「the front line」

2002年5月22日、ある一人の女性が急性骨髄性白血病にて逝去しました。彼女のHNはさとみ(里美)。23歳。看護婦。

2000年の秋頃に急性骨髄性白血病を発症した彼女は、翌2001年初旬に闘病サイトを開設。
病室から発信される彼女の闘病日記は多くの同病患者を励まし勇気付け、また、白血病とは直接関わりのない読者の心を打ち、掲示板は書き込みで連日賑わいを見せ彼女を「姫」と呼ぶ主治医(OSHIDA氏)やオフラインでの友人たちも顔を覗かせ交流は続きました。彼女の壮絶な病気との闘いに多くの人が感動し彼女の書き込みが応援者達の心を掴み又、応援者達の書き込みが彼女の「生きる」糧となったように思います。彼女のHP「the front line」は彼女や応援者達の拠り所っとなっていきました。

しかし、2002年5月22日。
1年8ヶ月に及ぶ闘病生活もむなしく、彼女が僅か23年の短い人生に幕を下ろした事実を主治医によって伝えられました。(掲示板でリアルタイムに)
悲しみに暮れ掲示板は彼女の応援者達の悲しい書き込みが続きました。

しかしその一方で「彼女は本当に存在したのだろうか!?」と言う疑惑が持たれました。
私には到底その真相はわかりませんが「the front line」と言うサイトがあって
その管理者である「さとみ」と言う23歳の女性が白血病と闘いその闘いをweb上に残していったと言う事を・・・。
それを読んで感動したって事とを・・・。
それも多くの人が心打たれた!と言う事実を・・・!?。

知って頂きたくてさとみさんの闘病記に書かれてた事の1部を抜粋して紹介させて頂きました。

こういう女性が居たと言う事を・・・。
こういう数奇な人生?!を、白血病と言う病と闘ったと言う事を・・・。
忘れないで欲しいと思います。
たとえこれがフィクションであっても私が感動したと言う事には変わりないのだから・・・。


今現在、病や色んな事と「闘っている人」「勇気」「闘う力」が沸いてくれば嬉しいです(⌒‐⌒)!!

「the front line」の管理人さとみさんの闘病日記より抜粋(今現在「the front line」は閉鎖されています)


              

2001/4/27の闘病日記より
 朝方何を血迷ったか左手首を切ってしまう。カッターナイフが目の前にあり赤鉛筆を削ろうとそこに置いてあった。いわゆるリストカットという行為だ

 疲れていた。もう本当にいろんな事が限界だったのかもしれない。

 白血病は昔は正常な血液の赤さががなくなり末期には黄色味をおびた血液になってしまうという事から「白血」とついたのだと聞く。
闇と明けの合間にそんな事が頭をよぎってしまった。・・・・・私の血液は今何色なんだろう?
 昨日の採血では血液の色だった。深みをおびたどす黒い深紅。
でも今は?今は何色?私はどうして生きている?死はもう目の前なのかもしれないのに。神はまだ私に悟りを持てというのか?そんな思いが交錯したのは覚えている。
 流れる血液の深紅に安堵したのも覚えている。・・・・やっと眠れる。そんな事も考えていたかもしれない。・・・・・・・。

 気が付くとOSHIDADrや皮膚科のDr、夜勤の担当看護婦さん、M嬢が私を取り囲んでいた。そして朝が来ていた。思い切り力を込めてしまったので動脈まで達してしまった。
 私のセカンドハウスのトイレも血の海にしてしまったらしい。左の親指の神経もどうにかしてしまったようで未だに動かない。
脈を打つ度に熱と痛みを含みながら「馬鹿。馬鹿。馬鹿。」と響いてくる。

 縫合も1時間以上かけて急遽クリーンルームは手術室に変わったようだ。日勤の看護婦さんが来る頃には日常が訪れた。
何も変わらないのだ。OSHIDADrが泣いていた。涙はこぼれてないけど怒りと優しさを込めて泣いていた。ごめん。先生。ごめん。

