がった。
「ほんと、瞬きの手鏡がないと大変ですよね〜ニャンタさん」
 へら、とだらしなく笑って、となりのベッドへと腰掛けるニャンタに声をかけるのだが。
「………」
 無言の一瞥をくらわされただけに留まり、ワンのスケは静かに冷や汗を流した。
「か、カミューさんは遅いですね?どうしたのかな〜っと」
 この相部屋の最後の住人の話を持ち出して、話題転換なぞ計ってみたりする。
 と、タイミングよくドアが開いた。
「…どうだった?」
 ニャンタが静かに戸口のカミューへと声をかける。
「後少しで嵐の中心…まあ『目』というやつですが…来るそうです。その時なら今の風雨も一時的におさまるらしいですよ」
 説明しながら自分が休んでいたベッドへと歩み寄ると、カミューは荷物を纏め始めた。
 無言で頷き、こちらも荷物を纏め出すニャンタに、ワンのスケが首を傾げる。
「ニャンタさん…?カミューさんも、どうしたんですか?荷物なんか纏めちゃって」
「決ってるだろ」
 ぶっきらぼうに、ニャンタはワンのスケへと言葉を投げた。
「僕は早くテッドに会いたいんだ!!」
「私だって一刻も早くマイクロトフに会いたいですよ!!!」
 きっぱりすっぱり言い切られて。
 ワンのスケは独り、目をしばたかせた。
  
  

 ざくざくざくざく。
 言葉少なに進んでいく彼らのスピードは、実は走ってるんじゃないかというくらい早足だ。
「ちょっ…ちょっと、もう少しペースを…」
 途中で根をあげたワンのスケが何度も先を行く二人に声をかけるが、一切無視される。
「ニャンタさぁ〜ん、カミューさぁぁぁん」
 情けない声を張り上げると、やっと二人の足がぴた、と止まった。
 休めるかも、と淡い期待を抱いたワンのスケだったが。
 振り返った二人の表情を見て、後悔の念に襲われる。
「ワンのスケ〜?元々こうなった原因を作ったのは誰だったのか、よおおおおぉぉぉっく思い出したいみたいだね?」
「ふふふ、ニャンタ殿。私もお手伝いいたしますよ。ふふふふふふふふ」
「ごめんなさい僕がすべて悪いんです謝ります申し訳ありませんだからソールイーターで喰ったり燃やしたりするのだけは勘弁してやって下さいお願いしますぅ〜」
 血走った四つの目で見つめられて、ワンのスケは思わず深々と頭を下げた。
 淀みなく出てくる謝罪の言葉が、彼の要領の良さを物語っていて微笑ましい。←そうか?
「わかればよろしい」
 そう言って、ニャンタたちは再び歩き出した。
   
    

「あっ、これテッドに買ってってあげよう」
 辿り着いた街で。
 宿へと向かう道すがら交易所に立ち寄った彼らは、思い思いに物色を開始する。
 着の身着のまま城から飛ばされてきたものの、怒りをモンスターにぶつけて進んできたので今や懐だけはあったか。
 その上この街には独特の掘り出し物が多い事も、彼らの購買意欲をそそった。
「あ、この剣帯。しっかりしてて掘り出し物だ。マイクロトフに…」
「これ、テッドこーゆーの好きなんだよね〜」
「ああ、これも良いな。色違いのお揃いっぽくて…」
「この手袋、良い色だな〜。テッドとお揃いで買っちゃおっと」
「そう言えばマイクロトフ、ティーポットがほしいとか言ってたな…」
「えーと、あとこれとこれ買って。あ、ルビィにも何か買ってってあげないと」
「じゃあ、これを。あとこれも」
「お勘定お願いしま〜す☆」
 山済みになった荷物を横目で見て、ワンのスケははあ、と溜息をついた。
 結局、ワンのスケは自分用のスカーフを一枚買っただけ。
 それがわびしかった。
   
      

