|
|
○ 旅行計画
熊野天文同好会の11名のメンバーで、10年前から計画していた1999年
8月11日のヨーロッパ日食ツアーに参加しました。
大阪の天文ショップ「ベガ」の企画したツアーで東急観光大阪支店の募集し
たものです。 スイスとハンガリーに、憧れて選びました。
○ 関空からスイスへ
8/6 関空からルフトハンザで出発、何せ初めてのものが多かったので機
内をあっちこっちチョロチョロする始末、しかし、シベリア上空から下を眺め
るとツンドラ地帯の無数の水たまり、そして蛇行する川(オビ川)見事な景色。
「何でこんな景色みんな眺めへんのや!」 うちのメンバーだけ大騒ぎ!
やがて、フランクフルトへ到着、ここは外国、空港内をウロチョロ、「ここは
ビデオ高いなあ! SONY製品日本の2倍しとるぞー」
そして、スイスチュリッヒへ
|
○ユングフラウヨッホへ
8/8、登山鉄道でユングフラウヨッホに
向かう 、頂上ではスフィンクス天文台、氷 の宮殿、大雪渓などを堪能、中継駅クライ ネシャイケンで食事。
下りは、アイガーの麓を、景色を楽しみな がら 徒歩で下山。夕食は、まちのレストラ ンで食事、「ハンペンビール」を飲む。 き のうのホテルのビールより美味い。
|
○チューリッヒ観光
8/7、チュリッヒ市内を観光する、アイン
シュタインのいたチュリッヒ大学、教会、町
並みすばらしい、そして今夜は、夏の裸祭りが
あるとかで、午後には超薄着のギャルが続々と
集まってくる。
しかし残念ながら、グリンデルワルトへ向かう時間が!
泣く泣くチュリッヒを離れる。
|
○ベルン〜ジュネーブ
8/9 グリンデルワルトからベルン市内へ 、ベルンには町の中央に巨大な教会がそ びえていた。
そしてそのすぐそばに、アインシュタイン博 士が住んでいたという住まいがあった。 こ の町であの相対性理論が生まれたのか? なんかイメージが違うな・・・・。そして、ジ ュネーブで夕食、ここで使ったバスの運転 手でオリバーさんという、日食マニアの話 を聞く。 (名刺を、ビデオで撮影)
|
アインシュタインが過ごしたベルンの街 |
|
○ ハンガリーへ
8/10 ジュネーブ〜ミュンヘンを経て、ブダペストへ向か う、正午ブダペスト着、昼食後、市内観光、東洋と西洋が 入り交じった町中央をドナウ川が流れる。 ものが安い、昼食 で頼んだ貴腐ワインの値段に驚いた尾代氏 「これを買って帰 るぞ」と目を輝かせた。 市内観光を早めに切り上げ、観測地 の下見に向かう、高速がいつにない渋滞(日本に比べれば大 したことはなかったが)、日食効果らしい。 途中ドイツ、オー ストリア上空は雲がびっしりで、この方面から来た車らしい。 観測地のVesprem(ベスプレム)に着いたのは、夜の8時ホテ ルにたどり着いたのは夜11時であった。 明日の天気は?
←ハンガリー セイケシュヘールバール
|
|
○さあ!日食
きのうの夕焼けはどうしたことか、雨がパラパラしている、 なにはともあれ目的地へ向け出発!
7時、目的地着、雲が薄くなりはじめる。そして快晴になる 。 ところが日食が近づき、風向きが変わり(西風から北 風に)再び雲が増え始めた。 移動も考えたが?... そして日食突入、雲の中の観測となった。
曇りの時のことなど考えていなかったので、露出などわか らず、めいめい感でシャッターを切ることになった。
雲の動きが、気になり速いシャッターを切ってしまったた め露出不足となってしまった。(畑中)
最初の計画通りシャッターを切った。(仲) 等様々
本当に反省するところの多い日食だった。
(もっとも後で反省する点のない日食観測などないかも知 れないが) その後セーケシュヘールバール、ブタペスト を観光して次の目的地ベルリンへ向かう。
|
|
|
ハンガリー国会議事堂(世界遺産)とドナウ川 |
○壁崩壊10周年をひかえたベルリンの町
ここまでくると疲れが出てかなり手を抜いた観光をしてし まった感がある。 ここは、ガイドなしの終日フリーだと思 いこんでいたら午前中はガイド付きの観光であったので 安心した反面気が抜けたという面がある。
ベルリンの壁の跡や東西の境界にあったブランデンブル ク門、フェルガノ博物館などに行った。
ベルリンの町は、工事中の場所が多く数年経つとかなり風 変わりするのではないかと思った。
夕食では、ビールを十分にのみ、食事も安い割には量が 多く600円もあれば、満腹になった。 生活に必要なもの は、安い。 これがドイツかと感じた。
ある意味では理想というか暮らしやすい所かな?
|
|
ベルリンの壁があったブランデンブルグ門 |