 精神科から安定剤処方。皮膚科の先生は当直だったばっかりに騒ぎに巻き込んでしまった。私が愚かなばっかりに結局周りの愛すべき人達を悲しませてしまう。

 自分の心とは裏腹に。本筋の寛解導入療法は中止となる。

                

2001/5の闘病日記の総括より抜粋

生きる事に疲れてしまっている自分もまだどこかにいます。
普通に生活ができない事への不完全燃焼な気持ち。
容赦ない痛みや熱や吐き気。
それに伴う精神的な不安定と涙。
届かない指。
届かない声。
届かない私。

多分?(⌒ー⌒) のモットーの「いつでも笑顔」が
幸運を運んできてくれると信じています。
「笑う門には福来たる」
亡くなった祖母の口癖の1つでした。
辛くて顔がゆがんでも涙でぐちゃぐちゃになっても
いつか笑う事ができたなら
自分的にはそれでOKかなぁって。思う。


              

2001/7/4の闘病日記より抜粋


 ・・・人には皆平等に試練を与えられるというけれどこれのどこが平等なのか。
 今日も夕焼けがキレイだったね。
身体は仕方がないにしても心の均衡はちっぽけな自分には限界がある。みんな私は強い、
悟ってるっていうけれどそんな事はなくって人並みにどろどろしてる。

 受容できない運命が憎いし神がもしもいるのなら一体どう言う事なのか聞きたいくらい。
身体が言う事を聞かない今は卑屈になってどろどろに成り下がってそれでも生きる意味を問うたなら明日があるからと答えるのかな。

 流した涙もこの痛みも苦しさもいつかそんな事があったねと笑えるように頑張って来たけれど・・・。。(ノ_・。)。。
 ちょっと疲れた(涙)・・・。
自然淘汰を信じてきた私の何かが音を立てて崩れゆく。
 
 人と話したい。
 瞳を見て欲しい。
 私がここで悲鳴を挙げてもそれは壁に吸い込まれ、時に飲み込まれて、所詮お前はひとりなのだと・・・・。

 私は何か悪い事をしたんだろうか?人を傷付けたんだろうか?
 生きる事をもう終わりにしようよと身体が言っている気がしてならない。
 誰か教えてよ( p_q)シクシク生きていていいのか。
 私が何者なのか。

2001/7/5の闘病日記より抜粋


 熱が下がってきましたがだるだるです。(笑)
 呼吸苦↑肺にちゃんと酸素が入っていかない感じで手が痺れてしまいます。
咳も痰が減り楽になって来ました。

 はい(笑)日付が変わりましたので昨日の事は忘れてしまいましたぁ〜(^_^)vきゃあ〜〜〜〜〜ごめんなさい暗かったよね(爆)(#/。\#) ご心配おかけしました・・・・。

 本当に皆様には深く深くお詫び申上げます。

 腐った昨日の日記は?(⌒ー⌒) の心の軌跡として削除しないでおきますね。ごめんなさい。m(。≧ _ ≦。)mス、スイマセーン

 昨日の午後からMSNは繋がらないのでメールは頂いてるのかはわからないのですがきっと頂いてる事と思いますので先にありがとうを言っておきます。
掲示板の書き込みもメールも本当に:*:゚・☆ヾ(・_・。)了└|力"├♪

 私の勝手な言動で毎日応援してくれている友達を傷付けてしまったかなぁって反省・・・・・・。
わかってるんです。すごくみんなが言わんとしている事も自分のあるべき姿も・・・。
でも悲しいかな私もフルタイムな機械じゃないもので身体の具合が悪くなるとどうしても自分に余裕がなくなるし葛藤がにょきにょき。
誰かに支えて欲しくなるしぬくもりが欲しくなる。