 次の宿を取って、食堂で遅い夕食を取っていたときのこと。
 シチューの中ににんじんを見つけて、ワンのスケはスプーンでそれを掬いあげた。
「ジョウイ…にんじん嫌いだったんだよな…」
 ぽつり、と呟けば。
「そうそう、マイクロトフも野菜が嫌いで…困ったものです。まあ、そこが可愛いんですけど」
 などと嬉しそうに返答違いの相槌が返ってきて。
「ふん…子供だな。その点僕のテッドは好き嫌いなんてしないからね」
 なおかつ、脇からふふん、と鼻を鳴らしてニャンタ。
「お言葉を返しますがマイクロトフは…」
「なんだよ、テッドは…」
 結局、二人の自慢話(ノロケとも言う)がその後延々と繰り広げられることになり、ワンのスケは独り静かに食事を済ませたのだった………。

 むなしい。
 夜も半ば、身を起こしてワンのスケは思った。
 ベッドから降り、部屋を出るために戸を開けて振り返っても、ニャンタもカミューも朝からの強行軍のせいか目を覚ます気配がない。
 それを確認して、ワンのスケは静かに部屋を後にした。
 嵐の過ぎ去った空は驚くほど星が見える。
 少し肌寒い夜風に当たりながら、ワンのスケは唇を噛んだ。
『あの時…早まらなければ』
 ふう、と息をつく。
『つい、怒りに任せてトドメさしちゃったのがまずかったよなあ…』
 などと反省してみたりする。
『いや、だってジョウイがなんか戦おうとか言うし。まさか三回捨て身入れただけで倒れるとは思わなかったし…やっぱ育ちが良いとひ弱だよな…』
 自分の攻撃力を棚に上げてそんなことを真面目に考え、ワンのスケは、ふ〜〜〜う、と長い溜息をついた。
 と、視界の端に黒い固まりが蠢いた。
『…何?』
 さっと建物の影へと身を隠し、目を凝らして見てみれば、それは寄り集まった人の集合体のようで。
 人の固まりはこそこそと声を潜ませながら、ワンのスケの方へと近付いてくる。
「……から、俺……だって」
 途切れ途切れに聞こえてくる声は、何処かで聞いたような気がする。
 ワンのスケは耳を側だてた。
「本当なのか…?……たちがこんなところにいるなどと。……は今国家建設の大事中なのだし、見間違いではないのか?」
「絶対あいつらだって。俺の目に間違いない!! 絶対逃げた方が良いって…」
『この声…?クルガンとシード???生きてたのか?』
 それは確かに、ルルノイエで倒したはずの彼らの声そのもので。
 ワンのスケは少し混乱した。
 そして。
「とにかく、もしシードの見たのがワンのスケたちだったら大変だ。早くこの街を出た方が良いよ」
 切羽詰まったような、やや高めのその声は。
「ジョウイ?!!!」
 思わずワンのスケは彼らの前に立ち塞がってしまった。
 驚いて動きの止まる三人。
 落ちる沈黙。
 次の瞬間、
「うわあああああああっ?ワンのスケぇ〜〜〜!!!!!!!!」
 飛び上がったジョウイが、ぐり、と方向転換して駆け出していく。
 それを無言で見つめて、ワンのスケは右手を掲げた。
「あああっ?」
 ばしばしばしばし。
 眩い光がジョウイの身体を容赦なく打ち付け、その細い身体を地面へとへばりつかせた。
「…っ?ジョウイ様ッ!!!!」
「大丈夫ですかっっ?」
 ぐったりと横たわるジョウイへと、慌てて走り寄るクルガンとシード。
「ジョウイ…」
 ぼんやりと、ワンのスケは彼らの元へと歩み寄った。
「生きていたんだ…」
「…ワンのスケ…」
 見下ろせば、クルガンに抱き起こされたジョウイが息も絶え絶えに自分を見上げている。
「生きて…ジョウイ………」
「あ、いや。これには深いワケが……」
 なぜかビクビクと怯えるジョウイ。
 ワンのスケは握りこぶしを作って、天を仰いだ。
「わ…ワンのスケ?」
「ふ…ふふふふふふふ」
 突如不敵な笑みを洩らし出したワンのスケに、ジョウイばかりでなくクルガンとシードも怯えたような目を向ける。
 しかし、ワンのスケは気にしなかった。
「あーっはははははは!!! そうか、ジョウイ生きてたのか!!!! これぞ天の思し召しってやつだな?」
 拳を高々と天に突き上げ、ワンのスケは全身で喜びを噛み締めた。
『これで…これでっ、独りハブチな状態から抜けだせるぞっ!!!!』
 実は結構傷付いていたワンのスケである。
「ジョウイ、一緒に来てッ!!!」
「えっ?ちょ、ちょっとワンのスケ…っ!!!」
 言うが早いか、側にいたクルガンとシードを張り倒してジョウイの手を引っ張ると、ワンのスケは速攻で宿へと戻った。
「ああああっ?ジョウイ様〜〜〜っ!!!!!」
「…くっ、こんなところでジョウイ様の最後を迎えることになろうとは…」
 のされた二人が、夜の静寂に悔しげな呻きを洩らしていた。
    
