◎草笛太郎のPROFILE"

♯♭♪ ◎草笛太郎のPROFILE" ♪♭♯



§ 草笛 太郎 のプロフィール
( TARO KUSABUE ・PROFILE )

安濃川の清流、"安濃富士"と称する経ヶ峰を見上げる広々とした安濃平野と田園風景の四季折々の豊かな自然の中で自由奔放に ゆったり育つ。
   幼少時からハーモニカに触れ のどかで大らかな心が培養され 今も米・野菜や様々な
   果樹の無農薬・有機栽培に汗を流し、自給自足を続け、毎日 若者と楽しく接し、同時に
   国内外でも抜群の草笛奏者として客観的評価を受け、様々なジャンルの音楽を自由自在に
   自由奔放に草笛演奏を続け、高い評価を受けている。湾岸戦争以来 地球環境や 人間が
   取りなす社会環境の保全・発展を願い 地球上のあらゆる生物に想いを込めて演奏活動を
   続けている。自ら作詞作曲した 世界の歴史初めての草笛オリジナルCDを出し、テレビや
   ラジオをはじめ 学校等あちこちの様々なイベントに引っ張りだこで 出向いた所々で大きな
   反響を巻き起こしている。



◎ 草笛太郎の より詳細なプロフィール
中世あたりから分厚く戒名が残る古い旧家の跡取り息子に生まれる。大事な跡取り息子とは程遠い寂しい孤独な幼少期を送る。家では様々な動物を飼っていて大事に毎日世話をし、野外に出ては一人で黙々と長時間、色々と動植物相手に自然の中で遊びに没頭していた。両親の田畑での仕事にも毎回付いていき、川や畦や林や山で何かに取り組み様々な遊びを工夫して楽しんでいた。その中に 草笛もあり色々と工夫して吹けるようになっていった。家には大量の色々な(浪曲浪花節.都都逸.当時の流行歌.軍歌等々)歌曲のレコードと蓄音機があり、片っ端から家でよく聴き その音曲は今でも頭に残っている。一度聴いたらすぐに音曲を覚え、楽しんでいた。毎日、一人で 寂しくしている様子を観かねて、父親がハーモニカを買い与えてくれた。何でも器用に楽器を使いこなした父親から手始めに教わり、それから毎日、ハーモニカを孤独紛れに楽しんで夢中に吹いた。芝小屋の窓に待たれた吹いたり屋根のてっぺんに登って吹いたり通学中のエネさん達に聞こえるように外でも吹いた。
4歳頃より自然に音感が身につき、毎日のように祖父や先代の人達が残してくれた様々なジャンルのレコードを聴き入り、共に歌い、良く友達を家に呼んで一緒に聴いて楽しむ事も多くなった。自然に音曲も覚え、次第にハーモニカでも何でも吹けるようになり、結構、自分で曲を作り即興で吹いて楽しみ、技術も高めていった。C調のほかにA調のハーモニカも買ってもらい二つを使ってよく軍歌やマーチを吹いては自分を励ましていた。今でも家にはBm.C.cm.dm.F.Fm.Em.G.Gmのハーモニカや付属の拡音器などもある。
毎日のように外に出て魚とりや蛙等を相手に野生児のように遊びたくり、大切に飼っていた犬や猫や兎や家鴨や鶏や軍鶏やトウテンコウ.羊.馬等を相手にして遊び、川や池や田んぼや畑や林などで様々な生物を相手に様々な遊びを考え出して楽しむ。
自分で作った貝笛、竹笛やゴム音やタバコの銀紙、ジャラ紙でラッパ音のようなものや醤油樽の栓まで楽器にして楽しんでいて小さかった為か上に積み上げてあった醤油樽の木の栓抜くのに失敗し頭から被り全身痒かった事も懐かしい。不思議に家に帰った母から叱られる事はなかった。三歳や四歳の時、一人息子の寂しさを紛らす為にと父親がハーモニカを買ってくれて毎日、吹いていたハーモニカも上達していった。上手くなると得意になって吹いている中 自然に音感が身に定着し、色々な曲をハーモニカで演奏できるようになる。田畑や山へも両親と出かけ仕事を手伝う。傍ら寂しさや退屈紛らしの為に傍らの植物など片っ端から遊び道具にして音など楽しむ。ころ頃は結構上手に人にも聞いてもらう為にも自由自在に演奏していった。裏川を堰きとめ盥で作った舟に乗って進水式等川や池でもよく遊ぶ。盥船乗りも得意だった。
6歳頃から家に飼っていた競馬馬の乗馬を父から教わり、家の表(庭園)から次第に外部に行動範囲を広げ、隣の集落や離れた小学校等にも乗馬で出かけ、気分よく馬とも仲良く楽しむ。優しい馬の目や息吹の臭いや迫力はさることながら差し出した人参を縦に首を振っておねだりして食べる様子や心地よい足音が今でも 鮮明に耳に残っている。乗馬中、自然に出る口笛に 絶えず反応する愛馬の耳の動きが面白く反応し決して暴れる事はなかった。 今でも懐かしい幼少期の恵まれた思い出だ。
小学校に入学してからは学級委員や児童会でも頑張り、学芸会や発表会などで盛んにハーモニカの独唱や即興でその場の気持ちを曲にしてみんなの前で披露した。人々の面前で演奏する時は緊張して上がる事はなかったがいかに演奏してやろうかと意気込み武者震いしたものだ。勿論、複数のハーモニカを使って一つのハーモニカでは演奏できない半音の微妙な感じも出したりハーモニカようのラッパを工夫して独奏する事もあった。みんなの前で演奏する前日は曲目やしゃべる事も考えて やる気満々で武者震いしたものだ。この頃は、毎日、日が暮れるまでお寺の境内等で勇壮で 男らしいゲーム "肉弾" "冒険ごっこ"等で くたくたになるまで遊び、又、集団で"庚申さんの森"等で一週間ぐらい 親に内緒で 自主的な集団合宿共同生活を 生き生き体験。親達からは警察に捜索願が出されて 盛んに探し回っていたが 中々ばれず心地よいスリルも味わい、忘れ得ない懐かしい思い出。寂しい時には 覚えたあらゆるマーチ(行進曲)をベースや強弱を入れて勇壮に演奏しては自分に活力を吹き込んでいた。
