草笛演奏の足跡
♯♭♪"草笛奏者,草笛 太郎,"の草笛活動に関する足跡♪♭♯
広々とした田園風景の安濃平野。西に聳える"安濃富士"と自称する経が峰。その経が峰がデーんと勇姿を見せ、左に布引山系の風車が沢山見える笠取山が南にまるで布がたなびく様に見えてその左には321メートルながら近くに大きくテレビ中継地のある長谷山がまるで経が峰と長谷山に挟まれたように遠近感や配列が美しく今まであらゆる所から眺めてきたが遠近感.配列.大小の取り合わせからも不思議にも思うほど最も形も良く見えて眺めも雄大で一番綺麗で良く眺められる場所が草笛太郎の住んでいる家だ。昔から毎日として同じではなく絶えず変化して飽きる事のないこの眺め地に勇気付けられ励まされて今日の草笛太郎を育ててくれた。二階の窓から眺める風景は将に生きた天然の綺麗で勇壮な風景画。これを眺められる事はありがたいことだ。
布引山系や長谷山が近からず遠からず本当に調和良く眺められるありがたい草笛太郎邸。常に千変万化する山並みを眺めては勇気付けられ自然や動物の活気ある自然環境の中で育ってきている。男兄弟のない寂しさを察し、父親が4歳の時買って手解きしてくれたハーモニカや尺八。そのハーモニカを宝のように大切に、毎日のように吹いていて裏側の台所のオクドさんの芝小屋の窓を半分あけて良くハーモニカを吹いていた。又、古い大きな昔からの家に大量にあった昔の流行歌や軍歌や浪花節や小唄等のレコードを片っ端からじっくり蓄音機で聴いて楽しむ。自然の美しさ.有難さや厳しさ.馬.牛.鶏.アヒル.軍鶏.トーテンコウ.ウサギ.山羊.廿日鼠.犬.猫.泥鰌や鯰や蟹や様々な自分で捕まえた魚や鳩やジュウシマツ等の動物や昆虫類の可愛さや逞しさを身近に感じつつ世話する中で生滅流転への様々な想いと家の中での空虚感などが絡み合って様々な微妙な感情や感性がハーモニカを母体にあらゆる物まで楽器のようにして自己を慰め、励まし、鳥や動物達あるいは心に感じる友や人々に様々な想いを抱いて音曲で発信し表現していた。ホホをかすめる風さえも心情を微妙に換えて音曲に生かせた。身辺の植物動物の生成変化消滅。心の喜びや孤独。本質を見極めた正義感と社会環境改善への願いそしていつも抱いていた夢や希望。かなり繊細だった幼い頃からの夢と希望は複雑で殺伐とした家の環境の中で余計に大きく膨れていった。信念と喜びで選んだ教育への幼い頃からの夢や思い。児童.生徒として学ぶ立場や親となりPTA会長としての親の立場やがて教員として教える立場を年を重ねて体験する中、それぞれの世相.時代に様々な想いと共に長年追い求めてきた"人間のあるべき本質的な姿""素朴で飽きの来ない心優しい人間性"を只管、追い求めやがては"あるべき教育の理想の姿"と現実の狭間で"どうしょうもないすっきりしない歯がゆさ"の挫折絶望を踏み越え、絶えず前向きな生き方から発展拡大して 今生のあらゆる分野における見せ掛けでない"本物"の溢れる世の中、より良い"本物の発展"を、絶えず"庶民の心"と"苦労人の心情"を片時も忘れない心で渇望し求め続ける。その為には満身の力を込めて、生活と密着してきた植物との共演の"草笛"を表現手段として世に警鐘を打ち鳴らしたい。本当に心底からの気持ちよい笑顔の溢れる世の中を渇望し続ける熱い思いが 今日の草笛太郎の草笛が醸成されたと過去を踏まえて自分を見詰めている。
  読売新聞全国版より
{幼少時代}
"後になって思える実に不思議な現象とか並外れた'不屈の精神'と'何も恐れず左右されない人一倍強かった独立精神'。唯、限られた時間だけは内実の臨機応変に絶えず変化する状況と共に 止む無く確実に流れていった。
私には先祖の深い思いが身についているらしく臨機応変に絶えず変化する(どんな八卦置に見てもらっても)すごく運が強いらしく 小さい時から感受性が人一倍強く夜は寝小便も良くしたが 人の死も当てたり予告しては的中していた。(今も同様)不思議な事に人と対立しても打ち溶け合えたり帰って仲良くなったが 心から打ち溶け合えず許せない者は大概、死亡していく事が不思議と起こっている。当時はかみそりの様に感受性も予感もずっと鋭くこれは長く続いているが結婚してからは次第に薄れていったように感ずる。しかし、未だに些細な事だがふと時計を見た時は未だにほとんど5:25 とか9:49とか3:13とか前からも後ろからも同じである事が多すぎたり人が亡くなる前には良くその人が浮かんできたり大体、見舞いに行ってもなくなるか助かるかもよく感が当たり実に奇妙に思っている。人の顔の死相は確実に予見できこの人は後どの位、生きられるかも凡そ見当がつけられる。実に不可思議である。も一つは"不屈の精神"がなんとも言えないほど強すぎた。どんな事にも決して屈しない、誰が何と言おうが信念を変えることは昔から決して無かったし泣く事はほとんどなく体は小さかったのにちっともそうは思えず結構大きな者にも負ける事は無かった。なんでも一人でやりきってきた。今思えばこれは自分でも不思議な程強く並外れている事がやっとわかってきた。落ち着いた安心できる家庭環境ならも少し甘えたり泣く事はあったかも知れないし集中して勉学にも励められたと思うが日々、家庭では安楽の日々はなく平穏な環境は寧ろ異常で異常な殺伐として寂しい。今、この地球にはいたるところに人は生きているが不屈の精神は現役人の中でも多分屈指の内の一人だと思う。
更に、人の心が読めて、今、どういうことを考え、思っているかもすごく読めて、大体、直接、会う前にこちらに出向いてきた時や話しかけようとする前に何を言うのか話す前にわかる。来宅する人も会って直接会話する前に何を言いに来たかも事前に察知できる。会話は二の次でとってつけたようなものだ。