 間違ってないんだよね?私・・て確かめたくなる。。あはは。贅沢だよね。病院でPCできる環境なのにね。
 うんうん(^-^)本当に心配かけてごめんなさい。そしてありがとう。
(^^ゞおっけ〜(#^ー゚)vブイッ♪自分のできる事頑張りまっしゅ♪(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪〜♪復活だぜ〜〜〜〜♪o(^0^o)o(^-^)o(o^0^)o いえぇぇい♪

ただね人に逢えないでいると言葉を忘れてしまってる。
(笑)コミュニケーションの取り方も怖いほど忘れてる自分がいてね。
感情がなくなってしまうんじゃないかって不安になるんです。
感覚が鈍化して人として大事な事失ってしまうんじゃないかって・・・。
(-_-;)井の中の蛙って言うのかなぁ・・・こうしている事が当たり前?な自分になりそうで怖くなるし絶対にそんなふうには、なりたくないんですね。

 いつでも敏感でいたいの。
(*・_・*)ゞ病気だから優しくしてもらって当たり前、医療補助が受けられて当たり前、身体が動かないんだから仕事しなくって当たり前、部屋の中にいるんだから季節を感じなくって当たり前、自分は重病人だからこんなに大変な病気なんだから・・・・etc。
 そんな風にはなりたくない。感じられる事全て感じて時間を過ごして行きたいです。
だから昨日みたいにもなってしまいます(笑)でもみんなの気持ちが自分を後押ししてくれます。

 白血病を知った時私には治療をしないで生きる選択肢もありました。
けど?(⌒ー⌒) はこれを選んだ。だから自分が決めた道を信じて頑張りますね。
 うん。もちろん立ち止まってblueにdownする事もあるけどそれも私。(〃∇〃) てれっ☆わかってる事もわからなくなるくらい昨日は冷静じゃありませんでした。

 でももう大丈夫。いつもの私です。ありがとう。本当にみんなに出逢えて良かったです、私。

 さぁ〜皆さんも頑張っていきまっしょい♪p(*^-^*)q あ。もちろん私も(爆)

              


2001/10/7の闘病日記より抜粋

変な時間に眼が覚める。
1〜2時間眠っては起き、悪夢に冷や汗。
手指の振せん(震え)。
孤独も情緒不安定も妄想なのだ。
熱があるせいの妄想。
そんな言葉は有り得ない。
私の辞書にはないと言い聞かす。

ある投書を眼にしてから意識して様々な文献を読みまくっている。
同病だと今は気が滅入る。何故なら移植のページを読んでいるとうらやましさが増大して、自分のちっぽけなプライドが叩きのめされていくから。
家族からの移植。
兄弟・姉妹からの移植。
第三者からの希望は宝くじ並みに低い。
けど骨髄移植できてるのに弱音吐くな〜ぁってこっちが泣きたくなる。

そんなん頑張れよって変な叱咤激励をしてうらやんでる。
苦痛も心の闇も人それぞれなのに。
私はなんて醜い心なんだろうって情けなくなる。
いい人ぶってけなげぶってる嫌な奴じゃないかって自己嫌悪に落ちていく。

やっぱり私は俗っぽい人間だから神にも仏にもなれない。
些細なことでも人と比べてしまう自分だっている。
化学療法だけでは生きられない。わかっているから涙が出る。


どうして私の母は逢いに来てくれない?
HLAが完全に適合してるのに提供を拒否する?
どうして?どうして?どうして?
内心は汚い感情が渦を巻く。
どうして私を愛してくれないの?
どうして私は愛されないの?
どうして私なんか生んだの?

