その1(2001.10.31まで) その2(2002.5.20まで) その3(2002.9.21まで)
その4(2002.12.30まで) その5(2003.7.12まで) その6(2003.12.31まで)
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【読書85】 王国への道 (遠藤 周作 著、新潮文庫)
5/27
「アユタヤの暑夜には、魔物が潜む」…。王位を簒奪しようとするオークヤ・カラホームの野望を挫き、孤高の皇女ヨタティープ王女と日本人町に一人生きる薄倖の娘ふきを守り、シャムに所領を拝して日本人が暮らしていける国をつくるために、オークヤ・セナピモック…山田長政は、この夜、日本人の軍に出動を命じた。(以下、本文へ)
【政治85】 小泉首相、北朝鮮 再訪について 5/22
…略…。 この訪朝についてはさまざまな見方があって、評価も大きく分かれているが、行き詰った両国の関係の扉を開いたことは、大きな成果と見なくてはなるまい。「総理大臣が行って、この結果では物足りない」という向きもあるが、今までの歴代総理や打開に動くべき立場にあった者が、何もせずに放置してきた状態を切り開いてきたことは、望むべき前進であることに間違いない。(以下、本文へ)
【政治84】 民主党 岡田新代表を選出 5/19
民主党の小沢一郎代表代行は、国民年金未加入期間があったことを明らかにし、党代表の就任を辞退することを表明した。 …略…。 国民年金への加入が義務化される86年以前の不加入を政治責任などといった言葉で問うてみたり、ましてや40年も前の予備校時代の不払いを問題にしたりなどというのには、国民はもうウンザリしている。ゴミ箱の底からアラを探し出してくるような話に、言う者の品性を疑い出している。本塁に剛速球を投げられない小沢氏の苦し紛れの牽制球は、暴投にならなかったことを幸いとするべきだろう。
【政治83】 政権が遠のく民主党 5/10
−身内を守らず、その足を引っ張る人間や組織に、人々の信頼は集まらない−
民主党の菅直人代表が、10日夕の両院議員懇談会で、国民年金保険料未納問題の責任を取って代表辞任を表明した。ここ2〜3日、辞任を求める声はテレビの画面や新聞紙面を踊り、国民受けを狙うマスコミの辞めろコールの合唱の中で、民主党内部からも「このままでは参議院選が戦えない」とか、「福田辞任にしてやられた」とかの代表辞任を求める声が相次いで噴出したのには、『民主党、またか』の失望感だけが残った。
(以下、本文へ)
【ゴルフ41】 中京GC石野コース 4/22

…略…。この日の来場者は10組ほどで、5月21日からの「中京レディスオープン」の練習に、僕たちの前を、前週に不動祐里とプレーオフを演じた18歳のアマ横峰さくらちゃんと、世界ジュニア優勝の中学生金田久美子ちゃんが回っていた。(以下、本文へ)
【読書92】 史 記 X 4.18
・『大将軍曰はく、
「青 幸ひに肺腑を以て罪を行間に待つを得たり。威無きを患へず。
而るに覇我に説くに威を明らかにするを以てす。甚だ臣の意を失ふ。
且つ臣の職当に将を斬るべしと雖も、臣の尊寵を以て而も敢へて自ら
誅を境外に擅専せずして、具して天子に帰し、
天子をして自ら之を裁せしめん。
是に於いて以て
人臣たりて敢へて権を専らにせざるを見す。
亦た可ならずや。」と。
軍吏皆曰く、「善し。」と。』
武帝は、
張騫を西域に派遣して外交政策を展開するとともに、衛青と霍去病と
いう二人の名将軍を得て、歴代王朝の頭痛の種であった匈奴を討ち、漢の領土
を空前のものとして、始皇帝をしのぐ偉業と自賛。
前110 始皇帝をしのぐ領土を得た武帝は、泰山で「封禅の儀」を執り行う。
史記 完
【政治82】日本人3人のイラク人質事件について 4/15
…略…。 3人の苦難と家族の心配は、たいへんなものであろうと察するに余りある。一刻も早い救出・身柄の確保が望まれるが、ただ、3人の救出が、武装グループの要求する自衛隊の撤退と同次元で論じられるのは、正しい論議とはいえまい。
(以下、本文へ)
【読書91】 史 記 W 4.11
・前202、垓下の戦い