毎日留守番しながら 台所の竈近くの柴小屋の窓ガラスを半分開け 柱にもたれて毎日のようにハーモニカ等を吹く内に 音感が自然につく。田畑や野山に遊んではありとあらゆるものを道具や楽器や生活用具にして取り入れる。当初、草笛は合図や人を冷やかす道具に利用。
昔の家にあった沢山のレコード音楽を聴き楽しみ 外では野山、川、池や田畑で犬やアヒル、軍鶏、兎など動物と遊ぶ。この頃草笛も自然に身につける。丁度、家の裏は川で鰌や鰻など魚とりや虫や亀蛙など活動する自然の中で育った。家で馬も飼っていて時々近辺を乗馬して楽しんだ。この時の楽しそうなうれしそうな優しい親父の表情や姿が未だに思い出されてうれしくなる。環境にあるあらゆるものを遊びに活用し明け暮れ、たっぷりと充実した一日を楽しんだ。
小学校入学前に 度々、萎靡ってくれた艶やかな着物と日本髪姿のおしげばあさんが突然 田植え時期の食事中に茶碗を落として倒れ、脳内出血で急死。当時、沢山の人手と住込人もいた6月の慌ただしい農繁期に葬式。
盲目の菊ちゃん(身寄り無き病弱な人)から色々な教訓的な物語を聴いたり、竈の煤に火箸で書いたりして字を教わり、ハーモニカや草笛もかなり上達していた。大凡、どんな曲も吹けるようになっていたしハーモニカは二つ重ねてベースを入れて吹けるようになっていた。本当は色々な楽器を買って欲しかったがそんな事は言えなかった。
[小学生時代]
 通学途中の"庚申さん"の森にミツバチ飼育の大量箱に 石を投げ襲ってくるミツバチ大群から身を守るスリルや銀バスの後ろに飛び乗り、へばりついて学校前バス停まで我慢するスリル(絶対に下の路面を見ないこと見たら目がまわり気持ち悪くなってきた)を味わったり、トロッコ遊びリヤカーに仲間を乗せてモースピードでうまくハンドル操作して走り回ったり、安濃川の砂利採取した深い池のようなところで泳いだりもぐって上下の水温の違いを体感したり時には大きな石を抱いて池の底を横断し息が苦しくなると石を捨てて上に浮き上がってくるさまざまな遊びを工夫して楽しんだが家では注意されたりしかられるのがいやで一々、何も話すことはなかった。お寺の屋根の天辺に上ってつかの間の優越感や征服感にひたったりお寺の屋根の下の軒瓦と木部の間のすずめの巣から雛鳥を取って育てたり(穴に手を突っ込みクリクリした温かみのあるぬくもり感覚には蛇ではとスリルがあって今でもその時の感覚をしっかり覚えている)、校庭では紙飛行機やロケットや下敷きや竹へら等より遠くにとチャレンジ精神で飛ばしあったり相撲やドッチボールや野球やソフトボール等を楽しみしっかり活動して学校の屋根から伝わる"とゆ"に自分で寝るのも惜しんで作った鉱石ラジオの線を当てて音を聴いたりして時間を大事に使って帰り、家に着くなり、すぐお寺でくたくたになるまで汗と土煙立ち上がり柔道あり全身使っての体力気力戦の肉弾ごっこや00ごっこ。竹馬や杉、紙、水鉄砲を作ったりモチの木で仕掛けを使ったり自作の弓矢で鳥を獲ったりして家でも獲った鳥を足に糸をつけて大事に水や餌さをやり飼育していた。野山ではトロッコ遊びリヤカー走り回りや落とし穴やターザン遊びやチャンバラ等は熱気に溢れ真剣で迫力満点だった。平地では釘さし缶蹴り、ミリン遊びやメンコ("ケン"と言った)や下敷きやものさし飛ばし、凧揚げ飛行機や船を作って遊んだり"もんどり"(鰻や魚を獲る道具)で鰻を取ったり、蛙で鯰を釣ったり、針につけたドジョウで鰻を獲ったりあらゆる知恵を絞って銛やタモやザルで魚類や蛇など爬虫類を獲ったり、採集用タモで昆虫採集したり遠くの山に出向いては金槌で大きな貝や魚や木の葉などの化石とり等して自由に伸び伸びと充実した色々な遊びをしたり池や川の砂利採取の深い俄か池で泳いだりもぐって底の石を拾ったり川の浅瀬に追い込んで鮎を竹笹の二刀流でたたいて獲ったりしたが獲った魚は滅多に食べることは無かったというより可哀想というか化けて出てくるように大人から言われ気持ち悪く食べる事が出来なかった。都会から鮎釣りによく来た浪曲家や太公望から"坊!その魚おじさんに呉れないか?"といわれると"うん。"と素直に返事して全てやったものだ。今、思うとあまり上手くつれなかった代わりにかなり沢山やった鮎を帰ってさも本人さんが釣ってきたと自慢してたり、美味しく食していたのだろうと思うと"してやられたり!と大人のずるさも感じる。うまくやりおって!当時の川の水は透明で透き通る綺麗なものだった。何処に蛇がいて何処に魚がいるか感で察知できた。毎日、暗くなるまで遊びたくった。その場所は今ではほとんど『良い子はここでは遊ばない!』という木にペンキでかかれた看板が打ち込まれ、ひっそりして子供の姿を見かけないのは少し寂しい。"良い子はここでは遊ばない"の禁止場所で多く遊んでいたのだから自分や自分達の子供時代は良い子では無かったのだろう。が"悪い子はここでは遊びます"というたて看板は見たこと無い点われわれは悪い子では無かったのだろう。