見るのも嫌な娘ならどうか殺して下さい・・・・・・と・・・いやぁ〜な堂々巡りになっていってしまうんですね。

私も普通の女です。
親子でいたいし恋人も欲しい。
家族ってどんなふうなんだろう。
他人じゃない思いやりってどんなふうなんだろう。
「おかあさん」って言ったらあの人はどんな顔をするんだろう。
血の繋がりってどれだけ濃いんだろう。

当たり前のことをしてきていないコンプレックスはどこまでも私の身体に巻き付いて離れずに影を落す。
もう超えたはずの悲しみが痛いくらいに胸を刺し。

この涙はなんの涙なんだろう。
畜生。
生きてやる。

悲しさも悔しさも弱ってる人のあたたかさに私がなれるように。
いつもあなたに笑っている元気と安らぐ場所を与えられる女で。
生きる希望と涙を見せることができる看護婦に。


              

2001/10/前半の闘病日記の総括より抜粋

ん〜っと(笑)
今月前半は再寛解導入療法がありましたけど即、寛解してくれて
本当にほっとしています。
最初の寛解導入があんまりにも時間がかかりすぎて
薬(抗がん剤)が効かないタイプの白血病で
めっちゃ予後が悪いのかなぁなんて
密かに心配していたので(* ̄m ̄)

まぁ私は悪運の強い女だって自分で勝手に決めましたので
そのまま突っ走って行きます。生きます(^_^)v

気持ちは落ち着いてるんですよ。
いつもこの半月ごとの総括文を書き綴っている時は。うん。

私ね
すごく幸せ。
本当に今そう思っています。

こんなにあたたかい気持ちをもらって
昨日も頑張って今日も頑張って
・・・明日もきっと頑張ります。

こんなに確かにこみ上げるほどの
生きる意味や
自分の息遣いを感じる事は
今までありませんでしたから。

ありがとうは言い足りない。
でも

ありがとう。
頑張ります。p(*^-^*)q

              


2001/11/前半の闘病日記の総括より抜粋

全部叩き壊してしまいたい。
そう思ったけどやめました。
馬鹿馬鹿しいから。

腐ってるわけではありません。
ただくだらない事物が多すぎて
生きてる次元や
心を寄せ合う行為が間違ってると思った。

いや私の認識とは異なってる。

TPOをわきまえているはずの
いい年をした大人が言葉を交わすには
陳腐過ぎる言葉だ。
そう感じたことが些細ながらあっただけです。

私はここで生きている。
あなたもそこで生きている。
何も考えないで言葉を発するのは
殺人に値するのだと思うから
私は考えましょう。
心行くまで。
あなたが平然と放った決別の刃を受け止めて。
血が流れつづけても
私はここでこうして歩いていくしかないのだから。

アンタの為に私は生きてるんじゃない。
私の為に生きてるんだ。
関わる全ての命との出会いに恥じないためにね。
浅はかな言葉は
やがて全てを飲み込んで
アンタは忘れていくのだろうけど

私は忘れないから。
流れた涙と憤りを。


月だけは知っている。

              

2001/11/19の闘病日記より抜粋

朝からバタバタ。........(o_ _)o .。o○もぉなんか疲れ切ってしまいました軟弱者です(笑)
採血してIVH入れてレントゲン取って心電図行って着替えして皮膚科の包交。
尿カテ入れ直して末梢の点滴ルート取って(要するに点滴を入れた。笑)マルク(爆)・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。
痛いっちゅ♪安静時間も終わりに近づき安静解除と同時に治療開始。
はい。今回5日間です。後半は先生がいません・・・。(泣)・・・で微熱あるのにIVH入れた〜( ̄д ̄)イイノカー?微熱あるのに治療始めた〜( ̄д ̄)イイノカー?指腐ってるのに放置してる〜( ̄д ̄)イイノカー?「いいのだっ!!!d( ̄Д ̄*)」・・・自信満々なDr。OSHIDAでした(笑)じゃあいいか(をい)♪☆キャハハo(≧▽≦o) o(≧▽≦)o (o≧▽≦)oキャハハ☆♪嘔吐は本日:12回ほど行かせていただきました。楽勝楽勝。( ̄‥ ̄)ふんがーどすこいっ!!


