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小説 タイ・ゴルフ紀行2
その2

2. バンコク市内 遊覧

 午前7時起床。ホテルの窓から、高層ビル群が見える。バンコクは大都会だ。
 人口は670万人というが、陸続きの国境を越えて隣国のラオス、カンボジア、ミャンマーなどから流れ込む不法入国の人たちが100〜200万はいると見られているから、実際は800万をはるかに越えているらしい。ホテルの窓からバンコクの町を望む
 「電気、直ってないかな」とルームライトのスイッチをひねるも、ライトは点灯しない。

 知ィ〜らない…っと!



 ホテルの窓から見た 早朝のバンコク
 左下にBTS(モノレール)が見える→


朝食バイキング
 1階のバイキングルームへ降りて、朝食を摂る。サラダは7種類、ハム・ソーセージ5種類、卵料理4種類、フルーツ4種類、ドリンク4種類のバイキングだ。注文すると中に入れる具材をトッピングしてオムレツを焼いてくれる。翔くんの朝食は、そのオムレツとハム2枚、ロールパンとクロワッサン、スイカ2切れとメロン2切れ、オレンジジュースに水とコーヒーである。

 毎朝、何を食べようと考えるのは面倒なので、焼いてもらうオムレツに行列ができていると、出されている目玉焼きに換えるだけで、翔くんの朝食は、5日間、この通りであった。バイキングルーム


  バイキングルーム。午前6時〜9時まで どうぞ! →
 

 午前8時、玄関前に待っているバスに乗り込んで、今日はバンコクの市内見物だ。ツアーの客は2人以上で参加する人がほとんどなので、1人の翔くんは特異な存在である。で、座席もいちばんうしろのトイレの横の席で(このバスにはトイレがついていた。使用した人は居なかったが、遠いところの観光地へ行く場合、何時間も走るのだろう)、ガイドさんからは一番遠い。見学地で降りるときも、最後になって不利である。別に席が指定されていたわけではないが、アウトローの翔くんにふさわしい席は最後部のトイレの横と、自分で決めたのである。


 昨夜はドライヤーをかけずに(かけられずに?)寝てしまって、頭の毛が立っている。まぁ、一番後ろだから誰も見ないかと思いつつ、前に座っていた吉本さんの旦那に、
「日本からドライヤー持ってきてます?」と聞いたら、
「ホテルの机の引き出しに入っていますよ」。


 出発。

 以前にタイを訪れたとき、バンコクの朝の渋滞に驚いた覚えがあるが、今朝のバスは意外にスムーズに走る。ガイドのちえさんも
「今朝は順調ですね」
と不審そうである。程なく合点がいった顔で、

「昨日の日曜日が、万仏節という祭日に重なったので、今日は振り替えの休日なんです。だから渋滞がないんですね」
との説明であった。
 25分ほど走ったところ、ラーチャーウオンの船着場から、チャーターボートに乗ってチャオプラヤー川をさかのぼる。チャーターボートとは、旅行社の行程表にあった呼び名をそのまま使ったのだが、実物はエンジンむき出しの古ぼけたベンチシートが並ぶ、いつ沈んでも不思議でない船である。チャプヤー川を船で行く


  ラーチャーウオンの船着場から 船に乗った →


 バンコクは、母なる川チャオプラヤーの河口の湿地帯を開拓した町で、海抜は0〜数m。この町の発展には、チャオプラヤー川を中心にめぐらされた運河を行き交う船が、輸送に重要な役割を果たしてきたのである。現在でも水上交通は盛んで、水上バスとしてのエクスプレス・ボート、渡し舟、高速乗合船など様々な船が走っていて、水の都であったバンコクの趣きを今に伝えている。
 水上から見る川岸の風景は、バンコクの人々の生活を映していて面白い。バンコクの街がこのあたりから始まったと伝えられるこの一帯には古い住宅が並び、多人数家族なのであろう、たくさんの赤や青の色鮮やかな洗濯物が川風になびいていた。
 川岸には、十字架を掲げたキリスト教の教会のそばに、極彩色の中国寺院が並び、少し行くとドーム屋根から尖塔が延びるイスラム寺院が見られた。タイは多宗教の国である。幾つかの宗教を混在させ、微笑みの中に溶け合わせてきたタイは、また、超近代的なビルの足元にバラック建ての庶民の生活があり、町中のどこにでも露店を広げる人々のエネルギーを内在させていて、その懐は広い。

 移り変わる幾つかのタイの顔に見とれている暇もなく、15分ほどでボートは今日の目的地の第一番目「ワット・アルン(暁の寺)」に着いた。船から望む


 船上から見た「ワット・アルン(暁の寺)」 →

 船上から見る大仏塔は、豪壮華麗である。空に向かって屹立するその大きさと、細かな彫刻と色とりどりの陶器が張り合わされた精緻さは、見とれるばかりであった。
 この寺は、トンブリー王朝の初代国王ターシンクが王室寺院として手厚く保護した。その部下のチャクリーが新王朝を開くと、第一級王室寺院は現在のワット・プラケオとなるが、小山のような威容は当時の栄華を今に伝えている。
 仏塔のかたちは、ヒンドゥ教の破壊神シヴァの住む聖地カイラー山をかたどっているといわれ、仏教色はほとんどない。大仏塔の高さは75m、台座の周囲は234mと本当に山のようである。表面は陶器の破片が埋陶器の破片を使った細かな装飾め込まれ、それが暁の光に微妙な輝きを放つという。