家の中では黙々と障子の紙や親父の吸っていたタバコの銀紙や庭の草や笹の葉っぱや貝等あらゆるものから音を出して楽しんだし畳の上では尻を上にして空気を利用しておならの音楽までチャレンジしたぐらいだ。あらゆるものを吹いて"音"を楽しみ、自己表現や自分の存在を友に知らせたり、可愛い子などを冷やかす時にも鳴らしていたし実際笛の楽器もよく吹いたものだ。竹笛の楽器も草笛も同等の大切なものだったが草笛は外での即席楽器として生きていた。家にあった本物の日本刀で庭の細い木を試し切りして歯がこぼれ怒られたことがあり親父さんが研ぎ屋さんに出していたことも有ったがもうあの刀や沢山有った昔の古銭などは今はない。大事にしていた犬や猫やウサギや鶏やアヒルや牛や馬の世話もしたものだ。みんな優しい目をしていてよくなついてくれて動物との気持ちが通じたが鶏の一種"軍鶏(しゃも)の激しい気性での攻撃や"東天紅(トウテンコウ)"というものすごく長い泣き声をする尻尾の長い貫禄のある鶏の一種は(親父は鳴き声を楽しんでいたが)中,高校時代の勉強の邪魔になり困った事があった。 外では自作の模型飛行機飛ばしや鉱石(コウセキ)ラジオを聴いたり、上下級生と集団で森で数日、共同合宿し自炊共同生活を楽しんだ事は実に懐かしい。それぞれの親が心配のあまり警察に捜索願いを出したらしく、集団で捜していたが母親も大声で「たけしー!」と実名を必死に叫ぶ声が聞こえたが「たんけんシィー(探検せよ)」と聞こえて 親に隠れて益々、探検に耽った。懐かしい思い出だ。
学級委員長や児童会の役員も続け、クラスの人気者でもあったようだ。この頃はハ−モニカでもどんな曲もこなし、即興で自分の気持ちを表現する曲をその場で吹いたりして、クラス内や学芸会などで大勢の前で独奏する時は武者震いして心がはずんでいた。
留守中、家の中の高台の醤油の樽の栓を抜いて全身に醤油を浴びて痒かった記憶は懐かしいが 木樽の栓まで楽器にして音を楽しんだ。 口笛 草笛 麦笛 貝笛 紙セロファン笛ラッパは自分で工夫してしばしば吹き,ゴムまで利用して楽器や凧揚げの快適音に使った。口笛、喉笛。歯笛?も上達,父親から尺八などの手ほどきも受けた。
小学4年の時バックネット後ろの特設土俵で相撲の最中に他の上級生に鉄をつけた革靴で足を蹴られ骨折約3ヶ月も学校を休む。一ヶ月程の予定が 直りかけていた処へ、見舞いにきた友達が部屋でふざけ合ってドッと足の上に倒れこんで治癒延長。この時期に児童会役員の者と学級委員はある新聞社のヘリコプターで郷土を周遊できるとのことで楽しみにしていたが残念なことに自分の家の上空を飛んでいく爆音だけを聞かされる羽目になり心残り。この夢は昭和55年頃、鈴鹿サーキットヘリポートから鈴鹿市上空ヘリ体験まで実現されず。
5年頃 菊ちゃんが入院中亡くなり家で葬式。菊チャンの骨壷が仏間に長く安置されていたがうす暗い仏間で少し怖かったがたびたび一人で御参りし、遺影と骨壷に向かって語りかけ将来立派な人間になって社会や国の為に尽くすと真剣に言葉に出して語りかけていた。文字や色々な物語や話を教えてくれた感謝と慰霊の為、手を合わせて霊前に将来の活躍を純真な心で誓ったものだ。(当時は福祉制度も遅れていて莫大な入院治療費を親父が病院から請求され、文句一つ言わず支払い、子供に何も買ってやれず"お人よしも程ほどに・・・"と よく母がこぼし夫婦喧嘩もよくしていた。そのたびに実に寂しい思いに追い込まれた。本当に寂し過ぎると臍の下腹がキューんとして胸が実に切ない思いに駆られたものだ。その途轍もなく寂しい気持ちから音楽を友にして大切にする貴重な体験が出来たと思っている。悲しすぎる時は只管眠り、忘れたいと切望し、眠りへの思いや救いや,忘れたいという現実逃避の懇願があり、今以上に眠ることへの切羽詰った子供心の切実さや 眠りへの現実逃避があった!と思う。
[中学生時代]
ハ−モニカは時々自分を勇気づける為にも各国の行進曲やタンゴ.マンボ等吹きたくる。ギタ−は自分で独学で身につけ 集中的に楽しむ。草笛よりギターの時代になっていた。
[高校時代] 家の中は依然と暗くて憂鬱な時期だったが晴天の日々、せめてもの津高校の桜の木の下で食べる弁当はあまり美味しくはなかったが心地よかった。同級生に知事の娘、大学学長の息子、銀行頭取の娘や裕福なインテリの子弟が多く、自分がずっと従事してきた肉体労働の農業未経験の級友の存在を実感しき他の者と異なる特異な家庭環境と毎日の憂鬱さと家では余計疲れる母親との会話に疲れ勉強どころか心神喪失状態で私の高校時代はハイスクールではなく味気ない寂しくて侘しい将に"灰スクール"で全く、楽しくなく私の哀れな弱弱しい高校時代でを劣等感を抱いた。時間.体力的に これは大変なハンディで、自分の責任でない家庭内の暗さはどうしょうも無く悲しかった。こんなことは親の影響でどうしょうもなく多分同じ環境の人がいてそれを見たら同情して泣いてしまうだろう。小、中、高時代は親の力や環境が大きく影響し励みにもなれば足を引っ張られ妨害にもなる。私は後者だった。家庭の温もりの愛情にも飢えていた。秋収穫した新米を持って時々、中学校の恩師宅(英語教師)へ行っては微笑ましい夫婦の姿や高校の日本史の恩師宅へ行き,雑談や手料理のご馳走は自分にとって実にありがたかった。
[大学時代] 入学間もなく最初の全学年を通じての集中講座の試験で新入生の小生が98点の最高点を獲得して全員の前で公表されたことは誇りにして良いのではと思う。貧乏学生の家庭教師で学費を稼いで通った大学時代2年生で大学院の人達とよく一緒に研究させてもらい厚遇していただいたことは嬉しかった。大学二年生から卒業論文を自分の足で隈なく歩いて調査し書き上げた論文は懐かしい。経済的独立優先で大阪、三重、和歌山の高校教員採用試験に出願、力試しの大阪は、試験日を間違え 勢い勇んで出向いたが前日に試験があったとの事でガックリ。せめて試験問題だけでもと大阪府教育委員会に所望したが受け付けられず、力んでいただけにがっくりして帰宅。後は慎重になりきちんと三重と和歌山県を受験。バッチリ グー