「
四面楚歌」 項伯・鐘離昧・季布将軍たちも、項羽の陣を離れる。
『力 山を抜き、 気は世を蓋う、しかれども 時 利あらず 騅 ゆかず
騅のゆかざる 如何せん、 虞や 虞や 汝を 如何せん』
・烏江のほとりで、項羽 自決。(30歳)
【物見63】 京都の桜を訪ねて (4 / 5・6)

名神高速道路を京都東ICで降りて、すぐを右折、JR山科駅の横を過ぎて、車がすれ違うのがちょっと厳しい細い道を北へ上ると、5分ほどで天台宗五箇室門跡のひとつ「
毘沙門堂」に辿り着く。
(以下、本文へ)
【物見64】 津市界隈 この年の桜 4/8〜10
【社会81】警察よ。裁かれるべきは、君たち自身ではないのか! 3.31
…略…。 事件の疑いのあるところ、容疑者の拘留・逮捕は正当というのならば、十分に疑わしい裏金作りの当事者たちを、なぜ身柄を確保して取り調べないのか。素人が考えても証拠隠滅の恐れは十分すぎるほどあるのだから、逮捕は喫緊の要請であろう。
警察よ、裁かれるのは、君たち自身であることを知れ! 自ら襟を正せなければ、警察が行う治安維持も、犯罪の防止取り締まりも、風俗環境の浄化も、警察活動の何もかもが犯罪者の行う活動になってしまう。
●読書番外 ええのか、芥川賞!
【87】蹴りたい背中 【86】蛇にピアス 3.24
芥川賞は、『優れた文学性を持ち、かつ、芸術的な価値のある作品』に与えられるものだと思っていた。見るからにアホな高校生の日常の片隅をつつき出したような「蹴りたい背中」は、ちょっとかわった女子高校生の校内文集…日記帳かな…みたいなものだ。「蛇にピアス」は、2〜3ページを読んだところで、肉体的な無理をこらえなければならなかった。…略…。
文学的価値に芸術性を添えた作品とは、とても言えまい。(以下、本文へ)
【読書89】 史 記 U 3.22
物語は、戦国に覇を競う斉・秦の台頭を描く。
(本日の第2巻は、「
隗よりはじめよ」〜「
奇貨、居くべし」まで)
【読書88】 史 記 T〜X (司馬 遷 著、小川環樹 訳、岩波書店)
3.15
日本の古代史は、近年の出雲地方の古墳発掘(358本の銅剣が出た荒神谷など)による新しい発見が続き、定説がその都度揺れ動いている。では、中国はと見ると、黄河文明の黎明期、伝説の三皇五帝の頃はまだ手探りとはいうものの、前1711年、殷王朝の成立はすでに殷墟の発掘によって実証されている。
今をさかのぼること2000年、紀元前の時代に、夏・殷の王朝が成立していたことを記していた書物がある。前漢の中書令『司馬 遷』の手による『史記(全130巻)』がそれである。
三国志や十八史略などは、いろいろな作家のものを現代語で読んだが、史記は通読したことがない。中国を理解するにはその歴史を知ること、特に中国人の素養の基として人口に膾炙し、精神的な拠りどころともなっているこの書に目を通し、その記述を抜粋してみようと思った次第である。
(本日は 第1巻 三皇五帝〜戦国時代 まで)
【社会80】警察の犯罪の糾明と断罪を明らかに! (3.17)
…略…。 この事件で検挙・起訴されるものがないのならば、日本の警察・検察制度は何ら尊重することも遵守することも必要のないものになる。偽の文書を作って公金を横領し、組織ぐるみでその事実を隠蔽し、なお国の中枢機関に居座っていて、何ら恥じないどころか、責任は問われず、罪に服する必要もないというのだから。
『至誠に悖るなかりしか』…と、日本の先人たちは常に身を戒めて、この国の形を作ってきたと聞いている。…(以下、本文へ)
【社会79】得体の知れない不気味さを覚える、昨今の日本の日々! (2.24)
新聞やテレビは、連日、自分の子どもを虐待して死なせたり、幼児や小学生の連れ去り事件を伝えている。国会中継では、国保料から460億円を流用して厚労省職員の宿舎を造り、月額1万8千円の家賃で使っているのはケシカランと野党議員が追求しているけれども、彼らは議員年金というオイシイ特例措置の恩恵にあずかっていて、迫力のないことおびただしい。公的資金で助けてもらった銀行は、相変わらず3時で窓口を閉めて客を締め出し、貸し渋り・貸しはがし…。預金に利子はつけずに、「一般客は相手にしない」という態度である。10年前にアメリカで見た光景は、あのバンク・オブ・アメリカでさえも、窓口は午後7時まで、ATMは24時間という営業努力を、一生懸命にしていたというのに。