地元の田舎の中学そして高校(津高)と大學卒を終え大学院にと推奨されたが相変わらず金は無く、まずは 経済的独立を優先し あちこちの公立高校教員採用試験を受け、全て合格、和歌山県の新宮高校教員に内定していたが 親の要望も受け入れて 地元の公立高校教員に就職し 高校教員生活を続ける。この頃は 主に ギターやトランペット等 色々な楽器を楽しみ、又、クラス担任では一々、生徒さんの誕生日には 祝福の言葉などを添えて ギターなどで ご当人にふさわしい曲を奏でて 皆で合唱したのも 昨日のようで実に懐かしい。文化祭行事などでも 生徒さんと時々出演。今でも その頃の生徒諸氏の顔や表情が くっきり記憶に残っていて懐かしく想う。
田舎ッペを卑下し隠していたというか封印していた 草笛を 人前で堂々と信念を持って吹くきっかけとなった事件
丁度、三重県立津西高等学校の教員時代の1991年の湾岸戦争の悲惨な光景をテレビで観て大衝撃を受け、最早、地球環境の危機を察知、何とかしなければという切羽詰った止むに止まれぬ切実なアピールを"教師は口だけ"との懸念から咄嗟に思いついたのが何の変哲もない一枚の植物の活きた葉っぱから導き出す幼少の時に身につけた《"草笛"しかない!!》と直感、理屈無しの全身全霊の精神を傾けた熱い思いを なりふり構わず人前で堂々と高らかに固い信念を持って"草笛演奏活動"を始め 今に至っている。"草笛太郎"という名前は 当時の 優秀な津西高等学校の生徒諸君が命名してくれたもので、この名は 親以外からもらったものとして一層、大切にしている。
東京在住の草笛の大家で指笛創始者の"指笛世界一"の故.田村大三氏(当時78歳)からも招聘を受け、東京でも草笛演奏を披露。田村氏すごく感動され『君のような胸にズシン!!と迫ってくる すごい迫力の草笛は 78年間生きてきたが聴いたことがない!! しかも 音階もしっかりしている! 君の草笛はずば抜けているよ!! 審査員の審査員のまだ ずっと遥かに上だ! 君のは突出していて 確実に日本一だ! いや飛びぬけている。確実に世界一だ!! 』と 大絶賛を受ける。以後、田村氏は人々に『いや-三重県にはすごい人がいる!!』と盛んに言っておられたらしい。
教員をしていて時間的には大変だったが 人の作った曲だけでは満足できないことと、草笛太郎自身の様々な思いを 作詞.作曲にして当時" 世界初の 草笛オリジナルCD " と評価された草笛太郎自身の作品を作り、話題となり、あっという間に完売 たちまち 新聞やラジオやテレビ等 マスコミに取り上げられ 教師を続けながら寝食も惜しんで命がけの草笛活動を展開し 様々な あちこちのテレビ等にも出演していた。
人気番組" 笑っていいとも " 等にも草笛奏者としての講師として招聘され楽しく出演してきている。時に あたかも皮肉にも 両親の喪に服すべき時期だったので再三断ったが、無くなった両親はもう帰って来れない。ならば、出演が本当の供養になるのでは?だから、何も制約しない。あなたが好きなようにやって下さい。との条件で両親の死の悲しみを乗り越え、出演前日、田の耕作を暗くなるまで続け、夜間やっと道に出る田圃と道の坂でトラクターごと転倒し、とっさに運動神経の発達している小生は飛び降りて下敷きになるのを防御したが、左足だけが下敷きになりエンジンずっと掛かっていた最中に助けを求めたが誰も通りがからず孤軍奮闘、長時間、苦労してやっと足を抜き去り、脱出に成功。パンパンに張れあがっていてズボンも穿きにくく足の激痛も忘れて、一切の苦労も微塵も出さず 開き直ってはじめから終わりまで全部アドリブで楽しく出演させて頂き、まるで最初から面白く打ち合わせ通りだったと思わせるぐらいに見事で面白かったと評されていたようだが、私が感心した事そんな次から次へと連発するダ洒落にもめげず、即興で見事に対応していたタモリさんや鶴塀さんやココリコさんたちや、トモエちゃん、カツマタさんや司会等皆さん方の笑いの中にも天晴れな即応に 更にカメラや進行役の裏方さん達の瞬間さえ見逃さない仕事ぶりを目の当たりに観察でき、"流石、プロ!"と感心し、良い刺激を受けている。
現在も 国内の学校や あちこちの様々なイベント等に呼ばれ 草笛演奏や講演や草笛吹き方指導にあたり同時に 地球環境の具体策として少しでも植物に目をやって欲しいと草笛活動を 心身共に健康状態で推進中。
高校教員は退職し 草笛を通じて自然的なそして 人為的な地球環境改善を海外でも展開し 一層、心身を鍛え上げ、正々堂々と 楽しく命を懸けて 楽しく展開中。

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◎ 草笛太郎事務所  代 表 村 山  猛 
TeLL 3035-1827-090  ( 後ろから) 日本北浦屋敷

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