和歌山県は新宮高校長の関辰児という人等に見込まれ、十月に新宮高校に内定、大学院を勧められたが、経済的独立優先で三重県の高校教員になった。このとき面接の時は一度も家の束縛から放たれず百姓の肉体強制労働から開放されたくて ひたすら家から通勤できない遠い勤務地を切望、嘆願し希望が実現。劣等感さえ抱いていた田畑耕作の肉体労働から人生で四年間 開放された。 この頃が吾人生で最も開放された有難い時期だったかも。
[教員時代]教員成り立ての4月 生まれて初めて風呂敷とお菓子を自分で買って、新宮市の関校長宅を人に聴き歩いて尋ね、新宮高校教員を家の都合で一方的に断った事を詫びに出向いたが"いやいや君には逃げられたねー"と案外サバサバと、白い歯と笑顔で答えて頂きホッとしたことを覚えている。小柄ながら漢文学者のような風格のある人だった。
南紀で生徒さんたちと一緒になってのびのびとギター等授業や文化祭でやったり、独身寮でも よくギターのうまい生徒さん達と音楽も楽しんだ。南紀は人情がよく、気が合った。 その後中枢部にもどりギターやトランペットなど楽しむ。生徒さんに素晴らしい才能の諸氏がいてよく時間を忘れて一緒にやり確か文化祭でもやった事とその光景を今でもしっかり覚えている。
この辺りから劣等感を抱いていた農という仕事に対し、確かに手は汚れ 汗まみれでくたくたに疲れ、汚い.きつい.危険を伴う所謂"3K"と称され、現代人が避けて嫌うものかも知れないが 内容は種子から苗、実の収穫という喜びと、手塩にかけ、本当の愛情が必要で、しかも大事な時期は手を抜けぬ長期的世話こそ きれいな仕事であり農業agricultureこそ文化cultureの語源なりと実感し思索構想が転換する。喜びと誇りと植物の可愛さ.愛着と共に古来からの人間の抱く祈りと感謝を毎年実感.体感する。
この極意こそ教育の極意なりと悟り久しいが、農に従事する劣等感はきれいさっぱり消え、苦痛よりも喜びで接することができるまでに成長した。同時に心身を鍛錬でき、思索に耽り、真理を探求する最高の道場だ。
1991(平成3)年の湾岸戦争で油田が消えず連日衛星放送で放映される映像に、この世の危機を実感し、これは教育、文化、農なんぞ言っておれない。地球全体の危機だと大衝撃を受け、辺り近片に遠慮することなく 自分の本物の説得力はコレしかないと自覚し 信念と使命をもって積極的に至る所で草笛を吹き、たちまち広範囲に注目を浴びる。バドミントンの試合の行き先々でも真剣に吹き鳴らし,たちまち新聞 ラジオ テレビなどマスコミにも取り上げられた。
"草笛太郎"の名は津西高等学校奉職中に自然についていたし、当時の生徒さんたちから親しまれた愛称で未だに当時の顔ぶれや様子がありありと脳裏にしっかり残っている。生徒会長でいつ勉強しているか勉強しわからないくらいよく日曜日には半日ずっと一緒に泳いだ関西電力に行った林修二君やその仲間とは経が峰に登り一夜を共にして翌朝、学校に直行して夫々のへ立場で授業に臨んだ。林君は草笛も吹ける様になった。受験校だから吹くなと言う当時の校長さん。カラカラに乾ききったガラスのように脆く壊れやすいロボットの様にも思われ、優秀な人材であるが故に大切なものを将来を期待できる人間故に切実に祈った。万物の霊長たる人間として心の広さや成長そして浄化も大事だと意見が食い違ったが,吹いてくれと所望する生徒さんに出欠点呼の時間帯にいつも童謡や綺麗な名曲を吹いてから授業に入るとお互いに心が落ち着き何故かすっと素直に静かに授業に入る事が出来て効果抜群だった。
熊野地方から鈴鹿、津、亀山辺りを転々とした。
1992(平成4)年4月9日(木)三重県立津西高等学校離任式(体育館にて9;40〜10;10)
 一通りの離任式終了時に(名生徒会長.林修司君達の後輩の)当時の会長(野田延聖)さんから大声で『草笛先生!このまま行かんといて 最後に津西高校の僕達に草笛を吹いていって下さい!』と言われ全校生に壇上から『君たちの会長さんがこう言ってくれていますが、どの様にしたら良いですか?』と尋ねるや大きな拍手が巻き起こり  校歌を初め色々と思い出深い曲を約20分吹き続けた。生徒会長の首に 生徒全員への思いを託した自作のペンダントと書の額を 舞台上で渡し堅い握手を交わし全員に手を振って離任式会場を出た。外には新1年生がじっと外で待機していた。(この中に我が縁者もいたのだ)  その後 楽しい交流をしてきた放送部と生徒会室に自ら書いた色紙の額を手渡して懐かしい津西高校 忘れがたい二群津西高校を去り、我が縁者も同校に入ったのだ。
  注、翌日 赴任校亀山高校職員室に小包が配達、中にU本のビデオテープと津西高校生徒さんの寄せ書きが丁重に送られ 感激で涙が流れた。 そう言えば離任式当日東西出入り口二カ所で三脚台でジッとこちらにスポットを当てて立っていた生徒さん達がいた事を思い出した。この僕を撮っていてくれたのかと思うと生徒の心が嬉しくて泣いた。

1992(平成4)年8月T日午後8時〜9時 夏祭り草笛演奏(椿神社境内)
8月9日(日)住吉大社記念館(大阪)にて草笛演奏。
1992(平成4)年9月5日(土)'92オール飛騨高山『木のふれあいフェスティバル』高山市民の前で現地のデッカイ観葉植物を使って草笛を披露。大変喜ばれる。
9月6日(日)斐太高校有斐会館にて同窓会記念行事として草笛演奏を依頼され実施。
1君たちキゥイ・パパイヤ・マンゴーだね 2トップ オブザ ワールド3 それが大事 4グローリア 5すてきな16歳  6ダイアナ 7 S・O・S 8 Cガール 9 夏だね  10 斐太高校校歌など
9月20日(日)岐阜県岐阜市にて『美しい音色は自然の贈り物 草笛演奏』