どうしてそんなふうにしていられるの?という意味合いの質問をもらいます。
私もね・・こんなふうに前向きに発想の転換できる奴では決してなかったんです。
いや・・本当に(笑)実際自分で言うのもなんですが人前とか苦手で話す事も苦手ですし。
緊張しぃだし気にしぃだし。静かだしオドオドしてますしね(デカイくせに。
(* ̄m ̄))ただニコニコヘラヘラしてるだけですもん。
電話なんか慣れるまで大変です(爆)慣れるとうるさいですけどね。いやお酒飲むと笑っててもっとうるさいけどね(笑)

ん〜・・・ここでの生活はそうしていったほうが楽しいからなんでしょうね、多分。
くよくよしてても同じような苦しさを味わったり喜びを見出すならば笑っていたほうが100倍楽しいし、妄想でもいい意味での自分の在り方をイメージしてたほうが心にも身体にもいいんじゃないかって。やっとこの頃思えて来ました。
そうなったら人間って安楽さを求めて基本的に努力してしまうものなんでしょうね。自分にとってプラスに働くならなんでもやろうって思えたしそれがものすごく心地よかった。HPをはじめたのもその一貫です。
私がPCを始めた1年半前からのお友達なんかにはその変貌には驚かれますから(笑)


あと。「生きる」ことに重きを置いてるかも私。
私に限らずですけれど。「生きる」ってね・・・真剣なんです。
明日はないかもしれない。
30分後には死ぬかもしれない。
急変から初めて生還した時に感じまして。
そう考えたらいろんな事物が財産で大切で唯一で貴重で素晴らしくて。
あら(笑)悟ってるんじゃないですよ?境地はまだまだ(爆)とにかくここでの全てが「生きる」に直結してる。

食べたものが、見たものが、読んだ言葉が、聞いた事が、思った感情の全てがね。

あなたがそうしてこの文章を読んでるその時間も。

そしてその思いを伝えてくれる時間も私は「生きる」。

あなたがくれた言葉と思いを糧にして今日も「生きる」。

見守ってくれてる全ての「あなた」に絶対に恥ずかしくない様に。


私の流儀であり礼儀であり人生そのものである「生きることを諦めないこと」・・・・を、いつも心に誓っています。
あなたの胸には響いていますか?


              

2001/11/後半の闘病日記の総括より抜粋

1月後半は私の23回目の誕生日でした。
たくさんのお祝いを頂きました。
生まれて初めてこんなにたくさんの「おめでとう」や[happybirthday」を
頂いてびっくりしてしまったのと同時に
こんなにたくさんの方と知り合えた喜びと
それぞれとの出会いと関わりを思い出していました。

cardの小さな中にも想いを凝縮して
メールに映像や音楽に乗せて
自分のHPスペースを使って
私だけの為に注いで下さった時間と空間とその言葉。

一生忘れません。

23日はなんて誕生日だ・・・・って泣きながら便器に頬を乗せてたんです。
夜中にbedで寝たのかトイレで寝たのか
それこそわかんないくらいに参ってまして(酔ってたんじゃないです(* ̄m ̄))

二日酔いみたいなダメージの中
次の日にメールフォームを開けた感動は
あの日のやわらかな日差しとシーツのコントラストと供に
忘れる事はないでしょう。

初心を忘れずに
ずっとこのまま頑張り続けて行く事を
誕生日に誓います。

笑って杯を交わせるその日まで
きっと元気になりますね。
(いや今でも十分抜け出して飲みにいけm。自粛)

嬉しかったです。本当に。

やっぱり言葉が見付かりません。



だから
ありがとう。


              


2002/1/後半の闘病日記の総括より抜粋


夢ってなに?
そう思いました。

ささやかなこと
こうしたいな・・あれもしたいな
こうだったらいいな・・・・

それは願いですよね?