現在の日本を見回してみると、社会全体に得体の知れない不安や脱力感が漂い、少しずつ歪んだ深淵へと落ち込んでいくような不気味さを覚えるのは、私だけだろうか。
政治面では、顕著な成果を挙げられない小泉改革にいらだちながら、不思議な高支持率を与える、静かな国民たち。その根拠の最大の理由は「ほかの内閣よりも、よさそうだから」。今の日本に、いかに人材がいないか…人々の絶望感がうかがわれる。
小泉改革の現在は、例えば道路公団の民営化ひとつをとっても、高速道路はこれからも造り続け、不採算道路のツケは機構すなわち国に回すというまやかしである。この改革のどこに、この国の体制を健全化する大儀があるというのだろうか。
その政局を動かす与党は、自民党と公明党…。創価学会と一体の公明党を連立の相手に選んで、数百年という長い年月をかけて築き上げてきた政教分離を、政権にしがみつきたいがゆえに済し崩しに捨て去ろうとする自民党は、宗教政治が対立する思想をいかに弾圧し、世の中にどれほどの不幸をもたらしたかを知らないわけではあるまい。
(以下、本文へ)
● ゴルファーへ100+1つの質問というコーナーを見つけました。 (2.16)
Q85: 家族に内緒でゴルフに行ったことありますか?
●答 ある。しょっちゅう ある!
Q86: ゴルフで仕事さぼったことありますか?
●答 ある、ある、ある、ある。しょっちゅう ある!
…(略)…。と、いった調子です!
【62】死んでも本望 東新町『鳥銀』 (2.12)

ベトナム発を第1報として、鳥インフルエンザが東南アジアで猛威を振るっていると伝えられている。日本でも、山口県で症例が報告され、35万羽の鶏を処分したという。
「今のうちにおいしい鳥料理を食べなきゃ」と、名古屋コーチンの老舗『鳥銀』へ出かけた。
◆「世界ゴルフ紀行 ヨーロッパ編」週刊ゴルフダイジェストで紹介 (02.11)
このサイトに掲載しています
『世界ゴルフ紀行』のヨ−ロッパ編が、週刊ゴルフダイジェスト2月17日号の205ページで紹介されました。一連の「海外、ゴルフの旅の提案」という企画の一環で、自分たちで計画して海外のゴルフ場へ出かけている旅を紹介してるコーナーです。(以下、本文へ)
【14】 津市の夕焼け −心癒される 茜色の輝き− (04.02.09)
津の町から望む、西空の夕焼けには、いつも心が癒される。
今日、ZTV新町に用事があって出かけたところ、入り口の机のご婦人は来客中で、その隣の女の子は電話中であった。私は10分ほど廊下のポスターを見たりパンフレットをめくったりしながら待っていた。その間、廊下を通る女子職員もいたし、机に座ってこちらを眺めたりしている職員もいる。来客があれば、自分の仕事を中断して、「どういうご用件でしょうか」と聞き、「担当に伝えました。すぐに参ります。こちらでお待ち下さい」と対応するのが社会的企業であり社会人というものだろう。
電話を終えた女の子が、「お待たせしました」とやってきた。「飯田といいます。先刻、電話で用件は伝えてありますが…」と言うと、「あっ、伺っております。担当に伝えてまいりますので…」と奥へ消えた。…(略)…。

津市は進取の精神に乏しく、企業も人も育たない。…(略)…。素晴らしい自然に恵まれている地は津市のほかに、日本中にも、また世界各地にも数多くあって、人々はその自然に恥じない営みをなしている。私たちも恵まれた自然の美しさに甘えるばかりでなく、力をもらって我がふるさと津市や世の中を改革していくことを考えねばならない。
◆ ラスベガス・ゴルフ紀行 その4 (1.18)
明朝は6時30分出発。ラスベガスで過ごす時間はあと7

時間。やらねばならないことはカジノで100万ドルである。
財布の残金は、ドルで400ドル少々と、日本円で13万6千円。帰りは名古屋まではツアーで連れて行ってくれるから、名古屋空港から家までの交通費だけ残しておけばいい。午前0時。10万円をドルに替えて、いざ勝負!