10月2日(金)県立亀山高校学園祭[草笛演奏]全校生1200人を前に教師としてステージで
「それが大事」などスタンダード曲7曲演奏 喝采を浴びる。
10月3日(土)中日新聞に写真入り。"観葉植物も即楽器"亀山高校“草笛先生”コンサート
 写真説明「草笛を響かせる村山教諭」亀山高校で
10月10日(土)体育の日 津祭り 草笛演奏午前(ヘェニックス特設舞台)と
午後(お城西公園特設ステージ)
10月18日(日)Aコープ創業特別イベント講演と草笛演奏
10月25日   吉本興業(何か信念ありそう) 草笛演奏 
11月3日(火) 文化の日)某大学大学祭 草笛演奏。
12月13日(日)平成4年度文化の風起こしフェスティバル'であい ふれあい’“さいまつコンサート”
          草笛コンサート 琵琶湖周航の歌 襟裳岬 "クリスマス・イブ等。
12月23日(天皇誕生日)鳥羽市ジャスコ"ハロー”で草笛クリスマス演奏
奈良社会福祉会館にて。
1993(平成5)年1月1日(元日)FMラジオ 生演奏生放送10;20~『一月一日』『ビア樽ポルカ』をスタジオからバックミュージックを流し自宅から草笛の同時実況生放送
 ゲストアメリカ人ケントギルバード氏ら有名タレントほか。担当 鈴木アナウンサーと放送スタッフ
1月10日(日)三重県国民文化祭文化ボランテイア関町地蔵院にて草笛演奏

この頃 自分と類似する人物と出会う。子供をそのまま大きくした様な素朴で善良、自由奔放でありながら一つの信条.哲学を有する文化創造"わ"の会員・南川忠義氏。絵画、小説、詩吟や書を嗜み退屈しない。緻密で繊細、よく気の着く人だ。高らかに笑い、早足で、何でも気楽に話せる。時間に束縛されるのが苦手な僕にとって時間に厳しく、色々とアドバイスをしてくれる味のある貴重な人物だ。
1月17日(日)関地蔵院で建立(奈良期)以来 史上初の草笛演奏。 心を込め時代を越えて 厳かに演奏。マスコミ取材もあり、午後6時からTVニュースで放映報道。
1月18日FM三重で昨日の関地蔵院での草笛演奏が朝の通勤時間で放送 又、
毎日新聞に関地蔵院での草笛演奏記事が写真入りで記載報道。
1月29日(金)『ことぶき大学講座』長島中央公民館2F大ホールで講師依頼。講演及び草笛演奏
             公民館教室生徒600名
3月1日(月)亀山高校卒業式終了後 学校校門にて卒業生を心を込めて草笛で送る。曲目『春なのに』『哀愁のセレナーデ』『乾杯』など。
東海ラジオ梅村勝彦氏の指示で収録に女性が来校。夕方 東海ラジオで流れたらしい。
4月祭日長島町"輪中の郷"の柿落としイベントに呼ばれ草笛演奏2回。北海道床苫前とも友好。
9月11日(土)『草笛教室と草笛演奏』三重ガールスカウトト記念行事 鈴鹿スポーツセンター円形ホール
10月祭日 四日市文化会館にて 草笛演奏
10月10日(日)津祭り『草笛演奏』午前の部12;00〜12;30本部ねりうけ広場安濃津丸上で
午後の部14;00〜14;30お城西公園特設舞台にてFM西岡アナ
    午後7時〜 亀山市田村町秋祭り盆踊りかんこ踊り後 草笛演奏 40分間
草笛太郎の独演 自治会長 藤田一雄(元小学校校長)より
10月14日(木)第53回三重県視聴覚障害者福祉大会講師依頼で『草笛の思い出話と演奏』三重県文化会館
 津市福祉課生涯学習課アトラクション
10月17日(日)産業振興センター(津)商工会議所百周年記念行事として。草笛演奏。
      祝祭博三重テーマソング真珠の約束 勇気100パーセント ヤーヤーヤー等8曲
午後 フォルテシモ 長い夜 酒と泪と男と女 なごり雪等7曲
10月祭日  奈良県生駒南小学校での 草笛指導と演奏
11月3日(文化の日)関祭り【草笛演奏】デモ演奏 町中スピーカーで草笛の音色が流れる。
11月10日 草の実学園文化祭でも依頼され草笛演奏。生徒さんものすごく喜んでくれて今も印象に残る。
11月祭日 市民ふれあいフェスティバル久居市役所企画課『楽しい草笛演奏』
11月13日(土)御園村 " ラブ・リバー公園『野菜コンサート』" 強烈風の中実施 帰途ドシャブリ津市内道路川ノ如シ
11月14日(日) 大手前女子大学学園祭からたっての頼みで 草笛太郎のトークと草笛演奏
         東野純惟さんも来校 大学祭実行委員会浅川さん等。
1994(平成6)年1月15日(土)ひばり合唱団と草笛太郎の草笛ジョイントコンサート(成人式アトラクション)
1月23日(日) "草笛太郎と地域文化ほりおこしフェスティバル" (菰野町)
2月 3日    ふれあいコンサート (3月頃、戦国時代村美装室で桃太郎侍の鬘あわせ 鬘一個を作るには東南アジアの女性が金策の為長い黒髪を売る悲しい実態を知る)
3月20日(日) 三重県産業振興センター(津市) ふしぎ.おもしろ.わくわくランド"
           エネルギーフェアー "草笛太郎の草笛演奏"(屋外特設ステージ)
3月23日(水) 白寿大学講座に講師依頼され「明治.大正.昭和の世相と懐かしの歌謡曲」
                  講演と草笛.ハーモニカなどの演奏。アンコールで時間延長
4月 9日(土) 桜の名所"白石公園 桜まつり"での草笛演奏2回(藤原町)スゴク寒カッタ
4月17日(日) "木曽川和船 草笛と三味線のジョイントコンサート"数隻の和船木曽川合流
4月18日    中京テレビ人気番組"電波結社バババ団 "草笛太郎放映。バカ受け。
5月 1日(日) "桃太郎侍"に扮して 草笛太郎の草笛演奏 "ヒトツ人ノイキチヲ.."