   

「で…なんだって?」
 夜の夜中に叩き起こされたニャンタは、どんよりとした目でワンのスケとジョウイを見つめた。
 きらきらと大きな目を輝かせて、ワンのスケは傍らのジョウイをニャンタへと突き出す。
「だーかーらー、ジョウイが生きてたんですってば!!!ほら、見て下さいよ〜ちゃんと足もあるでしょう?」
「…そうだね?」
 だからなんだと言わんばかりに目を眇めるニャンタ。
「で、僕はそんなことのために起こされたのかい?」
「え…、あ、いえその…」
「明日は朝一で出発なんだから、それはベッドにでも繋いでおいてワンのスケもさっさと寝た方が良いよ。起きなかったら置いていくから」
 きぱっと宣言して、ニャンタは布団へと潜り込んだ。
 後に残されたワンのスケとジョウイが、困ったように顔を見合わせる。
「…まあ、仕方ない。じゃあジョウイを繋いでおく鎖を…」
「ワンのスケ…?」
「ああ、ヒモしかないや…。これでいいかな?ジョウイ」
「ひどいや…ワンのスケ………」
 ヒモを持って佇むかつての幼馴染みの姿に、ジョウイはしくしくと涙した。

 その頃。
「なー?クルガン」
「なんだ?」
 草ッ原に並んで座って夜空を眺めながら、シードは小さく首を傾げた。
「ジョウイ様…助けに行かなくて良いのか?」
「返り打ちにあうのがオチだろうな」
 あっさりと返して、クルガンは目を細めた。
「まあ…ジョウイ様ならなんとかなさるだろう…聡明な方だからな」
「あ、逃げてないか?それ」
「……逃げているつもりはないが。…そうだな。お前と二人きりで旅をするのも悪くないと思っている」
 いつもの口調で、全く聞き慣れないことを言われて。
 シードは目を見開き、次いで破顔した。
「え〜?なになに?お前、そうなんだ?ふ〜ん。そっか〜〜〜」
 妙に嬉しそうなシードに、クルガンは怪訝に眉を寄せた。
「なんだ…?」
「あ〜照れるな照れるな。あはははは、そっか〜知らなかったなあ」
「シード……」
「そうだなっ。じゃ、二人で旅しよっぜ。ジョウイ様なら大丈夫だろ〜しな、きっと」
 何の根拠もないことを自信満々に語って、クルガンの背中をパンパンと叩くとシードは勢い良く立ち上がった。
「よ〜し。今夜は俺たちとジョウイ様の新しい門出の日だな!!! 目出たい目出たい!!!!」
 ぶんぶんと両手を回してはしゃぐシードをぼんやりと見つめて、クルガンは苦笑した。
 新しい門出にしては散々だったような気がしないか。
 そんなことも思うのだが。
 元気一杯のシードを眺めるにつけ、まあいいか、と納得し。
「ジョウイ様も幸せになれると良いな…」
 空を見上げてぽつりと呟く。

   
   
   
 ……けどまあ、それは無理なんじゃないかと思ってみたり。