私の夢ってなに?
そう思いました。

生きるってどんなこと?
ただ息をしていればいいの?
鼓動が規則的ならいいの?

私は?
私が生きてるってどういうことよ。

私がいないみたい。
PCに向かって
しんとした部屋の中でひとり。
PCが息をひそめながら
存在を誇示してるかのように
帯びた熱とかすかなファンの音。

誰も私を知らない。
この空の下で生きてるのに
今こうしてることが
まぎれもなく真実なのに。

私がいないみたい。


裸足で駆け出せばいいのか。
抱きしめてもらいに。

それで満足なのかお前。
その先を求めるんじゃないのか?

夢ってなによ。
生きるってなによ。

私はここにいるのに。

とじこめてとじこめて
これ以上どうしたら。


なぁんてね(* ̄m ̄)
気合い入れろや、自分(笑)

突っ張って突っ張って頑張ってきたんだもの。
ここで負けるわけにはいかないんだよ。
♪☆キャハハo(≧▽≦o) o(≧▽≦)o (o≧▽≦)oキャハハ☆♪

ドンマイドンマイ♪
肩の力抜かなきゃ。

ね♪

春はすぐそこ。
桜坂はすぐそこ。
誰が1番に飛びついてくるんだろ。
どんな顔しようかな。
うふふ。


              


2002/2/後半の闘病日記の総括より抜粋

あっという間の毎日に
自分が面食らっています。

いつのまにか
春が来て
新しい命や息吹きが
優しい香りを届けてくれます。

生かされてるのではなく
生きるのだと心に決めて
毎日を歩いたり走ったり休んだり。

女である前に
人間なのだと言い聞かせたり。

病人は弱者ではなく
生への挑戦者なのだと。
病へ挑むのではなくて
自らの生への挑みなのだと。

走る事はやめない。

走って走って走って
きっとゴールしてみせるから。

              

2002/3/25の闘病日記より抜粋

遠出をした。一睡もできずに朝を迎えたのは何故だろう。
この日でなければいけなかった今日は祖母と友人の3回忌。法事は平日なのでやっていないはず。墓前にどうしても向かいたかった。

点滴もカテも全部抜いて胸水bagをクランプして脇腹に縛り付けて出発。(勝手にこんなことしてはいけません)
なんとなく先生に一言言った方がいいような気もしたが早朝だったしこの熱ではまた延期されてしまいそうなのでえいっと後ろも向かずに飛び出した(>_<)。ごめんなさい(*>人<*)〜!。

もうここを出たら戻れないような弱気な自分もいて電車の中で少し涙があふれた。。(ノ_・。)福島を過ぎたあたりでいつもほっとする。
景色が変わるから。
酸素のない人込みは私にはきつかったけれど決行した以上はやり遂げてこそ。
JRの駅員さんには本当にお世話になりました。見てないだろうけれど有難うございました。
また横浜駅で声をかけてくれた港湾病院内科(・・・とおっしゃっていた)のDrさま。そんなに私ってば呼吸が荒かったのですね、反省です。(*・_・*)ゞ<救急車呼ぼうとまで言って下さった。
元気です。いろんな思いが存在している。
でも言葉にしたら違うものにそれはなるような気がするから。失踪扱いにはびっくりしました。
なんだかわからないけど謝っておこうかな|_・。)・・・ごめんなさい(笑)・・・ちゃんと頼んでいたのにな。
でも十分無茶な計画か・・・(*^〜^*)桜がキレイだったからいいや(* ̄m ̄)<良くないって?!そういえば今日は何も食事を摂らなかった。
誰かが隣にいれば車椅子でもコンビニでも飲食店にも入る気がしたのかもしれないけれどそれは願ってはいけないのだ、もう。(・_・)......ん?で。

山形はどうだったかって?!あはは〜内緒♪(#^ー゜)vブイッ♪


              