5月 3日(祭日) "青空フェスティバル'94 in 大阪"に骨髄バンク協会からのたっての依頼で承諾し 草笛太郎の草笛演奏
万博公園で 観衆約10万。草笛ビンビン青空に鳴り響く タケカワユキヒデ氏も舞台に
5月祭日 湯ノ山希望荘での草笛演奏(東京からわざわざ草笛をバスで聴きに来てくれる)
5月 5日(祭日) "北畠大祭.草笛演奏と"子供達への吹き方指導。北畠神社特設舞台
5月 7日(土) 県立美術館総会後のアトラクションに "草笛クラシックコンサート"
     佐藤忠良展 剣の舞、ドナウ河の漣、ロシアの踊り、シューベルトのセレナーデくるみ割り人形等
        この頃 たびたび中京テレビ等来宅。フォークダンスdeナルコザカや ディレクタースタッフ
5月28日(土) 亀山東小学校"ふれあい集会"全校集会で草笛演奏。校歌で始まり喜ばれる。
      壇上から身障者と心の交流。吹き方コーナーでは児童殺到。忽ち観葉植物の葉 壊滅のハプニング
6月祭日 サロンデボザール絵画展アトラクション「草笛太郎草笛演奏 イン新宿」
      東京.新宿センタービル51階ギャラリーにて 天晴れ!日本一!の掛け声しきり東京TV
8月13日(土)三重祝祭博会場(伊勢)よりロックバンド"ブルーボーイ"と生出演.実況生放送
      素直になれなくて  コケコの朝 草笛とジョイント 成子坂も
8月 休日   岐阜県飛騨 夏祭"草笛太郎の草笛演奏"
8月20日(土) "フェスティバル in 精義"桑名市立精義小体育館
8月休日  "テレヒ局からの依頼で ゙草笛太郎とピクニックへ"中京テレビ企画バス一台で愛知県豊田市の鞍が池公園
9月休日  久居中学文化祭での「草笛太郎の草笛演奏」久居中学体育館
10月10日(祭日)津まつり  草笛演奏(体育の日)
1994(平成6)年の世界祝祭博"祭り博三重"には3回出演(安濃町.中京テレビ.草笛太郎)

日本の心シリーズ
n『茶摘み』
o『我は海の子』
p『旅愁』
q『酒と泪と男と女』
r『ff(フォルティシモ)』

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* 草笛太郎 の 草 笛コ ン サ ート
1994(平成6)年10月世界祝際博会場 草笛太郎 第二部午後13:30〜14:30“祝際博みえ”会場にて
オープニング
a『ショーほど素敵な商売はない』 2;07
魅惑のラテンの曲より 明るい曲
b『カチート』
c『ビア樽ポルカ』 
    クラシック・ポピュラーより
d『トリッチ・トラッチ・ポルカ』 (J・シュストラウス)
草笛太郎が しみじみと草笛で奏でる
e『五番街のマリーへ』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   ビートルズナンバーより
f『レット・イット・ビー』3:53(ビートルズ)
g『イエスタディ』(ビートルズ) 2:08
h『サウンド・オブ・サイレンス』 3:09<サイモンとガーファンクル>
i『コンドルは飛んで行く』3;08(サイモンとガーファンクル)
 
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グリーンサラウンドフェスティバル(11/3青山学院大学総合グラウンド).時代村での"桃太郎侍"に扮して.近畿六大都市緑化祭(大阪万博公園)にて2001年10/14.

日本の心シリーズ
琴と草笛
j『越天楽』
尺八と草笛
k『田原坂』
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 日本の心シリーズ つづき
l『花』
m『荒城の月』 名曲中の名曲
n『なごり雪』
o『道化師のソネット』
p『万里の河』/TT>
q『昴ーすばるー』
r『コーヒー・ルンバ』

10月16日(日)伊賀上野城 お城まつり 草笛日本一 草笛太郎来演とある。
    10/16(日)上野市 お城まつり(三重県上野市)1;30〜3;40 午後1;30〜 上野城 城内 特設ステージにて 2時間余り草笛演奏。聴衆の人達からのリクエストも含め 約50曲。 上野ケー゙ルテレビで放映さる。
10月18日(火)亀山市立昼生小学校 親子教育懇談会での『草笛演奏』 午後T時20分〜U時50分 全校生、親、教職員 各自 子供が持参した植物の葉を使って 草笛の音色を楽しむ。
10月23日(日)マーチングバンド バトン・トワリリングの祭典 産業センター
10月 休日   豊浜西小学校で草笛演奏
10月 6日(日)世界祝祭博(まつり博三重)最終日謝恩パーティに招待
11月 13日(日)エキサイティング浜田 四日市市浜田小学校運動場での地域挙げての文化祭     四日市立港中学校吹奏楽部(まつり博三重出演)と草笛とのジョイント‘地球は友達ありがとう’等
  左の写真は電力館でのわくわく草笛コンサート右、ある公舎入り口活用ステージの草笛コンサート
岐阜県恵那の博石館にて"地球交響楽"上映後、龍村仁監督と日本人登場代表者.佐藤初音女史の講演後のアトラクション草笛太郎の草笛コンサートで大衆から拍手喝采。
11月19日(土)津市立神戸小学校での草笛演奏(全児童.父母.教職員)
11月20日(日)奈良県奈良市立大柳生小学校での草笛演奏と草笛の吹き方指導
        同日夕方 奈良テレビで、 翌日 奈良新聞で報道される。
12月 4日(日)滋賀県国友町 長浜での草笛披露。
12月17日(土)三重県立子供の城 スペースシアターにて 三重県主催 向井ちあきと星座教室と
         草笛コンサート三重県松阪市中部台公園内18;00〜20;00
12月 休日   中京テレビ『電波結社バババ団』特別番組長島スパーランドよりホワイト・サイクロンなどのジェットコースターに乗って草笛を吹く企画模様がテレビ報道さる。
1995(平成7)年2月4日(土)山郷小学校(員弁郡北勢町)音楽鑑賞会『草笛演奏』