← 仏塔を支える 小鬼や精霊たち →


 境内周辺には、寺の修復のためと言いながら寄付を集めている人がいたが、ちえさんの話では、これが真っ赤なニセモノというのも面白い。厚く仏法僧を敬う仏教の国で、国を代表する寺院を舞台に、詐欺まがいの行為をなんのてらいもなく堂々と行っているのにも驚嘆するが、「あれはニセモノ」と人々が知っているのに排除しようとしない鷹揚さもすごい。
 船着場の近くには、顔をはめて写真を撮るタイ舞踊の型枠が並んでいる。これも有料で、知らずに写真を撮るとどこからともなく男が現われて料金を請求するという。大きな蛇を首に巻いた男もいた。
「蛇に触ると、お金取られますよ」
とちえさんは注意してくれたが、触る勇気のある人はこのツアーには一人もいなかった。
 タイの民族衣装をまとい頭に金の飾りをつけた、かわいい女の子があちこちにいた。一緒に写真に納まって、40バーツをとるのだという。
「かわいいよ。写真いかがですか」
と自分で自分をほめながらの呼び声が、ちょっと悲しかった。
 トンブリー王朝の栄華「ワット・アルン」に別れを告げて、翔くんたちはまたボートに乗り、対岸のター・テター・ティアン船着場ィアン船着場に渡る。ここは市場の中の船着場で、一帯は乾物問屋が並ぶ。干物や生乾きの魚の臭いが鼻について、慣れないものにはちょっとつらい。この胸をつくような臭いの中にも、タイの日常なのだから当たり前だけれども屋台レストランがあって、人々は大きな皿に盛られた料理をあれこれと注文して食べていた。


 ター・ティアン船着場  市場の真ん中に着く →


 市場の路地を抜けると、大寝釈迦像で有名な「ワット・ポー(大涅槃寺)」にぶつかる。ゴロンと横たわる黄金の釈迦像は全長49m、涅槃の姿を表すという。
 あとで説明書きを読むと、足の裏が見ものと書いてあった。偏平足は仏の相を表すものとは聞いていたが、そののっぺらの足裏にバラモンの宇宙観が螺鈿細工で表現されていようとは…。
 そういえば、この寺はタイ式マッサージの総本山なのだ。お堂の壁に人体の模式図がたくさん描かれていて、ツボや経脈が細かく示されていた。タイのマッサージ師はこの寺で学び、免許皆伝を与えられると独立開業するのだという。半分以上の図がかき消されていたのは、習得したものが他人に学ばれるのを邪魔するために消してしまったのだと聞いて、何か人間くさいおかし味を感じた。
 境内に白衣をまとった人がブラブラしている。ガイドのちえさんによると
「肩をつかまれるとお金を請求してきますからね、体に触れさせないように注意してください」
とのこと。街角マッサージ師の人たちなのだ。白衣の人が来ると蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうツアーの面々の様子もおかしかったが、通っていく人の肩をつかんで、
「ああいい気持ち、お金払うわ」
という気にさせるのなら、たいした技量の持ち主ではないか。大寝釈迦像

←大寝釈迦像 この顔の部分だけでも、見上げる大きさだ

大寝釈迦像にお参りする人たち
 タイの人たちは 信仰に厚い。どこのお寺でも、
ハスの花と線香を手に、仏さまにお参りする →


 再びバスに揺られて10分。タイ王宮と中心寺院「ワット・プラオケ」の見物である。


 タイの近代化と産業の振興に力を尽くされ、国民の誰からも敬愛される現タイ国王ラーマ9世は、絶対王政のタイを立憲君主国家に移されたラーマ7世の二男としてお生まれになった。兄王ラーマ8世が、宮殿内において銃の暴発という不慮の事故死のあと、19歳で王位に就かれたのだが、先王の不吉な死のあとこの王宮には住まわれず、質素な洋館造りの3階建てに、研究所や農場を併せ持つ「チッドラダー宮殿」にご家族とともに住まわれている。 タイ王宮

  王宮の庭から望む エメラルド寺院 →



 王宮の庭を抜けて、その一角にあるタイ国守護第一級王室寺院「ワット・プラオケ(エメラルド寺院)」へと入る。
 本堂に鎮座するご本尊エメラルド仏(ホントはヒスイでできているが、信者はエメラルドと信じて疑わない)は、高さ66cm、幅48cmとさほど大きくはないがその霊力は計り知れないという。
 1778年チャクリー将軍(のちのラーマ1世)がラオス侵攻の際戦利品として持ち帰り、国家護持の仏として安置したものである。ラオスは返還を求め続けているが、当然のことながらタイ政府はこれに応じる気配はない。その霊験は計り知れない


        ワット プラケオの本尊 エメラルド仏 →

エメラルド仏を祀る本堂の側壁
← 本堂の側壁


 境内には、たくさんのお堂や仏塔がきらびやかに立ち並び、観光客がひしめきあっている。各門やお堂の入り口は必ず鬼神や珍獣が守り、仏塔の台座にはこれを支える悪魔や猿神がいる。 ワット・ポー本堂の外壁に描かれている、「ラーマーキエン物語」のレリーフも見ものである。ラーマ王子が修羅王トッサカンとの激しい戦いの後、王妃シーダとの愛のもと、アヨータヤー国に平和を築く
という一大抒情詩で、タイ・ダンスはこの物語をもとに構成されている。本堂の壁画は今も描き加えられていて、この日もタイのレオナルド・ダビンチが、壁に向かって制作を続けていた。


ラーマーキエン物語の壁画
  本堂の壁面に描かれている ラーマーキエンの絵物語 →


 時計を見ると12時40分。昼食を「ザ・インペリアル・クインズパーク・ホテル」37階の日本料理店で摂る。

 ↓ 37階から見た バンコクの町並み
バンコクの町並み




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