…(略)…。午前4時。財布の中から、全ての1万円札を取り出して両替。(以下、本文へ)
【政治78】「年金」問題は、抜本的な解決策を (1.16)
昨年、日本の平均寿命は過去最高を更新して、女性が84.93歳、男性が78.07歳となった。イギリスの科学誌「ネイチャー」は、2050年の日本の平均寿命は90歳を越えると発表している。そのとき、20才から64才までの労働人口に対して65歳以上の年金受給者人口の比率は「5対4」となり、ほぼ1人の勤労者が1人の高齢者を養う形になる。
(以下、本文へ)
◆ ラスベガス・ゴルフ紀行 その3
(1.10)
アウトは広大な岩場越えのショットや断崖絶壁からの打ち下ろしなど、壮絶かつ厳しいホールの連続で、ヨレヨレの翔くんは49。カーティス兄43、弟41。コテンパにやられて、この惨敗ぶりは日本の名折れだ。 (以下、本文へ)
明けまして おめでとうございます (2004.1.1)
本年も よろしくお願い申し上げます
世界ゴルフ紀行 タイ編へ
年頭に際して、今年は教育についての提案をしたいと思う。 このサイトの「教育」の項にも掲げているように、現在のわが国が抱える諸問題は、その原因の全てが教育に内在し、全ての問題の答は教育にあると、改めて思うからである。
昨年12月に出された中教審の答申を見ると、昨年度から「ゆとり教育」の中核としてスタートした学習指導要領は「学力低下を招く」と明確に批判し、文部科学省が鳴り物入りでスタートさせた「生きる力を育てる教育」は、わずか2年足らずで見直しを余儀なくされた格好である。
最終答申では、学習指導要領を全国の教育水準を確保する「最低基準」と鮮明に打ち出すとともに、発展的学習内容に上限を定めた「歯止め規定」の撤廃を明記している。 児童生徒の学力低下への不安、規制緩和を求める機運の高まりを踏まえた格好で、各学校が「指導要領に示されていない内容を加えて指導することで、知識を深め、学習意欲を高めたりすることも期待できる」などと、弾力的な運用や意欲的な取り組みを求めている。指導方法や教材を用意せずに、現場に丸投げするいつものやりかたで、またまた学校現場の悲鳴が聞こえてきそうである。
あわせて、昨年度から正式に導入された、教科の枠にとらわれない授業「総合学習」の時間にも改善を求めた。総合学習は『体験活動や教員の意欲的な取り組みで児童生徒の問題意識を高めたり、児童生徒の学習意欲が向上した』とする実績の半面で、教育内容に乏しい授業が意味もなく行われていたり、教師の政治信条や独善的な思い込みに基づく偏向教育が見られたりもするなどと指摘し、答申は市町村教委や学校で全体計画を作成、授業後の自己評価の必要性を指摘し、改善を求めている。
新指導要領が学力の低下を招くことは明確に見通されたことであり、私は以前
疲れ果てる教師、崩壊する授業の項で、「
これで、日本の子ども達の学力低下を招いたら、遠山文相や文科省局長・課長のクビで償える問題ではない」と書いて、文科省や担当者の責任を問うた。
振り返って、教育の現場から、新指導要領や総合学習などに対する批判と改善策が提示されなかったことも、極めて残念なことであるといわねばならない。
私は、さまざまな取り組みを実現させている愛知県犬山市の例を挙げて(
地方自治体は、独自の教育プログラムを)、「今、文部科学省を初めとする国の教育政策がそうであるとするのならば、愛知県犬山市などですでにその取り組みが始まっているように、地方自治体は学習事項を整理して独自の教育プログラムを組み上げ、学力低下必至の現状に対して郷土の教育を守って、敢然と立つ姿勢を示さなければならない。「全国学力テストで、平均に対してこれだけのプラスをしました。学校崩壊・学級崩壊は、我が県や市町村ではでは無縁です」と胸を張れる成果を挙げ、結果を満天下に堂々と誇るべきプログラムをスタートさせるべきだと思う」と、途方自治体と学校現場の取り組みを促してきた。
現在、私の近い周りで、新指導要領によって懸念される学力低下を防ぐために、新しい教育プログラムがスタートしたという話は聞かない。