 2月5日(日)女性フェスティバル"今ひらく共生の時代"シンポジュウム『斎宮を語る』三重総合文化センター講演 郡敏子 トーク パネラー郡さん 倉田直純氏 中野イツ氏 この時斎宮のイメージ草笛演奏。コーディネーター村山 猛
2月11日(土)12日(日) 横浜の高木東六氏と会い 高木邸宅でのんびり楽しい一時
2月  休日 殿畑保育園『植物の葉と人とのふれあい』約1時間園児母親教職員の前で草笛演奏。
2月19日(日)阪神大震災義捐金 草笛太郎のチャリティ草笛コンサート 鈴鹿市ハンター南 フラワー公園にて 亀山市スーパー‘エコー’各会場で実施。
3月 休日  津西幼稚園『楽しい草笛との集い』園児数272名保護者150名計430名程
                 (中京テレビよりテレビ出演要請電話あり) 
3月18日(土)中京テレビ生出演 草笛先生を訪ねて。草笛への思いや授業風景など。
3月 休日  松阪市保健所ボランティア対象研修会(華王殿)『草笛の話と草笛の迫力』
4月29日(緑の日)三重県緑化事務所イベントグリーンランド遊園地(久居市民プール隣)
5月 4日(国民の祝日)ジャスコ伊賀上野店2Fふれあい広場11;00〜 3;00〜
5月13日(土)JA松阪女性部総会講演と草笛演奏『私の生き甲斐 植物との触れ合いそして 日本の社会の発展を祈って』
5月28日(日)高木東六と草笛太郎のジョイントコンサート 東員町ひばりホール 司会小川サン
6月 3日(土)朝日幼稚園 草笛演奏6月17日(土)亀山文化会館で演奏
7月 7日(七夕)夜 高木東六さんと草笛の音色 
1996(平成8)年一月早々 草笛のCD自分で作詞 作曲作成の決意)
東京都から電話 環境会議桜祭りでの草笛太郎の出演依頼
TBSプレゼンテーションステージ大沢ユウ『ユウユウワイド』
この間 ずっと作詞・作曲構想への取り組みに夜中1時ぐらいから朝駆け迄取り組み続ける。
1995(平成7)年4/26〜6/4迄の花のフェスタ95,実行委員会から依頼
1996(平成8)年1/10読売新聞東海版【教壇から草笛の音色 息吹き返す生徒の心】記載。
1996(平成8)年3月25日姫路テレビより依頼
4月28日(日)兵庫県宍粟郡一宮町『しそう森林の祭典 草笛演奏』
4月14日(日)〜4/14姫路テレビ報道。
       東京都”新宿センタービル”51階。全国絵画展のアトラクションで草笛演奏。
      滋賀県信楽町『陶芸の炎と桜を楽しみながら』のぼり釜で企画依頼、草笛披露。
            草笛CD作成に命を削る。
 5月連休 名古屋テレビ『ハートに塩コショー』梅沢冨男主演や俳優女優への草笛指導と実際の草笛の音入れ。名古屋テレビリハーサル
5月28日名古屋テレビ放映 
      6月 草笛のCD収録 ややバテ気味。
7月14日(日)池田文化会館より依頼 草笛ミニ演奏
7月21日(日)イベントドーム(菰野町野外ステージ)柿落とし。『草笛太郎の草笛演奏』
7月27日(土)飯南町夏まつり『草笛演奏と話し』の件で依頼
7月28日(日)菰野町野外ステージ 『草笛の話と草笛演奏』 8月3日伊勢新聞《スポットライト》に記事記載。『草笛で世に警鐘を鳴らす』
8月 4日 読売新聞記事記載(編集局報道部)
8月 9日 FM三重 草笛インタビュー
8月 11日 第20回三重県立津西高校同窓会で草笛演奏。
8月 休日  飯南町夏祭り草笛演奏
     FM三重ジャストナウ三重(三重県提供)草笛インタビュー放送さる。
8/14〜8/16 岐阜県へ  この間 草笛CD作成に追い込みエネルギー使う。
9月11日頃 残った稲刈り気がかり 体力使いすぎ一人で 体力の極限超えバテ気味。       草笛CDの表紙遅れる。今まで自分の作詞の英語への翻訳に苦労す。ドイツ語での表現にも努力、鈴鹿高専の都築先生に世話になる。
      世界でも類の無い草笛のオリジナルCD(世界初)歴史に残る偉業(草笛オリジナルCD)との事で CBSソニーで最終的に作成。CD作成の目的は営利目的で無く、自分で納得でき、今の吹ける元気な内に少しでも世の中、良くなってほしい。貧しく弱い馬鹿正直者(衰えつつあった自分の両親や弱者や正直な苦労者への励みと 発展途上国のあらゆる人々への想いと 子供達の為に何処まで生きられるかも知れないが 開き直って 捨て身で生き抜いてやろうと決意し 金に糸目をつけず、自分の本心 本物の草笛と歌や詩曲を この世に残して置く為に思い切って草笛CD作成を敢行した。当初、7月頃にはと目標を定め 9月には 何とか目途をつけ、12月のクリスマスにと懸命にがんばったがそれも遅れ 12月28日頃飛行機便で空輸 1月にヤット世話になった人達の手元に渡り始めた。
      関係者には誰よりも早く感謝の気持ちで、プレゼント。有名作曲者 音楽家レコード会社の絶賛を浴びる。教員の為、誤解されるのを嫌いスポンサーや業者の名前は入れず 全て自己負担で作成。いわゆる 自費出版である。一つの自分の遺品 遺言を残す事が出来たようだ。ゆとりが出来たら 強い信念と勇気と時間があれば日本、世界の古来からの名歌を草笛の音色で きれいに残したいものだ。
1997(平成9)年1月3日(正月)和歌山県新宮市ユーアイホテルで草笛演奏 1月8日(水)中日新聞和歌山版に写真入りで大きく報道。
『自然保護の願い託し13曲 草笛のCD制作 レコード会社も絶賛。写真説明《草笛と制作したCDを持つ村山猛さん=自宅で》と見出しにある。      この頃 和歌山県和歌山放送に生出演 生放送。
        平安閣で草笛披露。結婚式にあの澄んだ音色が清清しいいつまでもと時々頼まれる。
      雑誌『伊勢志摩』取材 人間社などあちこちから取材依頼等の電話が殺到 テレビ大阪等より依頼
2月2日(日)テレビ大阪報道部取材 
      4日大阪 神戸 京都 奈良 滋賀辺りで夕方草笛CD作成 草笛太郎さんとして放映。
