![]()
![]()
ひとりごと14 2001ねん5がつ
![]()
![]()
我が家流・娘の育て方
娘に対する父親の愛情過多は、自立を妨げるように感じられる。
なぜなら、ある程度の年齢に達したときから、父親というより、親から離れたい、
もしくは、親を乗り越えたいという感情が先走るからである。
ある時からぷっつりと父親のこと、母親のことが疎ましく感じられ、
急に嫌になるときがあるのだ。
娘が思春期にさしかかったときが一番注意しなければならないように、
親であることを認識しなければならなくなる。
とくに、息子を持つ親より、娘に対しては、気が重いと思われる。
思春期の娘は、この頃に感じたり見たりした「男性という生き物」が将来の彼氏または
パートナーを選ぶ際の基準になるのである。
身近なところから男性観を吟味するのである。
そのころ、父親が愛情過多だとすればその娘はきっと、
不幸せな結果をもたらす。
以外としょうもない男性を選んでしまう羽目に陥るのが見えてくる。
一概には言えないのだが、少なくともわたしの身の回りにみる例では、
そんな傾向があるのである。
父親というのは、直接的な行動や、言葉などで娘に接しすぎたり、
干渉しすぎたりするといけないのだ。
ましてやスキンシップなどとんでもない。
父というのは、背中だけを見せるべきである。
面と向かって接していくのは、ほとんどと言っていいほど母親に任せ、
母親がスパイになって、あれこれとクッションの役割をし、
間接的に、父親に報告をすればよいのである。
体も心も純な娘に育って欲しいと願うなら、
父親は耳と脳味噌だけを母に貸すべきである。
何かあったときでも、じっと耳を傾け直接的な判断を下し
それを伝えたかったとしても、絶対的に同姓の母が言うべきなのである。
父親にとって、それがつまらないと感じ、物足りないと思っても、
そっと見守り、娘の男性観が固まって、大人になりきるまでは、そうすべきなのだ。
男親が、娘に友達づきあいなど求めたり、腕を組んで歩くのは、
男性を見極められる大人の女性になってからでも決して遅くないから。
父の愛情は、娘が結婚し、子供が出来、自分の夫が、自分を育ててくれた父の
年齢に近づいたら、おのずと、わかってくるものだろう。
そのとき本当に父親の愛情の大きさ、深さに気づくだろう。
それまで、娘を持つ父親は、愛情の押し売りをしてはいけないのだ。
そうでなければ、娘の自立をうんと遅らせてしまい、
社会に対する順応性が著しく欠落してしまうのではないだろうか。(H10.3.18)
![]()