だとすれば、教育委員会などの行政当局も各種の教育機関も、さらには学校現場も、文部科学省と同等の責任を問われても仕方がない。実例として蔭山メソッドで知られる蔭山英男先生や犬山市の取り組みなどがあるのに、なぜ全国の教育担当者は動かなかったのだろうか。問題が存在することを知りながら、自ら行動しようとしないところに、教育改革への最大の問題点があるのではないだろうか。
学力低下への歯止めに対して、行動しようとしない教育現場の姿勢は、自らの教育権を手放そうとしているかにも見える。
顕著な一例が、「学習は塾で」と学校や教師までもが口にしてはばからないことである。かつての学校には、全体にも個々の教師の間にも学習塾に対抗する意地のようなかたくなさがあって、教師の子弟が塾に通うことは珍しくはなかったけれども、建前では学校や教師は塾を認めてはいなくて、例えば生徒が部活を「塾の時間なので」と切り上げることが言い出しにくい雰囲気があった。今は、『勉強は塾で』を教師自身もどこかで認めていて、「部活と塾の、どちらが大事ナンや」と一喝できない。
私自身も20年間ほど学習塾を開いてきたが、先年、変わってきた子どもと…何よりも親たちに付き合うのに限界を感じてやめてしまった。
学習塾を開いていたときは、「学校にはできない教育をやるんだ」と張り切って、子どもたちとともに、やれキャンプだ、社会見学だ、百人一首大会だ、星空観察会だ…などと遊び歩いていた。宿題を忘れた子どもを夜中の2時ごろまで残して、「もう、私どもは寝ますのでよろしく」とお母さんから電話を受け、「送り届けて、布団の中へ入れますから」と答えたりしたのを思い出す。子どもとも、その家族とも人間関係が密であり、それだからこそ私の言葉は子どもたちの理解に繋がったのだと思うし、家族の皆さんの信頼も得られたのだと思う。
最大時の生徒数は900名に迫って、公立中学の規模を超え、生徒たちの成績も市内の各中学校の1番の生徒を並べていたし、全国学習塾協会主催の模擬テストにおいても、中3の部で全国順位50位までの中に14名が入るというレベルの高さであった。しかし、「学校にはできない教育をやるんだ」という当初の目標を、成績でも…生徒の掌握でも達成できたと実感したそのときも、『学習塾は、社会のアダ花。学校がしっかりしていれば、必要のない存在』であるということを、明確に認識していた。
現在、学習塾や予備校は社会権を得て、世の中に必要な存在と認められるようになり、長年にわたって学習塾の内容を充実させて、社会的な認知を得ようと努力してきた私たちにとっては喜ぶべき状況なのであろうが、しかし、私はやはり「ちょっと待った」と言わなければならない。
もし、学習塾や予備校を認めてしまったならば、教育は「金」ということになる。世界最高水準の所得を誇る日本にあっては、金をかけてハイレベルの教育が受けられるのならば、それでよしとする議論が成り立つというのならば、ことの本質をわきまえない、荒唐無稽な論議である。
学校教育が学習塾や予備校のレベルで行えていれば、学習塾も予備校も存在しない。生まれることもないのである。膨大な人的資産と潤沢な資金を注いで、国家プロジェクトとして行われる文部行政が、学習塾や予備校程度のことを行えないわけがない。行えない…行ってこなかったとすれば、ここでも文部科学省を初めとする教育にかかわる人々に、その最大の阻害要因がある。
体制が悪いという指摘もあろう。確かに、競争原理の働かないお役所仕事、結果責任のない甘えた体質、非効率・採算性度外視の体制…など、学校教育をめぐる社会的状況は悲惨である。しかし、日本のあちらこちらでさまざまな実践や改革への動きがあるように、有為な「人」が居れば社会は動く。
是非とも教育に人材を発掘投入し、実効的な体制を確立して、「学問することは楽しいことだということを知って、主体的に学習に取り組む子ども」「自然を愛し、人を愛して、自らの人生を切り開いていく子ども」を育てる教育を実現していきたい。
教育現場や研究会・機関・団体、教育行政担当は、それぞれの場で教育の方法を研究・整備し、教材を作成し環境を整備して、子どもたちの学ぶ心に灯をともすとともに、その学問する権利を保障するべきだろう。教育を確立することは、社会を正すことである。