       CBCラジオ等から度々 依頼
3月10日 建設省 中部地方建設雑誌『生き生き中部』(人間社)久保田亜紀さんとアメリカカメラマン取材。
3月10日 朝CBCラジオ生放送『ウキウキパーキング草笛太郎CD曲と電話インタビュー』夕方、生放送。電波に乗る。
3月17日(月)CBCラジオレポート ドライバー『おはよう竹地祐治です−草笛太郎さんCD出す』生放送。早朝自宅にて。
3月休日 真盛学園施設卒園式に呼ばれ 草笛と子供時代の話と草笛演奏
1998(平成10)年1月15日成人の日 川越電力館テラ46新春イベント草笛演奏。
1月 休日  梅村学園草笛演奏。29.30両日に松阪ケーブルテレビで放映。
2月 休日  答志島大祭での時代劇に扮しての草笛演奏。3日間島挙げての祭りで全国から集まり盛り上がる。
3月 休日  愛知県小牧市での草笛演奏。小牧市教育委員会主催。小中学生.父母対象。
4月 休日  稲沢市"桜まつり" 草笛演奏2回。愛知県稲沢市。
  〜略〜

     卒業式翌日、母の為に沢山買い物して小遣い渡す為、帰宅したが突然の母の死を知らされ唖然。がっくり,ショック。慌ただしい年の翌年、老人施設で毎日のように通い続けて看病.世話してきた父親も今生の別れとなった最後の日に、いつも明るく喜んでくれていた笑顔もなく『猛,ありがとう!』といつもより凄く澄んだ寂しそうな顔して親父さんの方から握手してきたくれて不思議に思い『親子であるのに水臭いやないか?』と言ったがいつもよりすごく寂しそうな顔をしていた。その日は不思議に親父の死を予感して病院に駆けつけたがいつものベッドに姿無く,亡くなったのではと絶望感に襲われ立ちすくんでいた処、以外にも介護士さんから"お父さんは食堂でみんなと歌留多とりして見えますよ"と言われ駆けつけたがその通りみんなと一緒だった!ので凄く嬉しく、親子水入らずの対話がしたくて廊下の片隅での会話になったのだが嬉しくてこの冬が過ぎたら一安心と思って嬉しく内心何か気になったが見送ってくれる寂しそうな目に後ろ髪を引かれる感じもしたがべッド温かく布団でつんでやり夜遅く病院を出た。帰宅してもう駄目かと予感した事が救われた感じでがんばってくれると思い看病疲れも忘れて 身内に   わざわざ電話してまだまだ大丈夫!万歳!と安心して寝た。その深夜,一時二十分に突如、親父さんの死亡が知らされ、地球のあらゆる動きが止まったような絶望,寂寥感を味わった。一体あれは何だったのだろうと不思議に今でも思っている。親子でお互い察して予感が当ったように思える。親父までが一人で逝ってしまった。
  ハンサムで心身ともに頑強で病院にかかった事の無かった健康で優しく 善良でお人よしだった親父さん。頭がよく正直者で、善良で大声で明るくよく笑った気丈夫で心配性だった母親。体の力が抜けてしまったようだ。果てしない空虚感を味わっている。波乱にとんだ中身の濃い人生を送れたのも 何でもプラス思考で常に前向きに生き抜けられるように鍛え上げられたのもこの両親のお陰で 今日の草笛太郎が存在する。
   正直者や善良な人間が馬鹿を見ることのない人の世を。真面目にコツコツと生きる者が歯軋りを噛まない社会を求め、生きている限り、偽り.歪で偽者でない本物の人間社会を求めて、本物の草笛行脚をしたいものだ。
 慌しい中、東京のTBSやフジテレビ等から出演要請があり断ったが、フジテレビの"お父さんとお母さんの菩提になるのでは..."との心ある説得で"笑っていいとも"に出演。出演前日は夜、九時半過ぎ、田か道に乗り上げ自宅に帰ろうとしてトラクター転倒,下敷きになり30分程係りやっと脱出,足がパンパンに晴れ上がっていたがそれも微塵も見せずテレビ出演をこなしていたのは我ながら見事なものだった。人の見えざる苦労や苦悩は中々、理解してもらえないというか理解さえ出来ない世の中なのかも知れない。
2000(平成12)年4月 フジテレビ"笑っていいとも"出演。
  6月 "名古屋環境デーに草笛演奏とトーク。(野外鶴前公園の奏楽堂と名古屋公会堂)
          他に工藤静香さん松原市長など 司会 小堀勝啓さん 磯野貴理子さん
2001(平成13)年1月休日 浜岡電力館新春イベント 草笛太郎の草笛演奏2回。他に中国技芸団等。
その他、富士山をバックに山梨県櫛形町、四国山フェスタ、富山県高岡町、大阪大東市、JA中央会、神奈川県報徳小学校(二宮尊徳の生誕地)等市町村の学校などで依頼され草笛演奏や講演。
1998年、スリランカの女学校やランカオベロイホテル等や1999年8/25〜28まで韓国の史跡址や勇ましい李将軍像がある九龍公園などでそして2010年には中国の万里の長城等で"草笛演奏"を展開し、大きな反響の中 高らかな草笛の音色に注目された。環境関係での大会に京都や大阪あたりの環境デーや指導者大会等でも草笛演奏に呼ばれて行ったいるが、どういう訳か人権関係の大会にも招聘され熊本や霧島等でも講演も結構こなしてきた。退屈されず 時間もあっという間に過ぎてしまう とか喜ばれている。
 
東京の大聖堂や創価学会の祭典でも心を込めて草笛演奏したこともあるが当時から是非、アメリカのカーネギーホールで是非、高らかに草笛演奏したらどうか推奨されたりしてきたが行く道筋も人脈も全く、判らず どのように出演すれば良いのか全くわからず 今だ実現じまいの状態。ご親切な方とかご理解していただければいろいろと具体的に教えていただきたいと思っています。どなたか尽力ある人とご理解あれば一度、やってみたいものと思っているが 無理にしょうとも思わない。チャンスがないかな?草笛太郎は草笛活動の一環としては常に実践応用的に前向きに楽しくお互いの健康を大切に考えて活動しております。
そして、無理をせず あらゆるものから 良いところを吸収して 草笛演奏活動に活用させています。
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