2002/5/20の闘病日記より抜粋

うっひー!!(>_<)なんだよなんだよものが食べれない。
でも元気っ♪p(*^-^*)q 味覚が苦くて舌の一部分もなんだか感覚が麻痺。あ。麻痺と言えばっ!左足の小指の壊死部分が落ちた。
これで4本指だーヤクザだーわぁーいっ♪うひょー。

この気分な時にしんどいにゃと思っていたけれど全然元気な自分がいる。
なんつーこっちゃ。ん〜でもさでもさ。ふと疑問だったんだけど落ちた指ってやっぱ燃えるゴミで捨てるんだよね?ね?ね?|_・。)

今日から飲み薬は消化を助ける胃薬だけにした。先生とそう決めた。
現実を迎え撃つ。ばきゅ。あぃーん(違)♪☆キャハハo(≧▽≦o) o(≧▽≦)o (o≧▽≦)oキャハハ☆♪

痛み止めだけ座薬や頓服でもらってるけどね。目薬だとか。(それってサギ?え?サギかしら。うふふ。いいのらー。笑)

何かの偶然なんだけど同期や先輩からなんと今日だけで4人もの人から妊娠告白!
きゃっほー♪ヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪自分の事みたいに嬉しいよっ♪みんなみんなお大事にして下さいまし♪


              


2002/5/21の闘病日記より抜粋

しんどいなー友達みんなみんなみんなに逢いたいなー。?(・・、)イジイジ。
悪友からまたいーっぱい音源が(* ̄m ̄)聴きまくれってことねっ♪まかせろぃっのですとろーいっ♪♪(^_^)v
熱と痛みはどうしようもない寂寥感。

そして自分の場所があんまりにも不確かでこんなにぐらぐらしてる事教えてくれてる。

こんなに頭が痛くていいのかな・・・・。
熱も下がんない。
内臓が飛び出て来そうな鼓動。
誰かと話したいよ。
言葉を忘れてしまいそうだよ私。

本当の自分もわかんなくなりそう。
時々身体が震えて怖くなる。
ぎゅうってしてよ。
大丈夫だよって。ひとりじゃないよって。。(ノ_・。)


あーやだやだ。欲が出る。いつも傍に居て欲しいって欲が出てしまう。
優しさに溺れていく。これは甘えだ。
甘えちゃいかぁーんっ♪進めないんだ前に。


こんちきしょっ♪空がかすんで良く見えないのは私の心が腐っていて瞳が濁る罰を与えられたの?
じゃあ息が苦しいのは何の罰?
体がきしむのは何の罰?

こんな俗っぽい感情を全て超えて、関わる全ての人に愛情を注げる女になりたいのに。
たった一人を愛してずうっと変わらず笑っていたいのに。
空を見上げれば生命なんてちっぽけなもので想いには果てがないこと貴方に教えたいのに。


少し胸が重い。
頭痛がおさまんない。
んでもって頭ってどうしてこんなに重いのよ。


朝から熱が40度に届きそう。
指が冷たくて悪寒がする時はmailでも書くか(違)


              


2002/5/21の闘病日記より抜粋

TAKEさんhappybirthday♪♪
お(^O^)め(^。^)で(^O^)と(^o^)う(^。^)♪ねぇホントはいくつ?(* ̄m ̄)
退院決まりそうだねっ嬉しいねっ♪

続くじょーっp(*^-^*)q えへ。

              

「the front line」管理者さとみさんは2002/5/22 20:17に逝去されました。享年23歳でした。200年9月に急性骨髄性白血病(AML)と診断され2002/5/22に亡くなられるまでの壮絶な闘病日記より私が感動した、心に残った所を抜粋して掲載させて頂きました。皆様も、さとみさんが「白血病と闘い」「生きて」来た証となったこの闘病記を見て何か?!を感じて頂けたら掲載した意味があるように思います。(今現在「the front line」は閉鎖されています)

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